20

 その黄金の瞳は見る者を威圧し、全身を覆う闇色の鱗は全ての生物に本能的な恐怖を植え付ける。天を衝く程の長大な体の蛇龍、それこそが魔神・千魂蛇龍の姿だ。

 だが今、その魔神は死神の鎌で幾度となく斬りつけられ、少しづつ動きを鈍らせていた。

 ポセードは冷静に魔神の姿を観察する。戦局はこちらが有利、恐らくもう何度かの攻撃で仕留めることができるだろう。そう思っていた最中、信じがたいことが起こった。

 黒蛇の体に刻まれた傷が塞がり始め、魔神の動きが俊敏さを取り戻す。

「これは」

 魔神の様子が変わったことでポセードは何が起きたのか悟る。

「妾がいない間に、千魂蛇龍を可愛がってくれたようじゃないか」

 聞き覚えのある声、そちらに振り向くと黒いドレスを纏ったリンネが立っていた。

「お前は!」

 ポセードの視線が険しくなる。

 紗雪から聞き出した情報によれば魔女はシムルグの力で眠りについていた筈。

 それが蘇ったことで魔神も本来の力を取り戻したのだろう。

 魔女が目覚めたのは幸平の仕業か。幸平ならいずれシムルグの力を引き出し、眠った人達を目覚めさせるだろうと予測してはいたが早すぎる。

 せめて魔神を倒してからにして欲しかったものだとポセードは内心で毒づいた。

 ポセードの顔を見て魔女は何かに気づいたように口を開く。

「ほう、誰かと思えばあの時の洟垂れ小僧か」

 ポセードはその言葉に氷のように冷たい視線を返す。

「俺の顔を覚えていたか。なら俺が貴様を憎む理由もわかるだろう、魔女よ」

 それを聞き魔女は愉快そうにクククと笑った。

「心当たりが多すぎて困るな。お前の父親を殺したことか? それとも母親の体を奪い取ろうとしたことか、それとも」

 胸に手を当て、魔女は邪悪に笑う。

「こうしてお前の妹の体を乗っ取ったことかな? なあ、涼風恭介」

 魔女の挑発に対し、ポセードは片手を上げて死神に指示を送る。

「この十年、魔神を殺し貴様を滅ぼす為の方法をずっと探してきた。そして俺が手に入れた答えがこのハロス・スィオピだ」

 伝承に伝わる魔神はどんな攻撃を受けても即座に再生し、人類には殺すことができないと言われた。恐らく先程見た再生能力がそれだろう。魔女が復活したことにより魔神も不死性を取り戻したのだ。

 ならばポセードのとる手はひとつ。ハロス・スィオピの最終能力を使うしかない。

 死神が空を飛び、その大鎌で空中を切り裂く。

 すると空間に切れ目が入り、そこから深遠なる闇の世界が顔を覗かせた。

 そして空の裂け目から巨大な引力が生まれ、魔神の体を吸収しようとする。

「ほう、これは」

 興味深そうに魔女はニヤリと笑う。そんな彼女にポセードは冷たい言葉を突き付けた。

「この穴は死者の世界と繋がっている。魔神の体が如何に不死であろうと、その体ごと冥府へ送ってやる!」

「面白い、ならば力比べといこう! 千魂蛇龍!」

 魔神の口から古代文字が吐き出され、ポセードを襲う。

 魔女は嬉々としてその力の恐ろしさを語り始めた。

「こいつの吐き出す呪詛には死霊や生き霊達のあらゆる怨念が詰まっている。お前のように罪深い男ほど威力を増すものだ」

 魔神の吐き出す呪いの古代文字は肉体への攻撃と精神攻撃を同時に行う。

 ハロス・スィオピを攻撃に回し、無防備となったポセードに呪いの文字がその体を焼き、耳元には霊達の怨嗟の声が響いた。

 ハロス・スィオピは死を司る最凶の聖霊だ。

 その恐ろしさ故に遠き異国の地の神殿に封印されていた。

 だが魔女を殺す使命を背負ったポセードはどんな犠牲を払ってもその聖霊を手に入れたかった。全ては妹を、凛音を救うために。

 ハロス・スィオピの封印を解くには千体の聖霊を生け贄に捧げなければならない。

 その生け贄を集める為、ポセードはこの十年間世界各地のガーディアンと戦い、聖霊を奪い続けてきた。

 沢山の人間から恨みを買った。聖霊を奪われ仕事を失った者、大怪我を負った者、ひょっとしたら失意の中で首を釣った者もいたかもしれない。ポセードはそれらの悲劇に背を向け、多くの人間を踏みにじり、ハロス・スィオピの封印を解くだけの聖霊を集めた。

