第3話

「そんな本どこで買ってきたんだよ…...」


 私は読んでいた本から目線を隣の席にいる北沢に向け問いかけた。


「普通に本屋だよ。他に何があるんだよ」


 北沢はさも当然かのように普遍的な顔を私に向けて言った。北沢は手に"ピッキングのコツ!"という見出しが書かれた本を持っている。印刷は薄れ、端が破れていることからおそらく古本なのだろう。


「そんな反社会的な本が売ってるとは思えないが」


「それが売ってるんだよ。残念ながら。僕の行きつけの本屋なんだけど色々マニアックなものまで揃えてるんだ」


 果たしてピッキングというものはマニアックなジャンルなのだろうか。むしろただの犯罪助長本だとしか思えない。北沢のそばにはその本の他に南京錠と細い針金のようなものが置かれている。


「まさか、君、ピッキングをしようだなんて思ってないだろうね」


 教壇を走っていた誰かが派手に転びその誰かを追いかけていた誰かの大きな笑い声が聞こえる。


「いやあ、これ案外難しいんだよ。僕は昔から不器用だからね。というか僕には無理だ。これ一式君にあげるよ」


 北沢はそう言って私にボロボロの古本と犯罪練習キットを私に押し付けてきた。


「こんなもの渡されても困るだろ」


 転んだ誰かが苦痛の表情を浮かべ、追いかけていた誰かもさすがにまずいと感じたのか、おい大丈夫か?と歩み寄る姿を尻目に私はそう言った。


「君も少し練習してみたら? 」


「やだよ、犯罪は僕がこの世で2番目に嫌いなものだ」


「じゃあ、1番はなんだ? 」


「人を裏切ることかな」


 学校の昼休みという極めて雑音の多い時間であるにもかかわらず私がこう言った瞬間だけ少し周りが静かになった…...ような気がした。自分の顔が少し熱くなるのを感じる。いや、気のせいだ。気のせいに違いない。


「ああそう」


 北沢は案外素っ気なく受け流して言った。


「大体、ピッキング自体は犯罪じゃないからね。ピッキングをして何かを盗んだりして初めて犯罪になるんだ」


「ほんとか? 」


 私はそう言い返しながらピッキングの本をペラペラとめくる。この本を見る限りだとピッキングの仕組みは思っていたよりも単純なように見える。


「これなら出来そうだな」


 私は北沢の「おお!本当か? 」という興奮の声を聞き流し南京錠と針金状のものを手に取る。少しの間、本を見ながらいじっているとカチャという音とともに南京錠が開く。ピッキングとはこんなに簡単に出来てしまうのかと驚くとともに家の玄関の扉が脳裏に浮かびもっと防犯に気をつけようと思った。


「君はすごいな」


 隣の北沢は感心した様子で開いた南京錠を触っている。


「そうだ。火曜、あの代休の日、暇か? 」


 北沢は唐突にそう聞いてきた。


「まあ、特に予定はないけど」


「なら、僕の行きつけの本屋に行こう。きっと見たことない本も売ってるよ」


「ああ、そりゃいい。ちょうど気になってたんだ」


 私がそう言うと同時に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。あの転んだ誰かは追いかけていた誰かの肩をかり、足を痛めたのだろうか片足を引きずりながら教室を後にした。その光景を見ながら小学校の頃先生が教室では走るなと言っていたのを思い出した。



 待ち合わせ場所である緑川駅前で5分ほど待っていると北沢が現れた。北沢はあいも変わらず野暮ったい服と髪型だ。


「その本屋ってどこにあるんだ?」


 私は北沢の後をつけながらそう尋ねた。


「すぐそこだよ。この路地を抜けて大通りに出てから2,3分くらいだ」


「へえ」


 私はそう素っ気なく返し、辺りを見回す。人通りはあまり多くないが、まばらに飲食店があり、いつかの打ち上げで行った焼き肉の横を通り過ぎる。


「あっ、少し寄り道していいか? 」


 北沢は唐突にそう言った。


「え? まあ、いいけど」


 私は特に不満もないのでそう言うと北沢は大通りを目前に左手のより小さな路地に入った。

 道というより建物と建物の間といった感じで、もし怪しいクスリの取引をすることになるならここでするだろうなと思ってしまうような、そんな雰囲気だ。薄気味悪い場所を抜けると少し広めの道路に出てきた。そして目の前には小さな公園がある。

