骸の王

 オークの狼騎兵の一団は、街の外のひしめく死骸兵の肉壁を越えた。

 そして、街の外周――ゴーレムの材料として消費された城壁部分――を越えて、今は敵地となったシュトラスホルムの市街地に侵入した。


 街の中にはまるで最後の関門だとでも言うように、〈アボミネーション(醜悪)〉という識別名が与えられた大型の格闘用ユニットがいて道を阻んだ。

 それらは本来、数個の死体の肉をつなぎ合わせて作られる、ネクロマンサーの使役する怪物の中では切り札のような存在だが、転生者化によって、動く巨大生物の化石標本といった様相になってしまっていた。

 あるいは、子供が白い紙粘土で作った、巨人族のできの悪いパロディといった感じ。


 オークのリーダーがリデュケに言った。重低音で。

「Gut'zera Eusten Diegu.AurGera Egiten Duzu」

 ここは食い止める、お前は先に行けというような意味。

 オークは〈アボミネーション〉を倒すためにその場に残ることになり、リデュケは一人で王の居城を目指すことになった。

 オークについては心配要らない。経験値を稼ぎたいというものるだろうし、何より彼らはこういう敵が好きなのだ。肉弾戦を試すことのできる相手が。彼らは咆哮を上げて巨大な敵に立ち向かっていった。アドレナリンがすごい。脳というニューロンの議会が満場一致で身体という機械に燃料を投入することを議決したときの喝采の声だ。

「Lok'tar!」

 リデュケは開戦のとき使われた慣用句から〝死〟を抜いて、別れの挨拶とした。



       *


 リデュケは一人で、ゴーストタウンとなった大通りを駈けていく。

 寒いので植物由来の防寒具を着ているが、いつまで耐えられるかはわからない。しかし、王が直接熱を奪う攻撃をしてこない限り活動できるはずだ。ちなみに、特に突出した鹿の耳が寒いので、もふもふのイヤーマフをしている。

 ところで、いわゆるエルフのような尖った耳は明らかに寒冷地に弱いのに、エルフが北方民のイメージがあるのは、一見不自然だ。実際、太古の寒冷地のエルフは耳に毛が生えていたり、そうでない種は畳んで髪の毛の中に隠していたりしたらしい。


 凍てついた運河に架かる橋を渡ると、氷が反転した重力下でのつららのように天を衝く、王の居城。律儀に人間の貴族によって使われていた講堂としてのスペースは残してあり、そこに進んだ。

 骸の王はつまり、完全には訪問者を拒絶していない。これが、リデュケが話し合いの希望を持つに至った根拠だった。

 王は、やろうと思えば、絶対に人型種族には侵入できない居城を作ることが出来たはずだ。もっと根本的に、生命が維持できない極寒の地にするとか、地形的に踏破できない高所に作るとか、渡ることのできない深い崖に囲まれた城にするとか。

 回避不可能な罠、毒ガスなどの化学兵器、生物兵器、配下の魔族だけが通行できる硫化水素の道。そういった障壁を、王自身は問題なく通過できるのだから。

 なのにわざわざ、侵入者の動線が確保してある。これが相互理解の希望でなくてなんなのか?


 ひときわ強い冷気が流れ出す場所を目指した。

 大広間。

 側面に並び立つ柱に支えられた天井は、アーチを成す柱の上端や、天井一面に描いてあるはずの宗教画も見えないほどに暗い。

 霧が足の高さを覆い、揺蕩う水面のように沈む。

 祭壇あたりにわずかな赤い光点があった。燃え尽きつつある古い恒星のような二つ。

 それが、骸の王の目だった。

 髑髏の虚ろに空いた眼窩の奥の、何かの警告のような赤。


 そこに骸の王はいた。

 王は氷の玉座に片肘ついて座っている。

 魔族が着るような黒いローブを羽織り、フードも被っている。それで骸骨のような肢体を隠しているが、手の指などは剥き出しの骨格だ。

 高レベル転生者同様、普通の人体骨格とはところどころのデザインが違っていて、装甲やトゲ、欠損や禍々しい変形が見られる。

 とはいえ、聞いていたほど異形というわけでもなかった。大きさも人間から大きく逸脱はしていない。

 リデュケはそっと、大広間の中央部分まで歩いた。

 異国の王に謁見するのと同様に。

 その赤い瞳はこちらを見ているようにも見えるが、動きを追っているかはよくわからない。ただ鬼火が揺らいでいるようにおぼろげだ。


 リデュケはまずは、転生者の言葉――地質時代言語で話しかけることにした。やはり転生者に話しかけるなら、この言葉しか思いつかない。

 転生者化石に演目を彫り込むときの形式言語。それは転生者の使っていた自然言語の一つ〝英語〟をベースにしているらしい。しかし、〝英語〟自体を再現するほどの資料は発掘されていないので、地質時代言語を声に出して発話してみるしかない。

