開戦


 リデュケは操演盤をもう少し見学してから出ることにした。

 小型の操演盤の筐体はなんと八台もあり、それぞれヒルダと同じくらいの年齢の操演者オペラトエールが操作するらしい。子供は反射神経などが良く順応性が高いからとのこと。ヒルダはその中でも特に優秀だったので、最も多くの転生者化石の使役を任されているらしい。

 暗い指揮所から出ると、目がくらんだ。ドライアドにも虹彩はあり、明順応はある。

 ヒルダを見失ったことに気づいたリデュケは、歩いて探すことにした。粗野で不潔な野戦基地であの令嬢が一人で生きていけるはずがない。敵が来るまでの一刻の間でも。


 長い耳がヒルダの話し声を捉えた。転生者兵器の格納庫からだ。

 陵墓というより冥界そのもののような兵器格納庫に入ると、冷気が足元を流れていくのを感じる。扉が解放されていたからいいものの、閉めていれば氷室のようになってしまうだろう。

 転生者は周囲の熱を動力源にするので、動けば動くほど冷気を排出していく。この世のどんな機械や生命とも逆だ。

 格納庫が冷えるのは、起動していなくてもわずかに冷気を発するからだった。


 転生者は、周囲から熱を奪って自己が利用可能な自由エネルギーに整流している。

 エントロピー増大の法則に対する逆行。熱力学第二法則の無視。それが〈チートスキル〉のチート(いんちき)たる所以。

 例えば、ボールを地面に落として、持っていた高さまで跳ね返ってこないなら、それが持っていた位置エネルギーはどこに消えたのか。それは、熱になったのだ。

 散逸し、回収不能になったエネルギーのことを熱と呼ぶ。それを回収して、また自由エネルギーに戻すというのだから、この化石の存在はもはや、熱力学に対する冒涜だ。どこかに埋め直したほうがいいと思う。


 リデュケが見つけたとき、ヒルダはまるで青い転生者と話しているように見えた。しかしすぐに勘違いだと気づく。ヒルダは転生者の頭部からアンモナイトの部分を取り外し、耳にあてながら喋っている。

「――わかっていると言っているでしょう。ドレスを用意しておいて」

 操演盤とのリンクを利用した遠隔音声通信だ。限定的だが、鉱石ラジオの原理で遠くにいる人と話が出来る。

 ヒルダはアンモナイトを、転生者の顔の空隙部分に戻した。それはぴったりと嵌って、悪魔の角のようにしか見えなくなった。


「母に小言を言われていたの」二人で格納庫から出ると、ヒルダは話し始めた。「王都の公爵子息とのお見合いパーティーに出席するという条件で、この要塞に遊びに行く許可をもらったんだけど。この防衛戦が終わったらすぐよ、と念を押されたわ」

「お見合い?」

「結婚の前段階として許嫁いいなずけを決める、その品定めされることを強制される拷問のことよ」

「人間の儀式のことはよくわかりませんが、嫌なら出なくてもいいんですよ」

「もう遅いわ。決まったことだし」

 憂鬱な表情のヒルダに、リデュケは前から思っていたことを言うことにした。

「私が思うに……品定めされることも、オーク殺しも、ヒルダ様には似合いません」

「どうして?少なくとも後者は自分の意思でやっているわ」

「先ほどの少佐とのやり取りで思ったのです。ヒルダ様はルールを設定している。無作為な殺戮を避けるために。ではなぜ、そもそも何かを殺す――戦争という場所に身を投じたのです?そこまでしてレベルを上げる価値が転生者にあるのですか?」

「わたしがこうすることを選んだとき、あなたはいなかった」ヒルダは立ち止まって、歯を食いしばるように言った。「わたしが、つまらない貴族の無意味な式典に百万回出席する間も、三億年前の死体の汚れた手を使って吐き気を催す醜い緑の猿どもと戦っている間も、あなたはいなかったじゃない?」

「も、もちろんです。私は一ヶ月前はこの領地にいませんでした。ヒルダ様が何をおっしゃりたいのかわかりません」

「なぜわたしの人生に、もっと早く現れなかったの?手遅れになる前に」

 ヒルダが、自身の鬱屈の原因を初めて口にしたように見えた。

 彼女は救出してもらいたがっている。

 たとえそれが、不可解なことに、人間族で最も裕福で権力を持った環境からの脱出を意味するとしても。

 しかしその願望も、今や諦観に変わっているのだ。

「今からやめることは出来ます。そうだ、私の故郷に行きましょう。ドライアドの森へ。こんなところは防衛しなくていいんです」

 リデュケの突拍子もない提案に、ヒルダは目を丸くした。

「本気?あなたは、転生者の研究をしたいんじゃなかったの?」

「正直、永久機関の真似事をするような石だとは思っていなかったんですよ。保護するべき遺産ではなく、放っておいても自己修復するようなものかもしれないと知って、途端に興味が半減しました」

