第六章 比と肩  … 肆

「それで、改めて訊くが、なんで刀を持ってふらついてた?」

 月島の腕を掴んで軍の拘留所まで連れてきた男、森東郷と名乗る男が、拘留所の鉄格子の前に背もたれ付きの木組みの椅子を持ってきて、その背もたれに腰かけながら月島に問いかけた。

「ですから、私は人魚に連れてこられて……」

「その『人魚』とは何だ」

 疑問に思ったことはすぐに尋ねたくなる癖でもあるのか、それとも敢えてそういう聞き方をして相手を詰問していく尋問方法なのか、東郷は休む暇も、答えを考える間も与えず、何度も質問を繰り返す。

「奴らです。私たちの敵です」

「奴らとは何者だ」

「知りません」

「お前は何者だ」

「月島えり……」

 また初めの質問に戻った。ここへ連れてこられ、鉄格子の内側に入れられてから十分と立ってない間に、一体何周しただろうか。

 次第にイライラが込み上げてきて、返答が投げやりになる。

「なんであの路地にいた」

「だから、分からないって言ってるじゃないですか」

「どこで刀を手に入れた」

「いい加減にしてください! 早くここから出して!」

 月島は鉄格子に飛びつき、何かの糸が切れたように今まで出したことがないほどの怒りに満ちた叫びをあげ、東郷を睨んだ。

 けれど、それでも一切動じず、東郷は彼女の目をジッと見つめる。

「……そう言って、叫んで、暴れて。そうやって俺たちの同情を誘ったり、隙を作ろうとしたりする輩は掃いて捨てる程いたよ」

 東郷はそう冷たく突き放し、その場を立ち去ろうとする。

 ここから出られる望みはほとんどなくなってしまったと感じた月島は、東郷の動きを目で追いながら力なくその場に座り込んだ。

 重厚な作りをした拘留所に出入りする金属製の勝手口の前に立ち、扉の前で待機する守衛にノックで合図を出そうとして、東郷はその上げた右手を思いとどまった。

 徐に振り返り改めて月島に向き直ると、彼はそれまでと別の質問を投げかけた。それは彼自身ですら意外とも思える行動だった。

「月島えりと言ったか。なぁ、なぜあの時……」

「路地にいたのは、人魚が」

「いや、違う。そうじゃないんだ」

 パブロフの犬のように反射的に、かつ苛立ちを込めて返答する彼女を慌てて制止し、努めて平静に東郷は問いかける。

「あの時……そう、刀を地面に置いた時だ。なぜ自分の刀を放ったんだ? 軍人なら、自分の命と同じか、それ以上に刀が大事なはずだ」

「それは……前から男の人が現れて、柄に手をかけて、怒っていて……怖かったからです」

 月島の返答に、東郷は目を丸くした。これまで見てきた、自分が犯罪者だと断定してきた者たちとは反応がまるっきり違っていた。

「刀は危ないもので、それを持って歩いていたから、怒られたり、最悪、殺されたりするかもって思ったんです」

 月島の告白を、東郷は最後まで聞くとすぐに、扉をノックして何も言わずに出て行ってしまった。

 それを見た月島は、疲れ果てたように首を垂れた。


「東郷さん、彼女どうでした?」

「やっぱりクロですか?」

 先ほど東郷とともに行動していた二人の部下が近付いてきた。だが、東郷の顔は険しい。

「彼女は多分白だ」

「え?」

「だが、それ以外の部分で問題がありそうだ」

 東郷はそう言うと、椅子にドカッと座り込み、腕を組んで静かに目をつぶって深く考え込み始めてしまった。

 部下二人は、東郷の言葉の真意が掴めず、顔を見合わせて首を捻った。


「さぁ、出るんだ」

