29話 青くて、甘酸っぱくて

「倉實ちゃんって甘いものとか、好き?」

「どちらかといえば……?」

 

 今日の放課後はいつもと違う色をしているように見えた。

 席からは少し遠く、私のキャンバスにはアクセントのように添えられていた甘い甘い色が今日はいつもより近くて大きくて、鮮やかに映ったからなんだろう。

 

「じゃあどちらかじゃなくて、1%から100%くらいまでだったら?」

「60……くらい?」

「……どうして疑問形?」

 

 親がそういうものをあまり買ってこなかったからというのもあるし、私自身進んで手を伸ばすこともなかったからだと思う。それしかないのであれば食べるし、他にもあるのなら別に、という。あれ、そうなるともっと低いのでは?

 その答えは自分にしかわからないはずなのにどうしてか、私にもわからない。

 そしてわからないのはもうひとつ。

 指をいじりながらあっちを見たりこっちを見たり、少しうなって見せたりする月し…… 小白さんについて。頭を振れば振るほどそよぐストレートは尻尾を振っている子犬のよう。

 

「好き、だったらなにかあったの?」

 

 好きの一言でひときわおおきく揺れた髪はもう少しで当たってしまいそうなくらいに近くて、ついでに彼女も大きく踏み込んできて、私は一歩下がってみせる。

 

「一緒にお菓子を食べ、じゃなくて作りに行きたくて!」

「行きたくて、誘ってみよう?」

「そう!」

「食べるんじゃなくて、作るの?」

「そう!あいや、ちゃんと食べるよ?むしろそっちがメインディッシュ」

 

 メインもなにもないと思うけれど……。

 断る言葉も理由もどこを探しても見つからないし。いや、あってもそれを無視していただろう。一緒に行く気満々だもの、あの子。だったら、という言葉を忘れてない?

 行きたいとも行きたくないとも思わないので物は試し、作ったことはないけど行ってみるのも悪くない。

 

「ない頭を使うとやっぱり甘いものが欲しくなるものね」

 

 それが私の妥協点だった。

 

「今日は頑張っちゃおうかな。倉實ちゃんも来てくれるんだから」

「も?」

「も」

 

 いつも頑張って。という言葉は胸の奥にしまいつつも、消えては浮かぶそのふわふわした疑問は口に出てしまう。

 

「待たせちゃってるからそろそろ行こっか」

「え、えぇ。それで私以外にも誰」

「早く早く!」

「あ、う、うん」

 

 行動力のある人は羨ましいと思うけれど、あれはどちらかというと猪突猛進的な。それを可愛くしたようなもので、似ているようで似ていないようでよくわからないもののような気がする。

 子犬みたい……というよりかは人の姿をした子犬のようで、私はリードを引かれるままの飼い主みたい。飼ってもいないし飼いならすことなんてこともできないだろうけど。

 風を切って進む彼女からはかすかに甘酸っぱい、青い春の匂いがした。

 

 

 

 家庭科室の扉を開けると、この部屋に居る人の好きを詰め込んだ香りが手招きをしているように香りが雪崩れ込む。

 久しぶりに嗅ぐソレははじめこそ一歩退きたくなるけれど、そこからは手を引かれるままに進みだしてしまいそうな、魅惑的なものだった。

 それに心なしか暖かいそこは冷たく長い長い廊下を歩いてきた私たちにとっての安息の場所でもあって、ここに来ただけでも満足してしまいそう。

 

「ちょっと遅くない? って、今日は倉實ちゃんも来てくれたんだ!」

「あら、多蔦さんも?」

「前に誘われたときに楽しかったからね。そうそう。じゃーん!」

 

 制服の上に着たエプロンをつまみながら2回も3回も身体を傾けて見せる多蔦さんに思わず顔が綻んだ。

 小柄な彼女だからなのかひざ下まで覆われているカフェエプロンは制服と相まって楚々とした印象があり、ヒマワリのような彼女が今日は紫陽花のように見える。ごちそうさまでした。

 

「倉實ちゃんってお菓子とか作ったこと……ある?」

「お菓子と呼べるのは理科の授業で作ったアレくらいかしら」

「あぁ、アレね」

「アレってお菓子って言えるの?」

 

 ごもっともでございます。中途半端に見栄を張ろうとすると視線と思いやりが痛いので、多分もうやらない。

 

「どちらかというと実験だけど……倉實ちゃんらしいと言えばらしいよね」

「うん、たしかに」

 

 ふたりの中の私ってどうなっているの?それ本当に私?

