第三章 狼と煙  … 肆

〈肆〉


「よぉ、漸くお目にかかれたな……月島えり」

「なんで、私の名前を……」

「あ? 知らねぇの。結構有名人だぜ、アンタ」

「え……!」

 先ほど思い出した記憶が正しければ、確かに思い当たる節がないとは言えない、と月島は思った。しかし、全てを思い出せたわけではなく、自分がどれほど重大なことをしてしまったのか見当がつかなかった。

「心当たりがあるって顔だな。さぁ、借りを返してもらおうか」

 男が身を乗り出したのを合図に、一斉にオオカミたちが身体の弾みをつけた時だった。

「月島、こっちだっ!」

 突然、開け放たれていた教室の扉からルーンが現れて、彼女の名前を呼びながら右腕を引っ張った。月島は導かれるがまま、教室に飛び込むと、間一髪、彼女の後ろで生身の躯体と躯体が激しくぶつかり合う音がした。

「あ、あの。あなたは?」

「説明は後だ。今は逃げるんだ」

 窓の下を見ると椅子が置かれ、窓の向こうへ渡り易いようになっていた。また、壁を挟んだ反対側には机が置いてあって、天面がうっすら濡れていた。

「おい! その小娘をよこせ!」

 机から下りる途中で狼男の声がしたので振り返ると、なぜか男は何もない教室の途中で、見えない壁を叩いて叫んでいた。

「結界を張った。だが、他の教室に回られたら出てこられる。その前に逃げよう」

 ルーンは月島の手を握って校門の方へ走ろうとしたが、彼女に呼び止められ、同時に腕をピンッと引っ張られた。

「待って」

「な、なんだ」

「まだ他に、生徒や先生たちが逃げ遅れてて……!」

「そっちは大丈夫だ。ヴァイスさんが既に対応している。あとはお前だけだ」

 ルーンが話もそこそこに改めて歩き出そうとした時だった。両隣の教室の窓ガラスが割れ、そこからあのオオカミたちが飛び出してきたのだ。

「きゃぁっ」

「チッ」

 たちまちオオカミに囲まれたルーンは、月島を自分の背後に匿いながら、刀を抜いた。

 隣の教室の窓から悠々と現れた狼男に対して、ルーンが口火を切った。

「おい、何が目的だ!」

「目的? わざわざ聞くようなことか?」

「当然だ。このような蛮行、訳も訊かず、あまつさえ見過ごすはずがないだろ」

 周囲を警戒しながら話すルーンの目の前で、男は呆れたように鼻で笑った。

「お前ら二人のお陰でここに来たってのに、敢えて理由を訊くのかって言ってんだよ」

「なに?」

「アクアとアイシアっていう二人の小娘がいたんだが、当然知ってるよな? あいつらは俺らの仲間だった。それがある日、誰かさんに殺された。お前らはその理由を知ってるはずだよな?」

 男が挑発的な態度をとると、彼女たちを取り囲むオオカミたちが舌を垂らしながらケラケラと笑い出した。しかし、そんな中においても顔色一つ変えず、ただ真っ直ぐに男を見据えてルーンは言い放った。

「それがどうした」

「あ?」

「関係のない人々を巻き込んで、その上我々にまで危害を加えた。その為に彼女らへ手を下したのだ。つまりは当然の報いだ。お前らに逆恨みされる筋合いはない」

 先ほどまでケラケラと笑っていたオオカミたちが、ルーンの言葉を聞いて低く唸り始めた。男も爪を立てて牙を光らせた。

「もう一度言ってみろ」

「行いに対して相応の処置をしたまでだ。言わば、自業自得だ」

「しゃらくせぇ、かかれ!」

 男の号令のもと、取り囲んでいたオオカミたちが次々にルーンたちに飛び掛かった。ルーンは月島を庇いながら、それらを峰打ちにして退けていく。時折、月島も箒で彼らを突いたり、箒の穂で払ったりして応戦する。

 

 どれぐらい格闘しただろうか。立っているオオカミがいなくなったところで、ルーンが改めて男に問いただした。

「改めて聞く、目的は何だ。私たちに対する報復か」

 彼女の問いに対して、男はニヤリと笑った。

「それだけじゃねぇさ。そもそも俺らにとって、お前ら二人は邪魔なんだよ。今回の報復は、その取っ掛かりにすぎねぇ」

「どういう意味だ。報復以外に何があるんだ」

「あるさ。可哀想になぁ、お前らは本当に何も知らねぇみたいだ」

「貴様! ふざけずに答えろ!」

 ルーンが苛立って切っ先を相手に向けて半歩踏み出すと、男はわざとらしく手を挙げて怯えてみせる。ルーンの行動に慌てて止めに入る月島であったが、その直後に男が堪らず吹き出して笑い始め、月島もムッとした表情になった。

