第一章 ⅩⅦ ボーダーランド

17 ボーダーランド



 そろそろ日も傾き始めた黄昏時。


 今晩の約束をするなりその場でこてんと眠りについてしまったシェリアをセレナちゃんの膝に預けて、ぬるくなってしまった紅茶で改めて喉を潤していたのだが......


「さて、リートとシェリアの契りの儀もオマケ付きではあったけど滞りなく執り行うコトも出来たし、ここいらでリートがどれだけの力を獲たのか試してみようか。」


 ようやくシェリアのラブちゅっちゅっ大攻勢から解放された俺を待っていたのは、無慈悲な師匠メイのありがたい一言だった。


「アンジェリカ、お願い出来るかな?既に屋敷の内外に陣は張ってあるから、限度さえ弁えてもらえれば好きにしてもらって構わない。」


「えぇ、私もリート君とシェリアちゃんの濃厚なラブシーンを見ていたら、ルネッサ程ではないけれど身体が火照ってしまったもの。この疼きを抑えるにはなんであれ身体を動かさなくちゃ。」


「ア.ア.ア...アンジェリカ様っ、わたくしはそんな!」


「あら?私の目は誤魔化されないわよ、ルネッサ。アナタ、二人の様子を見ながら左手をお尻に当てがってモゾモゾと何をしていたのかしら?」


「アンジェリカ様っ!!」


「やぁね、冗談よ。それより、ちょっと重たいかもしれないけれど私の槍を持ってきて貰ってもいいかしら?鎧は必要ないわ。」


 いつもの微笑を崩すことなく、アンジェ姐さんは屋敷に向かうルネッサさんを見送ってから、紅茶を啜る俺の方に歩みを進める。


「自身の身体の変化は感じているかしら、リート君?アナタの身体に流れている幻素エーテルの総量は今や私にも匹敵する程にまで膨れ上がっているわ。」


 確かに言われて見れば......龍神の加護を発動するまでもなく、少し目を凝らして意識を向けるだけで大気に満ちる幻素の揺らめき、呼吸を通して身体の中を循環していく幻素の流れを感じることが出来る。


 拳を握り込むだけで身体から溢れ出す幻素の輝きを確かめて、眼前のアンジェ姐さんを視界に収める。


「まさか二週間とちょっとで私と同等の領域まで踏み込んでくるなんて。......少し嫉妬しちゃうわね。でも過程はどうあれ、アナタは此処までやってきた。ならば、そこから先の道を示すのもお姉ちゃんの役目。でも、ごめんなさいね。もしかしたらお姉ちゃんも自分を抑えられないかもしれないわ......」


 アンジェ姐さんの瞳がすっと開かれた。と同時にその総身から膨れ上がる闘気と幻素。あの決勝の時と同様、いや、それ以上のプレッシャーが庭園を埋めつくして、大気を大地を震わせる。


「......アンジェ姐さん。もしかしてかなりノリノリなんです?」


「えぇ。お姉ちゃんとっても楽しみなの。あの時のガラム君にはあくまで及第点を上げただけ。でも、今のリート君はどれだけ私を楽しませてくれるのかしら。」


 頬を僅かに上気させ、白魚の様な人差し指をルージュのひかれた唇に当てがい熱の籠った視線をこっちに送るアンジェ姐さん。


「......なるべく満足してもらえるように頑張ります。」


 ルネッサさんが屋敷から引っ張り出してきた突撃槍をアンジェ姐さんに手渡す。その手に収められた槍の柄から紫電が走り、長大な槍身を包み込み......


「ありがとう、ルネッサ......さて、準備はいいかしら?」


 拳を握って、構える。重心を落として身体は半身。身に付けた籠手も具足も静かに高まる俺の戦意に呼応したのかガチガチと音を立てて四肢を包み、その形態を変えていく。腹の底で脈動を繰り返す龍の息吹きを解き放ち、眼前の戦姫を睨み据えて、


「いつでもどーぞ。」


 言葉を発した。その刹那、


―――――右後方!首筋!


 アンジェ姐さんの姿が消えるより早く、俺の脳裏にビジョンが浮かぶ。なんだよ、


 正に電光石火の疾さで、俺の首筋に狙いを定めた岩をも穿つ刺突。その軌道を拳で僅かに反らしながら、返す刀で正中線に右の足刀を三撃。


 空いた左手で俺の右足を小脇に固定したアンジェ姐さんが有り余る膂力に物を言わせて、そのままの態勢で間合いを詰めにくる!


―――――わかってますって。こうすればいいんでしょ?


 俺の意識ビジョンを読み取った左の具足から、龍のそれを思わせる鋭い骨爪が形を成して俺の身体を大地に縫い付ける。


「んがっ!!」


 そのまま固定された右足をアンジェ姐さんの身体ごとふわりと天を衝くように掲げて、力任せに振り下ろす!!


......が、そこはやはり雷翼の戦神。涼しい顔で大地に叩きつけられる寸前で離脱。後方に飛ばされながらも槍で地面を削り、勢いを殺して態勢を立て直す。


 舞い散る芝生と土煙の向こうからアンジェ姐さんの笑い声が聞こえる。一体彼女は今どんな顔をしているのだろうか......