「……」

 ヒルダは、白昼夢を見るような表情になって沈黙した。逃げ出すという選択肢について想像を巡らせているようだった。

 わずかな木漏れ日の下、木の精霊そのものの化身である、お伽噺そのままの姿のドライアド達が、四~五人集まって輪になって踊っている――そのような一部誇張された光景を、ヒルダが想像していることを、リデュケは願った。

 たとえそれが誤解を含み、その森の大半がもう無いとしても、訂正はしたくなかった。

 しかしヒルダはかぶりを振った。

「やっぱり、出来ないわ。シェレカンと約束したし」

「あの少佐が何だと言うんですか?あいつは信用できません」

「少なくとも、退屈な日常からは連れ出してくれたわ」

「代わりに戦いに巻き込んだだけです。少佐はヒルダ様を利用しているだけなんです」

「もう後戻りはできない。システムを起動してしまったから」

「ヒルダ様が何をほのめかしているのかわかりません。もっとわかるように話してください」

 山で化石探しをした日とは、まるで立場が逆転したようだった。教師と生徒の。しかし、ヒルダは明らかに親切な教師ではなかった。


 会話は、けたたましい鐘の音で中断された。警報だった。

「敵襲?」リデュケの耳が跳ね上がった。

「聖堂に戻るわ。着いてきなさい」

「私は戻りません」

「なぜ?まさか、自分だけ逃げようというの?」 

「いいえ、戦います」

「あなたは私の従僕サーヴァント、私の所有物プロパティ。私の側にいるために存在しているの。あなたは歩兵ではないのよ」

「歩兵ではありませんが、工兵です。だから、前線を迂回して、敵陣に向かうのです。敵陣の鉱山を閉ざすために。ヒルダ様が決めたルールを守るために」



   ***


「演奏、葬送曲」

 ヒルダの視点。ヒルダが鍵となる曲目を言うと、ピアノの鍵盤はカタカタと波打って割れ、海底のように黒い平面コンソールがせりあがってきた。そこをさっとひと撫ですると、戦域が手に取るようにわかる光の地図が表示される。

 しかしヒルダは映像に集中できず、その脳裏には白く揺れる尻尾が浮かぶ。

 リデュケが行ってしまった。ふわふわのお尻が森に消えるのを見送った後、ヒルダは後悔しつつある。もっと触っておけばよかった。

 操演の作業はなぜか手がとても冷たくなる。転生者が動力として熱を欲するとはいえ、遠隔地からも熱を要求するわけではあるまいに。転生者が敵を殺して経験値を溜めるのはいいが、同時に自分からも何かが熱の形で奪われていく――ありえないことだが、そんな気分になることもある。そんなとき、ちょうどいいふわふわの毛を撫でると手の震えが収まると思って、リデュケを雇ったのだ。惜しむらくは、リデュケが完全なモフモフ動物、つまり例えば犬ならば、絶大なモフモフ感fluffinessを得られたかもしれない。ああ、リデュケが犬ならよかったのに。犬なら今この瞬間にも横に置いてモフモフfluffyを補給できるのに。

「――様。ヒルダ様?」

「はっ!?」

 レーネセンの声に我に返るヒルダ。モフモフについて考えていて、状況を見ていなかった。よだれさえ出ていた。

「ご覧ください、敵軍が集結しています」

「来たわね」


群勢horde〉が地形映像の一端を埋め尽くすように集合している。

 肉眼では、土煙の向こうに異形のシルエットがくすぶる。戦利品の魔獣の角を被ったオーク、自前の角を誇る牛頭の怪物、犠牲者の頭骨を掲げるトロール首狩族。彼らの掲げる多様な近接武器、投擲武器が戦霧の中ゆらめく。

「盤上に駒が並び終わった」と少佐。

「対局開始は向こう次第というわけか」と領主。

 睨み合いの沈黙の中、無人砲塔が旋回する音だけが響く。

 やはり敵は馬鹿ではなく、タワーディフェンスというわけにはいかない。


 通信兵が言った。

「アロータワーに損傷。遠距離からの砲撃です」

 敵が早くも攻城兵器を投入したようだ。しかし作戦会議で確認したように、タワーは自己修復するので耐えられるはず。

 ヒルダは、操演盤の地面を表す碁盤目状の表示を滑らせ、敵軍勢の後方が表示されるようにした。弾道から逆算した場所に、敵の攻城兵器はあった。

 それは最初、場違いなところに出現した断頭台に見えた。こちらの戦意をくじくため、人間が惨死する様子を晒し上げる処刑台。しかしそれが稼働すると、力学的な仕事をする機械であることがわかった。

