不審点

 ビルと名は冠しているがその実態は何でもない三階建てマンションである。その屋上で悲劇が起きた。

 唯一の目撃者はその一階で警備員をしている男性である。

「すみません、明治街警察署の者です」

「こんにちは」

 警備室の小さな鉄のドアをノックして中に入る。

 彼は本物と寸分違わぬ精巧な偽物にまんまと騙された。

「おや、お久し振りです」

「その節はどうも」

 丁寧にお辞儀し合う二人を真似て先輩の後ろで小さく丁寧なお辞儀をする千恵。そのいたいけな後ろ姿から海生の目が離れない。

「鼻栓しとけよ」

「煩い」

 このやり取りは相変わらずだ。

「それで、警察の方が何の用でしょうか」

「『姿無き殺人』の件なのですがもう一度証拠の映像を見せて頂きたいのです」

「あれ、それは解決したのでは無かったのですか?」

 彼の素朴な疑問に武の心臓がどきりと跳ねる。――そうだ。世間一般ではそういう事になっているのだ。

「そ、それでも、その……」

「……?」

 相手に全く悪気が無い。そしてこちら側の脳みそがちょっと足りない。

 武も剛に負けず劣らず実直ド真面目バカ正直である。咄嗟の嘘や知略がどうも苦手である。

「あ、と……」

「僕がお願いしたんです」

 そこに海生が飛び込んできた。

「海生!?」

「何ですか? 君は」

「容疑者のルームメイトです。――あいつが犯人だなんて、やっぱり納得がいかなくて、それで絶対的な証拠が無いのなら引き下がらないって無理言って再調査してもらう事になって、それで、それで……! とッ、兎に角! あいつが犯人じゃないって証明したいんです! お願いします! 言っても分かってもらえないかもしれないけれど……! この人達は少なくとも分かってくれた……! だから!」

 目を潤ませて必死に頭を下げる海生。迫真の演技が光る。

「なるほど」

 年頃の息子でも居るのだろうか。こちらにもすっかり騙され、彼につられて涙をそっと拭いた。犯罪の予備的防止のスペシャリストは同時に犯罪のスペシャリストでもあると言う事実を我々は忘れてはならない。

「ご協力願えますか? 令状の発行はされていませんので断ることは可能です」

「いえ、それで私に不都合が起こるわけでもありませんし、何よりそこの少年の願いを私が叶えたいようにも思う」

「ありがとうございます……!」

 警備員の手を取ってまた涙を落とす海生。将来は役者だ。

「しかし何度も見てもらっているように映像から不可解だ。ここから新たな証拠が絞り出せるかどうか」

「そこに関してはご安心下さい。映像解析の得意な者を連れて参りました」

「そうですか、それは心強いですね」

 相手の反応を見てから後ろに合図を送る。

「どもっす」

 大げさなコンピュータを携帯した我らが副委員長がぎこちなく会釈をしながら入ってきた。

 机に乗せるとドシンという音がする。その本格的な雰囲気に思わずたじろぐ。

「すごい機械ですね」

「ちょっと映像の加工をされていても困りますから、特別製のヤツでそれを見ます。普通ならノーパソで何でも出来るんですけど」

「はぁ」

 雑に喋っているのに専門用語が飛び出したりするものだから逆に分からない。

 取り敢えず考える事をやめて警備員は映像の記録してあるディスクを修平に渡した。

 読み込み、慣れた手つきで映像を高画質に加工。再生を開始する。


 屋上に出て来た一人の男。防犯カメラの映像なので音声は無いが、誰かと喋っているように見える。


「明らかな加工ありだな、これ」

「違いないね」

 小声で修平と海生が会話する。

 一人で喋るには余りに不自然すぎる挙動である。

「でもこんなに分かりやすい不自然にあの人気付かなかったって事でしょ」

「口止めか、あるいは……」

「……」

 そこで押し黙る二人をよそに千恵が大きな声でぽつんと言う。こういう所がありがたいやらありがたくないやらである。

「この人誰と喋っているんでしょうか?」

「ん? お嬢さんはこれを見るのは初めてなのかい?」

「はい! この日をわくわくしながら待ってまし――モガッ!!」

 またいらん事を言いそうになる千恵の口を修平が慌てて押さえる。

「え?」

「ま、前この事件を担当してた部署はこの少年の話を聞かなかったものですから我々が来ることになりまして。いや、俺は確認してたんですけどこいつは入ったばかりの新人なもんですから、見てなかったのはある意味当然ですな、わはは」

「なるほど?」

 少々無理のある嘘だったが何とかなった――と思いたい。

「とはいえ、やはりここ、変ですよね。私もでこれを見た時、狂人か? と思ってこの画面に釘付けになりましたよ」

 リアルタイム?