「ウフフフフ。いいわね、リート君。本当に可愛い子......ちゃんと、の再現をしてくれるなんて。お姉ちゃん......はしたないのだけれど、ちょっと濡らしてしまったわ。」


 土煙の晴れ間から僅かに覗くアンジェ姐さんの眼には、むせ返る程の魔性と官能をない交ぜにした喜悦のいろが見え隠れしていた。


「今ので何点くらいっすかね......?」


「そうね、前戯だけだったら50点ってところかしら。そしてここからは大サービス。私のこの身体にアナタの剛直こぶしを突き立て、なじって、ねぶって、昂らせてくれるならどんな一撃でもその時点で満点をあげる。遠慮することないわ。お姉ちゃんが全部包み込んであげるから......」


 アンジェ姐さんはその豊満な肢体に指を這わせて息を荒げながらねっとりと絡み付く様な視線をこちらに向けてくる。


 もしかすると、これが雷翼の戦神と呼ばれたこの人の本性なのかもしれない。その微笑の仮面の奥底に存在するのは、闘争からもたらされる肉体そして精神への性的な渇望。嗜虐であろうと被虐であろうと全てが彼女の糧になる。その情動に突き動かされるまま力を蓄え続け、天空の頂きにその雷翼の翼を広げる堕ちた白亜の戦乙女ヴァルキュリア


「さぁ、もっともっともっと私を昂らせてみせなさい!リート君の身体に宿る全ての力を使って私の身体にその拳を叩き込んで!!」


 初めて耳にしたアンジェ姐さんの叫びが鼓膜を震わせる。と同時に雷光の軌跡のみを残して、瞬時に間合いを詰めてきたアンジェ姐さんから放たれる紫電を纏った神速の三段突きが俺の眼前に迫る。


―――――が、それは既に見えている。


 その全てを幻素で強化した拳で迎撃し、叩き落とす。間髪入れずにやや下がり気味の槍の先端を踏み台にして、ガラ空きの側頭部に渾身の右フック。だが、それすら予期していたのかアンジェ姐さんは先端が地面にめり込んでいた槍から瞬時に手を離し、自由になった左手で俺の拳をガードし、再び槍を手にして間合いをとった。


「あぁ、なんて、愉しいのかしら。常に一人きりだった私の世界そらに、同じ視点で真正面から向かってきてくれる存在ひとが現れるなんて。ここまで頑張ってきて、本当に良かった。もう少し...もう少しで私......」


「あー、盛り上がってるところ悪いけど、なんだかキリが無さそうだからここで終了にしよう。それにアンジェリカ。やっと、全力を出せる相手が見つかって嬉しいのは分かるけどさ、君とリートの全力の一撃がぶつかり合ったら、ボクの陣が張られているとは言え、グリグランが丸ごと吹っ飛びかねない。ボクがお願いしたのは試運転であって、殺し愛ころしあいじゃないんだけどな......」


 手をパンパン叩きながら、俺達の間に顔色一つ変えずに入ってくるメイ。


「リートも今ので分かっただろう?君とアンジェリカは経験の差はあれど、ほぼ互角のところまで来ている。それに君が欲した強さはシェリアを守り抜くための力であって、ひたすら高みを目指すためのものでもないだろ?」


 それは確かにメイの言う通りだ。目覚めた力に浮き足立ってシェリアを巻き込んだりでもしたら本末転倒も甚だしい。あくまで力を使うのは自分の意志。力に溺れてイキり倒すなど愚の骨頂だ。...頭に冷や水をかけられた思いでアンジェ姐さんの様子を伺う。


「......ごめんなさい。メイちゃん リート君。私、嬉しさのあまり熱くなり過ぎてしまったみたい。ホント...お姉ちゃん失格だわ。」


 力なく笑ったアンジェ姐さんの瞳に理性の光が戻る。


「あんま気にし過ぎないで下さい。誰だって嬉しいことがあれば、周りが見えなくなっちゃいますって。」


「そう...かしら。そうだといいのだけれど。」


「さて、提案したボクが言うのも何だけど、そろそろ本腰を入れて作戦会議を始めないとお月様が登って、まだん君が王城に乗り込んで来ちゃうからね。」


 そうだ。完全に忘れていた。俺達がここに集まった本来の目的はそれだった。すまん、クレス。



 あのシェリアの暴走っぷりが、クレスの貞操観念のキャパを遥かにオーバーしていたせいで一時的な幼児退行を引き起こしていたようだったが、その精神の均衡を元に戻すためにメイが術でもかけたのか、当のクレス本人はセレナちゃんの隣ですやすや寝息を立てていた。


「まぁ、はっきりと言ってこの作戦をしくじってクレスティナがさらわれる可能性は万に一つもあり得ないと断言しよう。なにせ、グリグランギルドの最大保有戦力であるアンジェリカ。それにそのアンジェリカに比肩するほどの力を持つに至ったリートの存在。まだん君がどの様な異能を持っていたとしても、全てを力で捩じ伏せられるだけの能力が君たち二人には備わっているからね。」


 テーブルに着いたメイは開口一番、自信満々に言い放った。


「でもさ、メイ。まだん君が俺達と同じように異世界こっちに来たんだとしたら、それなりに厄介なチートスキルを持ってるんじゃないのか?」


「そう。だからこそ、ボク達に負けはないんだよ。」


 うん?どーゆーことですかね?


「多分、というか十中八九まだん君は自分の異能に酔っている。手紙の内容からも判るように、きっと他人の精神か肉体に干渉する類いの異能だ。まさか、直接会ってもいない段階でご丁寧に異能の正体を教えてくれるなんて、慢心するのも甚だしいよね♪」


 メイはそこまでボロクソにまだん君をこき下ろしておきながら、さらに邪悪な笑みを浮かべて、


「そこで、ボク達はその慢心を大いに利用して懲らしめてあげるのさ。"こっちの世界でいい気になってデカい面さらしてんじゃねぇよ三下"って具合にね。それじゃあ、具体的な作戦を説明するけど......」


 ......まだん君。お前には同情する余地はないけれど。それでもこのボクっ娘メイド陰陽師に眼を着けられてしまったお前の不幸を嘆かずにはいられない。


 月夜の晩に木霊するお前の悲鳴がどうか安らかなものでありますように......


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