第3話黒髪キリコ

第三章 黒髪キリコ


 

 山のレストランをでて榊隼人は二社一寺、東照宮への道を選んだ。

 直人は死にたくなかったろう。きれいな恋人をのこして。任務を

遂行するともできず。死んでいった。

 美智子さんも悲しかったろう。どこかはかなく、崩れてしまいそうな危うさがある。危うさが、彼女に翳のようなものをにじませ、それが憂いのある……彼女の魅力となっている。そのはかなさ、憂いが彼女の美しさをきわだたせているのだ。

 また早く会いたい。

 彼女の声を聞きたい。

 彼女の顔が見たい。

 ぼくは彼女に魅かれている。

 これって、もしかして、恋心……?



 さっと行く手に影がさした。

 危険。鹿がでます。サルには餌を与えないでください。日光のサルは危険です。そんな看板が立て続けに道端に設置されている。渓流にかかった橋を渡ったところだ。空気は冷えていた。瀬音も清々しい。

 標識に手をかけて老人が立っている。

 渋柿色の道着をきていた。着古して色あせ、うす茶色になっている。老人は年には不相応な精気がみなぎっている。痩身。老人らしからぬ黒髪。精悍な顔が隼人をうかがっている。

「榊一族の若者よ。よくぞこの二荒の地に立ち入ったな」

 言葉どおり歓迎しているのか。皮肉をこめているのかわからない。

「ここはどこですか」

「しらないのか。親からなにも聞いていないのか。それともおとぼけか」

「そんなのぼくには関係ない。そんなの関係ない」

「アメリカ帰りだというのに、学習能力はあると見た。小島よしおのネタか。すこし古いギャグだがな」

「……ずっとぼくのこと見ていたんですね。いつからですか」

「ぬかせ。ここはわれら黒髪と榊と鬼神が三つ巴となって、いくたびか戦ってきた赤染川だ。存亡をかけてのわれら祖先の戦いの血で真っ赤になったという川だ」

「そんなの関係ない」

「バカかおまえ」

 老人が気をたたきつけてきた。

「初見参、榊隼人」

「先刻承知。黒髪族のサル彦ジジイだ」

 サル彦の黒髪がバサッとのびた。うしろでペニス縛りにしていると隼人は観察していた。老人なのに黒々としたその長い髪がさらにのびてきた。その先は針のように尖っている。

 目くらましだ。幽冥の世界に迷い込んでしまたのか。何本かまとまると牙のように鋭利だ。隼人は道路標識の頂点に跳んで避けた。片足でたっている。酔拳の構えのように見える。辺りの現実感が薄らいでいく。

「くやしいが見事だ。アメリカで遊んでいたわけではないな」

「アメリカには世界中の武芸者が集まってきていますから。黒髪流の髪(かみ)技(わざ)道場でもだしたらいかがですか」

「隼人。ジジイをからかうか」

 ボギっと標識が切断された。斬ったのは刃物ならぬ、サル彦の黒髪だ。鋭利な鋼の鞭で一薙ぎされたようだ。すかさず攻めてくる無数の黒髪。隼はサツト腕で顔面を覆った。コートがキュッとひきしまり隼人の体の線をうきたたせた。隼人の動きに精悍さが漂いだした。暴力をふるう昂ぶりはない。

「霊体装甲か。榊の民の毛髪をおりこんだというボディスーツか。ゲゲゲの鬼太郎のチャンチャンコみたいだな」

 霊体装甲ときいて思い当たるものがある。直人がぼくを守ってくれている。ゴセンゾサマがぼくをつつみこんでいる。ぼくの故郷への帰還をよろこんでいる。隼人はホンワカと笑う。屈託のないいい笑顔だ。

「拳銃だってポケットにありますよ。直人のケイタイもあるし。いつでも110番できますよ。日本のポリスは優秀だからすぐ駆けつけてきます。そうなると殺人未遂でタイホされちまいますよ」