「>>>print(reincarnator.name)」

 リデュケは「あなたの名前は何か?」を聞きたかったのだが、地質時代言語には疑問文も二人称もない。だから、「この転生者の名前を出力せよ」という命令文になってしまった。

「いきなり命令とはご挨拶だ」

 それが、骸の王の第一声だった。

 低くしわがれた声。氷をのこぎりで切り出す音を無理やり声として使っているような。しかし、この地の言葉だ。

「これは失礼しました」

 リデュケは非礼を詫びた。

 通じなかったら魔族語やオーク語を試してみるつもりだったが、この地の言葉を話せるなら手間が省けた。しかし、なぜノルディニア王国語を話せるのだろう?彼にとっては三億年経ってから現れた小国の言語を。

「王国語がお上手ですね。それもチートスキルですか?」

 訊いてみたものの、機械翻訳というのはそう簡単なことではない。自動翻訳の魔法などというものはなく、翻訳者は未だに必要だ。翻訳とは、物語を編むことにも似た人格的な作業なのだから。

 しかし、骸の王は肯定した。

「そうだ。この街の住民数百人を言語資料コーパスとして利用させてもらった」

 おそらく建築物を〈再演〉するチートスキルと似たような方法で、脳の言語機能だけを複製したのだろう。その過程で、オリジナルは破壊される。

 人間領が化石を消費するように、骸の王は生きた人間の身体を消費し、破壊してきた。

 リデュケは反感を表明せざるを得なかった。

「これがあなたの〝屍者の帝国〟ですか?そこまでして、何を求めているのです?」

 王は気怠げに返した。

「何、大した物は求めていない。それが手に入れば、この帝国の拡大はすぐにでもやめてよい。俺としても、こんなことは続けたくないのだ」

「では教えて下さい。我々が提供できるものならそうしましょう」

「俺が求めているのは、転生者だ。本来の意味での。今や転生者とは化石を指す言葉になってしまったが、本来は違う。区別するために、〈公式転生者〉とでも呼ぼう。システムが公式に認定した転生者。

 その者がここを訪れるのを待っていた。しかし、来たのはお前のようなエルフのなり損ない一匹とは。この世界は俺を何度も失望させる」

「〈公式転生者〉?」リデュケはハッとして、続けた。「――それは、ハノイの塔の最下段のことですね?」

「そこまで知っているなら、話が早い」王は感心した様子もなく、続けた。「そうだ。三億年前への転送を経ずに、この世界に直接、〈転生〉して来ているはずの者のことだ。居場所を知らないか?」

 王は興味を持っているように見える。

 眼窩の奥の二つの警告灯は、リデュケに焦点が合っているように見える。

「子供時代に異常に早熟だった者とか、我々の世界についての知識をうっかりもらしたものは?現地人が知り得ない知識を」

 探しあててどうするつもりだろう?良い予感はしない。しかし、リデュケは協力的に振る舞うことにした。もっと喋らせるために。

「あなたが言う、〝現地人が知り得ない知識〟がどういうものか教えていただかないと、お役にたてません」

 リデュケは恭順に言った。出来るだけ、人間に肩入れしていない中立種族のように見せなければならない。魔族のように残酷だが、同時に人間に詳しい種族に。そうしなければ、情報は引き出せないだろう。

「教えていただければ、人間ひとりくらいは喜んで差し出しましょう」

 リデュケの外見はぱっと見、魔族っぽい要素も持っているのだ。そして、どうやらそのはったりは王に通用したようだ。よほど〈公式転生者〉に執着しているのだろう、王は饒舌になった。

「いいだろう。では、説明してやろう。転生者について、〈異世界転生〉についての全てを」

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