11

 海に面した高台は転落防止の柵で囲われ、地元の人間が景色を見るために時々足を運ぶ憩いの場となっている。

 だが今、そこにはガラの悪い男達が十人ほど集まっていた。

 彼らは皆、ポセイドン海賊団の団員。ポセードの部下にあたる。

 そして近くのベンチにはお下げ髪の少女が寝かされていた。

 団員の一人がタキシード姿の青年に話しかける。

「さて、アラネアさんよ。手筈通り、あのガキを攫ってきたぜ」

 アラネアはその報告に、二コリと微笑んで見せる。

「人質をとるなんて手段は怪盗としてはあまり美しくないですが、彼を舞台に引き摺り出す為にはこれも必要なこと。相馬くんにもパーティの招待状を届けましたから、もうじきここに来る筈です」

 アラネアの脳裏にはこれから夢幻の鍵を幸平から盗む為の芸術的なトリックが練られていた。

 幸平は夢幻の鍵を持ってこの場所に来るだろう。

 そんな彼を惑わす為に趣向を凝らした様々なトリックを用意している。

 それらのトリックは直接幸平に怪我をさせるようなものではないが、彼は気づかぬ内に夢幻の鍵を手放すことになるのだ。

 人間心理の盲点をつき、本人に気付かれないままにその行動をコントロールする。 これまでアラネアが生み出したトリックの中でもトップレベルに美しいという自負があった。

 だがそのトリックの実現を邪魔する者が一人。

「パーティですか? 楽しそうですね。私も参加させてください」

 場違いな少女の声がその場に響き、海賊達の視線を集める。

 緩くウェーブのかかった栗色の髪を靡かせ、好奇心旺盛な子供のようにくりくりとした瞳を輝かせた少女がそこにいた。

「おや、キミは」

 その姿を認め、アラネアは眉を開く。

 紗雪は静かな怒りを滲ませながら彼らに言葉を向ける。

「でもその前に、その子を返してくれませんか? よい子はお家に帰る時間ですので」

 アラネアは紳士的に微笑みながらそれに答えた。

「これは失礼。キミのお友達には少し眠ってもらっています。こちらの用事が済めばすぐに開放しますよ」

「用事って、せんせーの夢幻の鍵を奪うことですか。盗賊さん?」

 紗雪がそう問うと、アラネアの顔から笑みが消え視線が鋭くなる。

 自分達の目的や正体を言い当てられ、紗雪への警戒心が一気に強まった。

 そこで周りにいたポセイドン海賊団の面々が口を挟んでくる。

「アラネアの兄貴、トラブルみたいですね」

「その嬢ちゃんの始末なら俺らに任せてくださいよ」

「こいつ、相馬幸平の生徒だろ。いいねえ、一度聖霊術師をいたぶってみたかったのよ」

 拳をポキポキと鳴らす者、ナイフを取り出し舌なめずりする者など、各々が臨戦態勢をとる。目撃者を無傷で帰す道理など彼らにはない。アラネアもそれに異論はなかった。

 そんな光景を紗雪はつまらなさそうに見ていた。

 たとえ相手が何人いようと、シムルグの領域の中では紗雪は誰にも負けない。

 紗雪は右手を天に伸ばす。するとその頭上に赤い魔方陣が描き出された。

「私って随分人気みたいですね。まあこんなに可愛いから仕方ないですけど」

 魔方陣から雪のように真っ白な翼が飛び出す。その鳥は大空を羽ばたき、上空から海賊達を見下ろした。

「お兄さん達もやる気みたいなので、鬼ごっこでもしましょうか? 私を捕まえたら、私もこの聖霊も好きにしていいですよ」

 ニコリと紗雪が微笑んで見せる。

「その言葉後悔させてやんぜ」

「まあ元々、無事に帰すつもりなんてねーけどな」

 それが合図になったのか、盗賊達は地を蹴り一斉に紗雪に襲い掛かっていった。

 紗雪の頭上を飛ぶシムルグがバサリと羽ばたく。

 すると白い羽は地面に降り注ぎ、紗雪へと接近していた海賊達の体に触れる。