 甘ければお菓子というわけでもないようで、積み上げられたレシピ本をペラペラとめくってみてもカルメ焼きなるものはやはり、どこにも載っていなかった。

 

「あ、ありがと」

 

 ペラペラとめくっているうちに彼女と似たようなエプロンを着せてくれて、おまけにかわいいちょうちょ結びまでしてくれた。これで晴れて私もパティシエの一員ね。なお、戦力になるかどうかは考えないものとする。

 小白さんと多蔦さんという珍しい組み合わせで始まったこの集まりは一体なんなのだろう。一員となったばかりの私にはわからない。そもそもあのふたりも特に何も考えてはいなさそう。楽しいから、おいしいから。それしかないけど、それがあるということは言われなくとも笑顔が語ってくれていた。

 

 


 適量。その言葉を今日ほど恨んだ日はないと思う。たぶんそんな日はこれからも来ないだろう。

 

「は、はじめてだったんだし、よくできてると思うよ!」

「うん。ちょっと膨らんでないだけできっとおいしいと思う」

 

 レシピ本の見るからに柔らかそうでお菓子好きのロマンで膨らんでいるマフィンと私のソレを見比べてみると、とても同じようなものを作ろうとしていたなんて考えられない。

 適量を誤り、少し気合を入れて混ぜてみた生地は混ぜすぎたりして、生まれた産物はまさに気持ちの空回りを表しているよう。

 そこに労いと気遣いのエッセンスを加えたとて、余計にみずぼらしくなるだけだった。

 

「こ、これは私が食べるから、ふたりはふたりで作ったものをいただいて?」

 

 不幸中の幸いはひとりでも食べきれそうなくらいの量しか作らなかったこと、ためしにひとつくわえてみてるとやはり、見た目通りの味だった。

 隣に並べることさえおこがましいような気もして早く平らげたい気持ちはあるけれど、水分が欲しくなるようなぱさぱさ加減になかなか喉を通らない。

 

「でも私、倉實ちゃんが作ったお菓子も食べたいな?」

「そうそう、みんなで食べようよ」

 

 制止の手は遅く、声も喉に残るソレが邪魔をしたせいで数歩遅かった。

 

「うん、おいしい」

「紅茶と合いそうだよね、これ」

 

 そう口々に感想が出ると私も自分を疑って手が伸びた。場所が変わっただけでいつもと変わらない会話を広げながら食べるそれは確かに、少しおいしいような錯覚があったり、なかったり。

 おいしいというよりかは、うれしいという気持ちがそこにはあったのかもしれない。ただ、頭を使い糖分の不足している今の私には、それらを区別できるような思考力も残されていない。

 

「また、作ってみようかな」

「うん! 月2くらいでやってるから、倉實ちゃんさえよければまた誘うよ」

「人が増えてくれるといろんなお菓子食べられておいしいし、楽しいし」

 

 十分な糖分を補給してから考え、気付いたことがあった。

 それはレシピ本にも書かれていないことで、ふたりが教えてくれたこと。

 ――誰かと食べるとおいしくなるなんてことはレシピ本には書かれていなくて、多分それは誰もが秘匿にしてきた最高のエッセンスなんだった、と。

 


 

 これはカフェインのせいなのだろうか。それとも、特別な時間を過ごしたことで気分が高揚している私自身のせいなのだろうか。

 色は落ち音は一定のリズムを刻んでいるように吐かれる寝息くらいしか聞こえないこの空間で、どうしようもなく眠れない自分が居る。例えるのならそれは遠足の前の日のような、今からでも出発してしまいたいと思えるくらい、期待に胸を膨らませて生まれた感情がいつまでもそこにあり続けているよう。

 とにかく身体を動かしたい気分だった。動かして何をしたいか、それはわからない。動かしたいというよりかは、じっとしていたくないのかもしれない。

 起こさぬようにとそっと床に足を置き、暗闇の中で微かに鈍く光るノブを頼りに足を進めてみる。

 逆にこの部屋の全員が目を覚まして付き合ってくれればいいのに。なんて自分勝手な願いをゴミ箱に捨ててからノブに手をかけると、無機質でこんな夜よりも冷たい感覚に腕を引かれる。

 

「秋の空は夏と比べてあまり賑やかではないが、風情がある。空が装いも変えるように、私たちも変える必要がある。この時期でも結構冷え込むんだ」

 

 前は逆だったようなきがする。季節は春で、その時は私が手を引いて、先輩が手を引かれて。ただ、感じる無機質な冷たさはあの時と変わっていないような気がした。

 手渡された上着を手に取り部屋を出ると、先輩もついてきた。

 

「先輩はお手洗いですか?」

「まあ、そんなところ」

「そのためだけに先輩も上着を?」

「ついでに可愛い後輩と星を見られるかもしれない。と思って」

 

 ついでに、ね。

 当たり前のようにお手洗いを素通りする先輩を見、少し吹き出してしまう。

 ちょうど良い機会だったのかもしれない。私にとっても、先輩にとっても。

 

「秋の星、教えてくださいよ」

「星だけでいいの?」

「ついでに話したいことがあれば、ぜひ」

「ついでに、ね」

 

 慣れた手つきで外に出て、堂々とふたり岬まで足を進めていく姿はまさに不良そのものだったろう。寒さのあまりポケットに手を入れているものだから余計に。

 

「夏は天の川、冬は派手な1等星。挟まれた秋の夜空は少し寂しいけど、ロマンがある。ペガスス、アンドロメダ、ペルセウス、カシオペヤ。本なんて開かなくても見上げるだけで、そこには物語がある」

 

 半端に叶ってしまった願いを聞き届けてくれたのは、いったいどの星だったんだろう。

 私と先輩、一夜限りの物語の行く末には一体どんな空が広がっているんだろう。

 物語が終わるまではどうか明けないでと、かつての語り手たちに願いを込めてから口を開いた。

 何光年先の星に届くまで、あとどれくらいかかるだろう。

 

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