列聖式


 列聖の式典は王都の大聖堂で行われた。

 リデュケはこれまでにいくつか〝聖堂〟と名のつく人間の建築物は見てきたが、今回のものが最も大きい。

 過去には教会裁判所として、異端審問の場として使われたこともあったと言う。だから階層構造になっており、傍聴席や法壇のように高い位置にある座席もある。

 出席者は錚々たる顔ぶれ。

 司教、大司教、王子を含む王族、ヒルダの両親を含む地方の有力貴族、異国の来賓たち。

 そして、儀式の最後に、ヒルダに認定の象徴である宝具を与えることになっているのは枢機卿カーディナルその人。教皇の代理だ。

 そういった、聖職者のローブや貴族の刺繍付きウエストコートの他に、高級なスーツや燕尾服の姿も見える。

 シェレカンの言っていた、連邦国の資本家達だろう。彼らは二階席で高見の見物といった様子。良い席なのは、教会に対する多額の寄進者として優遇されているからのようだ。


 枢機卿が口上を読み始めた。

「聖ヒルダ――通称リレサントの乙女は、悪魔に操られた転生者を滅ぼすため、転生の女神リュカにチートスキルを与えられた、敬虔な信仰者でありながら、熱烈に愛国的な模範的臣民である」

「ん?」リデュケが耳を立てて言った。「いろいろ突っ込みどころがある文言ですね……」

 椅子に座れないので、最後列の入り口付近で護衛中のシェレカンと一緒に立っている。

「そうか?」少佐は暇そうに聞き返した。

「まず、通称は〝リレサントの虐殺令嬢〟だったのに〝リレサントの乙女〟に変えられています。……まあそこはわかるんですが、もっと気になるのは、ヒルダ様を転生者とは呼ばなかったところです。現地人扱いにした……?」

「そうするのが自然だろう」シェレカンが答えた。「教会の解釈では、あくまでただの人間の娘に、聖霊が知識と能力を与えたということになっている。転生者そのものだと認識しているのは、我々関係者と王族くらいのものだ」

「まあ、そのほうが理解しやすいかもしれませんね。現地人ということにしておいたほうが。異国よりもはるかに遠い場所から来た人が、この国を命がけで守ろうとするのは、あまり必然性がないと思われてしまうので」

 リデュケは領主に最初に会ったとき、裏切らない地質学者がほしいと言われたことを思い出した。

 シェレカンが言った。「しかし注意すべきは、骸の王を自我を持った太古の転生者ではなく、魔族に操演された〝ただの人形〟だという公式見解にしたことだ。

 悪いのは商品ではなく、ユーザーの使い方だというわけだな」

「悪魔ですか……。それは当然、悪いユーザーでしょうね」

 商品という単語で、リデュケの中で何かが腑に落ちた。

 これは要するに、宗教的な儀式ではなく、商品としての転生者の価値を下げないための大々的な広告なのだ。

 近くを見回すと、各国の記者達も来ていて、白黒写真の撮影も許可されている。

 結局のところ、すでに転生者産業に投資してしまった株主達の損にならないように話がまとめられてしまった。

 誰がシナリオを書いたのだろう?あの武器商人か?

 彼らは、ヒルダを単なる王国産の愛国的乙女にするだけで満足するのだろうか?


 二階席の暗がりからは、いかにもな権力者達が見下ろしている。

 リデュケはその中に、件の武器商人カルヴィン・ヴァンディスの姿を見つけ、聞き耳を立てた。文字通り、その方向に対して集音するように長い耳を動かすと、会話が聞き取れた。

 カルヴィンは、王国の国立銀行の理事とかいうなんか偉い人と、小声で話している。

「我々の目下の目標は、転生者の法人化です」カルヴィンが言った。

「ほう、それは奇矯な言葉遊びですな。法人(corporation)の語源をたどると身体(corpus)となり、屍体(corpse)に派生する。屍体の法人化とは滑稽だ」理事は笑った。

「いやはや、お上手で。しかし、私は真面目です。ご存知のとおり法人として認められるのは人間ではなく会社という抽象物です。では、転生者という物体が得てもよいではありませんか」

「鉱物に権利を与える?一体なんのために?」

「我々の転生者の数体が今、証券取引所で稼働しています。転生者は演目次第で優秀なトレーダーになりうるのです」

 リデュケはハノイの塔のパズルをやる転生者を思い出して、そういったことが出来てもおかしくないなと思った。しかしあれは複雑な演目に過ぎない。もし本当にトレーダーを作りたいなら、一つ欠けたピースがある。それは、学習だ。

 理事は怪訝そうな声を発した。

「あなたが育成しているのは、兵器としての転生者だと聞いていたが」

「それは事実ではありますが、事業の一部でしかありません。王国にアピールするにはそちらのほうがよかった。独裁者が気に入らない種族を浄化する際の執行者として転生者を貸し出すことはありますが、あの娘はその誘いに乗らなかった。虐殺令嬢と言うくらいだから、ああいった輩と同類だと思っていたのですが」

「話が見えてきませんな。結局あなたは転生者をどうしたいのです。法人化の次は選挙権ですかな?それに何の得が?」

「もちろん利益は見込めます。兵士や重機、算盤として使うよりもはるかに。

 おっと、儀式のもっとも重要な部分が始まりますよ、お見逃しなきよう。この一連の時代遅れのまじないの中で唯一、意味のあるイベント。

 リレサントの乙女への、聖別された指輪の贈呈です」

 リデュケは思った。つまり、今から起こるのは形式的な儀式ではない?