 その瞬間、一人また一人と羽に触れた者達が動きを止めた。

 それを見て、アラネアは表情を険しくする。

「これは」

『心言霊鳥シムルグ。私の聖霊の力です』

 そんなアラネアの脳内に直接紗雪の声が響いた。

『心言領域の中では私には貴方達の心の声が聞こえますし、貴方達にも私の声が聞こえる』

『なるほど、私達の目的や正体を知っていたのはそういう事情ですか。厄介ですね、心を読む能力とは』

 アラネアはそう言って得心した。

 だが彼はまだ理解していない。シムルグの本当の恐ろしさを。

『心を読む能力。シムルグの力がそれだけだと思っているなら大間違いですよ』

 ニイイイっと紗雪は口の端を吊り上げる。

 それを見てアラネアは咄嗟に懐に手を入れ一枚のカードを取り出す。

 心言領域に紗雪の声が響いた。

『ねえ、私を助けて』

 頭の中に直接響くような彼女の声にアラネアは額を抑えて堪える。

 心の声をダイレクトに相手に伝えるというのは、言葉で会話するのとは比べ物にならない影響力を持つ。

 さっきまで紗雪を襲おうとしていた海賊達は皆、方向転換しアラネアの方へ向く。

 彼らは一様に虚ろな目で武器を構えていた。

 再び紗雪の声が響く。

『みんな私のこと大好きなんですよね。なら私を助けて、あの人をボコボコにしちゃってください』

 必死に頭を押さえながらアラネアはそれに耐える。

 だが彼よりも紗雪に接近していた海賊達はこの声の影響をモロに受けるだろう。

 心の声を直接相手に届けるということは相手の心に踏み込むということ。強力な暗示をかけ、人の心を操ることすら容易い。

 海賊達が一斉にアラネアに襲い掛かる。

 それを見て彼は歯噛みした。完全に油断していた。まさか聖霊術師の卵でしかない少女がこんな強力な聖霊を宿しているなんて。

 アラネアは不気味な蜘蛛の姿が描かれたカードを正面に向ける。

 するとそのカードから紫の魔方陣が生み出される。

 聖霊を封印するバンデットカード、きっと誰かから奪った聖霊を召喚するつもりなのだろうと紗雪は察した。

『あれっ、聖霊を使うんですか? 流石は悪党さんですね。仲間を攻撃するのにも躊躇なしですか』

 アラネアに向かっていった海賊の男がその途中で何かに足を取られたように転ぶ。

 それは伝染するように他の海賊達も次々に転倒していく。

 紗雪は不審に思って目を凝らす。すると彼らの足元に巨大な蜘蛛の巣が張り巡らされているのがわかった。

 蜘蛛の巣は自在に形を変化させ、海賊達の体に糸を巻き付け拘束する。

『なるほど、これが貴方の聖霊ですか』

 紗雪はアラネアを睨みつける。彼の足元には全長一メートルほどの蜘蛛の聖霊が地面を這っていた。

 アラネアは得意げに自分の聖霊を紹介する。

『蜘蛛神、インフェルヌス・エダークス。この蜘蛛の巣が捕らえた獲物は決して逃がしません。ほらっ、貴方にも』

 そう言われて紗雪は初めて気付く。自分の片足にも既に蜘蛛の糸が巻き付いてることに。

 アラネアはインフェルヌス・エダークスの力で操られた仲間を傷つけることなく無力化した。同士討ちを期待していた紗雪にとっては面白くない。

 それだけでなくこちらの身動きも封じられてしまった形になる。

 だが紗雪は顔色一つ変えない。この程度はピンチでも何でもない。

 自分の足に巻き付いた糸を見ながら彼女はニヤリと笑って呟く。

『真っ白な糸ですね。まるでそう、極寒の雪山のように』

 その瞬間、辺りの景色が一変する。一面を雪で覆われた吹雪吹き荒れる銀世界へと。

『ここは一体?』

 さっきまでいた場所とは似ても似つかぬ場所に連れてこられて、アラネアは動揺を露わにした。

