取引


 ゴミ捨て場に行けばまたあの時みたいに。

 そこにお家と女の子とが隠れていて。


 僕らはまた幸せに暮らせるのだと、そう思っていた。


 * * *


「起きたか」


 ……誰。

 起き抜けの寝ぼけた自分の頬をふにふにしてくる男が一人。その奥に見慣れぬ天井。――天井?

 ん?

 その瞬間(自称)知能指数100ぐらいの少年の頭がフル回転。現状を瞬時に判断、自分の上に重なるようにして男が陣取っているのに気が付いてしまった。

「……!!」

「そろそろ起きるかなって思ってさ。だからこうして待っ」

「ヘンタアアアアアアアアアアアアイ!!」


 ゴキッッ!!

 ▶小沢氏の 大事な 部分に 大ダメージ!!


 イダアアアアアアアアアアアアアイ!!


 絶叫が明治街中に響き渡った。


 * * *


「助けて! 助けて!! 誘拐された!!」

「ちょいちょいちょい! 落ち着け!!」

 慌てて逃げ出そうとする身寄りのない少年の腹をきつく抱き、何とか逃走を妨害する。それに少年は爪を立て立て抵抗する。

「放せ、放せっての!! 誰かああああ!!」

「誤解を生みかねない事言わんでくれ! 誘拐じゃなくって保護だから!!」

「きああああああ!!」

「ちょい、聞けよ! 誘拐ならこんなに自由にはさせとかねぇだろ! 家の鍵も全開な訳ねぇし!!」

 その瞬間、少年の動きがぴたっと止まる。

 確かに。カーテンも全開だし何なら換気の為に窓も全開だし、玄関扉のチェーンもかかってない――というかチェーンが中に見えている時点で監禁ではない。自分に拘束具も付いていない。至って自由だ。

 何より柔らかいベッドの上で目覚めたのが一番の証拠。新しい服を着せられ、体も綺麗だし、お腹も程よく満たされている。

 ふむふむなるほどなるほど。色々を確認した結果、どんどん心が落ち着いて……きたと思ったら大間違いだ!

「っしゃーオラァ! 目が緑の人の言うことなんて今更信用できるかぁ、このやろー!!」

「っは、はあ!? そ、そーゆーアンタは目が真っ白じゃねぇか! だけど俺は助けたねー、もっと感謝して欲しいねー!」

「こ、これは結果論なの!」

「じゃあこっちは遺伝学だしー。体の特徴をわざわざ引っこ抜いて色々ごたごた言われたくないですー」

「え、そ、そうだけど……でも常識的に考えてエメラルドグリーンの瞳の人は機械人形なわけで……」

 言いかけて途中、ハッとした。


『君だけは五百年程前の時代に送ろうと思ってね』


 真逆。

「今何年! ねえ、いつ!!」

「ぇあ、2XXX……」

 青ざめ、反射的に外へ飛び出そうとした。

「あ、おい! 待て!」

 慌ててその腕を掴み、少年の体を引き寄せようとする。が、少年の決意の抵抗は何よりも固く、苦戦した。

「放せ、放してくれ! HONERが、HONERが!」

「んなっ、何だ、その誠心誠意がどーした」

「どーしたもこーしたも……HONERが、HONERが!」

「ちょ、お、落ち着けったら! じゃないと――ア!」

 言いかけたが既に遅かった。病み上がりの体がふらついて膝からがっくりと頽れる。慌てて抱きとめたが、一歩遅ければ頭を強く打っていたかもしれない。

「ほら、言ったじゃねぇか。……回復したとはいえ何日も眠っていたんだ、いきなり動き出そうとすれば体が悲鳴をあげるんだぞ? な?」

「……でも、僕は」

「でもじゃない、肩貸せ。歩けるか?」

 支えになろうと差し出してきた手を思わず振り払う。そうしてベッドの影に隠れるように移動してそこでちっちゃく体操座りをしてしまった。膝に顔を埋めて黙り込み、心を開く気配が微塵も感じられない。

(こりゃ大変だぞ)

 頭をかきかき、ちょっと息を吐いてから彼に改めて近付いた。

「な、少年」

「来ないで。もう僕なんてダメだ」

「誰が決めたんだ?」

「僕がいると皆を不幸にしてしまう。完全に治ったら出ていくからアンタも僕を放っておいて」

「やだよ、折角ここまで回復できたのに、今更見捨てるなんて」

「でもアンタを殺してしまう」

「それはどうかな」

「そうに決まってる!」

 突然叫ぶように言われたその迫力にちょっと驚く。

「……僕に近付くな。皆殺してしまうんだ」

「……」

「カイも木霊も僕のせいで人間じゃなくなった。匿ってくれた人達も皆死なせてしまったし、妹さえ守ることはできなかった……僕は無能だ」

「そんな訳はないさ」

「やめて!」

 頭を撫でてやろうと手を近付けたけれど今度は腕を掴まれ、全力で拒否されてしまった。相当過酷な体験を強いられたのだ。この警戒心、まるで野良猫のようではないか。

「もう僕は誰も殺したくない! 誰も不幸な目に遭わせたくない!」

「……」

「お願いだからあっち行ってて! 僕に構わないで」

「……」

「死なせて……」

 か細い声で最後に言ったその言葉に胸が締め付けられるような思いだった。どうして、どうしてこんな年端もいかぬ子がこんな言葉を漏らさねばならぬのだ。自分はこの子の何倍、否、下手したら何十倍以上ものうのうと生きているというのに。