 この一人芝居は後付け設定では無いのだと言う。――いや、考えてみればそうだ。「透明人間」とかいう奇怪極まりない存在にゼロ距離射撃なんて光景は普通に眺めていれば、気付くのはコンマ何秒かはどうしたって遅れるものである。それに普通は透明人間に撃ち抜かれたなんていうのは(例えここがオカルト現象発生数世界一だとしても)想像の外にある考えである。――日常的にSFファンタジーとか考えているのなら別かもしれないが。

 いきなり視界の隅でおかしな挙動で倒れられたらまずは心臓の発作などを疑うものだ。撃たれたと分かったのはそこを凝視していたからだというのは凡そ間違いない事実であろう。

「……」


 そのまま視聴を続ける。

 どこまでも一人芝居のような発話を暫く続けた後、突然。

 ガクン!

 心臓発作とも違う、卒倒とも少し違う。

 顎を反動で少し上げる、倫太の姿が映った。

 後頭部から花のように血潮がぱっと舞う。

「ヒャッ!」

 武の後ろに思わず千恵が隠れた。

 思わず一時停止をする。――これが犯行の瞬間であろう。このシーンだけ切り取れば遠くから狙撃されたようにも見えるが、射撃した際の大体の距離は実は遺体の傷の様子から分かったりする。ゼロ距離射撃の際に出来る銃創を「接射創」というが、彼の遺体にこれが現れていた。(接射創の画像を調べるのは個人的にはおすすめしない)

 その傷の形等からどれ位の身長の人物がどの程度彼に銃口を押し付けたか等といった情報を得ることが出来るが……。

「接射創から犯人の特徴は割り出せたんですか」

「考え得るに凡そ170センチ位の身長の人物ではないかとの事で」

「押し付け方とかは」

「この動画にもあったように強く押し付けることなく、瞬間的にやったものだと……」

 質問攻めにする裏サイトグループメンバーに警備員はもうたじたじである。

「剛の身長ってどれ位だっけ」

 修平がそれとなく聞く。

「僕よりもずっと高い。20センチ以上は確実にある」

「お前は?」

「……言わなきゃだめ?」

「言え」

「……165」

「すると低くても185か。――170と言い切るには無理がないか?」

「「……!」」

 一同が息を呑む。

「そんな奴を容疑者ってやっぱおかしいだろ!」

「でもそうすると一つ不審点が」

「……」

 そう。こんな不自然な事、

 こんな矛盾しかない証拠が証拠として成り立っていたのは警察が横暴に振舞えていた時代の話だ。今では御法度ものの案件である。

「そういや大輝アイツの身長は俺より少し高い位だぞ」

「何センチ?」

「この空気感で察しろよ」

「何センチ」

「……168」

「どんぐりの背比べだ」

「うるせぇ!! 今は関係ねぇだろ、その話!!」

 こういう時でもやり返すことは忘れない。これが毒舌海生の生態である。

「そうすると……」

 ――大輝の身長は170センチ程度。

 この一致は偶然か、必然か。

「とはいえ。26歳~29歳の平均身長は約170センチだからな……決まったわけではない」

「……」

 胸のもやくやが晴れない。

「それで、この後警備員が出て来るわけだよね」


 動画を再生する。

 倒れた倫太を映したそのまま何十秒かが経過する。

 海生が数える。

「1、2、3……」

 45秒経過。

 ドアが荒々しく開き、警備員が飛び込んでくる。

 そして被害者の安否を慌ただしく確認する。


「ちょっと待って」

 ――と、ここで海生が目を見開いたまま動画を一時停止する。

「な、何だ」


「警備員の額に何か付いてる」

「ん?」


 そこにはうっすらと直径二センチ程度の円い痕が。


「何だこれ?」

「……」

 海生が映像を凝視したまま、静かにつばを飲み込む。

(つづく)

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