第三話 マイペースな彼女

  ○


 正面からとらえた彼女かのじょは、一も二もなく美人であった。真っ白なはだつやのあるショートの黒髪くろかみひとみは少しばかり細目でがっており、理知的な様子がうかがえた。


 黒髪くろかみ美人な女の子など、現代では絶滅ぜつめつ危惧種きぐしゅに指定されるほど少ないのに、ドンピシャで彼女かのじょの容姿が合致がっちしていたので、ぼくは正直におどろいた。


「おっと、これは失礼」


 そんなぼく動揺どうようなどまるで意にかいさないように彼女かのじょは居住まいを正すと、先ほどまで寝転ねころんでいた椅子いすを一つぼくすすめてくれた。


「こんな格好ですみませんね。まさか、こんなに早く来て頂けるとは思っていませんでしたから」


 確かに……。


 普通ふつうの学生だったなら、授業かなんかがあって、すぐに来れることはないだろう。


「うん、まあ……。暇人ひまじんだからね」


 自虐じぎゃくのつもりで言ったはずだったが、彼女かのじょはあどけなさの残るみをかべて、「おそろいですね。わたし暇人ひまじんです」と、そういった。


 その仕草があまりにも可愛かわいくて、「かわいい」と内心でつぶやいていたのは内緒ないしょの話だ。


「ちょっと待って下さいね」


 彼女かのじょはそう言うと、となりに置いていたバッグの中身をあさり始めた。中々お目当てのものがみつからないのか、「あれ? あれ? おかしいな」などとつぶやきながら、バッグをあさっている。


 手持ても無沙汰ぶさたになったぼくは、改めて彼女かのじょの周辺を見渡みわたした。


 ………………しかし、あれだな。


 ぼくは机の上に広がっている惨状さんじょうに、れないではいられなかった。


 カピカピにかわいた食器類に、スナック菓子がしふくろが数個。明日あしたの予習か知らないが、『数学』と書かれたノートと教科書が無造作に置かれている。その近くには工作をした後のようにホチキスやらハサミやらノリなんかが、散らばっていた。


 そんな中でも一番机を占領せんりょうしていたのは数々の書物だった。小難しそうな本から少年漫画しょうねんまんが可愛かわいいイラスト付きの小説などが手当たり次第しだいうずたかく積まれている。雑食らしく、それらには共通点が見当たらなかった。


 あ、エロ本もある。


 まだ名前も知らない彼女かのじょは、とても美人である。


 しかし、残念美人みたいだった。


先輩せんぱい?」


 机の上に意識が集中しており、彼女かのじょが呼びつけていることに気が付かなかった。


「あ、はい」


 真っすぐにこちらを見つめられ、ぼくはとっさに視線をそらした。


先輩せんぱいは、本当にあの先輩せんぱいなんですか?」


 あの先輩せんぱいだなんてワーキャー言われるような人じゃないけど……。


ぼくが秋月です」


「案外子供じみた顔をしていますね」


「……はい?」


 突然とつぜんそんなことを言われ、ぼくはムッとなった。


「電話で聞いた声が低かったものだから、なんかもっと、無精ぶしょうひげを生やしたオジサンを想像していましたよ」


 ……こいつ。


 口が悪いのは電話でも対面でも変わらないみたいだ。


「ちょっと失礼じゃないかな? 仮にも初対面の人に向かって」 


「初対面じゃないですよ。電話でお話ししました」


「対面は今が初めてだよ」


「そっすね」


 ノリの良い後輩こうはいみたいな軽い返事にぼく狼狽ろうばいした。そんなひるんだぼくの様子を、彼女かのじょは明らかに面白おもしろがっているようだった。


 意地の悪そうなみをかべてこちらを見つめている。


「あの、ぼくの顔に何かついてる?」


「マヌケ面がついています」


 …………何なんだ、こいつは。


冗談じょうだんです」


「言っておくけどさ、仮にもぼくは君の先輩せんぱいなんだからね」


先輩せんぱいっていったい何の先輩せんぱいなんです?」


「…………人生の先輩せんぱい


 そういってやったら、鼻で笑われた。


 そして、近くにあるリュックサックを取るようにと、アゴで使われた。


 本当になんなんだ、こいつ。


 リュックをわたすと、感謝もなしに「ゴソゴソ」とその中身をあさ彼女かのじょ。その際、彼女かのじょひじいて落ちそうになったノリはぼくが寸での所で拾った。


「あったあった、こっちにありました」


 そういって、彼女かのじょは一つの冊子さっしを取り出した。強引ごういん仕舞しまっていたせいか、角や表紙がシワクチャに折れている。


「二回目ですか? これ見るの」


 新歓しんかん祭のパンフレット。


 表紙は何年も使い回しているのか、ぼくが見た二年前と変わっていなかった。新入生らしき大学生がキャンパスライフを謳歌おうかする姿がえがかれている。一体何人の新入生がこのパンフレットにだまされたことか。


