シュガーレス

白川ゆい

プロローグ

 温かいベッドの中から床に足を下ろすとひやりと冷たく全身の体温がそこから奪い取られるみたいな気がした。

 加湿器の音だけが響いている静かな部屋。こんな真夜中に起きているのは自分だけなんじゃないか、そんな気がしてくる。

 今までぬくぬくとしたベッドで眠っていたのに、こんな感傷的な気持ちになるのは寒いからだ。

 音を立てないように窓まで行く。窓は曇っていて素っ裸の自分が映った。その向こうには紺碧が広がる。

 窓が曇っているということは、この部屋の中も充分寒いと思えるのに外はもっと寒いのか。小さな好奇心が芽生えて窓の鍵に手を掛けた。


「……ちょっと。何怖いことしようとしてんの」


 ぬくぬくとベッドで眠っていたはずの壮太がその手を掴んでいた。布団から出ているのは目と手だけ。寒がりの壮太は私が素っ裸で歩いているのが信じられないようだ。


「外、寒いかなって」

「寒いに決まってんじゃん。さっき雪降ってたよ」

「うん」

「ほら、早く入りな」


 手を引かれて大人しく従う。外に出てみようなんてとんでもないことを思っていたのに、急に壮太のいる布団の中が魅力的に思えた。

 少しだけ布団を捲ってくれた壮太はベッドに入った私を抱き寄せると「冷たっ!」と私を叱った。壮太の足が絡まってくる。


「女の子は体冷やしちゃダメだよ」

「はい、お母さん」

「誰がお母さんだ。んっとに、突然ビックリするようなことするんだから」


 腕枕と、腰を抱くもう一つの腕と、絡まる足と、密着する胴体。セックスするより繋がっているような気持ちになるのはどうしてだろう。


「……何か当たってる」

「俺の中の内なる何かも目覚めたようだ」

「アホなの。明日も仕事でしょ」

「夜中に外出ようとしてた奴がよく言う」


 ちゅ、ちゅ、と額と頬に一つずつ。セックスしたい時の壮太の合図だ。


「っ、あ……」


 甘い声が出て慌てて口を手で抑える。もう何回セックスしたのか、はじめのうちは数えていたような気もするけれどもう覚えていない。

 きっと互いの体はもうほとんど知り尽くして、互いの前なら素っ裸で歩くのだって恥ずかしくもないのに。何故か、声を聞かれるのはどうも恥ずかしい。


「とも」


 手の中に甘い吐息が溜まっていく。壮太はその手を取り、指の先にキスを落とす。

 とも。それは友人が私を呼ぶ時と同じ呼び方。今まで付き合った人にそう呼ばれたことはない。

 特別を求めるのは男も女も同じ。もう友達ではないのだから、そう言って「智花」という呼び方に変わる。

 壮太は昔から私を「とも」と呼ぶ。出会った頃から、ずっと。


「とも……、もういい?」


 ドロドロに溶かされた身体は更なる甘い刺激を求めている。甘い瞳の中にギラギラとした獣みたいな欲情を見つけて嬉しくなる。

 私は今どんな顔をしているだろう。快感に蕩けた顔?それとも貪欲に求める壮太と同じような顔?……好きでたまらない人を受け入れる喜びに満ち溢れた顔?


「壮太……」


 好き。好き。好き。

 圧迫感に熱い息を漏らす。言えない言葉の代わりに。


「とも」


 友達。恋人。その境目はどこにあるんだろう。明確な言葉が必要なのか。

 壮太に「とも」と呼ばれている限り、私はきっとここから身動きできない。

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