第一章 少年は溜息し、少女は駆ける -4-

 ワイドショーをひっかきまわして「凱旋」した〈グレムリン〉たちは、校舎の玄関で待ち構えていた担任教諭に捕まった。

 その後はお約束どおり、担任から始まり生活指導、果ては校長に至る「大目玉フルコース」だ。理由はともあれ、マスコミをおもちゃにし、さらに広場を混乱に招いた事実は、教育者の立場から見過ごすことができなかったのだろう。

 二時間後にようやく釈放された〈グレムリン〉たちの顔は、すっかりやつれ果てていた。

「ふぅっ、疲れた……」

 休み時間になってから教室へ戻った〈グレムリン〉たちは、窓際最前列の自席に辿り着くと、力尽きたように突っ伏した。

「ヴァルがあそこで余計なひとこと言わなきゃ、もっと早く解放されてたのに」

 ミルフィーユが恨めしそうな目で隣席の親友を睨む。

 マスコミをからかったことで怒られるのは構わない。それはハズリットを助けるためにしたことだ。それなりの罰を受ける覚悟はできていた。

 しかし親友の失言で説教が長引いたのは、ミルフィーユにとって不本意だった。

「だから悪かったって。ごめん」

 自分のヘマを自覚しているヴァルトラントは、ひたすら相棒に謝るばかりだ。

 彼が、生活指導教諭の「変装だけでも、充分に報道陣を欺けたのではないか?」という言葉に、うっかり「からかい甲斐のある連中が目の前にいるのに、素通りなんてできないよ!」と答えなければ、教諭の怒りは臨界点を越えることもなかったのだから。

 だが一旦口から飛び出してしまった言葉は引っ込めようもなく、ヴァルトラントの減らず口は、教諭の頬をひきつらせる結果となった。

 そして、にこやかとはほど遠い笑みを浮かべた教諭に襟首を掴まれた〈グレムリン〉たちは、そのまま校長室まで連行されたのである。

 そこで「説教第二ラウンド」が始まるかと思われた。が、校長のトゥルーマンは、ハズリットを密かに校内へ導いてくれた少年たちを、無闇に叱りつけたりはしなかった。

 校長もハズリットの試験が無事に行われることを望んでいた。つまり学校側としても、広場にたむろする報道陣をどうにかしたいと思っていたのだ。

 だが排除するにしても、広場は学校の敷地ではないため、迂闊に手を出すことができなかった。かといって警察に頼っては、事をさらに大きくするだけだろう。警察は、できる限り最後の手段にしておきたかった。

 このままでは、何も知らずに登校してきたハズリットが、彼らの取材攻撃に曝されてしまう。

 なす術もなく、おろおろと中継を見守るしかない校長たちの焦燥が頂点に達しようとしたそのとき。

 〈救世主グレムリン〉が現れた。

 彼らは果敢に報道陣に向かって斬り込んでいった。

 〈グレムリン〉たちの行動によって「当校の生徒が関係した」という既成事実を得た学校側は、ようやく事態の収拾に乗り出せたのである。

 だからトゥルーマン校長は、ただ、

「でも、ちょっとふざけ過ぎたようだねぇ」

と苦笑いし、説教の代わりに「ありがたい訓話」を懇々と語り聞かせるにとどめたのだった。

 まあそれはそれで、〈グレムリン〉たちにとっては退屈な代物であり、のんびりと語られる話を居眠りしないように聞くのは、一種の拷問だったのだが。

「お疲れ」

「二人だけが叱られることになっちゃって、ごめんね」

 〈グレムリン〉の姿を見つけたハーラルトとキーファが走り寄ってくる。ハズリットとともに校内へ入った彼らは、〈グレムリン〉が全ての責任をとってくれたおかげで、罪を問われることを免れていた。

「気にしなくていいよ。俺らは怒られ慣れてるから」

 自嘲めいた笑みを浮かべて、ヴァルトラントが応える。ミルフィーユも彼の隣でうなづくと、一番大事なことを確認した。

「それより、ハズとクロルは?」

 ハーラルトたちはミルフィーユに笑顔を向けた。

「二人とも試験に間に合ったみたいだぞ」

「あとは、いい結果が出ることを祈るだけ」

「そう、よかった」

 二人の答えにミルフィーユは安堵の息をつく。これで二人が間に合わなかったとなれば、自分たちのしたことは徒労に終わっていたところだ。

 ハーラルトたちもミルフィーユと同じ気持ちなのだろう。ほっとした表情で会話を弾ませている。

「ハズはもちろん、クロルもがんばって幼年学校の入学資格とって欲しいよな」

「あはは、あたしらは間に合わなかったからねー!」

 自分が振った話とはいえ、痛いところを衝かれてハーラルトは顔をしかめる。その背中を、キーファがケラケラと笑いながら叩いた。

 幼年学校の入学資格として、「一〇歳の誕生日までにDクラスを修得していること」というのがある。

 基幹学校の教育課程の単位は、ZからBまで遡り、a、A、AA、AAA、EXの三〇段階ある。五歳で入学し、一年間で三単位ずつ修得すれば、一五歳までに卒業できる計算だ。そしてDクラスは、平均的な学力を持つ者なら一二歳半ばで修得できる単位であった。