 あれからしばらくして、月島のいる牢屋の前に戻ってくると東郷は徐に扉を開けた。片手には二本の木刀が握られていた。

「何でしょうか」

「とりあえずついてきなさい」

「は、はい……」

 多くを語らず、スタスタと先を行く東郷に、月島はただ疑問を抱えたままその背中を追いかける。

 拘留所の中を突っ切って歩いていくと、別の建物に二人は入っていった。そこで月島は、先ほどまでいた拘留所は、所謂警察署の中に併設された施設であることを知った。

 何人かの職員や軍服を着た人とすれ違い、不思議そうに目で追われながら、彼女はとある一室に辿り着いた。

 そこは物がほとんどなく、床は板張りで、入り口のすぐ右の壁には木刀をかけておく突起がいくつかあり、向かって正面の壁中央、天井に近いところには神棚が鎮座していた。

「ここって……」

「やっぱり見覚えがあるか。ここは剣道場だよ」

 東郷は満足そうに頷くと、唐突に持っていた木刀のうち一振りを月島に押しつけるように渡してきた。

「え、えっと、何をする気なんでしょうか」

 慌てて問い直そうとするも、彼女が改めて顔を上げたときには、すでに東郷は剣道場に一礼し、中央に歩き始めていた。

「『論より証拠』派なのかな……」

 月島は戸惑いを隠せないながらも、とりあえず一礼して東郷の近くに行く。そこでようやく、東郷の口から説明らしい説明が聞かれた。

「君は、君の言う通り確かに軍人なんだろう。だがしかし、心も技術も純粋すぎる。いや、一般人とさして変わらないと言ってもいいだろう」

「それは……はい」

 痛い所をつかれた月島は項垂れるしかなかった。けれど、東郷が彼女の方へ向き直り、努めて明るい声色で話を続けた。

「でも、悲観することはない。私をはじめ、君を直感的に怒鳴りつけてしまったあの部下も、もとは一般人だった。そこから剣術を学び、他者と相対した時に湧いてくる恐怖心と上手く付き合い、いなしていく心の技術を学び、そして今に至る。今の君は、『刀』や『武器』というものに対して誤解をしているし、それらに対しても恐れを持っている」

「誤解?」

「あぁ、そうだ。確かに、刀は危ない。君の言ったとおりだ。決して、危なくないとは言わない。だがそれは条件がある。正しく知り、正しく使えば危険性は限りなく小さくなる。それどころか、自分の身や自分の仲間、ひいては大きな集合体を守ることもできる。君が軍人ならば、その事をよく理解し、頭に叩き込み、身につけないといけない」

 東郷は三歩後方に下がると、表情を引き締め、木刀を構えた。

「それをこれから君に教える。全身全霊を賭して受け取れ」

 月島は彼の気迫の圧され後退ってしまいそうになった。だが、その恐れを対処し、攻略しないことには始まらない、と自分に言い聞かせ、見よう見まねで木刀を構えた。

「少しはいい面構えになったじゃないか……さぁ、本気で斬りかかってきなさい」

「はぁっ!」

 月島が木刀を振り上げ、東郷に向かって突っ込んでいく。だが、さらりと躱されてしまい、その上、東郷が木刀で彼女の振り下ろした剣先を払うと、彼女の手から簡単にすっぽ抜けてしまい、木刀が明後日の方へと飛ばされてしまった。

「あっ」

「背を向けない!」

「はいっ!」

 飛んで行った木刀を拾いに走っていく月島だが、その時に東郷へ背を向け続ける形となってしまい、それを彼に指摘されてしまう。

「今相手にしている存在を忘れるな。それから、刀を持つ手は小指と薬指で握れ。それ以外は緩めなさい。振り下ろす時と相手からの攻撃を受け止める時のみ両手に力を籠めるんだ」

