オーク


 リデュケは急に蹄を止めて、鹿耳をそばだてた。耳は側面についていて、頭髪とは違う色、獣部分と同じ色の体毛が生えている。

「どうしたの?」

「高い音が聞こえますか?ヒルダ様」

「わからない。高地の耳鳴りかも?ほら、気圧が低いから」

「これは、〈ダイアウルフ〉の〝非可聴域の遠吠え〟です」

「〈ダイアウルフ〉って何?」

「オークの〈狼乗り〉と呼ばれる、強襲タイプのユニットが騎乗している大型の狼です。それが近くにいます」

「ふーん」

「普通、動物は大型化すると声が低くなります。オークを乗せて走り回るほど巨大な狼なのに、こんな高い声が出せるなんてすごいと思いません?どういう声帯をしてるんでしょう」

 ヒューマンの子供にはかろうじて聞こえるモスキート音だが、成人の兵士には聞こえないから、ヒューマン対策だろう。遠吠えで連携した、敵対的な偵察行動だ。

「感心してるけど、危ないんでしょ?」

「はい。少し高所にルートを変えましょう」


 二人は高台に登り、渓流を見下ろす位置に出た。

「何があったの?ここで」ヒルダはリデュケの服の裾を握りしめて訊いた。驚くべきことに、尻尾と体毛以外を目的に触られたのは初めてだ。何も無いときは服の下の獣毛を弄られるので、距離感がよくわからない。

「あれはゴブリンですね」リデュケは崖下の岩場を見下ろして言った。「その死体ですが」

 十数体はあるゴブリンの死体が、砕石場のような広場に散在している。ゴブリンはイメージされる通りの小さな亜人種で、いかにも狡獪な見た目をしているが、こうなっては襲ってくることはない。

「オークの戦斧ウォーアックスによる裂傷があります。致命傷はなぜか別の武器のようですが、おそらくこの虐殺はオークの仕業ということになりますね」

 リデュケはそう分析した。オーク自体はもう去った後のようだし、今の所危険はないだろう。

「あの洞窟を見て」ヒルダが指差した。「あれは、転生者化石の採掘跡だわ。入り口に、我が領地の紋章もある」

 なるほど、あの中にはさらに多くの死体があるかもしれない。リデュケは出来事を時系列に並べた。

「人間が転生者を掘り尽くして放置していた廃鉱を、ゴブリンが占拠してダンジョン化していたわけですね。そして、そのダンジョンをオークが攻略した」

「……なんだか、何かが間違っている気がするわ」ヒルダが言った。

「何がです?」

「それって、人間の冒険者の仕事じゃない?なぜオークが〝ダンジョン〟を〝攻略〟しているの?オークは、むしろ攻略される側でしょ」

 ヒルダには何か人間に植え付けられた先入観があるようだが、リデュケはそれを共有していない。

「そうでしょうか?各種族が同盟を組んで人間だけを狙うというわけではないでしょう。彼らの間にも領土争いや食物連鎖、様々な敵対の理由があるのです」

「まあ、いいわ。むしろオークに感謝しないとね。なにしろ、ゴブリンはオスしかいない種族だから、異種族のメスをさらって繁殖するのでしょう?そんな醜怪な種族は早く絶滅したほうがいいわ」

「どこでそんなでたらめを仕入れたんです?」突拍子もない冗談に、リデュケは令嬢の横顔を二度見してしまった。

「大抵の小説ではそうよ」

 近年の人間領では、転生者を部品として組み込んだ輪転式活版印刷機によって、大衆向けの娯楽小説が量産されるようになった。ヒルダはその中でも過激なものを読んでいるようだ。

「フィクションの世界ではそうかもしれませんが、この世界ではゴブリンは普通の霊長類です。ドワーフの国では知性を発揮して、鋳掛け屋や金物屋になっているらしいです」

「本能レベルで凶暴なんじゃないの?」

「そういった凶暴さは容易に同種にも向けられ、そのような種族は繁栄しません。もしそんなモンスターがいるとすれば、何者かによって地上に配置される生物兵器のようなものです。何万年も種として存続することではなく、人間を苦しめるために数世代ほど保てばいいような歪な種族」

「モンスターってそういうものでしょ」

「過去に魔族が敵対種族に対してそういう操作を行ったこともありますが、最近は聞いたことがありません。大局的に見て、人間を創った善なる神や、モンスターを創り出す邪神のようなものは存在せず、どの生物も自前の進化史を持っているのです」

