第10話 ギルバートの眼

     by Sakura-shougen


 そうして、ギルバートはリディアの右手に軽く手を添えた。

 一方で、リディアの顎に左手を掛け、一旦少し持ち上げゆっくりと下に降ろす。

ビュラスの胴に触れるか触れないかぐらいの位置で止めた。

 「 リディア姫、ビュラスの胴をしっかりと保持する必要はありません。

   少なくとも落ちないようにするだけでいいのです。


   そうして触れている顎で、ビュラスの響きを感じ取るのです。

   ビュラスはその力加減で音が微妙に変わります。

   ですからその力加減も演奏の一部なのです。

   ここまではいいですか。」


 リディアは、はいと言って頷いた。

 「 では次に弓を持つ手です。

   同じく力が入りすぎていますね。

   軽く羽毛を持つぐらいの力で、極端に申し上げれば弦に載せた弓を支えている

  だけの力だけでもいいのですが、それに横向きの力を与えるための最小限の力を

  与えてやるだけ。

   そうして大事なことは、山なりになっている三つの弦のいずれを弾くときも、

  その弦の振動が与える影響を聞きとることです。

   これは楽器により少しずつ微妙に違います。

   例えば、このビュラスでは・・・・。」


 リディアの弓を持つ手がギルバートによって導かれて少し傾けられ、一番内側の弦をゆっくりと弾いて行く。

 弾きながらもその傾きが微妙に変えられ、ある時、ふいにリディアの顎でその響きが大きく伝わった。


 「 リディア姫、今の感覚を良く覚えていて下さい。

   この傾きが一番この弦に相応しい角度なのです。

   次の弦に参りましょう。」


 そうして二人は三つの弦全てで楽器が強く反応する位置を確認した。

 ギルバートはリディアから離れ、正面に回った。


 「 後、もう一つ大事なことは、曲の全体像をよく見極めることが大事です。

   作曲家は自分の作った曲に色々な感慨を込めています。

   第一の段階は作曲家のそうした感慨を推し量ること。

   そうして第二の段階は曲想から自分なりの解釈に推し進めること。

   それができれば一人前の演奏家です。

   リディア姫の演奏は多分楽譜通りに一生懸命に弾かれていました。

   でもそれでは演奏家の込めた感慨は表せられません。

   曲の中に秘められた情景を思い出しながら演奏すべきです。

   そうしてそれがわかったなら、その情景をより広げることでリディア姫の曲に

  対する思いを込めることができるようになります。」


 「 でも、曲の情景って・・・。

   音からその情景が浮かぶのですか?」

 「 ええ、浮かびます。

   ちょっと試してみましょうか。

   姫のビュラスをお借りしてよろしいでしょうか?」


 リディア姫はすぐにビュラスをギルバートに差し出した。

 ギルバートは、それを丁重に受け取り、構えた。

 そうして演奏を始めた。


 曲は先ほどリディアが弾いたばかりのエレヴァの恋人達である。

 室内に素晴らしい音色が響いた。

 そうして一つの演奏が終わった時に、リディア姫は感動に打ち震え、涙を流していた。


 「 リディア姫、貴女はとても感受性が豊かなお方ですね。

   情景が見えましたか?」


 リディアが涙を溢れさせながら頷いた。

 ギルバートはモレンデスから持参したハンカチをそっと差し出した。

 エリザベスお婆様が作ってくれた刺繍入りのハンカチである。


 リディアはそのハンカチで涙を拭いていた。

 その時にドアがノックされた。

 ギルバートがどうぞと言うと、メルーシャが入ってきた。

 「 あ、やはり、姫では無かったのですね。

   とても素晴らしい音色が聞こえたのでドアをノックするのを躊躇いました。

   ギルバート様の演奏は素晴らしいですね。」


 リディアがハンカチを握りしめながら言った。

 「 ええ、いつも来られる楽師様よりも御上手よ。

   初めて曲の情景が目の前に浮かんだわ。

   私、まだまだ勉強しなければならないわね。」


 「 リディア姫もお上手ですよ。

   リディア姫には楽師のような演奏能力は不要でしょうから、素養としての能力

  なら今でも十分と言えます。

   でも、楽譜から曲に込められた意図を読み取ることも覚えなくてはいけないこ

  とは確かです。

   拙い私の演奏から何かを聞きとることができたなら、きっと明日にはまた少し

  前に進めるでしょう。」


 リディアが答えた。

 「 はい、きっとできるようにします。

   それにしても、ギルバート様、先ほど初めて聞く曲だと仰いましたのに、その

  全てを覚えてしまわれましたのね。」


 それを聞いて驚いたのはメルーシャである。

 「 え、えぇっ、・・。

   本当に初めて聞いた曲なのですか?

