第5話 盗聴

第5章 盗聴

 

 

 美智子が東北道で襲われた翌日。

 自由が丘の駅前にある進学塾SAPIXの裏路地を行くと。

 中山美智子の家がある。街はまだ薄暗い。高級住宅の建ち並ぶ街に啓示的な黎明の光が射しこんできた。

 キリコが歩いてくる。ジーンズに黒のブルゾンだ。ずっとサル彦ジイと日光で暮らしていた。孤独な人生をおくってきた。

 それがこんどは――。都会にいる仲間や兄たちと、急にアーバンライフをするはめになった。オジイチャンとの生活がいまとなってはなつかしい。

 中山邸は鹿沼石を八段も重ねた高い石塀に囲まれていた。

 石塀の上にはさらに金属のネットフェンスがある。ツルバラが咲いていた。

 アイスバークだ。住んでいるひとにふさわしく清楚な感じだ。槍のような鋳鉄製の塀に上部をするより。このほうが優雅であり。それでいて容易には侵入できそうにない。キリコがクノイチだからそう感じたのだろう。

 ハコネウズキの枝にカラスウリが赤くたれさがっている。キリコはインターホーンを押した。

「どうぞ、門のわきのくぐり戸を開けますから」

 美智子の母親だろう。澄んだ艶のある声がした。このときキリコは不穏な動きを背後に感じた。黒いセダンが通り過ぎていった。

 悪意がその車から放射されていた。

 空気がピリッとひきしまった。

「なにかしら」

 キリコは背中に意識を集中した。この家は見張られている。背中を目にした。容易にふりかえることはしない。プロのこころがまえだ。こちらがあなたに気づいていますよ。と知られることは危険だ。車は角を左折して駅の方角に消えていった。

カチっと音がした。解錠音だ。キリコはくぐり戸に手をそえた。静かに開いた。気のまわしすぎかしら。ずって想定外のことばかり起きるのでナーバスになっているのだわ。 

「お早う。早やいのね」

 すでに隼人は庭に出ていた。霧降の滝のミニチュアを眺めていた。滝口は人工の岩で造られていた。滝の落差は五メートルはある。滝を縁どるように生えている草木はほんものだった。

 霧降では落葉だった。

 ここではまだモミジやナナカマドが紅葉していた。霧降からきたキリコだ。たぎり落ちる水と色づいた木々を、なつかしいものを見る目で――。見あげていた。

滝の音は録音したものがながれていた。轟々とした飛瀑、霧降の滝のリアルな音だ。キリコもその音を聞く。

「うれしいことしてくれていたのね。霧降にいるみたい。すごくうれしい。サル彦ジイを思い出しちゃった」

「なつかしいだろう」

 さわやかな声が隼人からかえってきた。

「ゆうべはよく眠れたけ。なにもなかったぺな? ケタケタケタ」

 日光の方言と擬音をわざとまじえてキリコが聞く。U字工事の人気で有名になった栃木弁でもある。



 美智子と同じ屋根の下で夜を過ごした隼人。キリコは気がかりなのだ。美智子の家に泊りこんだ隼人。キリコは隼人の行動がかなり気になるらしい。

「それより知り合いがおおいらしいな」

 えへっ、というようにキリコは舌をだす。

「兄弟もふくめて一族のものは全員、東京にいるの。故郷日光をでたからって別の暮らしかたがあるわけじゃないわ。忍びは忍びよ」

 例えばどんな職業なのだろう。隼人は別のことを訊いた。

「敵はどういう筋のものかわかった?」

「サル彦ジイのことみんな悲しんでいる。悔しがっている。だから……かなりくわしく調べてくれた。あの美智子さんを襲って死んだ男については、なにもわからなかった。わたしたちの敵は鬼神ときまっているのだけれど、美智子さんが絡んでいるから少し複雑なの。

 あいつら鬼神もこの東京へでてきている。鬼門組って名のっているらしい。でも、かれらに不穏な動きはないみたい。あの死んでいった男……あいつの頭の中はからっぽだった。美智子さんを襲うHな妄想しかなかった」

 目の前にいるキリコが、隼人には異常な能力者と思われた。あの男の額に手を当てていただけではなかったのだ。臨死の男のこころをリーディングしていたのか。

「中村実と、平凡な名前よ」

 鬼門組のしたっぱの構成員にも、該当する男はいなかった。

 キリコがきゅうに黙りこむ。かなり熱心に滝の音を聞いている。なにか気になるらしい。なにか気がかりなことがあるのだ。いままでのオドケタようすはない。隼人に調査の結果を報告しようとしている顔ともちがう。息をつめて真剣な表情で滝の音に耳を傾けている。

 キリコの顔に怒気が浮かんだ。そしてそっと隼人の手をとると「盗聴されてる」と指で書いた。盗聴探知機みたいな少女だ。女忍者だからほんとうに探知機くらいもっていてもフシギではない。いろいろ隠し武器を、暗器をもっていそうだ。おどろいて、隼人はキリコの手をひいてその場を離れる。

 滝の音になにか変った音でもダブっていたのだろうか。それともこの家のどこかに電波のみだれがあるのか。霧降の滝の音を子守唄として育ったキリコにしかわからない異音がひびいていたのか。

 隼人には滝の音。ただの飛瀑の音としか聞こえない。

 中山邸の庭に造成された人工の霧降の滝。

 そして音だけは本物の滝音を録音したもの。

 隼人にはそれ以外のことは感じられない。

 わからない。

 監視されていた。

 この家は、監視されていたのだ。

 誰に?



