22話 問Q「The Answer is.......」

 勉強も習い事も、なんだって頑張りました。なんだって我慢してきました。

 それが正解だと思っていたから、どんな問だったかはもう、記憶にありません。

 それが間違いだと気づいたのは、小学5年生の時でした。

 なんか嫌、お高く留まってる、近くにいるだけで誰かに比べられるから、嫌。一緒にいるだけで肩身が狭い。なんて、酷い言われ様。

 出る杭は打たれるとはよく言ったもの。

 クラスのためにと学級委員長に立候補したのも、今思えば悪手でした。役職の有無はわたしたちの違いを表面化しているみたいで、さらに孤立は広まりました。

 一歩踏み出すと誰かが数歩下がって、近ずこうすればするほどみんなが遠くに見えてしまって、たまらなく辛い数年でした。

 子供にとって学校とは、まさに世界そのものなのです。外の世界なんて知らないから、そこに居場所がないというだけで、息をすることさえ苦しくて、辛いのです。

 電車通学がしたいと言い、中学校は知人のいない離れた学校に行きました。

 誰でもわかるような嘘にも付き合ってくれた家族には、今も感謝しています。

 けれど、既に出る杭として打たれたわたしにはなにもなくて、役にも立たず、なにも面白味もない女の子に成り果てていたのです。

 傷つくのが嫌で、誰かのために何かしようとはあまり思わなくなりました。

 離れていくことが辛いのならはじめから近くにいなければいい。

 それが正解だと知っている。知っているはずなのに、もしかしてと思っていつも近づいて、傷つくのです。意志薄弱のわたしは結局のところ、独りになるという選択肢を選べなかったのです。

 こうしてわたしは間違い続けます。正解なんてわかっているのに。

 救いようのない人。


「こさん……」


 友達から逃げ、家族からも逃げここに来ました。たぶんわたしは、何かにすがりたかったのかもしれません。

 "ファミリア制度”

 わたしたちの意思には関係なく学校が友達を選び、作ってくれる制度。

 教室も寝室も同じ。少なくとも3年間友達である、ひとりじゃないという保証があるのはわたしにとって期限付きの、約束された救いのようでした。

 倉實さん、『それ』があなたでなくても最初はよかったの。

 3年間、一緒にいられたら誰でも良かった。

 けれど、だけれど、本当の意味での『友達』になろうって、あの言葉が本当にうれしくて、夢を見てしまって、差し伸べられた手をつい、握ってしまったのです。

 なのに、なにのわたしは、あんなことを……


「こさん……透子さん!」

「……っ」


 わたしをわたしの中から引き釣り出してくれたのは、彼女の声でした。

 声のする方に顔を向けると彼女であろう輪郭が、ぼんやりとわたしの目に映し出されました。


「どうして、泣いているの?」

「えっ……わたし、泣いて?」


 左頬に触れた熱はわたしからなにかを奪っていって、その軌跡を辿るように引かれた潤い越しに、わたしは涙していることを知りました。


「わ、たし、なんで、泣いて」


 日の落ちかけた廊下にはわたしの嗚咽だけが響きます。それを止めようにも、わたしはどうすることもできません。わたしのことなど気にもせず零れ落ちる涙を止めるすべなど、持ち合わせてはいないのです。


「ね、ねぇ透子さん。私、ちょっと休憩したいな。ここ、座っていこうよ」


 壁に背をつけ、ゆっくりと腰を下ろし、できるだけ彼女の脚に負担がかからないようにして、白亜の床へふたり座り込みます。差し込む落陽は場違いに冷え切ったわたしを少しずつ、暖めてくれました。


