分解者


「突然通信が途切れましたが、大丈夫でしたか?」

 リデュケは森の中で、アンモナイトの宝石を頬にあてて言った。

「大丈夫」貝殻の螺旋模様の中心部あたりから、ヒルダが応答する声が聞こえる。「せっかく育てた転生者は鹵獲されるから前に出せないし、燃料庫と鉱山は破壊工作で使いものにならないし、王都の高級将校が死んだだけ。問題ないわ」

「問題しかなさそうですが」

 どうやら劣勢のようだ。

「ええ。しかもオークは転生者を武器として使って、レベルを上げながら攻勢を強めている。やっぱりシェレカンの言う通り、こちらもなりふり構わずレベリングしておくんだった。目につく異種族全てを狩って」

「もしそうしていたら、わたしも会った瞬間に殺されていたかもしれません」リデュケは冗談めかして言った。

「……恐ろしいことを言わないで」

 思ったよりもヒルダが傷ついた様子だったので、リデュケはなだめるように言った。

「ヒルダ様は、間違っていませんでした。そのルールを変える必要はありません」

「でも、勝てないなら間違っていたことになる」

「転生者だけに頼るからそうなるのです。私が、命を奪わなくても成立する戦いをお見せします」

 リデュケは最初からそのつもりで、この奇襲を考えたのだった。

 ヒルダは胡乱な口調で言った。

「命を奪わない戦い?今どきそんな綺麗事は、流行らないわ」

「流行ります!敵兵士と戦うのは時間の無駄です。対人兵器を作る資源があるなら、対物兵器に回すべきです」

「あ、そういう意味で言ったの?」

「特に、転生者鉱山を潰すのが重要です。片方しか鉱山を持っていない状況では、戦争は発生しないからです」



   ***


「さてと」

 リデュケは通話を切って大枝の上で立ち上がった。オークの陣地が、無防備な裏側から見渡せる。

 鉱山からはオークの労働者達が転生者を運び出しており、倉庫に向かう列を成して往復している。まるで巣とお菓子をつなぐ蟻の行列のようだ。邪魔したくならないだろうか?リデュケはならない。しかし、鉱山を閉鎖するためには仕方ない。約束を守らなければ。


 リデュケは枝の上で、両手指に金色の魔力の糸を廻らせ、綾取りのような動作をした。

 呼応するように、足元の広葉樹は、ひび割れた樹皮の奥に青い魔力の光を灯した。樹皮の亀裂に象られた光は、見方によっては怪物の顔のように見える。

 地響きをあげる巨木の樹人〈トレント〉。抜根し、足となった根から土を振るい落とし、歩き始めようとしている。大枝を腕のように揺らしながら。

 このトレントという魔導生物は本来、ドライアドが自分たちの森を守るために数百年かけて育てる防衛施設だが、今回は特別に細胞内呪詛を操作した粘菌に感染させることで、リデュケが数時間かけて作ったもの。即席なので長時間は活動できない。

 内部の菌糸は動物の筋肉のように動き、樹皮部分は外骨格としてそれを支える。

 

 巨大な樹人はリデュケを乗せたまま、オークの拠点を囲む柵や堀を乗り越え、ある一点を目指して歩いて行った。目的地はオークの製鉄所。

 オークは自前の製鉄技術を持っている。オークの炉はドワーフやヒューマンには劣り不純物が混ざるが、怪力でハンマーを振るう鍛造過程で力技で不純物を追い出し、成形してしまう。

 オーク拠点の防衛施設は前方に集中している。まさか天然の防壁である後方の森側から敵が来ると思っていなかったようで、反応が遅い。

 途中でリデュケは鉱山に向けて手のひらサイズの種子を投げ入れた。それは催涙弾のような気体を出すように細胞内呪詛を操作されたもの。催涙弾の成分は一般的に植物由来なので、植物を操るドライアドが作るのは容易だった。鉱山からはオークの労働者がむせび泣きながら化石を放り出して退避してきた。かわいそう。しかし、入り口を爆破して生き埋めにするなどの手荒な方法を取らずに済んだ。


 トレントは黒煙を上げる製鉄所に覆いかぶさるように自らを固定し、根を地面に、再度めり込ませた。枝を伸長させて他の建物に接続する。この枝を通じて〈木材腐朽菌〉を感染させる。オークの建築物は木材が多いので、放置すれば倒壊に至るだろう。


 木材腐朽菌。リデュケはこの菌のファンだ。特に白色腐朽菌White-Rot Fungusがリグニンを完全に分解するのでかっこいい。リグニンとは木材の堅牢さを保証する高分子。

 この菌が地球上に登場する2億9千万年前まで、木の死骸は分解されなかった。ちょうど転生者が現れた時期だが、関係は不明。リグニンという物質を分解できる、つまり食べることができる生物はそれまで存在しなかったのだ。それらリグニンの骨格を持った巨木が分解されないまま蓄積され、石炭として発掘されるのが石炭紀の地層。その石炭紀を終わらせたのが白色腐朽菌だ。かっこいい。


 もし、推し菌を一つに絞るならと聞かれると、やはりシアノバクテリアと白色腐朽菌で迷う。光合成の先駆者であるシアノバクテリアのカリスマ性は高く、その割にはイシクラゲの形でその辺の地面に生えているので家庭的な一面もある。結婚するならシアノバクテリアという声もある。

 肝心のマナバクテリアはどうなのか言えば、それは一つの菌種ではなく、魔素を代謝する機能を持つものの総称で、色々な種にまたがっている。つまり、光合成をするマナバクテリアもいれば、木材を腐らせる者もいる。