 寄り道というのはまさかここなのだろうかと思っていると案の定北沢は公園の中に入っていった。それにしても、どうしてわざわざ公園などにきたのか。公園の様子はどこか殺風景で遊具があるわけでもなくただベンチが数個と花壇に今にも萎れそうな弱々しい花が植えられているだけだ。


「おい、見てみろ」


 北沢はそう言いながら右斜め上を指差した。その先には"故障中"と書かれた張り紙のせいで本来の役目を果たしていない時計があった。太い鉄の棒の先端に時計をつけただけの簡素なものだ。


「これがどうかしたのか? 」


 私は北沢にそう言うと

「面白い事を教えてやる。この公園は時間がずれているんだ」


 と北沢は突拍子のないことを言い出した。


「はぁ…...」


 私は露骨に顔を歪ませる。


「ここの公園の時計はかれこれ3年くらい止まったままなんだ。修理される気配もない」


「で? 」


「それで思ったんだ。この公園は時間がずれているんじゃないかと。だから、今からその証拠を見せる」


 北沢はそう言うとベンチに座りガラケーを握りしめながらうなだれている男の元へ駆け寄った。あまり、ああいう人と関わらない方がいいんじゃないかなと思いつつ北沢のあとをつける。北沢はその男の前に立つや否や


「今日の年と日付を教えてもらっていいですか?」


 と言った。男は顔を上げて私を見た。目にはくまがあり、頬には大きなホクロがある。


「あ? 1999年の11月26日だよ。」


 と生気のない声で言った。1999年とはどういう意味だ。北沢は私の方を見てニヤリと笑みを浮かべてから


「ところで、おじさんは何か悩んでるの? 」


 と混乱する私を放置し、言った。


「妻と喧嘩してね。家を出ていってしまったんだよ。電話で謝ろうとしてるんだけど中々勇気が出なくてね」


 男は何かにすがるような声をしている。


「それは大変ですね。でも勇気を出して、その一歩が大切なんですよ」


 北沢は思ってもいないような事を適当に口に出す。


「そうだよなぁ、ありがとう。少し勇気が出てきたよ」


「いえいえ。よし行こうか」


 北沢は私のほうを向いて満足感に満ちた顔でそう言った。


「色々待て」



 大通りを歩きながら北沢に尋ねた。


「まず、1999年というのについて」


「だから言ってるだろ。あの公園は17年遅れてるんだよ。まさに時代遅れの公園だ。滑り台もないしね」


 人生2周目の人間(自称だが)が目の前にいるのだから時間がずれているというのも案外ありえるかもしれないと思ってしまった。


「まあ、それは信じることにするよ。で、なんで、あの男と雑談をする必要があったんだ? 」


「だって、日付だけ聞いても怪しいだろ。そもそも、困ってる人が目の前にいるんなら助けるべきだ」


「ああそう。というかあれを見せる為に公園に立ち寄ったのか? 」


 前からやってくる人を避け、北沢に聞く。


「面白いだろ? 」


 北沢はなぜか自信ありげな顔をこちらに見せて言った。


「まあ、少し」


 私が珍しく笑みを浮かべて言ったその言葉は反社会的な人間が改造したバイクの音でかき消された。爆音バイクは私がこの世で3番目に嫌いなものだ。


 北沢の言っていた本屋の前に立ちそこはかとない不安を感じる。店先には一切の看板などもなく、一見、本屋だということに気づかない。そんな私の不安など気にする様子もなく、北沢は店の中に入っていき、私もそれに続いて店に入る。