 そして今、自分に恨みを持つ生き霊や死霊達が目の前に集っていた。

 誰も彼も見覚えがある。この十年で自分が倒してきたガーディアンだ。

「ポセードオオオ、お前のせいで俺は! 俺はああああ!」「大事な聖霊を貴様に奪われ、俺自身も二度と立ち上がれなくなった。お前のせいで俺はガーディアンとしての全てを失ったんだ!」「よくも、よくもお父さんをあんな目に!」

 千の怨霊達の憤怒の声がポセードの腕を、足を焼く。

 だが苦痛に歯を食い縛りながらポセードは彼らにポツリと呟いた。

「くだらない」

 その言葉が癇に障ったのか、怨霊達が動きを止める。そこにポセードは言葉をぶつける。

「くだらん、貴様らが聖霊を失ったのは貴様らが弱かったからだ! 負け犬共の恨み辛みなど俺には毛ほどの興味もない! 俺はどんな犠牲を払ってでも凛音を助ける!」

 凛音を助ける。その為に最初に犠牲になったのは彼の母親だった。

 綺麗事では何も守れないとポセードは知った。両親の死を無駄にしない為に、母に託された約束を守る為に。凛音を救う為ならポセードはこの世の全てを敵に回す覚悟があった。

 普通の人間なら数分と持たず発狂するであろう怨霊達の叫びを受けてなおポセードに動じた様子はない。

 それを見て魔女は顔を顰める。

「なんなんだ、この男の精神力は。これほど多くの憎しみを背負いながら生きていられるのか? 本当に人間なのか?」

 ポセードに精神攻撃の類は一切効かない。だが千魂蛇龍の呪詛は精神だけでなく肉体にもダメージを与える。

 古の古代文字が彼の体を蝕み、肌を焼き、骨を軋ませ、内臓を破壊する。

 血反吐を吐きながらも彼は歯を食いしばり耐えた。

 ポセードには我が身を守る為にハロス・スィオピを呼び戻すという選択肢もあった。しかしそれは選ばない、例え怨霊達にこの身を焼かれても魔神を倒す。その為にハロス・スィオピの全霊力は魔神を冥府へ引き摺り込むために使う。

 少しづつ、少しづつ魔神の体が空の裂け目へと引き寄せられる。だがまだ力が足りない。

 このままではポセードの体が先に限界を迎える。魔女はそう予測を立てほくそ笑んだ。

「残念だったな。貴様の自慢の聖霊でも妾の千魂蛇龍を倒すことはできん。闇へと落ちろ、涼風家の末裔よ!」

 その時、ポセードの頭上を一瞬影が通った。

「闇を切り裂け! 闇の爪サイレント・クロウ!」

 少女のその声と共に、怨霊達の体が闇色の爪に切り裂かれる。

 ポセードに纏わりついていた怨嗟の声が一瞬にして振り払われた。

 その場に割り込んだ少女にポセードは注目した。

 日本人形のように綺麗な闇色の髪を靡かせた少女。その左手から漆黒の三本爪が伸びていた。彼女はポセードの方をチラリと見て言葉をぶつける。

「勘違いしないでください。貴方を助けたわけじゃありません」

 そして彼女の視線が黒蛇へと向く。

「魔女には私も借りがあるんです。アイツは私の獲物です」

 静佳の姿を見て、リンネは表情を歪める。

「ちっ、死に損ないの小娘が。涼風のクソガキを助けるか」

「涼風?」

 その名前を聞き、静佳はポセードの方を振り向いた。

「ひょっとして貴方は凛音の――」

 静佳が千魂蛇龍から目を離した一瞬、黒蛇の口から呪いの古代文字が放たれ彼女を襲う。

 だがそれは静佳にぶつかる前に、空から飛来した大鎌によって切り裂かれた。

 一瞬とはいえ敵から意識を逸らした不覚に静佳は、はっと空を見上げる。

 静佳を助けた大鎌はハロス・スィオピの手へと戻っていく。

「余所見をしている場合か」

 ポセードの鋭い声が静佳に刺さった。

「さっき助けられた借りは返した。次はもう守ってやらんぞ」

「ふん、上等ですよ」

 それだけのやり取りを経ると、静佳は魔神を睨む。

 空に開いた裂け目が魔神を吸い込もうとしている。静佳の聖霊も影の中に対象を引き摺り込む能力があるが、それは短距離を移動するだけ。空に浮かぶ闇はもっと色濃い。恐らく二度と出ることの叶わない死の世界へ繋がっているのだろう。