 つまり一〇歳でDクラスを修得するということは、その子供はかなり頭の回転が早いといえる。

 これは入学資格としては、少々厳しい条件かもしれない。しかし軍人だけでなく、〈機構〉を支えるエリートを育てるのが幼年学校の主目的である以上、それなりに優秀な子供を求めるのは当然か。

 とにかく、現在一三歳になるハーラルトたちは、当時その条件を満たせなかった。

「でも、いま二人はAクラスなんでしょ。だったら士官学校には間に合うよ」

 ミルフィーユが応えると、ハーラルトは何やら計算しはじめる。

「えーと、幼年学校の卒業生は士官学校の三年に編入されて、一般は満一五歳でないと入学できなくて――ってことは……。お、何とかおまえらの先輩になれそうだな、俺ら。へへッ、ビシビシ鍛えてやるからな!」

 〈グレムリン〉より上の立場になれると判って、ハーラルトは嬉しそうにニヤリとした。先輩後輩といった士官学校での立場は、例え卒業後に階級が逆転するようなことがあっても、微妙に影響するものなのだ。

「あれ? あたしらは〈陸戦〉の士官学校だけど、〈グレムリン〉は〈航空〉へ行くんじゃなかったっけ?」

「あっ!」

 しかしハーラルトの喜びは、キーファの無情なひとことで露と消えた。悲しそうに顔を歪める少年に、〈グレムリン〉とキーファは苦笑する。

「くそおっ。三つも年が離れてるのに同じクラスになって、それなりにショックだったのに。その上、おまえらよりさらに二つも年下のハズとも同級生だなんて、俺らってすんげぇ頭悪いみたいじゃねーか」

 いじけモードに入ったハーラルトは、口を尖らせてぼやく。

 Aクラスは一四歳までに修得する単位であるから、一三歳の彼はそれほど成績が悪いというわけでもない。ただ成績優秀な者たちが身近に多すぎたのが、彼の不運だっただけだ。

「僕らはともかく、ハズは特別だよ」

「それにアントンがいるじゃん。安心しなよ」

 〈グレムリン〉たちは顔を見合わせて肩をすくめると、しょぼくれる級友に慰めの言葉をかけた。

「一五になってもまだ卒業できない奴と一緒にするな」

 だが、どうやら〈グレムリン〉の慰めは逆効果だったようだ。クラスの最年長者を引き合いに出されたハーラルトはふて腐れた。

「でも、クラス最年長でいまだに卒業できない生徒と、最年少でもう卒業しようという生徒が同じクラスだなんて、ちょっと皮肉だね」

 ミルフィーユがシニカルな笑みを浮かべて言う。

 基幹学校では入学初年度を除いて、クラス編成は習熟度を考慮して行われる。そのため同級生といっても、多少年齢にばらつきがあるのだ。

 ヴァルトラントたちのクラスは、先々月のクラス分けの時点でEクラス以上の者が集められた。ところが偶然なのか、はたまた学校側が意図したのかは判らないが、上は一五歳のアントン・シュッツ、下は八歳のハズリットの二人が、同じクラスになったのである。またこの二人は年齢や成績だけでなく、生まれ育ちさえも対照的であった。

「そういや、ハズと言えば――」

 ヴァルトラントはふと思いついたとばかりに口を開く。

「彼女、試験に合格したら、その後どうするんだろう?」

 ハズリットの進路は、卒業試験の行方とともに学校中の話題である。どうやら彼女に近づくのは避けている連中も、彼女の動向は気になるようだ。そしてハズリット本人はもとより、教師たちの口も堅く、まったくと言っていいほど情報が流れてこないため、勝手な憶測が生徒の間を飛び交っていた。

「キーファは何か聞いてない?」

 キーファは両親がハズリットの母親と同じ部隊にいた縁で、ハズリットが転校してくる前から何かと彼女の面倒を見ていた。「そのキーファなら」と、ヴァルトラントは期待を込めて彼女に訊いた。