「お前らは、自分たちの容姿が似ていることに疑問を持ったことはないのか? それとも、ただの偶然だと思ってんのか?」

 ルーンは男の言葉で、ある単語を思い出した。

「まさか、『デュプリケート』のことか?」

「聞いたことはあるみたいだな。いいか、この世の摂理だか何だか知らねぇが、お前らみたいなのが現れると勝手がきかなくて困るんだよ。まさかそっちからネタをくれるとは思わなかったが、お陰で助かったぜ」

「好き放題言ってるようだが、さっきから何が言いたいのか見えてこない。包み隠さず吐け。私たちが何だというんだ」

 ルーンが強く迫ると、男は険しい顔をしたのち、「チッ」と舌打ちをして話し始めた。

「何かことを成そうとすると、大体その直前に現れては俺たちの邪魔をしてくる。それがお前ら『デュプリケート』だ。だから、本陣の奴らは特にお前らのことを嫌ってる。前回デカいことした時は、何とかタイミングをずらすのに成功したみたいだが、今回はそうはいかなかったみたいだな」

 理解が追い付けず彼女たちが黙っていると、それをいいことに男は返事を待たずして話を切り上げ始めた。

「おっと、これ以上お前らとお喋りするつもりはねぇ。折角お前らからお膳立ていただいたこの好機、逃すわけにはいかねぇからな」

「待て、まだ話は終わってない!」

「いや、終わりだ。大義名分の名のもとに、今ここで何もかも」

 言い終わるか否かというところで男が飛び出すと、それを察知したルーンは、先手を取られまいと相手に切りかかった。

 しかし、彼女が振り下ろした刀を狼男の強靭な爪が防いだ。その上素手で刀の刃を掴むと、そのまま力任せにへし折ってしまった。

「なに!?」

 驚くルーンをよそに不敵な笑みを浮かべると、男は彼女の腹を膝で蹴り上げ、倒れ掛かる躯体を軽々持ち上げると校舎の壁に向かって投げ飛ばした。壁に強く叩きつけられたルーンは、力なくその場に倒れた。