 店の中は本屋特有の紙の匂いで満ちており、先ほどまでの不安はすっかりなくなっていた。紙の匂いには人を安心させる成分でも入っているのではないだろうか。普通の本屋にはある文庫別、作者別の仕切りはなく様々なジャンルの本が何の規則性もなく並べられている。これは目的の本を探すのも一苦労だ。

 しかし、それを差し引いても、他の本屋以上に濃い紙の匂いと一切の雑音もない静寂は気に入った。適当に目に入った本を手にとってみる。表紙には"鎌倉幕府の謎"という見出しに源頼朝のあの教科書に載っている有名な写真が印刷されていた。

 今度はその隣の本を手にとってみる。今度は"成功する人生を送るためには"という見出しに見たことのない外国人がパソコンに向かっている画像が印刷されていた。所謂ハウツー本というやつだろう。にしても、歴史本とハウツー本が隣にいるとなると本当にこの本屋は何の規則性もなく本を並べられているのか。他にも"強情な隕石"という寓話めいた絵本などありとあらゆるジャンルの本が並べられていた。色々な本を手にとっては眺めて棚に戻すということを繰り返している時、ある本が目に止まった。

 表紙には"緑川写真コンテスト"と書かれ見慣れた緑川駅の写真が印刷されている。こんなコンテストをやっていたのか。そう思い、ペラペラとページをめくる。そして、一枚の写真が目に入った瞬間心拍数が上がった。そこには、銀賞作品"町と緑"という文字とともに見覚えのある写真が写っていた。間違いない、これはこの間北沢が見せてきたあの写真だ。急いで、北沢を呼びつけ、


「おい、これ」


 とページを指差しながら北沢にあの写真を見せる。

 北沢は


「これは…...あの写真じゃないか…...」


 と少し狼狽した様子で言う。そして、はっと思い、撮影者のところへ目をやるとそこには亀川陽太と書かれていた。北沢もそのことに気がついたのか


「この亀川陽太ってのが僕の前世の名前なのか…...」


 と静かに呟いた。そのページの右下にふと目をやると田原高校より出展と小さな文字で書かれているのを見つける。


「田原高校っていうと確かそんなに遠くなかったよな」


 私は独り言のように呟く。


「行ってみるか」



 北沢は存外軽い口調でそう言った。普通は自分の前世に関する確信的な情報が見つかればもう少し興奮するものではないだろうか。


「とりあえず、その本を買おう」


 北沢はそう言いながら、私の手から緑川写真コンテストを抜き取り会計へ向かう。


「情報は手に入ったんだし、別に買わなくても良くないか?」


 私がそう北沢の後ろ姿に声をかけると、北沢は振り返り


「価値あるものには対価を払うべきだ。じゃないとお金の意味がない」


 と口角を上げて言った。様子をチラと見てみると店主と思われる老人が北沢から数百円を受け取っていた。その老人が女性なのか或いは男性なのかは判然としない。北沢は会計を終えると


「それじゃ、田原高校行ってみるか」


 と財布に釣銭をしまいながら言った。


 田原高校までは確か電車で3駅分くらいだったはずだ。私たちはお馴染みの緑川駅で切符を買い、田原駅へと向かう。電車の中は男子高校生と思しき2人組の会話以外には何も聞こえなかった。スマホを適当にいじっていると "俺の名は。興行収入100億突破!" というネットニュースが目に入った。 


