第16話

「必要……ってなんですか? 私たちが教えられてきた事は全て間違いだった。もしも壁の外が本当に人の生きられない世界だったなら、まだ仕方がないと思えたかも知れない。あんな残酷なやり方で人をフードに変えてしまう事も、もしそうしなければ都市の人間がみんな飢えて滅びてしまうというなら、もしかしたら、フードになる運命を最初から知って絶望するよりは、って、嘘を教えられたんだと思えるかも知れない。だけど! そんな事をしなくても、壁の外はこんなに気持ちがよくて、たくさんの人が充分に食べて生きていける所だった。いったい……何の為に、何の必要があって、私たちは壁の中であんな風に飼われて……そう、ケンが言うように、家畜のように、餌を与えられ、時が来たら肉にされる、そんな生き方を強制されなければならなかったんですか……?!」


 私は村長に向かって叫ぶように尋ねた。この人たちが私たちを助けてくれたのだ、責めるような言い方なんてもってのほかだと、判ってはいるのだけども、止められなかった。村長はそんな私に気分を害した風もなく、ただ痛ましげな顔つきで私を見つめていた。そして、落ち着いた口調で話し始めた。


「きみたちの苦しみを、ずっと想像してきた。あまりにもかけ離れているので、解る、なんて事は言わないが。……ここには、きみたちが与えられていたような娯楽や便利な暮らしはない。今日は天候に恵まれているが、暑い日寒い日、食料が不足する日だってある。幼子や病人以外は、自分の食べるものは自分で労働をして得るのが原則だ。コンピュータもないし映画もない。どこに行くにも自分の脚で歩くか馬に乗るしかない。きみたちが蔑んでいた、前時代の更に初期の、機械のない生活だ。だが、ここには自由がある。コミュニティの仲間に迷惑をかけない限り、自分の思うように生きていい。何かになれとかしろとかを強要される事は一切ない。他人やその持ち物をひどく損なわない限り、罰はないのだ。細かなルールに縛られて、そしてそれを当然の事と思い込まされている都市の暮らしとの一番の違いだ。我々には都市のような発達した文明はない。だが、自由がある。これが、人間が人間たり得る一番基本の事だと、我々は考えている」


「自由……」


 私たちはその言葉を繰り返して呟いた。センターの真実を知るまで、自分が自由ではないから幸福ではないなんて、考えた事もなかった。欲しいものは何でも手に入り、望む娯楽は個室にいながら味わえる。なにかを『欲しい』と思う感情そのものが管理されていたのだとは、知ってはいたけど不快ではなかった。その方が幸福なのだと教えられてきたから。快適な生活を与えられて、永遠の生があると信じ込まされて、私たちには、『自由』が大事なものだという認識がなかった。むしろ、自由なんてものがあったから、前時代は滅びたのだと……幸福に管理されて生きる事が、人類の完成された姿なのだと……信じて、いた……。


 そうだ、怒りをぶつけるべきは、センターよりも、自分たちの愚かさなのかも知れない。自分の頭で考える事を放棄し、無惨な死を宣告されてすら、センターの決定ならば仕方がないのだと諦めようとしていた市民……。


「私たちは、『幸福』『快適』である事が、『自由』より遙かに重要なものだと思っていた。『自由』があれば争いが起こり、それは地球を滅ぼすような戦争に繋がると教えられた。だけど、『自由』がいちばん大事なものだと言うの?」


「……確かに、『自由』は時に、諍いの種になる。考えの違う者同士が自由に振る舞えば、衝突が起こる。これは人間のさがだ。しかし、その争いが戦争に至るのを避ける為に、それまでに出来る事はたくさんある。そして、『文明』を捨てる事も終末戦争を回避する一つの道だ。人を殺す機械……そんなものさえなければ、地球を滅ぼす事もない。一度それを体験した人類……その中の我々は、『文明』を捨て、『自由』を得る道を採ったのだ」


 昨日の朝までの私なら、せせら笑っただろう。文明を捨てて原始的な生活をするなんて馬鹿げた事だと。センターに任せておけばいい。センターは『自由』よりも大事な『幸福』をくれる。全てをセンターに委ねさえすればいいのだと。


「『自由』と『幸福』は相反しない。自由であることが何よりもの幸福だと思う。きみたちも知った筈だ。死ねと言われても死なずに逃げる自由。たとえ結果が同じ死であったって、自由のある死とない死では幸福感が違う筈だと思う」


「……」


「済まない、話が逸れたね。まずは、我々ときみたちがなぜこんなに違ってしまったのかを説明しよう」


 村長はこほんと咳払いをした。


「はなし、ながそうだね」


 子どもの細い声がして、


「しっ」


 っと、大人の女が頭をこつんとする音が聞こえた。あれは、『他人を損なう』罰の対象にはならないのかな?


「彼らは親子なんだよ、リナ。親子……家族は他人ではない。勿論、過度な暴力は許されないが」


 私の疑問が聞こえたかのように、村長は苦笑して言った。親子? じゃあ、あの子どもはあの女性の性器から出て来たの? そんなの……気持ち悪い。


「リナ、それが人間の自然な姿なんだ。しかし今は話を進めよう。きみたちが生まれ育った、終末戦争後の核の冬から逃れる為のドーム。きみたちは、それが唯一無二の、地上に残った最後の楽園のように教えられただろう。しかし、そうではない。核の嵐を耐え抜いたシェルタードームは、当時、地球上に数百かもっと、存在した。きみたちが絶対だと信じ込まされてきたあの都市は、その中のひとつに過ぎない」


 村長は都市を指さした。半球に覆われた都市は夕闇に呑まれようとしている。そんなに遠くはない。だけど、もう脅威は感じない。都市を出た私たちをセンターは追っては来ない、と確信しているからだ。センターの方では、私たちは危険区域に出て行って無惨な死を遂げた、として処理されるだろう。外から見ると、あちこちにひびが入り、苔に覆われ、想像と違い全く美しくなかった。だけどもういい。私たちはあそこから解放された。


「数百のうちのひとつ?」


 と私は問い返した。


「そう。終末戦争の前に、各国は逃げ場を準備していた。勿論、全ての人間が収容された訳ではない。高価な『入場券』を買えなかった人間はドームの外で焼かれるしかなかった。だが、多くのドーム都市は生き延びた。当初は、互いに通信できていたが、やがて途絶えた。そこで、各ドームは、それぞれ独自の道を歩む事になったのだ」

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