 こういう時、教育者たる杉田なら何と声をかけるだろうか。腕を取るなり何なりして熱く語り掛けるだろうか。それとも抱き締めてやったりするのだろうか。寄り添うだけだろうか。ドラマみたいにビンタでも食らわすか。分からない……。

 嗚呼、こんな時。こんな時だからこそ、どうすれば良いというマニュアルがありさえすればとこんなに思ったこともない。しかしそれさえも自分の責任なのだ。この子を生かすも殺すも、全て自分のたなごころの上での話なのだ。一度引き取り、杉田も言いくるめた。それは何も生半可な覚悟の上で言ったことではない。

 そうだ。

 俺は、この子を幸せにしなければならない。


「なあ、少年」


 そう思った時にはもう口を突いて出てきていた。


「本気で言っているのか?」


 壁に手をつき、彼を見下ろすようにして囁くように言った。

「え?」

「俺がアンタのせいで死ぬってさ。本気で思ってんの?」

 その異様とも取れる怜の態度に少年の顔がふとこちらを見た。こちらを興味と怯えの混じった白濁の瞳でじっと見つめる。揺れ、震えるそれを真っ直ぐに見つめ返し、なるべく挑発的になるように言う。


「じゃあ俺を殺してみろよ。その代わり俺も手加減しねぇからさ」


 ランランと光るエメラルドグリーン、逆光により顔を覆う様に埋め尽くす影。

 少年の額を汗がじっとり通り抜ける。


 * * *


「な、何言ってんの? 頭おかしいんじゃないの!?」

 怯えながらもちゃんと強がるあたり、男の子だ。心で思いながら目の前の光景を楽しむ。

「まあ、もう狂っちまったね。とっくの昔に」

 ニタリと笑んだまま懐からナガン改を取り出し、そのまま銃口を少年の額に押し付ける。

 少年の顔が分かりやすく青ざめ、目尻に涙が浮かんだ。

「ヒッ」

「ほら。やれるもんならやってみろ。殺せるか?」

 撃鉄もこれ見よがしに起こしてやる。そこまですると流石に命の危険を感じたか、腕を払いのけてきた。

「うわああああ!」

 先程まで衰弱しきっていた人とは思えんな!

 急所を真っ先に狙うその手には迷いが無い。なるほど、一定の戦闘も経験してきたのだろう。しかし所々に見え隠れする「粗」がその洗練度を表している。訓練を受けた者ではない、そういうことだ。

 怜の腕の振りを転がり避けた先に落ちていたカッターナイフを胸の前で構え、突き出す。

 少年、必死の抵抗。

「本当、アンタ訳分かんないんだよ! マジで!」

「褒め言葉だねぇ」

「狂人!」

「ったりめぇでしょ。変人じゃなきゃこの人生やってけないのよ」

「ぐ……ウワアアア!」

 目を瞑り、こちら目がけて鈍い色の刃を閃かせ突っ込んでくる。対して怜、緩く構えつつ刃から目も離さず、直後、振るった手刀でカッターナイフを払った。

 一撃。

 弧を描きながら外側に向かって飛ぶナイフに目を白黒させる少年。急には止まれないその足をめいいっぱい使って急停止を試みるが上手くいかなかった。

(殺される……!)

 自分の腕を掴まれた瞬間、マジでヤバイと思った。

 目を閉じ覚悟した。頭だけでも守らねばと、手で反射的に自分の体を守る。

 その時だった。


 ――、――。


「ほーら、捕まえた」


 気付くと抱き上げられていた。

「え? え? え??」

 頭をふわふわ撫でる大きな手が先程までの彼とは思えぬほど優しい。

 動悸が物凄いこの胸の痛みを僕はどうすれば良いの。

 突然の安堵と、どっきりだったかもしれないこの戦闘への驚きと、現状への混乱とが彼の頭を占拠する。

 この瞬間を怜は待ち構えていたのだ。

「ほれぇ、俺を殺そうなんざ十年早いのよ! 殺せるもんなら運命でも何でも殺してみやがれってね! はっはっは!」

「ひぃ、ひぃ」

 戦闘明けの過呼吸をなだめるように背中を叩く。

「だから言ったろ? そんな訳はないってさ。おいさん、人に殺されるにはちょっと……どころか、かなり強過ぎるわけ」

「……」

「それはこうやって身をもって体験したわけだろ」

「……」

 緊張で力の入っていた少年の体が徐々にほぐれていく。心まで通ったわけではないだろうが、この重みがどこか嬉しかった。

「な、怖かったか?」

「……誰のせいだと思ってんの」

「咄嗟に身を守ったろう」

「……」

「それが生きるってことだよ。まだお前が死ぬには早過ぎるってこった」

「……」

「実際に命のやりとりをしてみなけりゃ、自分の命の重みは分からないもんだ。死ぬって言うのは簡単だがなぁ、実際に死にそうになると深淵に眠る本心が暴かれるってわけだ。本当に死ぬかどうかはそこで問うてから決めにゃあならん」