 盗聴電波がでている。美智子の母、里恵は信じなかった。盗聴されているらしいと筆談で密かに告げても。信じなかった。筆談で知らせた。盗聴器は。ひとまず。このままにして置くことを。美智子が出かけてから。取り外すことを。里恵はそれでも。不安そうな表情をかえなかった。

 隼人は盗聴器の発見と取り外しに立ちあった。キリコの連絡で駆け付けた男。キリコの兄の部下だという男が盗聴探知機で部屋から部屋を探した。出発が遅れた。もうこれ以上は待っていられない。キリコと隼人は後のことは、盗聴器を三個までは発見した男たちに任せた。隼人は美智子が気がかりで落ち着かない。新宿の河田町にある美智子の所属する「バンビ」の事務所に急いだ。

「どういうことなのだろうな」

 車のなかで隣のキリコに隼人がきいた。

「熱烈なファンのストーカー行為ってことでは、ナカッぺね」

 キリコも美智子のガードを里恵から依頼された。

 かなり前から盗聴されていたのだ。

 美智子がカムバックしたことには、無関係だろう。

 キリコが栃木弁を使うときは、テレカクシらしい。ふたりで肩を寄せあっている。キリコは顔を赤らめている。

「彼女は命まで狙われた!! 日本はいつから……こんなブッソウな国になった。白昼ナイフによる刺殺魔がでたり」

 でも、そういうことではない。美智子個人がターゲットなのだろう。

「海外にいたのに、日本の社会情勢をよくしっている。美智子さんのことが気になっていたのケ」

「彼女とは会ったばかりだ」

 美智子の言葉を借りれば、引退同然の生活をしていた彼女なのに。盗聴器をしかけるなんてどこの組織だ。

 なぜだ?

 隼人は盗聴器がしかけられていた。中山家の日々の動向がひそかに監視しされていたことに、まだこだわっている。



 たんなるイヤガラセであるわけがない。

 ノゾキ趣味にしては念が要りすぎている。

 キリコの兄、秀行のスタッフがきてくれた。近所にかならず盗聴している者が。配置されているはずだ。最後まで付き合いたかったが。盗聴器を全部取り外すのにはまだ時間がかかる。だいいち、取り外したほうがいいのか。外せば、かれらがどうでるか。目に見えない敵だけに。不気味だ。

 隼人はいらだっていた。出発がおくれた。

「里恵さん、あのままさりげなく時間を過ごせるかしら。なにかいつもとちがう動きでもして、気づかれたらコトよ」

 キリコは、派手なピザ屋のラップがほどこされた配達車できていた。ロゴが入ったワゴン車の運転席にいた。駅付近の駐車場まで歩いて、隼人も乗りこんだ。大口のデリバリーに使う車なのだろう。

「隼人、アメリカの麻薬シンジケートがからんでいるの。日本の出先機関が鬼門組なのよ。ハデに売りさばいているわ。隼人あなたの正体。教えて。あなたのことはだいたい調べがついている」

「それはまた手早いことで」

「ちゃかさないで。わたしたち黒髪のモノも同じようなことしているの」

 キリコの兄たちも、おなじようなミッションに従事しているということなのか。

「ぼくらの能力を活かすとなると、そんなところだろうな」

「そうよ」

「それより。滝の音でもっと気づいたことがあるのだろう」

「わかったぁ」

「まあな」

「さすがぁ」

「ひやかさないでくれよ。そこまでだ。なにかあると感づいただけなのだ。悲しいことだけどさ」

「直人さんの死――。あのときからアタイはおかしいと思っていたの。事故でなかった。転落事故ではなかった。そういうことも滝の音にかくれてひびいていたの。滝が警告を発していたわ。アタイにはわかる。近づかないで。滝には、近づかないで。近づかないで。そんな自然の叫びがきこえていた」

「滝の声か」

「たぶんね」

「直人には聞けていたのかな」

「たぶんね」

「直人は滝の声を聞きに、霧降の滝にかよっていたことになる」

「そういうことになるわね。アタイね、まえからいやな予感がしていたの。黒髪の女たちが。霧降高原の奥の奥にあるという鬼神の部落に。拉致されてなにかやらされている。そんな感じがしていた。サル彦ジイチャンもいっていた。女たちを奪回しょうと忍んだが。……女たちは性の供犠としてつれていかれたのではない。なにか仕事をさせられているようだ。警備がかたくて部落の内部までは忍べなかった。そんなこといっていた。アタイもそれ信じるよ」

 キリコは興奮してアタイを連発しているのに気づいていない。

 隼人は沈黙。考えこんだときのこれまた癖だ。


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