 桃色ももいろのキャンパスライフなど、あるはずないのに。


詐欺さぎ同然のパンフレットだ」


 憎々にくにくしくそうつぶやくと、彼女かのじょはまたも楽しそうに


「あちゃー。てことは、先輩せんぱいはこのパンフに書いてある通りのキャンパスライフが送れると、期待に胸をふくらませていたチェリーボーイだったのですね? ふふ、ずかしい人」


 ほっとけ。別にいいだろもう二年前の話なんだし。というか、チェリーボーイは関係ないだろうが、心外だぞ。


「でもこれ、中身が二年前と全く一緒いっしょだ」 


「ああ、これ二年単位で使い回してるらしいですよ。表紙とか最初の小話とか、もろコピーですもんね。後ろのサークル紹介しょうかいだけは毎年変わっているみたいですけど」


 ……なぜ一年生である彼女かのじょが三年生であるぼくよりも大学事情を知っているのか。そう聞くと、


「ああ、わたしって推薦すいせん入学なんですよね」


 彼女かのじょからはというだけで済まされた。


 なんじゃそりゃ。


推薦すいせん入試って面接だけじゃないですか。だからわたし、大学の特色とか色々調べまくったんです」


「それでそんな裏事情的なものまで知っちゃったの?」


「面接のときに言ってやったら、面接官のやつらポカンとしてましたよ」


 クックックッと特徴的とくちょうてきみをかべる彼女かのじょ。イヤミったらしいそのみに、狼狽ろうばいしきっている面接官の姿が目にかんだ。


「まあ冗談じょうだんですけど」


冗談じょうだんかよ」


 彼女かのじょならやりかねないと思ったけど。


「当たり前じゃないですか。そんなことしたら、今頃いまごろわたし猛勉強もうべんきょうの末にもっともーっと上の大学に合格していましたよ」


 ……つまり、そんなことしたら落とされるってことは理解しているわけね。




 閑話休題かんわきゅうだい




「そこの二十一ページが、自称じしょう部長がいる【天文同好会】のページです」


 だれ自称じしょうなんかしていない。


 開いてみると、なつかしいイラストが現れた。【天文同好会】の紹介しょうかいページは、中学生が書いたような天体観測をしているイラストとたりさわりのない紹介文しょうかいぶんが書かれていた。


 そして、その下欄からんには男子部員一人ひとり、女子部員ゼロ人。部長、秋月弥生やよい。確かにそう書いてある。


 いったいどんなトリックを使ったというのか。


「これって先輩せんぱいが作ったモノじゃないんですか」


「いや、まったく記憶きおくにないよ」


「この紹介文しょうかいぶんも? たりさわりのない平凡へいぼんすぎる文章が本当にイライラするんですけど」


「いや、まったく身に覚えがない。そしてイライラするとか言わないの」


 ぼくの反応に満足したのか、彼女かのじょは二度ほどうなずいた。そしてパンフレットに何やら蛍光けいこうペンで印をつけている。


「特にこのセリフがイライラします」


「いや、ハイライトしなくていいから」


先輩せんぱいが書いたものじゃないんだから、別にいいでしょう?」


「……そういう問題じゃないでしょ」


 まったく。


 彼女かのじょと話しているとのどかわく。


「しかし、それじゃあなたは一体何者なんですか?」


 彼女かのじょ怪訝けげんな表情に答えるため、ぼくは今の現状を素直すなおに話した。


 確かにサークルに所属していた時期はあったが、それはもう二年も前だということ。だから自分が部長になっていることは全く予期していなかったし、何故なぜそうなってしまったのかもわからない、と。


「……そうなんですか、それは困りましたね」


 話を聞き終えた彼女かのじょは、難しそうに眉間みけんにシワを寄せ、深くかんがんでしまった。……確かに彼女かのじょにとっては、こんなサークルの事情など、これっぽっちも関係ないことなのに。