「この映画観に行った? "俺の名は。"ってやつ」


「ああ、観に行ってないけど凄いらしいね。正式名称なんだっけ?無駄に長かったよな」


「ああ、なんだっけな」


 私はそう言いながらニュースの記事を下にスクロールするとその正式名称が書かれていた。


「えーと、"俺は君の名前が思い出せなさすぎて俺の名前さえ忘れてしまいそうだ。"ってタイトル」


 間に息継ぎを入れて読む。


「どうせ皆んな略称で呼ぶんなら初めからそんなに長いタイトルなんてつけなきゃいいのに」


「まあね」


 この件に関しては私も完全に同意だ。


「製作者は何を思ってこんなタイトルをつけたんだろうね」


 私は本心からそう言う。


「インパクトだよ。タイトルで興味を持ってもらわないと売れないんだ。きっとこの映画も初めから"俺の名は。"みたいなタイトルならまず売れてなかっただろうね」


 北沢はスマホに目を落としたまま言った。


「そんなもんかな」


 私がそう言った直後にとある映画のことを思い出した。


「そういや、あの映画面白かったぞ。"タイムパラドックス"だったっけ? 」


「ああ、僕もそれは見たよ。ああいうSFはくだらないファンタジーなんかよりよほど練られていて好きだ」


「ラストのあのセリフがかっこいいんだよ」


「そうそう。"全ての因果は収束する"だったかな」


「それそれ、一回言ってみたいな」


「多分一生使わないセリフランキングの上位には来るだろうな」


 私と北沢が映画トークに花を咲かせていると次の駅が田原駅である事を知らせるアナウンスが流れてきた。



 改札を抜けるとそこはバスターミナルでした。

 私たちは田原高校前に停車するバスに乗り込むと一番後ろの席に腰をかけた。当たり前ではあるがバスの外見は緑川で乗ったものと同じで内装も同じである。

 バスを降りると道路の向こう側に田原高校が凛と佇んでいる。来たはいいものの果たして関係のない人間が見ず知らずの高校に入ることは出来るのだろうか。


「ここからどうするんだ…... 」


 私は独り言のように呟く。


「なんとかなるはずだ。世の中はなんとかなるようにできてる」


 北沢は根拠がないにもかかわらず自信満々で答えた。


「そんな楽観主義的な考え方をしているといつか痛い目を見るぞ」


「僕は楽観主義者じゃないよ。むしろ現実主義者だ」


「ああそう」


 依然として学校の前でそわそわとしている状況に変わりはない。現在の時刻は午後1時半頃。可能性としては午後出勤の先生を捕まえて話を聞いてみるか。他に何か方法はあるだろうか。

 しばらく、厳密には15分ほどそわそわと校門付近をうろついていると明らかに先生といった風貌の中年男性がこちらに歩いてくるのが見えた。このチャンスを逃すわけにはいかない。そう思い、慌ててその男性の元へ駆け寄り北沢もそれについてくる。


「あの、すいません」


 私がそう言うと男性は戸惑いながら


「ど、どうした? 」


 と目を見開いた。


「実は人を探してまして、この高校の卒業生らしいのですが…...」


「この写真を撮った人です」


 北沢が先ほど買った写真集のあの写真の載ったページを開き、男性に見せる。すると、その瞬間に男性の顔が明らかに変わったのが見てとれた。


「そ、そうか…...この子を探しているのか…...そうだな、少し酷かもしれないが、この子は......忘れもしない、17年前に亡くなっているんだ」


 男性は小さな声で暗い顔で言った。分かっていたとはいえその事実を面と向かって言われ動揺する。北沢の生まれ変わり、前世という極めて非現実的なものが隠しようもない確かな現実だと証明された瞬間でもあった。