 だがキーファは申しわけなさそうに肩をすくめる。

「残念ながら。あの子、自分のことだけじゃなく、ホント何もしゃべらないから」

 キーファ姐御の言葉に、ミルフィーユが大きくうなづいた。

「確かに愛想ないよね。声かけてもつっけんどんな返事しかしないし、何かいつも不機嫌そうだし。そういやハズとは同じクラスになって一年になるけど、笑った顔って見たことないや」

 言いながら、チラリとヴァルトラントを窺う。今朝方「愛想がない」とハズリット本人に指摘して、彼に咎められたことを気にしているのだろう。

 相棒の視線に気づいたヴァルトラントは、今回は口元を歪めるにとどめた。

 ミルフィーユは単なる悪口でそんなことを言っているのではないと、ヴァルトラントにも理解わかっている。相棒は「彼女の態度が、学校で孤立している彼女をさらに孤立させる」という悪循環を案じているのだ。

 しかし、いくら相手のことを想っての発言でも、今朝のあの状況にあってはアドバイスではなく単なる非難になりかねなかった。だからヴァルトラントは咎めた。

「そっか、あんたらがハズと同じクラスになったときは、もう『いまのあの子』だったんだっけ」

 キーファは、〈グレムリン〉たちがハズリットと同じクラスになったのは、最初のマスコミ騒動以降だったことを思い出した。そして彼らの知らないハズリットを、少しばかり披露する。

「あの子だって、転校してきたころはまだ同級生とおしゃべりなんかもしてたし、笑顔も見せてたのよ。でも以来、周りの空気が変なことになっちゃったでしょ。で、彼女もトラブルを避けてか、人との接触を拒むっていうのかな、学校へは勉強するためだけに来てるって感じになっちゃったのよね」

「そうなんだ……」

 ハズリットの笑顔を思い浮かべようとして、ヴァルトラントは失敗した。当時、鳴り物入りで転校してきた少女を一目見ようと、彼は野次馬根性丸出しの級友たちと連れ立ち、彼女の教室を覗きにいったはずだった。なのに彼が思い出せたのは、同じクラスになってからの彼女だけだ。

 いつも、休み時間になっても遊ばず、独りでずっと端末に向かっているハズリット。食い入るようにモニタを見つめる彼女の耳には、周りでふざけ合うクラスメートの嬌声が聞こえていたのだろうか。

 この一年間彼女に対して積極的に接し、理解しようと努力したが、結局彼女の本当の望みや気持ちを知ることはできなかった。そしてこのまま彼女が卒業すれば、彼女の心を知る機会は二度とないだろう。

 ふと、予感めいた考えが頭をよぎり、ヴァルトラントは漠然とした不安を覚えた。慌てて、増殖しはじめる負の思考を追い出すべく、頭を振る。

 そんなヴァルトラントをよそに、キーファは大きく溜息をつくと、大袈裟に嘆きはじめた。

「しかし、あたしまで拒否されたのは、かなりショックだったなぁ。あの子が赤ちゃんのころからの知り合いなのよ。それに、ウチの両親があの母子のことをすごく気にかけてるから、あたしも気をつけ――」

 何気なく教室の入口に目を向けた彼女は、そこにちょうど入ってこようとするハズリットを見つけ、言い終わらぬうちに言葉を呑み込んだ。

 そして息を呑んだのは彼女だけではなかった。

 彼女の姿が現れた途端、教室の空気が変わった。それまで賑やかだった部屋が静まり返る。教室にいる全員が、興味深くハズリットに注目した。

 一方ハズリットは、自分に向けられたおよそ二〇人分の好奇の視線に、一瞬怯んだように立ち竦んだ。だがすぐに気を取り直すと、窓際の最前列にいるヴァルトラントに向かって歩き出す。

「ハズ、試験は?」

 すぐそばまでやってきた少女に、ヴァルトラントが声をかけた。

 少年の問いにハズリットは淡々とした、抑揚のない声で答える。

「筆記試験は終わった」

「えっ!?」

 彼女の言葉を聞いた全員が、耳を疑った。筆記試験は四時限分、つまり午前中一杯は行われる。それを彼女は二時間で片づけたと言うのか。

「あの……午前中の分は全部終わったってことだよね?」

 確認するようにヴァルトラントが聞き返した。すると少女は、重々しく首を縦に振る。

「早っ!」

 今度は仰け反って絶句する。誰もが彼女の並外れた頭脳に舌を巻いた。

「……スゴイね」

 さすがのヴァルトラントもどうコメントしていいか判らず、目を瞬かせながらそう言うのが精一杯だった。

「わぷっ!?」

 そのヴァルトラントの鼻先に、いきなり柔らかい塊が突きつけられた。見ると、今朝彼が彼女に貸した新品のダッフルコートだった。コートは丁寧に畳まれ、その上にベレーが乗せられている。

