第16話 「鹿沼」ぶっつけ秋祭り。

16 「鹿沼」ぶっつけ秋祭り


 勇壮な鹿沼囃子の音色が――。

 夕暮れの街にひびいていた。

 神田明神の影響をうけているという。

 ボコチャカ、ボコチャカ、ボコチャカ。

 人呼んで。バカ囃。

 この場合、バカ、というのは愛敬をあらわしているのだ。

 明日からいよいよ「鹿沼ぶっつけ秋祭り」だ。いまは、宵祭り。

 秀行はひさしぶりだった。一年にいちどしかない。故郷鹿沼への帰還。なつかしいお囃子の音色に耳をかたむけた。明日の本祭りのために。お囃子の練習をしているのだ。

 一年間。鍛練した成果を町内ごとに競い合う。

 明日こそは。

 と。

 お囃子衆は。

 全身汗だくで。

 太鼓をたたき。

 笛を吹き。

 カネをたたく。

 街の駅「鹿沼宿」の木製のパークベンチに座っていた。

 昨年はまだ、この広場は、できあがっていなかった、

 秀行がすわって鹿沼のひとびとを見ているのに。

 だれも注目してくれない。

 路傍の石を見るような眼差しでもいいのに。

 祭りの準備にいそがしい。

 ひとびとは、あわただしく彼の前を通り過ぎていく。

 明日からは屋台が街中にくりだす。

 その熱気は昔とすこしもかわりがない。

 国指定重要無形民俗文化財になってからは。

 屋台を引く熱情はむかしより盛んだ。

 若い衆が木組みの仮門に提灯をともす予行練習をしている。

 明日になれば、いよいよ街中が夜の更けるまで提灯の明かりだけになる。

 若い男女が浴衣を着る。

 『祭』

 とか。

 『囃』と染め抜いた、かわいらしい半纏。

 で。

 つれだって屋台を見て歩く。

 祭りの夜が初デイト。

 そうした思い出ををもちつづけた。

 子どもずれ。

 親子代々うけつがれていくたのしいお祭りへの想い。

 夜店でアイスクリームを買ってたべるだろう。

 明日になれば……。

 秀行はベンチから立ちあがった。

 街の駅の広場を今宮神社のほうに歩く。

 天然かき氷。日光製氷所製。

 旗看板がはためいていた。

 ここは「木村屋パン店」のあったところだ。

 その横の路地に誘われた。

 いくら探しても、見つからなかった。

 あの、旗看板がでていたおかげた。

 (ぼくが、帰っていくべき場所)

 秀行が住んでいた場所だ。

 どうして、いままで、みつからなかったのだ。

 夕空が群青色に変わっていく。

 このさきに恩師石島先生のお住まいがあった。

 そして、そのさらに先にセンパイの恩田さんの家が石垣の塀の中に在った。

 そして小藪川のせせらぎの音が聞こえる。

 この辺だけは区画整理を免れている。

 庭に白の秋明菊や赤い彼岸花がひっそりと咲いている。

 (思い出した。ここがぼくの帰ってくるべき場所だ)

 家々では夕餉の支度をしている。

 食器類を食卓にならべる音。

 ご飯の炊きあがったにおい。

 みそ汁や納豆、煮魚のにおいまでしてくる。

 なつかしい、家庭の団欒。

 明日をまちきれず。

 浴衣で庭先や路地を歩きまわる少女。

 昭和初期にタイムスリップしたような裏路地。

 ここだけは、昔のままかわっていない。

 よかった。

 なつかしい。

 ほかの通りは、すっかりわってしまった。

 昔の面影は残っていない。

 さびしい。

 だれもこちらをみてくれない。

 だれの注視もうけない。

 さびしいな。

 秀行は薄暗くなった路地をただよっていた。

 泣き出したい。

 いやほんとに泣いていた。

 冷たい涙がほほを伝っていた。

 (ここが……ここで、ぼくは死んでいた)

 でも、彼はしらなかった。

 セピア色に変わった写真を手にした老婆が。

 つぶやいていることを。

「どうして、秀ちゃん交通事故なんかで死んじまったのよ。あれから何年、わたしは祭り囃をひとりで聞いたのかね」

 祭りの日。

 交通規制がひかれた。

 そのためだった。

 めったに車の通らない裏路地を車が驀進してきた。

 はじめての出会い(デート)に胸をときめかせていた。

 注意が散漫になっていた秀行は――車の接近に気づかなかった。


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