「バカか。敵に手のうちを明かすやつがいるか」

「黒髪族も榊一族も、鬼神と戦った。二つの部族が助けあって鬼神と戦った」

「ぬかせ」

 憤怒の形相でサル彦は黒髪をあやつって襲ってくる。

「オジイチャン。もういいから止めて」

 サル彦と隼人の間に、人影が滲んだ。全裸で無防備な美少女が現れた。一瞬、隼人のドギモをぬく。メくらましだ。両手をひろげてサル彦を制止する。

「くるな。キリコ」

 隼人の逃げ技。毛髪の攻撃を避ける技。防御の技は。サル彦の攻めを紙一重で見事に避けている。榊一族のすべての事象と共存しようとするスピリットの表われだ。争わずして勝つ。自然とともに生きる。どんな災害も受け流す。遥か古代から受け継がれてきた技なのだろう。

「オジイチャン。やめて」



 キリコは全裸だった。

 腰まで長くのびた黒髪が隠すべきところは隠している。空蝉の術の応用。虚体投影だろう。キリコの実体はその辺のもの影に穏業している。

 声を聞いただけで、キリコがそこにいるように錯覚してしまう。サル彦もじっと目前に目線を向けている。キリコの声とサル彦の視線。呼吸の合ったふたりの技に隼人は化かされている。

 真赤な顔になったサル彦は少女の制止の言葉にひるまず、突き技にでた。隼人の体に触れるほどかけよる。

 突きではない。

 ヒッカク。

 さっと顔面を爪がおそう。

 避けきれなければ目玉をくりぬかれる。

 鼻がもがれる。

 耳がちぎられる。

 そうした恐怖があった。隼人はそれらすべての攻撃を紙一重でかわしきっている。

「オジイチャン。もういいから。ヤメテェ」

 サル彦とキリコにダブっている。ふたりの背後に戦う人影がダブっている。榊一族と黒髪族との姿が見える。戦っている。戦い続けている。

 榊、黒髪の一族には共通の敵がいる。その敵の姿は――まだ隼人には見える訳がない。宿敵の鬼神の影が隼人には見えていない。

 次元のちがう場所での戦闘だ。時代もちがう。隼人は瞬時、リアル空間からjumpした。過去の時空での戦場が、サル彦とキリコの背後に映し出されている。トツゼン歪んだ時空間。その歪みの中に現われた戦場に隼人はいた。

 これは!! 隼人はイルージョンを見ている。隼人は鼓膜をふるわせる鬨の声。大きな津波のように押し寄せる武者たちの中にいた。

 武者の群れは、隼人の体を透かして走り去る。隼人の脳裡に現れている戦場。黒髪のものと、榊一族は巨大な敵に向かって共に闘っている。共闘しているのだった。その敵は――。



「わたしのことはいいから。おねがい。やめて」

 少女は哀願していた。サル彦が攻撃の手を休める。少女は泣きだしていた。

「どういうことなのですか」

 隼人ははじめから攻撃の技をかけていない。サル彦が身を引く。老人から放射されていた、戦意の呪縛がうすらぐ。

 赤染川の瀬音がよみがえった。サル彦と隼人の頭上。日光山内の樹木の梢が初冬の黒髪颪に騒いでいた。隼人は旧知の老人に話しかける気安さで声をかける。

「教えてください。この日光でいまなにが起きているのですか」

「わかるか」

「感じるだけです」

 不許葷酒入山門。

 禅寺の戒壇石にはそう刻んであった。青苔に覆われている。かろうじてそう読みとることができる。三人は並んで戒壇石の脇を通る。そこには、門はない。そこを境界として空気が清らかな感じになった。あれほどの死闘をくりひろげたのに、サル彦も隼人もけろっとしいる。

 囲炉裏端に座ったサル彦は、老僧の姿。キリコはカスリのモンペ姿に変わっている。

「隼人さん、わが家に婿に来ないか。このキリコと夫婦になってくれ」

「オジイチャン。もういいから」

「そういうことでしたか」

「そういうことだ。フロリダの隼人くんのパパから連絡があった。」

 サル彦の口からパパなどという言葉がとびだすとは思わなかった。

 心配性の父だ。息子が日本に行く、日本に行けば日光に行く。ぜひ、会ってみてくれ、くらいの連絡があったのだろう。

 だから初めから、サル彦の攻撃には殺意はなかった。隼人の力量を見極めたかったのだ。

 キリコは赤くなってうつむいている。いまどきめずらしくうぶな少女だ。丸顔のアドケナイ素朴な美しさだ。ふいに、囲炉裏の火が揺らぐ。炎がすっと細く立ち昇る。

「オジイチャン。あいつらよ」

 キリコがいやな顔をした。見たくはないものを見なければならない。泣き出しそうな顔になった。隼人にも凶念がふきよる。背筋がざわざわとさわぐ。無数のウジ虫でもはいのぼってくるようだ。縁側から黒い霧が近寄ってくる。黒い霧がしだいに具象化する。