「ちょっとあなた、この人の彼氏かれしさん?」


「へ?」


 いきなりそんな言葉をかけられて、ぼく頓狂とんきょうな声をあげてしまった。かえると、食堂のオバちゃんたちが数人、憎々にくにくしそうな表情でこちらをにらんでいた。


「その子の彼氏かれしさんかって聞いてるの!」


 太っちょなオバちゃんが、いきり立って聞いてくる。


「あ、いや……」


 ちがいます……。と訂正ていせいを入れようとしたが、「困るのよねー」という前置きを皮切りに、マシンガントークのように自分たちの話しをしゃべした。


「困っちゃうのよ、こう何度も何度もそこのスペースを占拠せんきょされちゃあ。あなただけのスペースじゃないんだから。そりゃあ、今はんでないだろうけど、いずれんでくるの。机とか椅子いすとかそんなに占拠せんきょされちゃあ、ほかの子たちの迷惑めいわくにつながるでしょ? 他人の迷惑めいわくも考えなくちゃね? それから……」


 主婦三人集まればドタバタ会議に話題はきずとはよくいったものだが、オバちゃんたちのおしゃべりはすさまじい。ペチャクチャペチャクチャと、まるで止まる様子がない。しかし、その意見はごもっともなものだった。


 苦笑くしょうしながら彼女かのじょをチラッと見ると、そっぽなんか向いてオバちゃんたちの話を聞いちゃいない。あれは、わざとだな。


 以前にも何回か、小競こぜいがあったにちがいない。




「わかったでしょ? だから、その子、連れて帰ってくれない?」




 やっと話が終わった。十分くらい話していたような気がする。 


「わ、分かりました。すみません、すぐに撤収てっしゅうしますから」


 なんでぼくがペコペコとあやまらなくてはいけないのか、少し納得なっとくがいかなかったが、素直すなおに従った。机に散らばったお菓子かしのゴミや、たくさんの書物をかかむと、そそくさと食堂を後にする。


 何故なぜだか、本はぼくが持つことになった。




  〇


「まだ全然んでないのに!」


 それまで一度も口を開かなかった彼女かのじょは、食堂から追い出されるや、すぐに毒づいた。


「いや、あれだけ占領せんりょうしてたら、流石さすがに注意するでしょ」


先輩せんぱいはどっちの味方なんですか?」


「いや、ぼくは別にどっちの味方でもな……」


「裏切り者」


「……」


 何か言うたびに火に油を注ぐような気がして、ぼく彼女かのじょいかりが収まるまでだまることにした。「ムカつく、ムカつく、ムカつく!」いかりに任せて歩き出した彼女かのじょの後ろを、たくさんの書物をかかえながら付いていく。


 彼女かのじょが乱暴に歩くものだから、その黒のスカートから真っ白な素足すあしあらわになっていてドギマギする。周囲の男どもも彼女かのじょの存在に気がついたらしい。下賤げせんな視線を彼女かのじょにぶつけていた。


 しばらく歩き続けても、一向に彼女かのじょ機嫌きげんもどらないため、ぼくは仕方なく口を開いた。


「でも、良かったの?」


「全然良いわけないじゃないですか! あのオバちゃんたちは、わたしが気に食わないだけなんですよ! だから全然んでないのにわたしを追い出したりして……」


「いや、そっちじゃなくてさ」


 ぼくがそういうと彼女かのじょは、キョトンとしてこちらを見た。


「そっちじゃないなら、どっちです?」


 まるでわかっていないらしい。いかりも忘れて、ぽかんとしている。


「いやさ……。ぼくのコト、彼氏かれしじゃないって訂正ていせいしなくて良かったのかなってこと」


「ああ……」


 彼女かのじょもどうでも良いことを聞いたように、適当な返事を寄越よこした。


「わざわざ訂正ていせいすることもないでしょう。わたし先輩せんぱいが付き合っていようがいまいが、あのオバちゃんたちにはどうでもいい、しょうもない、些細ささいな問題なのですよ」


 …………そりゃ、そうかもしれないけど。


「そんなもんなの?」


「そんなものです」


 彼女かのじょがあまりにもこだわらないので、これ以上この話をするのは野暮やぼに思えた。


「ねえ。これからどうするの?」


「それは安心して下さい。これからのプランは考えてありますから」


 彼女かのじょはそう言って、またあの、意地の悪そうなみをかべていた。ぼくとしてはいやな予感しかしないのだが、とりあえず、彼女かのじょ機嫌きげんが直っていたことに、ホッとしたのだった。

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