「疲れちゃったよね。生徒会のお仕事もあって、ダンスの練習もして、そうそう、それこそ本分である勉強もして」


 何も言えずただただ聞いていることしか、今はできません。


「それと、私の介助までしてくれて。それでもさ、透子さんは辛い顔ひとつ見せないで、がんばってたね」


 それは、すべてわたしが望んでやろうとしたことだもの。途中からは不安なんて考える余裕もないくらいに、動いていただけなのかもしれないけれど。

 時間が解決してくれるわけでもないのに、逃げ続けていただけなの。


「そんな透子さんを見てさ、私も早く追いつかなきゃって、透子さんと踊るために、ふさわしい私にならなきゃ、って。隣にいたのに遠目で見ていたのかもしれないわ」

「だから近くて遠くて、距離感がよくわからなくなっちゃって。実は今も、何を話したらよいのかちょっとわからなくて。ふふっ」


 自嘲気味に笑っている。

 つられてわたしもなぜだか笑ってしまいました。涙に濡れて嗚咽を交えながら笑って、忙しい。


「わた、しも。近づくほど、離れる時が辛くなって。今までがそうだったから、っ今回もそう、なのかななんて、内心では思ってて。近づかなければ、離れた時の辛さなんてわからないのに、やっぱり期待して、またわたしは間違い続けて」


 水平線を、地平線を曖昧にした夕日に充てられたせいなのでしょうか。それとも、誰かとふたりっきりだからなのか、彼女とふたりっきりだからなのか。

 溜め込んでいたそれらは濁流のように、瞳から、喉から、とめどなく流れ出ていくのです。

 知られたくないことならばわざわざ話す必要なんてない。昔がどうだったとか、本当のわたしはどうだとか。大切な人に対してなんて、尚更だと思います。

 いつか話す時が来る。そんなことをいう人もいるけれど、そのいつかは明日でも、永遠に来なくても良いんです。

 ならば今、わたしはいったい何をしているのでしょうか。

 わたしはわたしを晒して、一体彼女に何を求めているのでしょうか。

 わたしは――


「正解か間違いかなんて、視点が違えばいくらでもひっくり返るんだよ」


 やはり、受け入れてもらいたかったのかもしれません。


「透子さんはさ、私にしてくれたことを間違いって言うけれど、私はそうは思わない。嬉しかったもの。ただでさえ不安だったから、話しかけてもらえて、笑いかけてくれて、ファミリアになってくれて」


「ありがとう」


 にこやかにほほ笑む彼女の瞳は少し濡れていて、きらきら輝いていました。

 いえ、それだけではありません。高鳴る胸の鼓動は聞かれたくもないのに、それなのに、あと数センチの彼女との距離を、どうにかしてゼロにしてしまいたい。なんて考えてしまうのです。


「もう、離さないから。もう、迷わないから。あなたがしてくれたように今度は、私から」


 正解か不正解なんて考える余裕はありませんでした。気づいた時にはわたしの両手は彼女を包み、彼女もまた、何も言わず抱き寄せてくれました。

 お互いの涙が枯れたのを合図にまた、歩き始めました。

 わたしと彼女、ふたりの笑顔の間には、虹がかかっているようでした。

 


 収穫祭という名前を聞いた時、想像したのは農作業を延々と手伝わされる私の姿だった。

 実際は、収穫作業はは午前中で完了し、午後からは各部・各学年の催し物が披露され所謂文化祭的な色が強いイベントらしい。

 今日も今日とて、廊下にはたくさんの音が転がっている。けれど今日はいつもと違い、みんなどこか浮き立っている様子だ。それを遠目に見ながら教室でつらつらと筆を走らせる私もまた、浮き立っているひとりなのだけれど。

 しばらく筆を走らせていると、タッタッタと、急ぎ足のようで、けれど走っているようには思えなくらいの足音が、こちらに向かってきた。

 扉を開ける音は、それが待ちわびていた彼女の音だということを教えてくれた。


「ごめんなさい! 急なトラブルで少し遅れてしまったわ」

「そんなに急がなくてもよかったのに」


 緩やかな空気の流れる教室とは場違いに呼吸を乱す彼女を見て、笑ってしまった。

 筆を置き、机の中にそれをしまうと、彼女の手を取って教室を後にする。


「いこっか。透子」

「えぇ。礼」


 呼び慣れているようで呼び慣れていないその呼び方にはまだ違和感があるが、呼ぶたびに今の私達のカンケイを再確認できているみたいで、少し安心もする。


「何を読んでいたの?」

「読んでいたんじゃないわ。書いていたの」

「へぇ、どんなおはなし?」

「まあそのうち、教えてあげる」


 楽しみね。そう言う彼女の横で私は、これを書いている。


「えぇ、私もこれからどんなおはなしになっていくのか、楽しみ」


 私達は歩き出す。笑いながら、物語を紡ぎながら。


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