「わかりました」

「ではもう一度」

 彼の指導を聞き、今度は柄を握りすぎないよう気を付けながら、改めて刀を振るう。

 それからは、時間を忘れて何度も何度も月島は東郷に木刀を振りあげてはそれを躱されて弾き返されるという、同じ展開を何度となく繰り返した。

「ワンパターンだぞ! そんなんじゃ、すぐにやり返される」

 東郷は彼女が木刀を振り上げるタイミングで切っ先を素早く前に突き出し、わき腹を突き刺そうと飛び込んだ。

「きゃっ!」

 月島にとっては不意を突かれた形になり、慌てて避けようとするも間に合わず体勢を崩して尻餅をついてしまう。

「いてて……」

「痛がってる暇はない。まったく、こんなど素人を軍に招くとは、よほど人員が不足しているんだな」

 何も言い返せないというのが正直なところだったが、月島は敢えて何も言わずに無言で立ち上がり、木刀を構えなおす。


 時間は二時。正午はとっくの昔に過ぎ、東郷と月島が道場へ向かってから最低でも五時間はゆうに立っていた。

「あの女の子、東郷さんに連れていかれたけど、何してるんだろう」

「職員の話じゃ、道場に向かったらしい。拷問のように絞られてるんじゃないか?」

「あぁ……自分は軍人だって言ってたけど、本当の軍人とはどういうものか東郷さんからみっちり教えられて、今頃彼女は自分が嘘ついてたって、自供してるんじゃないか?」

 東郷についていた二人が、冷やかしに道場へとやってきた。すると、中からカンカンッと木刀同士がぶつかり合い、弾き合う音が聞こえてきた。

「ん?」

「なんだ?」

 扉の陰からこっそり覗くと、涼しげな顔で木刀を捌く東郷と、汗だくになりながら食らいつき、髪の毛もボサボサで前髪などが額に張り付いてしまっているのも厭わず、木刀を振るい続ける月島の姿があった。

 それも、東郷は木刀をさらに一振り追加し、二刀流で月島と相対している。

「おいおいおい……あの子、マジかよ……」

「俺たちでも、東郷さんと鍛錬するときは一振りだって大変なのに……」

 目を丸くして、顔を青くする二人。その間も東郷の指導が入る。

「突飛な動きをしようとするな、それだと動き回るだけで疲れる。体力を自ら削るだけだ。その上、動くことに意識が行って全く攻撃ができなくなる」

「はい!」

「刀の動き、相手の挙動、よく見るんだ」

 木刀を一心不乱に振るい続け、休みなく動き続けた月島は、もう手に力が入らなくなって、足も動きが悪くなってきていた。だが、休憩どころの話でなければ、そんな雰囲気でもなかった。

 彼女の中で既に疲れなどは通り越し、ただ無心に近かった。

 その時、体力差、体格差がある状態で手に力が入らず、打撃に劣る状況を改善するにはどうすればいいか、その手を思いついた。

「うあぁぁぁぁっ!」

 彼女は咄嗟に身体を捻り、先ほどまで腕だけで木刀を振っていたのを、身体全体を使って足を踏ん張り、上体を回転させながら木刀を振るう方法に変え、改めて持つ手に力を込めた。

(バキバキッ!)

「あぁっ!」

 陰で見ていた部下二人が声を上げて思わず飛び出す。

 大きな音を立てて、東郷の持っていた二本の木刀が真っ二つに折れたのだ。その折れた剣先の一方は道場の壁に刺さり、もう一方は彼らの足元へ転がっていった。

「はぁ、はぁ…………あ、木刀が! あ、その、すいません!」

 息を整えながら彼の持つ半分になった木刀を目にして、月島は急に我に返ったようにペコペコと頭を下げ始める。

 その様子を見て、東郷は声を上げて笑った。

「はっはっは! 君は面白い女の子だ。大丈夫だよ、木刀は消耗品だから、いくらでも予備はある。それはいいとして、先ほどの振り、実にいい打撃だった。今の剣筋を忘れるな、もう少し身体の力を抜いた状態でできると疲れにくく、且つ速い攻撃になる」

「わかりました」

「久々にいい汗をかいたよ。私の部下たちも、先の君のように、もう少し熱心に練習を付き合ってくれればよいのだがなぁ」

 冗談ぽくそう言って、東郷は入口の方へ振り返った。そこには、ぽかんと口を開けて立ち尽くす二人の青年の姿があった。

「あ、いや、当然です! 自分は、彼女には負けてはいられまいと、進んでこの道場にやってきたのです!」

「あ! 嘘を言うな。自分こそは、こいつと違って本心からこの道場へやってまいりました!」

「何を!」

「はははっ。わかった、わかった。じゃあ、少し時間を置いたら、お前たちとも手合わせしよう」

 部下二人は、「言ってしまった」という表情で顔を見合わせると、つばを飲み込んで東郷に頭を下げた。

「よろしくお願いします!」

 東郷の顔色を窺うようにチラリと目線を上げる二人。だが、すぐに自分たちの行為が滑稽に思えて上体を上げた。

 誤魔化すように笑うと、つられて月島も笑い、東郷もそんな彼女の表情を見て笑った。


 道場を後にし、四人は東郷たちのデスクがある事務所へ戻った。

「今回の件は、誠に申し訳なかった。この地域一帯で、刀などの武器を持った民間人というのは大抵ギャングであることが多く、我々も過剰に反応してしまった面がある。許してほしい」