「投石機です。それも、弾頭は単なる石ではなく……」

「転生者化石か」

 転生者は質量弾となって、自軍タワーを襲った。化石は粉々に砕け散った。損傷は軽微だ。

「この攻撃に何の意味が?彼らにとっても化石は貴重な資源のはずです。普通の岩石を使ったほうがいい」

 歴史上、疫病にかかった兵士の死体を敵の城壁内に投げ込むという、人道に悖る戦法を使う種族は存在した。しかし、化石では疫病を運べないから意味がない。単なる人型の石弾だ。

「被弾したタワーの修復が進んでいないとの報告が」通信兵が言った。

「転生者の破片が、修復を妨害している?そんなことがあり得るのか」

「砲弾として飛散した転生者も自身を修復をしようとします。それが干渉しあって、阻害効果を持つのでしょう。そもそも三億年前の大量転生でも、この相互阻害効果が発生したせいで化石となるまで自己修復できなかったのです」とレーネセンが解説した。


 ヒルダは地響きを感じた。

 それは、防壁を挟んだ指揮所でも聞こえるほどの鬨の声だった。転生者石弾の効果を認めたオーク軍が一気呵成に進軍し始めたのだ。

「第三隔壁のタワーが集中攻撃されています。映像をつなぎます。

 タウレンという牛頭の巨人は対オーク用の小さな矢を物ともせずアロータワーを破壊しつつある。〈群勢horde〉の盾と呼ばれるだけはある、天然の装甲車。

 しかし緑肌のオークとは違い、魔法耐性がない。

「牛頭に矢は効かない!魔法塔を使え!」

 アルケーンタワーは射程が短いが、その射程内には確実に自軍のアロータワーを収めてある。転生者ではなく人間の魔道士が常駐しており、魔石の原石を使って火属性魔法を使う。タウレンを倒したものの、タワーも大破してしまった。

 それを見て少佐は言った。

「このトレードは損であります。本来なら塔一基で巨人数体と交換できるはずだった」

「こちらも長射程の砲兵を出して、投石機を潰せばいいだろう」と将軍。「ドワーフのモルタル砲があったな。あれを出せ。射程外から一方的に撃てばこちらの損失は弾薬だけだ」

「それが、火薬庫が荒らされていて、出せないとの報告が……」と通信兵。

「なんだと?」

「例のステルスを使うオークに侵入されたようです」

「あのドライアドの報告にあったやつか」大佐が言った。


 三層あるうちの最外層である第三防壁は陥落しつつある。

「第三はもう駄目だ。放棄して、第二防壁を死守せよ。転生者歩兵を展開。目標は敵投石機の破壊。タワー射程外への進軍も厭うな」と少佐。

 将軍が苦渋の決断をした。

「このままでは火薬庫だけではなく、最も重要な鉱山を閉鎖せざるをえなくなる。各所に、護衛を置いて厳戒するしかないだろう。前線から適当な一個小隊を見繕って呼び戻せ」

 将軍の指示を、シェレカン少佐が否定した。

「敵戦力一に対して我の戦力の十を当ててしまっては、相手の思う壺であります。悪い取引トレードです。兵站荒らしの目的は、たとえ成果が出ずとも相手に部分的撤退を強いることであります」

「他に案はあるのか?」

「自分が単独で対処します。その間、私の小隊の指揮もお任せします」

「単独で……だと?」

「ヒルダ様、出番です」シェレカンは去り際にそう言い残した。

「わかっているわ」


 操演盤の盤面をヒルダがひと撫ですると、ヒルダが担当する転生者歩兵が接続状態オンラインになった。上空からほとんど不可視に近い光条が降りてきたかと思うと、力なく項垂れていた転生者が糸に引かれるように身体を緊張させ、待機状態に入った。

「転生者歩兵、起動しました」

 転生者達はオペラトエールが駒を動かすのに合わせて、死の行軍デスマーチを始めた。ガラスが擦れるような、かすかに不快な音を立てながら。

 レーネセンが言った。「〈ブルー〉がいないようですが」

「青いやつのこと?」

「ええ。地質時代言語で〝青〟という意味です。よくそんな単語をご存知でしたね?ヒルダ様お気に入りの青い宝石の転生者、やっぱり使わないことにしたのですか?」

「彼には特等席を与えたのよ。さあ、死の舞踏danse macabreを始めましょう」

 ヒルダは光子の金簾の中で、指揮者のように両手を掲げた。


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