 小首を傾げるヴァルトラントに、ハズリットがぶっきらぼうに言う。

「貸してくれてありがとう。返す」

「え? いいよ、今日はそれ着て帰りなよ。ハズのは破れたまんまだろ?」

 コートの持ち主は少女の碧色の目を覗き込みながら、差し出されたコートをそっと押し戻した。

「すぐに繕うからいい」

 だがハズリットは少年の好意を受け取らなかった。首を振りながらもう一度、今度は少し力を込めて突き返した。

「え、でも……」

 困惑した顔でヴァルトラントは口ごもる。ハズリットは一歩も退かない構えで、彼を睨みつけている。

 そのまま奇妙な睨めっこに突入する――と周囲のクラスメートたちが思ったとき、教室の後方にいたグループから声があがった。

「よくそんな奴の相手してるよなぁ、おまえら」

 野太い声で発せられる言葉には、嘲りのニュアンスが含まれている。

 それに気づいたヴァルトラントの表情が険しくなる。彼は、言葉の主であるクラス最年長者アントン・シュッツに、大きな杏仁形の双眸を向けた。

「クラスメートなんだから、話ぐらいしてもいいだろ」

 鋭く言い放つと、何か文句あるかとばかりに胸を張る。

 しかし最年長であることを笠に着て、数人の取り巻きたちと横暴の限りを尽くしている少年は、ヴァルトラントのような「チビ」の反撃など痛くもなかった。彼はヴァルトラントの言葉を吹き飛ばすかのように鼻で笑うと、蔑んだ目でハズリットを見て言う。

「でも〈旧市街人アルター〉だ。こんな奴らにかまって甘やかしてると、最後にゃ何もかも巻き上げられちまうぞ。こいつらは可哀想な振りをして、オレたち〈新市街人ノイアー〉からおこぼれを恵んでもらうのが得意だからな」

 ハズリットが息を呑んだ。悔しさに唇を噛むと、まなじりを決してアントンを睨みつける。

「なんだよ、その目は。ホントのことだろ。〈旧市街人アルター〉がゴミ漁ってるのをよく見かけるぜ。おまえだってやってんだろ、ゴミ漁り」

 〈新市街〉で生まれ育ち、街の有力者を父親に持つアントンは、そう言って取り巻きたちと笑いあう。

「アントン――!」

 あまりに酷い侮辱に、ミルフィーユが非難の声をあげた。怒りに任せてアントンに食ってかかる。

「黙って聞いてりゃ、いい加減なことばっかべらべらとっ。ハズがそんなことするわけないでしょ!」

「ミルフィー」

 熱くなって口角飛ばす相棒を、ヴァルトラントが抑えた。

 彼はアントンの姿がよく見えるように立ち上がると、鋭い光を放つ琥珀色の瞳でアントンの目をまっすぐ見据えた。そして落ち着いた声でゆっくりと発音しながら、クラスの「暴君」に挑んだ。

「彼女がどこに住んでるかなんて関係ない。ハズはハズ。そして俺にとって、大切なクラスメートの一人で、友達だ。俺は友達が困ってたら助けるし、侮辱されたら侮辱した奴が謝るまで赦さないよ」

 ヴァルトラントは微笑んだ。しかし目は笑っていない。

 これは「戦争」突入への猶予だ。いまひとこと「悪かった」と言えば赦す――と、その目は告げていた。

 もうすぐ次の授業が始まる。ここで戦端を開くと「校長室へ逆戻り」は確実だ。できればそれは避けたかったが、こうなった以上やむを得ない。ヴァルトラントは取っ組み合いになってでも、ハズリットに対してアントンに謝罪させるつもりだった。

 ヴァルトラントの決意を感じとったアントンは、その威圧感にわずかにたじろいだ。しかしクラスに君臨する最年長者が、こんなチビごときに屈するわけにはいかなかった。

 アントンはあくまで自分が優位であると誇示するつもりか、平静を装って話のすり替えを試みた。

「あー、はいはい。そんなキレイゴト言ってるけど、ホントはおまえ、ハズが好きなだけなんじゃないのかぁ?」

 何でも色恋沙汰に繋げたがる年頃の少年は、微妙にひきつったニヤニヤ笑いを浮かべた。

 一方ヴァルトラントは、思いも寄らぬ方向へ話が転んだことに虚を衝かれ、きょとんとなった。思わず怒りを忘れた少年は、二、三度目をぱちくりさせると、さも当たり前のことのように答える。