 


 筋骨隆々とした偉丈夫だった。

 多少は末端肥大症的なアンバランスなところはある。しかし鬼神と忌きられるほどの怪異はそなえていない。隼人は赤光をおびた眼でひとにらみされた。隼人の脳髄はやききられるような衝撃をうけた。

「隼人。見るな。鬼眼だ。とりつかれるぞ」

 遅かった。隼人の視界を黒い影がおおった。

「サル彦。これはなんだ。おれのところにキリコをよこすのが不満なのか」

「オニガミがなんのようだ」

「キリコはおれの嫁だ。だれにもわたさぬ」

「だれがオニガミの嫁になるものですか」

 魚のくさったような臭いが部屋にたちこめた。キリコとサル彦。鬼神の姿が、濃霧の中にいるように見える。隼人は視力の回復をねがった。目をしばたたく。念の力を呼び起こす。

「何代にもわたって。おまえたちオニガミを霧降高原や。戦場ヶ原から奥の地に封印するために。ただそのことだけのために。わが黒髪族の娘が生贄となってきた。何人いままでにオニガミに捧げられたと思うのだ。もうキリコしかいない。日光の地に、われら黒髪のもので残るはこのサル彦とキリコのみだ。この日光の地をわれらは去る。滝尾の神にも別れはすんでいる」

 鬼神がみえる。その魁偉な姿が見えてきた。

「ここから東を照らすものが、この地を制するものが日本を制する。日光は日本。ここが日の本だ。そんなタワゴトはもうどうでもいい」

「なら、キリコとサル彦。そこの榊の若者もまとめて食らってやる。この地はもともと、われらオニガミのもの。これで千古の夢がかなう」

 ザワットふきよせてくる悪臭。オニガミの姿がくずれる。別のものになろうと形をとりはじめた。

 巨大な蝙蝠の羽をもつ吸血鬼だ。

 ああ、なんということだ。昔いう鬼神とは、いまの吸血鬼だった。隼人にもその実像がいまは、はっきりと見える。

 これが鬼の正体なのか。

 露出している肌の部分が、小波をたてている。みるまに青味をおびる。ざらざらとした鱗状になる。生臭いにおいがさらに強くなる。すばやくひとに偽装する。

鬼に戻る。変化自在なヤツだ。目まぐるしく形状を変化させることが出来る。

犬歯がのび。

吸血鬼になる。

変化を見せることで、力を見せびらかしている。

「しばらくだったな、キリコ。またいちだんと美しくなったな」

 吸血鬼の形体をとったままでキリコに呼びかける。サル彦は僧侶から戦うときの渋柿色の道着すがたとなる。

 これが日光忍軍の戦闘服なのか!! 

 囲炉裏に座っていた穏健な僧侶の面影はない。孫娘キリコと隼人の結婚を夢見ていた穏やかな慈愛に満ちていた、老人の面影はない。隼人の力量をためすために争いをしかけた。あの厳しい、闘争的なサル彦にもどっている。

 痩身。渋柿色の着古した道着が宙を舞う。

 怒りにまかせて……。吸血鬼の実体を露呈してしまった。鬼神は、すばやく人に変形する。末端肥大症気味の大男となる。その姿で戦いたいのか!!! 

 異界の殺気がびょうびょうとふきつける。サル彦と鬼神の闘技は眩く変化する。隼人はその動きを追うだけで。精一杯だ。キリコも身構えている。でも、参戦できない。手の出しようがない。

「はやらない。そんなのハヤラナイ。ハヤリマセンヨ」

 隼人がノウテンキな声をだして割ってはいる。

「そんなのヤメタラドウデスカ」

 吸血鬼は人型をとっている。それなのにだめだ。男の動きについていけない。どう攻撃したらいいのか。わからない。吸血鬼のままの――そこだけは変わらない鉤づめが襲ってくる。

「じゃまするな」

 吸血鬼の鉤づめをかろうじてかわす。

「ここはジジイにまかせて。キリコを連れて逃げるんだ」

 サル彦の必死の形相が隼人に向けられる。

「オジイチャンといっしょに戦う」

「だめだ。逃げろ‼」


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