『なるほど、ここは貴方の言葉によって作りだした幻の世界というわけですね』

 幻覚だとわかっていても肌を刺す冷気、体を打つ吹雪は本物と遜色ない。

 アラネアが警戒を強める中、紗雪は無邪気に笑う。

『こんなに雪が沢山あると雪だるまとか作りたくなりません? こう、大きな雪玉をゴロゴロと転がして』

 紗雪がそう告げると、何かが崩れるような音が響く。

 アラネアがそちらに視線を向けると、山の上から巨大な雪の塊が転がって来ていた。

 雪玉は真っ直ぐアラネアに向かってくる。このままでは彼は雪玉に押し潰されることになるだろう。

 苦し気に口元を歪ませながらアラネアは白い息を吐き出す。

『こんなものは幻です』

『本当に幻だと言い切れますか? このままだと貴方も雪だるまの一部になっちゃいますよ』

 紗雪の言葉がアラネアを揺さぶる。

 幻だからと言っても雪玉に轢かれる恐怖は否定できない。

 アラネアは蜘蛛神の聖霊へ指示を送る。

 インフェルヌス・エダークスはその口から白い糸を吐き出し、雪玉へとぶつける。

 雪の塊は進行方向を変え、アラネアの横を通り過ぎた。

 だが彼が息をつく暇もなく紗雪の声が響く。

『今のが雪だるまさんの胴体ですね。次は頭が欲しいですねえ。同じくらい大きいのを頼みます』

 その言葉と共に、今度は別の方向から雪玉が転がってきてアラネアを襲う。

 咄嗟に蜘蛛神を動かし、雪の塊へ糸を放つ。だが今度の雪玉はそれではびくともしなかった。進行方向を逸らすことはできず、アラネアへと一直線に向かってくる。

 彼は目前に迫った雪玉から逃れようと横へ飛び退いた。

間一髪で雪玉は一瞬前に彼が立っていた場所を通過していく。

 横に飛んだ勢いそのままに、アラネアは白く染まった大地に倒れこむ。

 冷たい雪の感触が彼を出迎えた。

 クスクスという紗雪の笑い声が脳裏に響く。

 弄ばれている。この領域での戦いは紗雪が圧倒的に有利だ。

 だが条件は相手も同じ筈だ。紗雪が他者の心に踏み込めるようにアラネアだって紗雪の心に踏み込む権利を持つ。それが心言領域の絶対的なルールだ。アラネアは思考を切り替える。守るのではなく攻める為に、紗雪の心の弱さにつけ入る為に。

 雪を払いながら立ち上がり、アラネアは心の声を相手に向ける。

『貴方は相馬くんの仲間でしたよね。知っていますか? 彼は行方不明となった妹さんを探しています』

 はっ、と紗雪が息を呑むのがわかった。この話題に彼女が動揺しているのが見てとれる。

『おやおや、ひょっとして貴方は彼の妹さんをご存知なのですか?』

『さて、どうでしょうね』

 紗雪はそう言って惚けて見せる。だが心言領域では隠し事など通用しない。

『彼の妹の名は涼風凛音。ほう、なるほど貴方の友人だったんですね』

 キッ、と紗雪はアラネアを睨む。そこが踏み込まれたくない話題であることがアラネアにも分かった。だが凛音の話題を振られた途端、紗雪の脳裏には凛音と過ごした日々が連鎖的に蘇ってくる。そしてそれはアラネアにも伝わるのだ。

『どうやら貴方は相馬くんの目的も正体も最初から知っていたようですね。心を読む聖霊の力のお陰で』

 アラネアの言う通りだった。人の心を読みとる心言領域の力。紗雪はそれを使い、初めて会った時から既に幸平の正体を知っていた。彼が凛音の兄であること、盗賊であること、静佳を生徒会長にして彼女を利用して夢幻の鍵を手に入れようとしていることも。

 そこにアラネアの声が割り込む。

『ですが不思議ですね。貴方は相馬くんの妹探しに協力する気があるんですか? それにしては相馬くんに情報提供などは一切していない。むしろ貴方が凛音さんの友人だったことすら隠そうとしているような』