   *


 ヒルダの視点では、司祭の一人が、指輪を据え置き式の仰々しい箱から出すところだった。

 教皇が洗礼を与えた指輪は、はめるだけで教会と王国に対して、絶対の忠誠を誓うことになるらしい。

 一見、純金で出来た普通の指輪に見えるが、もっと近くで見ないとよくわからない。

 指輪を運びながら前を横切る司祭に、王族の第二王子が声をかけた。

「それをはめるのは、左手の薬指以外にしてくれたまえよ。結婚指輪のスペースをあけておかねば」

 王族達が、冗談交じりに軽口を交わした。

「転生者の血のおかげで、王族に受け入れられることに感謝してほしいものだ」「容姿はまあまあとはいえ、育ちの悪い田舎貴族ですものね」「まあまあ?ああ、もちろん皇太子妃様ほどでは……」「ところで、転生者の能力というのは、遺伝するものかな?」

 ヒルダは、何気なく自分の方向に向けて発せられたその野次のような質問に、あえて明確に答えた。

「しないと思われます。チートスキルの動力源たる暗黒星は、融合はしても分裂はしませんから、増えることはありません。熱力学的な帰結です」ヒルダは出来るだけわかりやすく説明した。

「やってみなければわからんだろう」「何人も産めば一人くらいはチートスキル持ちかもしれんぞ、ハハハ」

 ヒルダはその集団を無視することにした。王族はすでにハリボテだ。この儀式を主導しているのは連邦国に違いない。


 司祭から顕示台を受け取った枢機卿が、ついに指輪を手に取り、続いてヒルダの手を取った。

 指輪には厚みがあって、注意して見ると宝石が埋め込まれているのが見える。隠そうとするデザインなのに、露出せざるをえないのは、魔素の循環をよくするため。それは宝石ではなく、魔石なのだ。

 指輪がヒルダの右手の薬指を目指して近づくにつれ、輪の裏側に青い光が走った気がした。

 枢機卿の手を無理やり払って、ヒルダは手を引っ込めた。

「どうされた?リレサントの乙女」枢機卿が言った。

「それが何かを説明されるまでは装用できません」

 ヒルダはまるで、鎌首をもたげる毒蛇に対してするように、その指輪をにらみつけた。転生者にとって唯一の天敵かもしれないその道具を。


 シュバルツシルト半径のちょうど二分の三倍の距離。それが、ブラックホールに落ちずに光が周回できる領域。

 骸の王を倒したのは、その円周に照射された、永続呪文をコード化した光。

 その原理の詳細はヒルダには理解できず、リデュケは誰にも教えていないから、二人以外が知るはずもなかった。

 でも、処刑用転生者を通じて、連邦国があの戦いを監視していたとしたら?リデュケの無駄に長い解説も筒抜けだったとしたら?

 安く手に入れた最新の商品は、こちらのプライバシーを対価として掠め取っていた。


「……わたしを、操演しようというの?」

 ヒルダは枢機卿から後ずさって、王侯貴族や権力者達の、無貌の顔の群れを見回した。

 それは絶望的な洞察だった。しかし同時に、奇妙に蠱惑的でもあった。あらゆるものを好き勝手に操作してきた自分が、さらに上位から操作されるというのは、収まりが良い結末な気がする。

 トランプの兵隊を操るハートの女王、最後は自分もカードだと気づいて場に混ぜられる。

 教訓物語としては美しい。残酷童話。


「またお会いできて光栄です、ヒルダ様」

 ヒルダの後ろから、二階席から降りてきた武器商人カルヴィン・ヴァンディスが現れて言った。

 ヒルダに振られた腹いせにしては、大掛かりだ。しかし、この男はそんな小さなことを根に持つような人間ではない。残念なことに、もっと邪悪な何かだ。

「あなたの仕業だったのね?この全ては」

「ご安心下さい。その指輪は、貴女に害をなしません。読み取り専用だからです」

「わたしの肌から何を読み取るというの?何も面白い物は無いわ。

 それより、化石を存分に解体し、研究すればいいでしょう。レベルを上げれば〈クエーサー〉だって使える。わたしにこだわる意味はないわ」

「あなたでなくては――公式転生者でなくては、いけないのです」カルヴィンは長い解説を始めた。

「化石転生者と公式転生者の違いとは、何でしょう?出力でも頑健性でもレベルでもありません。それは、いわゆる〈ステータスウィンドウ〉の有無です。

 我々の研究者が、転生者のコアである暗黒星ダークスターに機械学習をさせようとしたとき、一つの壁にぶつかりました。

 暗黒星――あなた方の用語では、ブラックホールと言うのでしたか。

 ブラックホールは情報が一方向にしか流れない。特異点に落ちていく一方の、滝のようなもので、何もその急流を遡ることはできない。これでは学習できない。

 自己の内部状態を表象として再帰的に入力として使うのが内省ですから。それを機械学習の用語でいえば、自己符号化(オートエンコード)といいますが、化石転生者には、それが出来ないのです。