「へっ、安いもんだぜ。残るはお前だけだな」

「いや……来ないで……」

 残された月島はじりじりと詰め寄る男から逃げるように後ずさるが、後ろにもオオカミがいて、気絶して倒れてはいるものの迂闊には近寄れない。

 意を決して、オオカミたちの間を狙って逃げようかと覚悟したその時だった。

「火焔『炎幕』!」

 どこからか女性の声が響き、その声に応じるように、月島と狼男の間に炎の壁が立ち上がった。

「きゃっ」

「なんだこれは!」

 たじろぐ狼男は背後から急に気配がしたと思ったら、首元に波状の剣の刃が当てられ、直後に男の声がした。

「よぉ、リカントロープ。いや、現代のリカオンとでも呼んでやろうか?」

「誰だ、お前は……」

「俺の名はヴァイスだ。まぁ、名前は覚えなくていい。それより、一生治らねぇ傷をつけられたくなきゃ、とっとと森に帰んな」

 ゆっくりと振り返った男は、ヴァイスの顔をじっと見つめた後、首元に向けられている刃に目線を落として、そのまま慎重に後ずさりして距離を取った。

 そしてある程度離れたところで、再度爪を伸長し、牙をむき出しにしてみせた。

「雨で俺たちの鼻が利かないのをいいことに、背後を取ったからといって良い気になるな。貴様こそ俺に八つ裂きにされたくなきゃ、とっととマンマの胸に帰れ」

 威勢を見せる狼男に、ヴァイスは鼻であしらった。

「いい度胸してるぜ、一度死んだも同然なのによ。まぁ、いいさ。次は手加減なしで、フランベルクの錆にしてやる」

 ヴァイスは一度剣についた雨粒を払うと、相手をしっかりと見ながら構えなおした。


 一方、炎の壁の向こうでは、ヒヴァナが月島達に駆け寄っていた。

「あんた、月島えりだね。怪我はないかい?」

「は、はい。大丈夫です。ただ、あの子が……」

 月島が指さす方には、ルーンが右側を下にした状態で横たわり、弱弱しく呻いていた。

「ルーン、立てるかい? すまない、遅れて」

 ヒヴァナの言葉に、ルーンは小さく首を振った。

「いえ、そんなことないです」

 ルーンが視線を動かすと、炎の壁の反対側で狼男とヴァイスが決闘を繰り広げていた。しかし、素人が見てもわかるくらいヴァイスが優勢に見えた。

「ヴァイスは、昼寝ばかりの昼寝馬鹿のようにも見えるが、実は剣術に秀でた男なんだ。同じく剣に秀でた奴らが集まる第二ではなく、当時新設だった第八に来たのが不思議なくらいさ」

 ヒヴァナの言葉を聞きながら、ルーンは小さく唇を噛んだ。

「これで終わりだ!」

 ヴァイスが一歩踏み込み、下から斜め上へ切り上げた。狼男はよろよろと後退し、静かに後ろへ倒れていった。

 その様子を見届けた後、ヒヴァナは炎の壁に剣先を向けて壁を鎮め、剣を鞘に収めた。

「ヒヴァナ。本部と掃除屋に連絡だ」

「なんだい、無線機持ってないのかい?」

「あぁ、急な任務でな」

「ったく、仕方ないねぇ」

 ヒヴァナが連絡をしている間に、ルーンは月島に声をかけに行った。

「月島、大丈夫か?」

「あ、うん……あの、お名前伺ってもいいですか?」

「あ、すまない。私はルーン。ルーン・セスト・ドゥニエだ」

「ルーン、さん……。あの、他の子や先生たちは無事なんですか?」

 月島の問いに、ルーンがヴァイスの方を見て目で助け舟を求めると、「大丈夫だ」と小さく頷いて合図してみせた。

「あぁ、無事だ。心配ない」

「よかった……」

 ルーンの返答を聞いた月島は、安堵して糸が切れたのか、彼女の胸にもたれかかるように気を失って倒れてしまった。

「おい、月島。月島!」



 月島が目を開けると、見慣れた真っ白な天井が見えた。ちょっと前までよく見上げていた天井だ。

「ここは……」

「気が付いたか」

 月島が声に気づいて横を見ると、心配そうに彼女を見るルーンの姿があった。

「ルーンちゃん」

「目が覚めたか」

 ゆっくりと起き上がると、ベッドを囲むようにヴァイスとヒヴァナが寄ってきて、月島に声をかけた。

「大丈夫かい。痛いところとかないかい?」

「はい。大丈夫です」

 危険が去ってホッとしたものの、改めて三人の姿を見て、月島は現実味を感じざるを得なかった。

「ヒヴァナさんにヴァイスさん……。やっぱり、あのショッピングモールの出来事も、狼男が襲ってきたことも、夢じゃなかったんだ」

 呟くような月島の言葉にルーンたち三人は顔を見合わせ、代表してヒヴァナが、言いにくそうに口を開いた。

「あぁ、そうだ」

「と言うことは、今回や前回みたいに、私や私の周りの人たちを狙って、恐ろしい人たちが襲ってくるかもしれないってことですよね?」

「そうなるな」

 月島の誰に向けるでもない質問に、今度はヴァイスが答えた。

 すると、月島がベッドの上で正座をして、三人に対して頭を下げた。

「お願いします。私を仲間にしてください!」

「え、えぇ!?」

「月島、急に何を言い出すんだ」

「私、友人や周りの人が巻き込まれたり、怪我を負ったりしていくのをただただ見ているだけなのは嫌なんです。だから、対抗する術を得たいんです。お願いします」

「月島……」

 同情や賛同の気持ちからか、ルーンが月島の肩に手を置こうとしたとき、それを制止するように、ヒヴァナが語気を強めにして話し始めた。

「悪いが、我々の一存では決められない。貴女に関する決定は上の者が判断する。決まり次第、ルーンを通して伝える」

「はい……」

 改めて頭を下げる月島を見ながら、ルーンはそっと手を引っ込めた。

 そしてヒヴァナは、月島が眠っていた間に総轄部のティエラと交わした会話を思い出していた。



「狼男の言うことが本当なら、災いを起こすのはこれまでの認識通り〝奴ら〟自身で、『デュプリケート』はその災いを止めるために現れる、と考えてよさそうだね」

「だとしたら、私たちは方向転換しなきゃいけないし、あの子への対応も改めないとだね。それに、この一件でより彼女は危険に晒されることになった。そしてルナたそも、我々も」