『それ以上、私の心に踏み込まないでください!』

 紗雪が顔を真っ青にして拒絶する。

 彼女の動揺はアラネアも望むところだった。紗雪が必死に隠そうとする真実、彼女の記憶の奥底に眠る秘密、それを覗き見て彼は全てを理解した。

『ククク、ハハハハハハハ! そうか、そういうことですか』

 哄笑と共にアラネアは愉悦の笑みを浮かべる。

『なるほど、確かにこれは話せるわけもない。貴方が全ての元凶だったわけですから!』

 知られた。最も知られたくない真実を敵に知られた。

 その絶望に紗雪は表情を凍り付かせる。

 心言領域に初めて入った人間は普通この場所での戦い方などわからないし、紗雪のペースに踊らされ一方的に弄ばれるのが常だ。

 だがアラネアという男は違った。盗賊四皇帝としての経験がなせる業か。心言領域の仕組みを即座に理解し、紗雪が最も嫌がる使い方をしてみせた。

『相馬くんはなんて思うでしょうね。愛しい妹を奪った犯人が貴方だと知ったら』

『黙って、ください』

 紗雪は声を震わせてそう命令するが、アラネアはより饒舌さを増し彼女の心を踏みにじる。

『まさか怪盗の私が謎を解く立場になるなんて思いもよらなかったですよ。貴方が犯人です冬野紗雪! 貴方は親友である涼風凛音を――』

『黙って、それ以上は』

 拒絶の声が強くなる。しかしアラネアは止まらない。

 そして次の一言が彼女の心を守っていたものを粉々に砕いた。

『――殺した』

『黙れええええええええええ!』

 紗雪の叫びが心言領域に響く。

 次の瞬間、山の方で大きな雪崩が起き、白い津波がアラネアへと落ちてくる。

 この威力は蜘蛛神の攻撃では防げない。逃げるしかない。

 そう直感したアラネアはその場から離れようとする。だが足が動かなかった。

『何、これは?』

 気付くと彼の足には真っ白な蜘蛛の糸が絡みついていた。その糸の先にいたのは蜘蛛神、インフェルヌス・エダークス。

『ありえない。インフェルヌス・エダークスが私を襲おうなど、こんなものはキミの作り出した幻想だ!』

 言葉ではそう否定する。だが言葉程度でこの世界は揺るがない。

 紗雪は背筋が凍るほど冷たい声で囁いた。

『インフェルヌス・エダークスの蜘蛛の糸は一度捕らえた獲物を決して逃がさないんですよね。貴方はそれを使って今までも沢山の聖霊術師を葬ってきたんでしょうね』

 そうだ。この蜘蛛の糸から誰も逃れられない。それはインフェルヌス・エダークスの使い手であるアラネアが一番よく知っている。

 ゆえにイメージできない。この蜘蛛の巣から逃れる方法を。

『あり得ない。こんなことはあり得ない』

 迫りくる雪崩を見つめながら、譫言の様にアラネアは吐き出す。

 精神力と想像力が全てを支配するこの空間で、自分が生き残る姿をイメージできなくなった時点で勝負はついた。

『や、やめろー。来るなああああああああ』

 アラネアの悲鳴だけ残し、白き濁流は完全に彼を飲み込んだ。

 そして景色は海の見える高台に戻る。そこに立っていたのは紗雪一人。足に巻き付いていた蜘蛛の糸は既にほどけている。

 地面には蜘蛛の巣にからまった海賊達が転がっている。そしてそこでうつ伏せに倒れているアラネアの姿を見た時、紗雪の心に大きな後悔が押し寄せてきた。

「私は、また」

 自分の両手を見る。ここまでするつもりはなかった。心言領域は紗雪自身にすら制御できないほど恐ろしい力だ。あの世界で魂を眠らされたアラネアは二度と目覚めることはないだろう。それは紗雪が一番よくわかっていた。

 動揺する紗雪の耳に新たな登場人物の声が飛び込んでくる。

「アラネアがやられたか」

 紫の長髪を風に靡かせ、漆黒のマントを羽織った男がそこにいた。獲物を狙う鷹の如く鋭い目に射抜かれ、紗雪は緊張に身を固くする。

「貴方は?」

「俺の名はポセード、そいつらを束ねるポセイドン海賊団のキャプテンだ」

「盗賊さんのボスってわけですね」

 男から放たれる威圧感に紗雪は気圧されそうになる。

 そのプレッシャーだけで相手が今までとは全く次元の違う強敵だということがわかった。

 紗雪はベンチに寝かされたつぐみの方をチラリと見る。さっきの一件に対してまだ気持ちの整理はついていない。それでも戦わなくちゃいけない。彼女を守るために。

 今、ポセードは紗雪から離れた位置にいる。

 心言領域の範囲外だ。なんとか向こうから近づいて欲しい。

 倒れた海賊達、そしてアラネアを見て彼は言う。

「奴らに何をした? そもそも生きているのか、死んでいるのか」

「さあ、自分で確かめてみたらいかがですか?」

 内心冷や汗が流れるのを隠しながら、紗雪はそう言って誘う。

 彼女の言葉を受けてポセードがアラネアの方へ足を踏み出す。

 一歩二歩、そして三歩目で彼の足は不可視の心言領域に入った。

 瞬間、紗雪の心言領域がポセードを呑み込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る