 リデュケが今使っているのも、魔素代謝型の木材腐朽菌だ。魔素を取り込みながら、異様な速度で木質素を分解していく。単純だが無数に繰り返される呪文を、細胞の中で詠唱しながら。多細胞生物の大きな口では唱えられない分子の囁き。


 リデュケはしばらく生態系の分解者である菌類の尊さに思いを馳せていたが、足元が騒がしいので現実に引き戻された。

 オークの警備兵達がようやく集まってきて、斧で無数の動く触手である枝と格闘している。しかし、この状態のトレントはドライアドの森の標準的な防衛施設で、歩兵が勝てるものではない。あの黒い軍服の少佐は防衛が有利だといったが、それを過剰に真面目に受け取ったリデュケは敵陣の中に自陣を作り、防衛することにしたのだった。

 オークが徒労に励んでいる間に、製鉄所や周辺の建物にキノコがどんどん育っていくのが見える。寄生した木材腐朽菌が胞子による繁殖段階に入ったのだ。これが胞子を撒き散らし始めるともう敵には対処しようがない。それまで防衛すれば勝ち。

 子実体(キノコ)が撒き散らす胞子は緑色の魔力の光を帯び、周辺の建物に飛び火して、汚染範囲を拡大していく。

 生物災害。生きた燎原の火。自己増殖する精霊。


 森を守るドライアドが樹木を破壊する魔法を使うのは矛盾しているように思えるかもしれない。しかし生態系の維持に分解者の操作は必須。積み木を組み上げても壊す術がなければ再利用できない。分解者は、被食者と捕食者を分け隔てなく解体し、強者に独占された魔素を、弱者に還元reduceする。


 オーク版の魔道士であるシャーマン達が、祈祷用のロッジから続々と出てきた。前線に出ず、転生者を加工していたのだろう。彼らは一見、オークには見えない。むしろ狼が立って歩いているように見える。というのも、狼をまるごと毛皮にしたものを頭から被っているからだ。

 この意匠はオークのシャーマンが好むもので、白い狼の毛皮などは見栄えもよく勇猛な印象を与えるが、騎乗用の家畜として共存する狼の側は、仲間の死体を使われてどう思っているのだろう?

 まあ、それはどうでもいいとして、その狼の毛皮の内側は青く光っている。これも、魔素代謝菌の光だ。オークは体内に魔素代謝菌を飼えないので、表皮に保持しているわけだが、その範囲を拡張した形だろう。外部化された保菌器官。

 彼ら〈オーク・シャーマン〉は、風属性の遠距離魔法を使う。祖先の霊の化身である雷鳥だか何だかの神話を語り継ぐうちに、偶然発見されたであろう呪文を詠唱することで。


 シャーマンは小型の落雷のような効果を持つプラズマの球体を放って、キノコやトレントの樹皮を焼却し始めた。適切な対応だ。

 このままではせっかく育てたキノコがこんがり焼けてしまうが、それを防ぐために計画には第二段階がある。

 領主は防衛施設こそが人間族の強みだと言った。たしかに転生者を組み込んだアロータワーは魅力的だ。だからリデュケは律儀に領主の言ったことも参考にした。


 リデュケは製鉄所に冷却のために置いてあった転生者化石に、レーネセンから教えてもらった演目を彫り込んだ。転生者はチートスキル〈再演〉による高速建築を始めた。その場にある鉄を材料として凝集させながら、そこには無かったものを修復する。

 出来上がったのは、アロータワーの砲塔部分だった。転生者は銃身と一体化しており、

錬成した金属のニードルを撃ち出し始める。

 オークのシャーマン達は、たまらず退却した。トレントの幹を台座にしたこの即席の固定砲台は、逃げた敵を追うことは出来ないが、腐朽菌を守りきれればいいのでその必要はない。

 砲台部分で照準を担う転生者はスタンバイ状態に入り、ゆっくり旋回しながらまるでここが自陣かのように菌床を警備している。


 このように、固定砲台を相手の陣地に建てるという地上でもっとも性格の悪い戦術は、〈タワーラッシュ〉と呼ばれる。リデュケはこれをどうしてもやりたかったのだ。性格が悪いのかもしれない。

 魔素代謝腐朽菌もアロータワーも無人兵器なので、この二つが完成すると、もうリデュケがいる必要はない。そろそろ帰ろうかなとリデュケが思っていたところに、衝撃が訪れた。

 閃光と雷鳴。それに間近で襲われたリデュケは、一瞬何が起こったのかわからなかった。

 雷が、リデュケが隠れている大枝に直撃したのだった。枝がほとんど炭化して、メキメキという音を立てて、根本から折れてしまった。砲台も砲身が溶けて使い物にならなくなった。

 ヒトに被弾すれば、どんな魔法耐性を持っていても消し炭だ。もちろんドライアドでも。

 リデュケは無事なほうの枝の上から、雷の発生源の方向を見た。

 そこには、前線にいるはずのオークの司令官がいた。〈遠見師ファーシーア〉。乗っている巨狼の足元には、魔法陣と冷気。転生者化石が上位のスキルを使ったことで崩壊し、砂になるのも見える。〈遠見師〉は、高レベルの貴重な転生者をわざわざ消費して、前線から転移してきたのだ。

 計画は成功だ。自分が危機に陥ったにも関わらず、リデュケは微笑んだ。これで前線のヒルダの邪魔をする者はいなくなったのだから。

 

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