 化石は入力を受け付けるだけで、出てくるものはチートスキルしかなかった。チートスキルは情報と呼ぶにはあまりに荒々しく、そこから何かを読み取ることはできない。

 対して、公式転生者がいとも簡単に呼び出す、あの〈ステータスウィンドウ〉は純粋な情報の出力です。

 文字通り、ステータス(内部状態)を読み取っているのですから。これは特異点から出てくる光のようなものです。物理的にありえないことが起きている。

 なぜ事象の地平面を越えて情報が漏れ出てくる?時空検閲官のいない裸の特異点なのか?

 我々はその経路が知りたい。その指輪を使って、あなたの事象の地平面を走査することで。

 それができれば、化石転生者の機械学習が格段に進歩するでしょう。いわば、深層学習とでも言うべきものに」

 ヒルダは、産業革命直後にあたるこの文明が人工知能に関する用語を使うことに笑ってしまったが、魔法を科学の一部として扱っている時点で元の世界とは比較できない。おそらく召喚獣やゴーレムの研究で使われていたのだろう。

 それに、読み取り専用といえど、入力も出来るはず。あの指輪でヒルダを操演するのが不可能と考える理由はなく、危険であることに変わりはない。

 ヒルダは警戒の姿勢のまま聞いた。

「化石が学習出来るようにして、どうするの?」

「まずは操演技術を覚えさせます。化石転生者が、ヒルダ様に劣らない指揮官となるのです。

 そうなれば真っ先に、オペラトエールの子供たちを解放することを約束しましょう。彼らの望まない、異種族殺しの仕事から。

 このままでは、彼らが次に殺すのは何でしょう?魔族?ウォーゲン?それともドワーフ?

 そして、次は安全性です。組み込み式の戦闘動作をつぎはぎして使いまわしていた産業用転生者に、もっと安全な新しい動作を学習させることができる。

 この国の産業も復活し、苦しんでいる民が救われるでしょう。

 どうです?いかに人道的なプロジェクトかわかっていただけますか?」


 ヒルダは、この男はオークや骸の王より手強いと思った。

 なぜなら、彼らはヒルダの良心に訴えかけることは一度もなかったからだ。

 その観点でいうと、もっとも手強いのはヒルダの父アルベルトだった。彼はこの儀式がこういうものだと知っていたはずだ。彼とヒルダの母は何食わぬ顔でこの場に参列している。

 両親は結局のところヒルダの制御の仕方を知っており、それは逆説的にヒルダの精神についてよく観察しているということだ。

 ヒルダは架空の親子の絆に涙しながら、〈ステータスウィンドウ〉を開いた。

 ステータスとはいえ、スキルの発動を行うコンソールも混同されてその呼び方をされている。ヒルダは口腔内にコンソールを呼び出して、舌で操作した。


 今、この場で〈クエーサー〉を発動すれば、ほとんどの大人達の首を胴から切り離すことが出来る。自分では戦うことも学ぶこともない、下品な王族達の首も。

 この壇上は、高さ的にちょうど良い。

 ニ階席には届かないが、幸運なことにカルヴィンは範囲内に下りてきている。

 リデュケの胴まで裁断したくはないので、射程を彼女がいる入り口付近に届くより短く設定した。リデュケが射程外にいるというのも、なんとも幸運な配置だ。こんな機会は二度と訪れないだろう。

 ヒルダは発動の最終確認アイコンを押そうとして、ふと取得経験値の予想値に目を留めた。これを実行した場合に獲得できる経験値量が表示されている。

 オーク五体分。意外と少ない。二百人近い参列者でこれだ。人間はオークのおよそ1/40しか経験値を持っていない。


 ヒルダは狩りの効率が悪いと思って、やめた。ウィンドウを閉じた。

 そして、たった今自分が犯そうとした罪について考えた。

 自分はすでに、チートシステムの報酬系を内面化している。自分がシステムを制御しているのではなく、その逆になっている。

 こんなわたしはむしろ、操作されたほうがいいのだ。これ以上経験値を溜める前に。

 カルヴィンの作った指輪は、読み取りだけのものであるはずがない。内部と情報をやりとりするものだ。だから、一度でも指輪をはめたあとで、連邦国がヒルダを操演できない理由は何もない。

 そのような状態でなされた罪の、呪いや経験値は自分のものではないだろう。


 ヒルダは目を閉じたまま、甲を上に、掌を差し出した。

 枢機卿は説得が成功したと見て、儀式の最後の段階を再開するべく、ヒルダの手を取った。



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