 ティエラとホログラムのモニター越しに会話をしながら、ヒヴァナは月島と、彼女に寄り添うルーンの姿を横目で見た。

「まったく、厄介だねぇ」

「ヒヴァナっち。これはまだ、他の総轄部のメンバーにも伝えてないことなんだけど……」

 ティエラが再び話し始めたので目線を戻すと、話の途中でティエラが自身の耳を指さすジェスチャーをした。それがイヤホン型の無線機を指していると直ぐに気づき、音声を無線機越しに出力するよう切り替えた。

 ヒヴァナが切り替えたのを確認してから、ティエラは改めて話を続けた。

「ヒヴァナっちたちに頑張ってもらっていた間に、私も気になることがあって調べてたの。その、『第四事件』について」

 ヒヴァナは『第四事件』と聞いて一瞬表情を曇らせる。やや遠い記憶。あの頃のことが頭をよぎる。

 そんなヒヴァナの表情に反応して、ヴァイスが心配げに近寄る。ヒヴァナはそんな彼に対して、そしてティエラに対して、或いはもしかしたら自分自身に対して、言い聞かせるように「何でもない」と言って、ティエラに続きを促した。

「そしたら、不思議なことに無限書庫内の機密資料庫にも、一般書架にも、どこにもその事件の資料がなかったの」

 ヒヴァナは彼女の言葉を聞いて、驚きに目を見開いた。

「そんなはずは……」

「そう。だから私もステラを呼び出してもう一度改めて確認してもらったの。確認してもらったら、『第四事件』に関する資料が全て文字化けを起こして、全く別の話に書き換わっているか、読めない言語になってるみたいなの。でも、書物が置かれている場所や分類番号とかを見る限り、当該資料で間違いないって」

「誰がそんなことを……」

「わからない。ただ、一般書架にあった『デュプリケート』に関する資料も同様の事態になってるらしくて、これは軍内部の人間が意図的に資料を改変したとしか思えないの」

 ヒヴァナは咄嗟に口元を隠し、ヴァイスやルーンたちに背を向けるような格好になって声を小さくした。

「まさか。ティエラ、軍の内部に〝奴ら〟の内通者がいると疑ってるのかい?」

「そうよ。しかも『内通者』どころか、もっと大本のそのものがいるんじゃないかとも思ってるわ」

「『大本』……そう言えば、もやのような姿の〝奴ら〟が現れた時、もうすぐ本陣が来るって言ってた。ということはつまり」

 ホログラムのモニター越しに目を合わしたヒヴァナとティエラは、互いに苦い顔をした。

 ヒヴァナが出力を切り替えると、ヴァイスが彼女の顔を伺った。

「どうした顔色が悪いぞ。ティエラに何か悪いことでも言われたか」

「いいや。けど、まだ整理がついてないんだ。後でちゃんと説明する」

「そうか……わかった」

 また椅子に座りなおすヴァイスを横目に、ヒヴァナは重い口を開いた。

「今日は緊急部会だろ? どうする」

「取り敢えず、そっちで起きたことだけを述べるしかないわね。あと彼女のことだけど、あくまでも監視目的って名目で傍にいる方法を考えないとね」


 ヒヴァナはルーンから声をかけられて、我に返った。

「ヒヴァナさん、そろそろ掃除屋による時の回復が始まります」

「ん、あぁ。わかった。じゃあ、戻ろうか」

 ヒヴァナたちが一か所に集まると、彼女たちの足元にピンク色の魔法陣が現れた。

 魔法陣からは風が起こり、強い風ではないものの直視することができず、月島は目を細めた。

「あの、また会えますか?」

 手で目をかばいながら、月島はヒヴァナに尋ねた。彼女から「どうかな」と返答があったように感じたが、実際は月島には分らなかった。もう一度聞き返そうとしたところで記憶が途切れる。


 もう一度目を覚ました時、またもや真っ白な天井を見上げていた。

「えりちゃん?」

「えり?」

 両脇には由依や瀬里たち、友人が心配そうに月島の顔を覗き込んでいた。

「みんな……」

 ゆっくりと起き上がり、先ほどまでルーンやヒヴァナたちがいたはずの場所を見る月島。しかし、そこには既に誰もいなかった。

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