 静佳はそれだけで状況を理解した。ハロス・スィオピの能力はサイレント・アサシンと同系統の闇属性の力だ。ならば利用できる。

「今こそ地下迷宮での借りを返す。そして凛音を取り戻す!」

 静佳の左手に宿った漆黒の爪が形を変え、黒猫の姿になる。

「いけ、サイレント・アサシン!」

 そして彼女の手から黒猫はジャンプした。瞬間、強烈な引力に惹かれ猫の姿は空へ舞い上がる。そうして深き闇の広がる空の裂け目へ吸い込まれた。

 それを見て、魔女は心底おかしそうに嗤う。

「くはははは、何をやっている。仲間の攻撃に巻き込まれたぞ! 全く人間というのは楽しませてくれる」

「仲間じゃありませんよ」

 ポツリと静佳が呟く。

「ただ、使えるものは使うだけです」

 次の瞬間、空の裂け目から無数の闇色の手が吐き出される。その手は黒蛇体に巻き付き、闇の中へ誘う。

「なっ、なんだとお!」

 予想外の事態に魔女は目を見開く。

「くっ、逃げろ千魂蛇龍!」

 黒蛇は抵抗してその無数の手の拘束から逃れようとする。そこに静佳の歌声が響いた。


 ――真の強さ、真の絆、取り戻した今。本当に大切なものをもう見失わない。

 ――弱かった自分に別れを告げる。守りたいものがそこにあるから。


 霊唱、聖霊を強化する静佳の歌。それによって魔神を引き込む力はさらに勢いを増す。

 予想外の事態に魔女は青褪める。

「やめろ、やめろお! 妾の千魂蛇龍を!」

 取り乱し始めるリンネを見て、ポセードは低く鋭い声を突き刺した。

「人間の力を侮るなよ」

 そして上空へ手を翳す。

「やれ、ハロス・スィオピ! 全てを殺す死神の力を解放しろ」

 ポセードの口許から一筋の赤い線が流れ落ちる。先ほど千魂蛇龍の呪詛に身を焼かれた結果か。彼の体は彼が思っている以上に限界が近いらしい。

 だとしても、目の前の敵だけは死んでも倒す。絶対に殺す。

 自分自身に喝を入れるようにポセードは咆哮した。

「うおおおおおおおおおお! ハロス・スィオピ!」

「いけえええええええええ! サイレント・アサシン!」

 静佳とポセードの声が重なる。黒蛇の体は地面を離れ完全に闇色の手に拘束される。

 そしてその巨体は空の裂け目へと呑み込まれ、静かに裂け目は閉じた。

 くるくるくると、空から黒い影が落ちてくる。

 それは静佳の隣に着地し、嬉しそうにニャアと鳴いた。

 黒猫の姿を見て、静佳は頬を綻ばせる。

「ば、馬鹿な。妾の聖霊が」

 動揺を隠し切れないまま魔女がよろよろと後退る。

 そんな魔女へポセードがゆっくりと歩み寄った。

 霊力の拠り所である千魂蛇龍を失った今、魔女は大幅に弱体化している。

 今こそ、凛音を取り戻すチャンス。

 だがポセードがもう一歩踏み出した瞬間、彼の膝が崩れ吐血と共に地面に手をついた。

「ちょ、ちょっと」

 静佳が驚くと同時、ヒイイイイと魔女が山奥へと逃げだす。

 明らかに重症のポセードと、逃げ去る魔女の背中を交互に見て困惑していた静佳の元に聞き慣れた声が響いた。

「おーい、静佳。大丈夫か!」

 声は頭上から聞こえてきた。そちらを見上げると銀色の翼竜が空を滑り、静佳の元へ降りてくる。翼竜が着地すると、その背に乗っていた三人の人物が降りてきた。

 幸平と紗雪、その二人は予想内とは言え、最後の一人を見て静佳は目を見開いた。

 赤い紐のリボンで結わえ、ツーサイドアップに纏められた黄金色の髪と海よりも深いサファイア色の双眸を持つ長身の少女。

「星観さん。どうしてここに」

「静佳ちゃん達に届けなきゃいけないものがあって」

 星観が手に持った紙束を示す。その正体を聞くより先に静佳の肩を幸平が掴んだ。

「おい、魔神はどうなった?」

「魔神は倒しましたが、魔女には逃げられました。それと」

 言葉を切り、ポセードの方へ視線を向ける。そこでようやく幸平達も気付いた。

「兄貴!」

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