   それも姫様が弾かれたただ一度の演奏で覚えられて、演奏をなされたと仰られ

  る?」


 「 そうよ。

   凄いと思うでしょう。

   それに、ビュラスの扱いも教えていただいたわ。

   パルテス様をお払い箱にしてギルバート様にお師匠をお願いしようかしら。」


 途端にメルーシャは顔色を変えた。

 「 姫様、それはいけませぬ。

   パルテス様は曲がりなりにも宮廷楽師に名を連ねる御方です。

   その縁で姫様のお師匠となられたのですから、余程の理由がないと替えられま

  せん。

   それにギルバート様は楽師ではございませぬ。

   姫様の警護役として既に伯爵にも御了解を得ております。

   どうしてもギルバート様に師事を得たいのならば、楽師様のお稽古はそのまま

  で、ギルバート様の宜しき時に教えを請うと言うことでは如何でしょうか。

   そうすれば角が立たなくて済むと思われます。」


 メルーシャがそう言うと、ギルバートもそれを支持した。

 「 そうですね、私が暇な折にお教えするということで良いでしょう。

   但し、このことはくれぐれもそのパルテス殿という楽師には内緒にして下さい

  ね。」


 「 ふーん、メルーシャもギルバート様もそう言うなら仕方が無いわね。」

 こうしてささやかな秘密が三人の間にできた。


 ギルバートには幾つかなすべきことができた。

 一つは、リディアの誕生日に何か贈り物を上げること。

 今一つは、リディアの兄と姉の周囲をそれとなく探ることであった。


 そのため一時的にせよ、城から少し離れることが必要になった。

 贈り物はともかく、二人の男女を守護するためには、これまで感知した魔法の幾つかを試す必要が生じたのである。


 リディア姫に赦しを願い、ギルバートは単騎で北へ向かった。

 リディアに初めて出遭ったベルグリックス峠に行き、周辺に人が居ないのを確認して、一人森の中へ入ったのである。


 最初に試したのは遠視である。

 無論、魔法師が使うのは超能力では無い。


 何かに働きかけて遠くのものが見えるようにするだけのことであるが、その何かは何であるのかはわからない。

 ギルバートは、確証はないものの、あるいは精霊や妖精の目を通して見ているのではないかと漠然と思っていた。


 明らかに翠の光を生じさせるのとは異なる手法であり、自然の気を集めるような手段では無かったからである。

 術の過程の中で、何度かの中継を行いながら目的の場所を見ているように感知されたからである。


 手探りながらそれを試すしかない。

 ギルバートは呪文を唱え、術を試みた。

 一つ一つの過程を辿ることになった。

 最初に身近の樹木の意識を伺い、その過程でおそらくは樹木の精霊の知識を全て読み取っていた。


 樹木から恐らくは大地の精霊の意識に伝わり、その知識も取り込んでいた。

 そうしてベリデロンの石壁の精霊に辿りつき、ハインリッヒの道場に辿りついた。

 その過程でベリデロンの城内で起きていることの全てを感知し、同時にその歴史までも垣間見ていた。


 ベリデロンの城が築かれた当時の様子をギルバートは逐一知ることができたし、デメトリオスやリディアが生まれたところにも立ち会うことができた。

 次いで再度大地の精霊からハトラ侯爵領に跳び、ベネディクト・ケイアンズの館を見ることができた。

 ベネディクトの館ではリディアの姉クリスティナを見ることができた。

 クリスティナは二人目の子を身ごもっている。


 大きなお腹は7カ月以上に入っていると思われる。

 リディアによく似た美人である。

 リディアも年頃になれば、クリスティナに似た美人になるのであろう。


 この様子では、クリスティナが館を離れることは余りないであろうから、ギルバートは監視の目をこの館に置いた。

 一旦、そうと決めると、ギルバートはその屋敷の動き全てを常時把握できた。

 モニター画面が複数あるようなものであり、屋敷の敷地全ての人の動きが判るのである。

 ギルバートは苦もなくそうした複数の情報を選別していた。

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