列伝参

09 Nameless

「預言者が代表的な御使い?──うん。まあ、それはそうなんだけれど。そうではあるんだけど、私が扱っているものとしては取り敢えず横において置くことになるかな。


「何故と言われても。様々ある御使いの中のひとつに過ぎないから。そう。色々な種類の御使いがあるの。じゃあまず、当然の行為として、分類分けから始めてみよう。私が『御使い』と表現するのは『天使』と区別してのことではあるんだけど、実際新改訳の旧約聖書でも『御使い』と表現されている。非常に不満なことながら、新共同訳では『天使』とされてしまっているけど…。非常に、心から、全くもって、それはもう見事なほどに、不満なことながら、されてしまっているの。


「うん、まあそれはいいとして。徹底的絶対的かつ完璧に究極に良くはないけど、置いておくとして。いややっぱり…置いて、おくのはちょっと、いやかな。そもそも旧約聖書と表現するのも本来不本意だからヘブライ聖書と言わせてもらうけど。原典ヘブライ聖書にはこの御使いは『mal'ak』とある。元々は北西セム語の『l'k』、「遣わす」の派生語だから、名詞となったのがいつなのかは分からないし、敢えてアルファベットに置き換えればそう言うと言うだけだけどね。その名詞の意味としては、『メッセンジャー』としての意味しかない。「伝達されるべきメッセージを携えて遣わされる者の意」だったかな。ヘブライ=イングリッシュ辞典だと「messanger」「prophete」「priest」「as messanger of God」でしかない。ギリシア語で使いは『angelos』、そこから派生した英語の「angel」になって初めて天使って言葉が出てきてる。だから、英訳聖書を経由しなければ、天使なんて訳されるはずがないんだけど。……ああ、語源から離れたね。で、その『mlkh』の発音は恐らく『マルアフ』。恐らくと表現したのは、古代ヘブライ語に母音がないから。子音の並びで推測して読むしかないの。


「いや、ややこしくない。全然ややこしくない。日本人がそれを言ったら駄目でしょう。漢字はどうなるの。そうでしょう。読み方が記されない文字なんていくらでもあるの。基本的に表記文字はそうなるね。表音文字と表記文字は分かるよね。そういうこと。


「でも基本的に表記文字でも読み方には困らない。だって話す方が先なんだから。世の中には世界共通語を作ろうとして失敗したようなところもあるけど、基本的に音が先にある。だから普通は困らない。普通は、ね。でも古代ヘブライ語は違う。古代ヘブライ語を使用していたのがユダヤ人、と言えば理解出来るかな。そうだね。近代のユダヤ人の迫害も有名だ。でもユダヤ人の迫害はもっと前からあった。ディアスポラって、分かる? 民族離散のこと。ユダヤ人は、自らの領土を追われ各地に散った。彼らは自らの国と呼べるものを失った。……だからこそ、第二次世界大戦で、かつての領土を返してくれることを条件に出された軍事費の拠出を飲んだわけだけど。結果はあれだ。それはまあ今回は本当に別の話だね。


「ええと、どこまで行ったかな。そうそう。つまり、かつてその言語を使っていた人は各地に散ってしまって、自分たちの言語を話すことがなくなってしまったの。一応、現代ヘブライ語もあるから推測は出来るんだけどね。だから読み方はどれも推測。典型的な間違いの例はね、有名だよ。絶対聞いたことのある単語だ。ヤハウェって分かるかな。ヤーヴェとかヤーヴェーとか色々候補はあるんだけど。ヤハウェ多少優勢ってところかな。これはヘブライ聖書に出てくる神の名前。で、完全な間違えた読みとして、『エホバ』がある。


「有名、だと思うけど。知らないか? 名前は知ってるって程度かな。で、その『エホバ』と言う読みだけど。言語学者だけなら間違えるかな。信者がいれば絶対間違わないね。それが古代言語の難しいところなんだけど。基本的に古代言語は宗教書が多いから、信仰が関係してくる読み方ってものがあるの。


「まず、神の名前は子音表記で『YHWH』とある。で、母音はないとは言ったけど、何て言うのかな、漢文における書き下し文みたいな、補足する母音表記は一応あるの。レ点みたいな、ああいうやつね。それで、そこに『YaHoWaH』とあった。さて、何て読む。ちなみにYにaが書かれている場合、aではなくeと発音する、という決まりがある。そう、これを『エホバ』と読んでしまったの。そのままなら、確かにそう読める。


「さて。ここで質問。特定の宗教への信仰がなくてもこの言葉にはぴんと来ると思うのだけど。「神の名をみだりに唱えてはならない」。分かる? そうだね。日本なんて呼びまくるけどねえ。ほとんど知られていない神様の名前の方が多いけど…。あ、でも。妙に詳しい人がたまにいるね。あれは何だろう。まあ、いいか。どこにでもマニアはいるものだ。


「で。当然そのヤハウェという神の名前は、口にしてはいけなかったの。だからこそ、そこに来ると神の名前を『主』と読み替えた。必ずそう読むよう、補足もいれた。そう、その『aoa』と言う補足は、『YHWH』への母音ではなくて、『主』と読み替えなさい、と言う注意表記だったの。主と言うのはね、『アドナーイ』と呼ぶ。そう、『aoa』とはその『アドナーイ』の母音なの。エホバ、と読むための母音じゃない。


「敬虔な信者なら、神の名前を唱えないことなんて当然すぎるほどに当然のことだから、間違えることなんて決してなかっただろうけどね。ま、ようするに『如月』を『にょげつ』と読んでしまったようなものかな。さらに言うと、これはまあ蛇足なんだけど。「神の名をみだりに唱えてはならない」。じゃあ、いつなら唱えていいのかな。みだりに、ってどれくらいのことを言うのかな。そう、その区分けがとても難しかった。だから指導者は一律に「神の名を唱えてはならない」とした。いつでもどこでも『主』だ。そして、文字は子音のみ。民族は離散。さあ、どうなるかな。


「──そう。神の名前が分からなくなってしまったの。


「ああ、ごめん。話が逸れたね。何の話だったかな。そうそう、御使いの分類。その『マルアフ』なんだけど、ようするに『メッセンジャー』なわけ。で、旧約聖書に登場するものの分類として。神と人間がいるね。


「主が人間、使いが人間。これは普通に使いだね。「messanger」だ。身分階級のある時代だし、こういった使いも普通に登場する。預言者なんかは王の使いとして表現されることもあるしね。で、もう1つは最初に言った、主が神で、使いが人間。これが預言者だね。「priest」もあるから、神父なんかもそれに当たる。想像の範囲でしょう。そして、主が神、使いが神。これは多神教における低級神としてよく登場するパターンだね。でも一神教のヘブライ聖書には関係ない。と言うか、わざと一切出さなかったの。当時、実はあの地域は多神教の方がメジャーでね。異教の場合、使いは使いであると同時に、低級ではあるけど神、あるいは都市に居る神だったりしたの。だからそれは徹底的に排除しただろうね。いや、したんだ。徹底的に排除しようとしたからこそ、私の専門があるわけだし。


「そう。最初に旧約聖書に登場するのは神と人間と言ったけど。それ故に今の分類があるわけなんだけど。それ以外に、もうひとつ登場する存在がある。獣とかいう落ちではないよ。さて、他にあるかな。残りはね。主が神で、そして『存在が未確定』な使者、主に天的存在として表現される存在。


「それが私が取り上げる『御使い』なの」






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