「ふーん」


 二人はさらに歩いた。帰り道を目指しているが、高所を遠回りしているので一時的に奥地を通ることになる。

 リデュケは先程の虐殺の犯人が近いという匂いを感じ、ヒルダに声を抑えるように言った。二人は川を挟む高い崖の上、樹々の隙間から下を見下ろした。予想通り、崖下にはオークが二体いた。二体とも、巨大な狼であるダイアウルフに跨ってゆっくりと川岸を山頂方向へ進んでいく。

「こちらが先に発見できてよかったですね」

「あれがオーク……」ヒルダが恐る恐る言った。「本当に緑色なのね」

「ご覧になるのは初めてですか?」

「操演盤に映る映像で見たことあったけど、色は表示されなかったから。それに、思っていたより大きいわ」

 操演盤というのは転生者の遠隔操作のために使われる軍の備品らしいが、リデュケはまだ見せてもらったことがない。このまま地質調査を続けて、転生者鉱山を見つければ権限が上がり、色々と見ることが出来ると思うが。しかし、オークに怯えながら地質調査は出来ないので、オークの行動を把握する必要がある。

「少し後をつけてみましょう。ヒルダ様さえよければ」

「危ないでしょ?」

「ドライアドの逃げ足はダイアウルフの追跡力を容易に凌ぎます。子供を一人乗せた状態でも」

「でも、あなたは主人の安全を第一に考える義務があるのよ」

「私はすでにそうしています。もしこれからもお出かけしたいなら、敵の行動原理を知る必要があるでしょう」

「仕方ないわね。じゃあ、少しあの緑色のマッチョ達が何をするか見ていきましょう」


 そう、たしかにオークはマッチョだ。腹の突き出た鈍重な豚の亜人というイメージも創作物の中の誇張表現で、実際は意外と精悍だ。

 あと、意外と豚鼻ではない。それは、イノシシのような下顎のキバを元に画家が書いた想像図から広まったイメージだったのだろう。絵ではハゲ頭に描かれていることも多いが、実際のオークは大抵、長い頭髪を獣の鬣(たてがみ)さながらに伸ばして編み込んでいる。

 張り出した眉弓の下、落ち窪んだ眼窩を覗き込むと、意外にも知性的な琥珀色の瞳を見て取ることが出来るだろう。

 オークとは、ヒト属の共通の祖先である霊長類が、ホモ・サピエンスとは違う進化の枝道をたどった種族。学名はホモ・マクシリエンシス。その学名の意味通り、下顎(maxilla)が非常に発達しており、そこから長大な二本の犬歯が伸びている。


 肌が緑色なのが、哺乳類としては異質な印象を与える。哺乳類は体色表現をもっぱらメラニン色素に頼っていて、いわば絵の具の少ない絵画だ。青や緑は、爬虫類や竜属しか持たない絵の具だ。

 しかし、オークの緑色は蝶の鱗粉のような構造色であることが近年判明した。血中にヘモグロビン以外の呼吸色素が存在することで身体の内部から緑色が出ているのではないかという従来の仮説は否定された。

 オークは体表に常在菌として、魔素代謝細菌の希少種を保有しており、それが微細な結晶を作る。これが青色に呈色し、その下のオーク本来の黄色がかった肌色と混ざって緑色に見えるのだ。

 魔素代謝菌は、酸素代わりにその同位体である魔素を代謝する。オークはそれをまとうことで魔法耐性を得ている。オークは火を吐くドラゴンの住む土地から来たと言われるが、燃焼という現象も魔法のひとつの姿だということを考えれば、あながち誇大な伝承でもないだろう。


――というようなことを、リデュケはオタク特有の早口でヒルダに説明した。

「そんなにオークに興味ないんだけど?」ヒルダは突っぱねた。

「で、ですよね」

「そういう外見の詳細な描写というのは、例えば美男美女とかにするものよ。なぜ緑色のマッチョな霊長類にそんな労力を?」

「すみません……」

 ドライアドは皆何かしらに熱狂的な興味を持っており、興奮すると尻尾を立てながら他人の話を聞かずに喋る習性がある。

「魔法耐性があるということだけは、敵として知っていたわ。だから、殺すときは転生者を使うのよ」

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