「……」

「まだ覚悟が足りなかったな」

 子どもをあやすように揺らしながらベッドに座る。頬ずりとかされると髭がちくちく痛かった。

「……とても怖かった」

 暫くして少年がぽつぽつ言い出す。その内容に思わず苦笑い。

「だろう。おいさん、馬鹿みたいにつおいからな」

「……自分で自分を褒め過ぎ。頭おかしいし、初対面の子どもにすることでもないし」

「へへ、照れるやい」

「褒めてないから」

「そう?」

「独特過ぎるんだよ」

「そうかなぁ。おじさん、これしか思いつかなくってね」

「友達いないでしょ」

「それがねぇーいるんですよー」

「嘘だ」

「いるよ。がっつりいるよ」

 くすっと笑った。まだその顔を見せてはくれないが、少し打ち解けたかな。

 ここで少年の体を少し離してその顔を覗き込む。

「な、だからさ、少年。ちょっと話」

「何……?」


「俺に命を預けてみない? 俺、ただでは死なねぇからさ」


「……」

「君が何に怯えているか、何に悲しんでいるのか、苦しんでいるのか……俺は初心者だからよく分からん」

「……」

「だが付き合っていく内に分かってくるんじゃねぇかな? とは思ってる」

「そうかな」

「そうともさ! 少なくとも君が『HONER』と呼ぶ何かについて大変苦心しているであろうことだけはよく分かった」

 目に見えて動揺を露わにする。自分の内側を暴露されるのに、そして自分を大切にされることに慣れていないのだろう。推測でしかないが、見ただけで何となく分かる。

「だから俺とビジネスで取引しよう」

「ビジネス?」

「そう。単に扶養とかだとお前も肩身が狭いだろ」

「……そう見える?」

「そう見える。ここに申し訳ないって書いてある」

 慌てて指されたほっぺたを触って確認。

「ただの例えだよ」

 こつんと頭頂部に軽くげんこつを落とされた。

「だからお前は俺の養う分だけ還元して、俺はそれで食い扶持を繋ぐ。win-winってこと、どう?」

「で、でもそんなの、どうやって」

「大丈夫だよ、奴隷みたいなの想像してるかもしらんが……悪いがそんな趣味は無いし、法外なこともさせる気はない。――っていうか俺の職業は信頼第一、そんなことしたら逆に地獄行き。これなら安心?」

「……」

 それでも不安げな彼の顎をふと持ち上げた。

 妖しく笑む男が口元を湿らせる。


「俺はな、情報屋なんだ。よってアンタに物凄く興味がある」


 その瞬間バシッと腕を払われる。

「かッ、体でなんか支払わないよ!」

「ちょ、お前、その年でなんちゅーこと覚えとんじゃ!!」

「ヘンタイオヤジ!」

「ヘンタイじゃない! ――じゃなくて!」

 ここらで首を勢いよく振って話を元に戻す。

「じゃなくて! アンタの過去とか諸々、様々な情報をくれたならば俺はそれに対して更に還元していくってこと! 分かる?」

「還元?」

「そ」

「例えばどんな」

「例えばって言われても……それはお応え次第だから何とも言えんな」

「じゃあ、嘘なんじゃん」

「嘘じゃねぇよ! だから、その、例えばアンタが一番望むものを若しかしたら与えてやれるかもしれねぇってことさ!」

「……、何でも?」

「そりゃ分からんさ。お前さんがどれだけ俺の肥やしを溜めてくれるかにもよるだろう。もしも余りに価値が無いと判断されれば互いにそれまでだ」

「……」

「だがそれ相応の物を提供してくれたなら運命だってひっくり返してやろう」

「運命?」

「神域内特級秘匿物、運命の書に干渉する」

 目がまん丸く見開かれる。

「そしたら……そしたら人も生き返る!?」

「ま、場合によるがな。因みに成功率は今の所ゼロ」

「ゼロ!?」

「だがそれはあくまで過去の話。未来はどうなるか分からん」

「……」

「故に、相当の対価が必要になる。後は君がそこまで辿り着けるかどうか? そんな所だな」

 少年の揺れていた瞳が徐々に定まっていく。


「さあ、決めな。少年」


 すっと差し出されたのは契約書。彼が普段仕事で使っている物で、この紙への記名は即ち「彼のお得意様」への昇格を意味する。


「運命を、変えるか。変えないか」


 * * *


 それからちょっとして。


「LIAR、だな」


「よろしく、LIAR。今日から君は俺のお客だ」


 余りにヘンテコなこの関係はこうして始まることとなった。

(つづく)

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