27話 これいただくわ症候群。
27 これいただくわ症候群
「おい、高野、たすけてくれよ」
イソ弁をしているぼくの携帯にかかってきた。
携帯のデスプレイをみるまでもない。
声はマルチタレントの山田からだった。周囲を気づかってぼくは、パーティションのかげにかがんだ。
声をひくめた。
「どんなご用件です」
「なんだ。その声は。友だちだろう。もっとフランクにいこうや。たすけてくれよ」
たしかに、かれとは学友だ。でも卒業後は同窓会で会うくらいだった。タレントなのに内気な彼は数年前に結婚していた。その妻ともう離婚騒動だ。弁護をひきうけてくれ。という依頼だった。
彼の妻は超売れっ子のスーパーモデル。野生のパンサーをおもわせる。精悍な肉食系女子だ。彼女のほうから口説いた。などと週刊誌でよんだことがある。弁護士がスーパーの店長を務める世の中だ。東大の法学部が定員割れする時世だ。
「独立する、チャンスじゃないか。やってみたら」
と周りで励ましてくれた。妻の浪費癖が離婚のひとつの理由だった。山田がヒソかに保存して置いた領収書の束はぼくを驚かせた。ぼくの一年分の給料でも買えないような貴金属類。これでは、山田が離婚したくなるわけだ。見たものは、ともかくすべて欲しくなる。
「これいただくわ」
と衝動買い。金銭感覚がゼロ。
おれの収入なんか、まったくかんがえない。
なにかいうと、すぐに歯をむいてくってかかる。引っかく。
おれは、顔が売りもんだ。怖くなるよ。
弁護士が山田の学友ということで、ぼくはマスコミのインタビューをうけた。
週刊誌にも記事を書かされた。
名前が売れた。
仕事がはいってきた。
懐も潤ってきた。
裁判に勝った。
夢の独立をお陰で果たすことができた。
追い風にのった。
まさに、順風満帆。
得意の絶頂にあった。
そんなある日、山田の元妻からぼくの事務所に電話がかかってきた。
「所長、電話です」
ようやく、所長と呼ばれることにもなれてきた。ぼくの携帯に切り替えた。
プライベイトの用件は、ながいあいだの習慣でぼくは携帯を使用している。
だが、いまはじぶんの事務所だ。
パーティションのかげにかがむ必要はなくなった。
山田の元妻だ。いやみでもいわれるのか――と覚悟した。デスプレイの画面で彼女がにこやかにほほえんでいる。
「どう、ランチご一緒しない」
にこやかなほほえみ。でも……わたしの頭には山田の言った言葉が響いた。
「衣服や貴金属にキョウミが集中しているうちに、別れたいのだ」
そうか。このほほえみに、みんなだまされるのだ。彼女は〈肉食〉系。言葉どおりの、行動にでられたら逃げられない。
「いま、おたくの事務所のそばまできているのよ」
窓の外。ブラインドのすきまから覗く。
向こう側の歩道で彼女が優雅に手をふっている。
ひらひらと右手をあげておいでおいでをしている。
左手は携帯をもっている。ぼくにはなしかけている。彼女の声はぼくの携帯からきこえてくる。
そして、デスプレイの画面には……。
真紅のバラのような唇。
美しい。
キスをおねだりしているようだ。
ぼくは恐怖を覚えた。
それなのに、ぼくは階段をおりだしている。
ズルッ、ズルッと彼女にひきよせられていく。
戦慄。
でもどうすることもできない。
パンサーの獲物。
の。
ぼくにはどうすることもできない。
ぼくは彼女の獲物。
自動ドァが開く。
ぼくは彼女に捉えられた獲物。
もう逃げられない。
「あなた、いただくわ」
といわれも――ぼくは逃げられない。
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