 事務所に戻ってまず、東郷が月島に向き直って謝罪の言葉を述べた。

「改めて、私は森東郷だ。それから、部下のカガミとモント」

「よろしく」

「突然怒鳴りながら近寄って行って、悪かった」

 順に紹介された男たちを見て、初めて遭遇した時にまず声を上げたのが、黒髪を短く揃え、横をやや刈り上げたような髪型のカガミで、その次に声を上げて武器を置くように言ったのが、赤茶色のくせっ毛が特徴的なモントだと月島は思い返した。

「確かにあの時は突然だったんで驚きましたけど、今はだいぶ落ち着いてきたので大丈夫です」

 改めて挨拶を交わすと、東郷は南京錠で鍵をかけたロッカーから月島の刀、花時雨を取り出した。

「さてと、君にこれを返してあげないとね」

「ありがとうございます」

「ところでその刀、中が癒着してないか。錆びついているのか、どんなに引っ張っても抜けなかったぞ」

「え、そんなはずはないと思うんですけど……」

 とはいえ、月島も幾ばくかの不安があった。なぜなら人魚の卵に放り込まれ、水に浸かっているからだ。

 月島は恐る恐る柄を握った。

(カチャッ)

 音が鳴るのを確認してゆっくりと引き抜くと、東郷がいくら引っ張っても抜けなかった刀がすんなりと引き抜かれ、鞘から綺麗な刀身が姿を現した。

「その刀、人を選ぶのか……?」

「持ち主しか抜けないんです」

「これはたまげたな……」

「君って何者なの?」

 初め、彼女のことを悪者とみなし、怒鳴ったり詰問したりしていた男たちが、目を丸くして彼女のことを見ている。月島はその事に少しだけ嬉しく思った。

「えり、勿論ここで君は釈放……なんだけど」

「なんでしょう?」

「個人的にまだ気になる点があるんだ。この町を案内するついでに、もう少し話を聞かせてくれないか」

 東郷から何を聞かれるのか気になったが、月島自身も、何の手掛かりもなく右も左も分からない土地、異世界で放り出されてはどうしようもないので、藁にもすがる思いで承諾した。

「はい、よろしくお願いします」


 軍警の警察署を出て裏手へと伸びる坂を上っていくと、山肌に沿って這うように建物が立ち並んでいる。

「この辺りは昔から教会や聖職者たちの家などがあって、今みたいに住宅地のようになったのはつい最近のことだよ。それでも、越してくるのはだいたい聖職者に関係する人や親戚などが多い」

「皆さん、職場から近い所に住みたいんですかね」

「まぁ、そんなところだろうな」

 オレンジ色や赤茶色の丸い瓦屋根に、真っ白な石の外壁が鮮やかで、どの建物も太陽を反射して眩しかった。

「なんて言うか、凄く『外国に来たなぁ』って感じがします」

「なんだその漠然とした感想は……。そう言えば君は『人魚に連れてこられた』と言っていたが、それは別の国から連れてこられたのか?」

「別の国と言うか、別の世界、別次元からだと思います」

 月島はそう答えながら空を見上げてみる。東郷も釣られて見上げるが、そこには何もない。

「空から落とされた?」

「えぇ……まぁそんな感じなんですけど。信じられないですよね」

「確かに、にわかには信じ難いが、納得できる点もある」

「それは、どの点がですか?」

「それを説明するのに助かるものが、今向かっている教会にある」

「教会?」

「あぁ、そうだ。この町では、『人魚』と言えば我々にとって守り神だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る