「君たちは亀川の友人か何かかな? 」


 男性はまだその暗い表情を保ったままである。


「いえ、その…...話すと長くなるのですが、また会えますか? 」


 私の顔は自分でも分かるほど強張っていた。


「ああ、いいよ。じゃあ、今日の8時くらいとか大丈夫かな? 」


「はい」


 突然北沢が会話に入ってきたので驚いて声の主を見てみると北沢はこれまで見たことないほど真面目な表情をしていた。


「じゃあまた」


 男性教師のその顔は最後まで晴れることはなかった。




「前世? 」


 窪田と名乗ったあの男性教師は露骨に不快感を表す顔でそう言った。


「はい」


 北沢はその顔に臆することなく胸を張って答える。


「それは私をからかっているのではないのだね」


 窪田は睨みつけるような目で北沢をじっと見つめている。


「はい。これを見れば信じてもらえるでしょうか?」


 北沢はあの写真集に載っていた写真の現物を差し出した。


「ふっ、そうか。やはり彼の言っていたことは間違いじゃなかったんだな」


 窪田は初めて笑顔を見せた。


「君の言うことを信じることにするよ。亀川は昔言ってたんだ。死んでも生まれ変わるだけだから心配するなって」


 しばらく沈黙が訪れる。亀川という少年の死について深く知らないのもあり、迂闊に口を出すことができない。


「亀川という人間について教えてください。お願いします」


 北沢はいつになく真剣な顔で窪田に懇願する。


「ああ、分かったよ。きっと君は亀川の生まれ変わりだ。根拠はないけど、きっとそうだ。亀川は科学部に入っていて私が顧問だったんだ。成績も学校内でトップ、おまけに趣味で撮った写真をなんとなく写真部に見せたら気に入られてコンテストに応募、そして銀賞だ。すごいだろ? 」


 窪田はなぜか自分のことを自慢するかのように亀川のことを褒め称えた。


「でも病気になってね。難病だったんだ。特効薬もない。でも彼のお父さんがすごい学者でね。特効薬を開発しちゃったんだよ。それが彼が亡くなった次の日のことだ」


 窪田は話しながら顔が沈んでゆく。


「この写真を見てくれ」


 窪田はそう言うと一枚の写真を鞄から取り出した。そこには一輪の花が咲いていた。私は小学生の頃、花について調べ学習をしていたため一目見て分かったが、おそらくこれはマリーゴールドだろう。一輪だけが孤独に、それでも凛と咲いている様子は力強さを感じさせる。


「彼は自由人というかね。この写真も病院から勝手に抜け出して撮ったらしいんだ。そのせいかどうかは分からないけどこの次の日には容態が悪化して…...あっという間だったよ」


 窪田はもの悲しげな目をして言う。


「お父さんも息子を亡くしたのがよほどショックだったのらしくて、1週間後に後を追って……」


 北沢は窪田の差し出した写真をじっと見つめながら話を聞いていた。




「わざわざお時間を取って頂き、ありがとうございました」


 私たち2人で頭を下げる。


「いやいや、こちらこそ、また亀川に会えたような気がしたよ。いや、君が元亀川か。そうだ、これを君に」


 窪田は鞄の中からお守りのようなものを取り出し北沢に渡した。


「これは? 」


 北沢がそう尋ねると窪田は


「亀川の父が私にくれたんだ。亀川龍馬というんだけどね。中に彼の作った特効薬が入ってるんだ。彼の父も少し変わってたからね」


 窪田は懐かしみとも憐れみともとれる表情をしていた。北沢はそのお守りを疑うような目で見つめてから握りしめ


「ありがとうございます」


 と言葉少なく返事をした。薬の入ったお守りとは?と正直思ったが口には出さなかった。


「あっ、あと亀川について調べるのは少し控えてもらってもいいかな? 実は亀川の母は今でも心の傷が癒えてなくてね……」


「そうなんですか」


 そう言う北沢の目に始め窪田と会った時のような熱はこもっていなかった。




 窓の外はビルや家の光以外暗闇で、寒さもより一層強くなってくる。人はあまりおらず、静かな車内と大げさな蛍光灯が無機質さを際立たせる。そんな中北沢が口を開いた


「分かった。僕と亀川の共通点が」


「変人なとこか? 」


 私はスマホでニュースを見ながら言った。


「違うよ。まず、僕の名前北沢の北に着目するんだ。"北"を来るという漢字の"来た"にする。来た、というのは来るの過去形だ。英語にするとcame。そんでそれをローマ字読みすると"かめ"になるんだ」


