第5話

 初めてセンターのフロントドアの前に立った私は緊張していた。ドアは黒い不透明なガラス張りで中は見えない。周囲には他にも、通知を受けたと思われる人々が集まりつつあった。25歳から50歳。40歳前くらいと思われる人が一番多い気がする。男女の比率は半々に見える。暫く待つと、フロントドアの上部の赤いランプが点滅し、中から誰かが出てきた。


「通知を受けてこられた方々ですね。そうでなくこの場におられる方は直ちに立ち去ってください」


 滑らかな、だが人間のものとは少し異なる女性の声。それは女性型アンドロイドだった。センターで働く者は皆アンドロイドなのだ。センターで育つ6年間は皆、この女性型アンドロイドに育てられた。個室はなく、薄暗い大部屋に並んだガラスケースの中に寝かされていた記憶をうっすらと思い出す。


「懐かしいなぁ」


 と誰かが言うのが聞こえた。


 立ち去る者はいない。皆、通知を受けた者だ。


「では、5列に並び、出頭命令書を提示し、人類番号をお伝えくださいませ」


 アンドロイドがそう言うと、フロントドアの両サイド、黒ガラスの壁面と思っていた凹凸のない部分が音もなく四カ所開いた。フロントドアを含めて五カ所の入り口の前に、私たちは殆ど無言のまま列を作る。皆、緊張しているようだ。でも悲壮感は勿論ない。どんな事が起こるのだろうとわくわくした表情の若者もいる。やがて私の番が来た。


「人類番号、WA-Oh76-k3692-y5271」


 名乗りながら通知書を見せると、ドアの内部に立っていた別のアンドロイドが通知書を受け取り、前の者に続いて前進するように言った。フロントは広くて装飾は一切ない。磨かれて一片の曇りもない黒い壁と床。黒い天井には赤いランプが点滅し、線になってそのまま、突き当たりの廊下の五カ所の入り口へ繋がっている。私は前の男性のすぐ後ろを歩いた。少しだけ、ここに誰か知人がいればよかったのに、と思った。


 長い廊下を歩いていくと、大きなホールに出た。フロントと同じように、ぴかぴかに磨き上げられてつるりと滑ってしまいそうな、真っ黒な壁と床と天井。広いホールの真ん中に、また女性型アンドロイドが立っている。全員がホールに入ったところで、背後の扉が音もなく閉まった。扉の凹凸はすぐに壁面に吸収され、どこから入ってきたのか、見てもまったくわからなくなった。


 アンドロイドはやけに愛想の良い響きを含んだ合成音声で言った。


「ではこれより皆様全員、下着を含む着衣も靴も全てお脱ぎ下さい」


 ざわめきが起こる。誰も予想していなかったこと。勿論私もだ。大勢の前で全裸になれという事。さすがに抵抗感がある。内容があまりにショッキングだったので、それ以外にも何か違和感を覚えたが、それが何なのかその時すぐには気づかなかった。


「どうしてですか? 必要なのですか?」


 一人の女性がアンドロイドに質問した。私と同じくらいの年齢のようだ。しかしアンドロイドは相変わらず丁寧な声音で笑みさえ浮かべながら言った。


「こちらでは質問は許可されておりません。5分以内に行動を終了して下さい」


 だが女性はなかなか気の強い性格らしく、納得出来ない様子でアンドロイドに詰め寄る。


「あなた、管理機構のアンドロイドでしょう?! 人間に奉仕する為の存在の癖に、説明もしないとはどういう事なの? 管理機構は私たちの為に……」


「先程通知書が提出された時点で皆様の人類番号は抹消されました。管理機構は最早皆様を人類と認識しておりません。直ちに指示を実行なさって下さい」


 作られた笑顔を貼り付けたままのアンドロイドの言葉は私たちの胸に刃のように刺さり、広いホールは重い沈黙で満たされた。私は違和感の正体に気づいた。玄関前のアンドロイドは、今まで仕事上で接した事のあるアンドロイドと同様、形式張ってはいたが、服従を示す態度を示していた。それに対して、こちらのアンドロイドは、見かけだけはやたら愛想が良いが、私たちを人間として捉えず、命令に沿って動かすべき単なる集合体としてしか見ていないのだ。『新しい肉体をもらえる』そんな期待感が急激に萎んできた。皆が同じ気分を抱いているのが、見知らぬ同士でもすぐに解る。私たちはもう、人間じゃなくなってしまった。管理機構の保護下から離れてしまったのだ。それは今まで味わった事もない、途方もなく大きな不安だった。感情の起伏に乏しい私たちが味わう、初めての不安。でも、反発には至らなかった。反抗心は、不安や恐怖より、もっと徹底的に除去されている。


「大丈夫、一時的な事だ、また新しい人類番号を貰えるんだから」


 私の近くにいた40代と思われる男性が周りに呼びかけるように言った。それで私たちは我に返った。そうだ、センターが私たちに悪い事をする訳がない。どうせ記憶は失うのだから、恥ずかしがっても仕方がない。清浄化に衣服は邪魔なのだろう。そう思った私たちは、急いで服を脱ぎ始めた。


 裸足になると、硬い床の感触が冷たく伝わってきた。空調がされているので寒くはない。靴や靴下まで脱いだのも、滑って転ばないようにする為なのかも知れない、と私は呑気に考えた。


 やがて、ホールには25歳から50歳までの全裸の男女数百人が並ぶ事になった。恥ずかしがって俯く女性もいれば、物珍しそうに周囲を見回している若い男性もいる。私は俯いたふりをしながらも、ちらちらと周りを眺めた。他人の裸体をこんなにたくさん間近に見られる、という状況に、単純に興味をひかれたからだ。右隣の若者の男性器をしげしげと見ていると、アンドロイドが皆に向かって言った。


「では、これより、清浄化についての説明を行います」


 皆がはっとして一斉にアンドロイドへ視線を向ける。裸などに構っていられない、大事な話だ。録音されたテープが流れるように、アンドロイドは流暢に話し出す。


「人類管理機構は、人類の安全保護管理を一括して行う、人類存続の為の機構でございます。皆様方もこれまで、管理機構にとって、保護・管理すべき重要な人類の一員として、都市で大切に護られて暮らしてこられました。皆様方は、管理機構から様々な恩恵を受けてこられました。壁の外では生きられない皆様方を管理機構は庇護し、あらゆる娯楽を供与し、それによって、過去の時代にはなかったような素晴らしい生活を送って頂けた筈です。ゆえに、今度は皆様方に、清浄化によって管理機構へ、これまでの借りを返して頂きます。都市の全ての人間の保護・管理をより一層充実させ、素晴らしい生活を送って頂く為に、皆様方が真に役立つ時が来たのです。どうぞお喜び下さいませ」


 『借りを返してもらう』という言葉の具体性のなさが私たちを再び不安にさせる。


「あ……あの! 私たちはこの肉体を捨てて、新しい肉体を頂けるんですよね?」


 甲高い声で誰かが言った。アンドロイドは今度は質問を咎めなかった。


「ご心配なさらないで下さい。新しい肉体は、既に地下の人類製造課において準備が整ってございます」


 ほう、と安堵の溜息が複数聞こえてきた。


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