第12話 死角なし

 7回表のマウンドに滝波の姿はなかった。

 準決勝まで譲ることのなかったマウンドには別の投手が立っていた。

 6回を10失点。6回表のスコアボードには7が刻まれていた。


 4番克典の2ランから始まり、次々にヒットが出た。4番克典のホームランの後はまだスカイブルーのスタンドが沈黙することはなかった。

 しかし、8番佳史に2点タイムリーツーベースが飛び出した時には悲鳴はもはや沈黙へと移り、2番悠一、そして、3番朝陽の連続タイムリーでは悲鳴すら出ていなかった。

 4番克典は大きなライトフライに倒れ、3アウトとなったが、ベンチに引き上げる滝波に笑顔があるわけがない。体に染みついた習慣で、かけあしではあるが、うつむき、両肩は何か重いものがのっているかのようだった。


 6回裏。それでもスカイブルーのスタンドは応援の声を送った。

 野球には時間制限はない。9回裏ツーアウトからでも試合終了までどのくらいの時間がかかるか分からない。どんな劣勢からでも、逆転がある。時間内に得点を積み重ねる競技とは違う。それが、野球の醍醐味だ。


 だから、選手も観客も最後まで戦うのだ。それでも、力の差は歴然と存在し、それを見せつけることができる者が存在する。


 5回裏、わずか8球で忍原高校打線を抑えこんだ悟が6回裏またしても三者凡退でつけいる隙を与えない。

 そして、悟が奪ったアウトの内訳はファーストフライ、三振、セカンドフライ。いずれも悟の決め球スライダーによって仕留められた。高速で鋭く曲がるスライダーは相手の息の根を止めた。到底、芯でとらえられるものではなかった。


 反撃の糸口さえ与えない。淡々とアウトを積み重ねる。

 打者一人一人を確実に狩っていくそのスライダーは、悟のあまりに冷徹な態度とも相まってこう言われていた。

『死神の鎌』

 8番打者から始まる忍原高校打線を抑えるのは悟にとっては難しいことではなかった。しかし、9番打者のところで、事件が起こった。


「9番ピッチャー滝波君に代わりまして……」

と、その時点で甲子園中に大きなどよめきが響いた。


 ここまでたった一人で投げ抜いてきた滝波がマウンドを降りることがこの時点で確定したのだ。確かに結果を見れば、マウンドを降りても仕方のない結果だが、それでも滝波はマウンドを降りないのではないか。

 そんな淡い期待も消え去った。


 代打に意味があったのであれば、まだ息を吹き返すことができたかもしれない。

 しかし、スタンドのどよめきにも、スカイブルーのゆらめきにも、悟は動じない。滝波の代打を『死神の鎌』でしとめる。


 わずかなチャンスも与えない。

 どんな望みも与えない。

 突き放せる時に突き放せ。

 相手の心を折れ。

 

 それが『常勝』なのだ。

 

 かつて、これほどまでに静まりかえった決勝戦があっただろうか。6回裏2アウト走者なし。一瞬のことだったが、甲子園は水を打ったかのように静まりかえった。一番打者の名前がアナウンスされて、その声に促されるかのような声援があったものの、どこかうつろな音だった。


 滝波を降ろす。

 忍原高校にとって、大きな決断であったはずだ。だからこそ、その代打にはなんとしてでも出塁してもらいたかった。それが声にも表れていた。だが、それも悟の前に三振に終わった。


 そして、月ヶ瀬高校は7回表も得点をし、データになくとも月ヶ瀬高校打線を2番手投手が抑えるのは無理だった。


 データ班の翔太が一息つく。作戦通りだった。


 ----前日

「じゃあ、ここからが本題。忍原高校対策、そして観客対策だ」

 翔太は続けた。

「いいか。滝波を6回に攻略する。5回でも、7回でもない」

 これが翔太の立てた作戦だった。


 それを確認し、翔太が続ける。

「忍原高校対策っていうのは結局、滝波対策だ。滝波も100球を超えてくるあたりで、球威が落ちる。」

「……さすがの滝波もそこは普通だな」

 主将の信司が言った。

「ああ、信司の言う通り、ここまでは並の本格派投手なんだ。滝波も。だが、滝波の場合、8回、9回になると球威が上がってくる。被打率、失点率、ストレートの速度、あらゆる指標が上がってくるんだ。中には170球を越えて、その数字ってのもある。それに煽られるように観客も盛り上がる。滝波に8回、9回まで投げさせてはいけない。勝負の力点を前にずらす。これがこの作戦の肝だ。狙いはストレート。インハイだ。困った時に一番自信があるこの球を使ってくる頻度が高い」


「それでいきゃ、滝波目当ての観客も黙るってわけだな」

「そうだ。忍原高校打線は正直、裕太や悟の敵じゃない。データはもう渡してあるし、佳史がしっかりリードすれば、大丈夫だ。ヒットは打たれるかもしれないし、出会い頭の一本もあるかもしれない。でも、連打はない。ただ、8回、9回だけは予想がつかない。はっきり言って、接戦だと8回、9回、審判も敵になると思っておいた方がいい。……それは、皆が分かっているはずだ。もっとも、今言ったように勝負の力点をずらす。実質明日の試合は6回までで終わらせる。終わらせられなかった場合はデータ班としては全力出せとしかいいようがないと思っている」


 そのために5回裏も球数を放らせ、足で神経を使わせ、6回表は10球以内で終わらせて、少しでも体力回復の時間を与えなかった。

 全員が、作戦を完璧に遂行した。


 あらゆる点で月ヶ瀬高校には死角がなかった。

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