「こじつけだろ。なら沢はどうするんだよ」


「沢は…そうだな、まあ、沢って水関連だし川も似たようなもんだろ」


「一気にクオリティが下がったな」


 私は失笑し、"連続ひったくり、緑川で発生"というニュース記事をタップした。


 緑川駅で降りると凍えるような外気が私の体温を奪っていく。別れ際に北沢は

「明日、予定あるか? 」


 と聞いてきたので私は


「いや、ないけど」


 と答える。


「じゃあ、この間行った時間公園。あそこで待ち合わせよう。時間は夜の8時くらいで」


「なんでまたそんな時間に?」


 私がそう聞くと


「花火だよ。花火」


 と北沢は適当にあしらうような返事をし、そのまま振り返ると「じゃあな」とだけ言いいつもとは違う方向に姿を消した。




「まさか本当に花火だったとは」


 私と北沢は2人してしゃがみパチパチと弾ける線香花火を見つめている。


「なんでこんな真冬に花火なんだよ」


 北沢は明るく光る線香花火の先端が地面に落ちると、すぐに次の線香花火を取り出しチャッカマンで火をつける。


「線香花火ってのは冬にやるからいいんだよ」


 悴む手と線香花火と火薬の匂いはひどくミスマッチなような気がした。


「夏の風物詩に対する侮辱だぞ」


 そう言いながらもやはり線香花火というのはいつ見ても綺麗だと思ってしまっている自分もいる。


「昨日のあいつ、窪田だっけ?今後一切会わないほうがいい」


「なぜに?」


 北沢は私のその質問に答えることなく、花壇の方へと走っていき、戻ってきたか思うと何かをこちらに投げてきた。私はそれをキャッチし見てみる。


「これは昨日もらったお守りだな」


「中を見てみろ」


 北沢がそう言うので明らかに刃物で切ったのであろう切り口から中を覗いてみるが暗くてよく見えない。開いた口を下に向けて振ってみると中から小さな機械のようなものが出てきた。


「多分GPSだ」


 正直なところ彼の言動には少しの違和感を感じていた。しかし、実際の動かぬ証拠が目の前に現れると困惑し、言葉が出ない。


「僕は窪田が嘘をついていると考える。君はどうかな?」


「……そうだね、君に同意するよ」


 少しの沈黙の末に私はそう答える。


「なぜ窪田は嘘をついて、僕たちを監視するような真似をしたのか。そういう事をする多くの場合、何かやましいことを隠すために、そしてバレないようにするためにこういう事をするはずだ」


「そうだな。だとすると」


 私は冷静な頭を取り戻すとともに少しだけ嫌な予感を感じた。


 人が死んだ。


 それを隠したい。


 死んだ人間のことを探る人間を監視する。答えは考えるまでもなく容易に思いついたがあえて口にはしなかった。


「窪田が亀川を殺したかもしれない」


「まあ、嫌な予感はしてたけどそういう可能性は充分にある」


 北沢は私の手からGPSの装置を取ると地面に落としてからそれを勢いよく踏みつけた。機械はぺちゃんこに潰れ、とても人工衛星と繋がることのできる姿ではなかった。

「あいつとは関わらないようにしよう。そして、この件も終わりだ。世の中には知るべき事とそうでない事がある。これは後者だ。」


 このお守りの真意、もし窪田が亀川を殺したのだとした場合の動機。そんな多くの不明瞭な点は17年という歴史に流してしまおうと自分を納得させながら「だろうね」と肯定する。


「わざわざ夜に呼んだのも誰かに聞かれないためか? 」


「それもあるけど、7割は花火がしたかったからだ」


「ああそう」


 私は役目を終えた線香花火の亡骸といつか来る夏のために命を守った線香花火たちの入った袋を持って立ち上がる。

 すると北沢が私の持っている線香花火たちを指差しながら言った。


「誰が止めるって言った? まだ、冬の花火大会は終わってないぞ」


「えっ……まだやるのか?」


 私は露骨に嫌そうな顔をする。


「線香花火は冬に咲くんだよ」


 北沢はそんな意味のない詩的なことを言うと私から袋を奪い、線香花火を1本おもむろに取り出すとそれに火をつけた。夏を待たずに死んでゆく線香花火……可愛そうに。そう思いながら私も花火に火をつける。

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