「好きだけど?」

 かくん――と、アントンの顎が落ちた。

 この答えは予想外だった。それはアントンだけでなく、この場にいる全員にとっても同じだ。

 ミルフィーユが丸い目をさらに丸くして親友を振り返る。

「ヴァルっ!?」

 そんな話は聞いてないとばかりに、親友の目を覗き込んだ。

 一発触発の展開に二人の少年を交互に見ていたハズリットも、思わずヴァルトラントに目を留めた。

 そこへ、俄かに言葉を失ってしまったクラスメートを代表して、ハーラルトがぽつりと呟く。

「こういうシチュエーションだと、普通、思いっきり否定するよな」

 その呟きに我に返ったアントンが、何度も大きく肯いた。

 しかしヴァルトラントにしてみれば、ギャラリーのそんな反応の方が不思議だった。彼は怪訝な顔をすると、言葉を継ぐ。

「どうして? 俺、クラスで嫌いな人いないもん。ミルフィーも好きだし、ハーラルトやキーファ、クロルも好き。そりゃ人それぞれ短所もあるけど、それ以上にいいところがいっぱいあるからね。もちろんアントンも嫌いじゃないよ。横暴だし一五になっても卒業できないけど、スポーツ万能で、いろんなスポーツ大会に参加して良い成績残してるのは、スゴイと思う。そのムキムキの筋肉もカッコイイよ。それと同じように、がんばり屋のハズを尊敬してる」

 クラスメートたちを、長所短所をひっくるめて好きだ、とヴァルトラントは説明した。

 これで級友たちは納得するはず。

 そう思って周囲を見回すが、なぜか級友たちの口は閉まるどころか、さらに大きくなっている。

「ありっ?」

 どこで間違ったのか解からず首を捻るヴァルトラントに、ハーラルトが突っ込んだ。

「『好き』の意味が、ちょーっと違うと思うぞ」

「え、意味って?」

「そりゃあ、おまえ――あ……」

 ハーラルトは解説しようと一旦口を開いたが、何かに思い至ったように言葉を呑み込んだ。そして数秒間考えをめぐらせてから、真剣な面持ちでヴァルトラントに告げた。

「――いや、気にするな。おまえは大人になっても、そのウブなままのおまえでいて欲しい。同世代に生きる男を代表して言っておく」

 そう言ってハーラルトは、将来いろいろな意味で「あの大佐」の跡を継ぐであろう少年の肩を叩いた。クラスの男子たちも、彼の言葉に賛同して大きく肯く。

 何事においても敵は少ない方がいい。恋愛競争も然り。

「えっ、何の話?」

 ますます解からなくなったヴァルトラントは、助けを求めて周囲を見回す。しかしほとんどが彼より年上になる級友たちは、ただ微苦笑を洩らすばかりで、戸惑う少年を救おうとはしなかった。

 自分一人が理解わかかっていないという状態に不安を覚えた少年は、なおも救済を求めて首を巡らせる。そして惹きつけられるように、すぐ後ろ脇に立っていたハズリットに目を留めた。

「ハズ?」

 ヴァルトラントのまっすぐな視線を受けた少女の眉が、驚いたように一瞬跳ね上がる。だが形のいい彼女の眉はすぐに歪められた。なぜか不機嫌な顔になると、アントンに向けた以上に鋭い視線を少年に突き刺した。そしてただひとこと、

「ばかっ!」

と言い捨てると、渡しそびれていたコートを少年の顔に投げつけ、部屋を飛び出していった。

「ハズっ!?」

 顔にまとわりつくコートを剥ぎ取ったヴァルトラントは、慌てて少女の姿を求めた。だが彼女はすでに消えてしまった後だ。廊下を駆ける足音が遠ざかっていく。

 ハズリットの消えた戸口を、彼女の足音が聞こえなくなるまで呆然と見ていた少年は、我に返るとゆっくり親友を振り返った。

「俺、怒らせるようなこと言った?」

 不安げに訊ねる。

「さあ?」

 ミルフィーユはすっ呆けた。その横でキーファとハーラルトが、意味深に目を見交わした。

 だが机の上に目を落としていたため、彼らの様子に気づかなかったヴァルトラントは、溜息とともに呟く。

「もしかして俺、彼女に嫌われてる?」

 だがその呟きは授業開始のチャイムに紛れ、誰の耳にも届かなかった。

 生徒たちが自分の席へ戻ろうと動く。ヴァルトラントも着席すると、もう一度深く息を吐いた。

「笑った顔、見てみたいのにな……」

 しかしその願いの叶う可能性は、かなり低そうである。

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