日子神

 どれくらいの間そうしていたのかわからない。一分かそこらのようでもあり、無限に等しい時間がたったようでもある。

 ようやく放心状態から立ち直ると、私は錫杖を支えに身を起こした。

 

 ――しゃらん、と奇妙に澄んだ音が鳴り響く。はっとして音の源を探せば、右肩のやや上。そこにはたった今鋳型から出したかのような、真新しい鉄の遊鐶ゆうかんが錫杖の杖頭にかかっていた。

 わが目を疑った。先ほどまでこの錫杖は、朽ちかけた木の本体と、今にも崩れて形を失いそうな赤錆の塊に等しい輪形で成り立っていたではないか。だが今やそれは月明かりを映す滑らかな表面を見せていた。


(まさか……)


 ふと思い至っておそるおそる頭上の網代傘に手を伸ばす。しっかりと編まれた真新しい竹ひごの手触りだ。肩にかけた墨染めの衣も、いつの間にか織りたてのようなしっかりとした布地に変じている。


「何だ、こりゃあ」

 何が起きているのか見当がつかず、頭が混乱する。


 とはいえ、影たちにつかみかかられたとしてもこの錫杖なら、振り回せば多少の身の守りにはなるのではあるまいか。わずかだがそんな心強い気持ちになり、それが身体にも助けになった。私は自分でも意外なほどしっかりとした足取りで、砂利道沿いに岩山を南へ下っていった。


 影たちは相変わらず私を遠巻きにしながら、後方をついてくる。おそらくその足元にはサシガメが群れているのだと思われた。だが、やはりどうしても一定距離からこちらへは近づけないようだ。

 月明かりの下、錫杖の鐶がしゃらんしゃらんと鳴り響き、夜風に波立つ夏草の草原を、人と人だったものの集団が不ぞろいな歩調で進んでいく――それはいかにも奇妙な道行きだったことだろう。当の私にはとてもそんなことを考える余裕はなかったが。


 やがて、岩山の南斜面へと差し掛かったとき。私は驚きに息をのんだ。


 辺りの景色が見覚えのないものになっていたのだ。私は昼間見た、あの南の鳥居があった辺り――シマホタルブクロの群生地を抱えるくぼ地のそばまで来たはずだった。

 裂けめのある岩壁とくぼ地、そして鳥居は確かにそこに存在している。

 だが私の目を射たものは、島の東側から斜面を蛇行してゆるゆると上がってくる、明らかに人工的に切り拓かれた細い谷、そしてその底にまばらな間隔で配された、白々と輝く石のきざはしだった。


「参道と石段だ……」


 それは僧侶慈海の手記にあった通りの景観だった。少なくとも文政年間には、この島はまだこのような姿だったはずなのだ。

 石段は私のいる場所から少し下りたところで東側へ方向を変え、鳥居のある場所からおよそ五十メートル程度東へ回り込んだ岩かげを通って、山頂へと続いているようだ。


 であるならば――私は思いがけない展開に身震いした――火口へ直接、行けるではないか。


「しかし……だとすると本当に日子神とやらが、この上に?」


 私はにわかに、これまでとは次元の違った恐怖を覚えた。

 日子島はさほど大きな島ではない。だから火口といっても、その全容はさほど大きなものではあるまい。とすると――観音経を火口の中で唱えようというのであれば、その得体のしれない『神』のそば、相当近くまで踏み込むことになる。

 かりそめにも神と呼ばれるもの――しかも、これまで知られる如何なる宗教の神とも異質な何かが、確かな実体をもって存在するとして。それと対峙することは人間に可能なのか。


 だがもはや前に進むしかなかった。もはや立花は半ば影の仲間入りをしつつあるようだし、そもそもこの島から脱出する手立てもおぼつかない。できることをとことんまで突き詰めてみるより他にない。


 漠然と富士の山頂のようなものを想像していたが、実際に目の当たりにする火口はそれとはずいぶん様子が違っていた。切り立った岩が突出した頂から、やや下がった斜面の一角に、大木を引っこ抜いたあとの穴のように、黒々とした岩の窪みがあったのだ。間近まで近づいてみると、それはさしわたしにしておおよそ三十メートルほどのものであることが分かった。


 そして、その穴の底に異様なものが在った。


 黒く固まった玄武岩質の溶岩を何ものかが切り出したのか、あるいは途方もなく巨大な柱状節理を呈したものか――きれいな六角柱状になった岩がテーブルのように鎮座し、すりおろした山芋をぶちまけたような不定形のなにかがその上にわだかまっているのだ。その物体は新品の蛍光灯くらいの明るさの、ぼんやりした輝きを発していた。

 それはよほど性状が定まらぬ不安定なものらしく、山芋からつきたての餅、さらにはこぼれたミルクまでの流動性の変化を見せた。

 重力に従って流れ落ちたかと思えば、粘菌のように擬足を伸ばし、あるいは子実体めいた突起物を空中へと屹立させる。繰り返されるその変化の間、全体は絶えず細かく震えて揺れ動く。


(これが日子神……)


 その姿と動きは、高いビルの上から命綱をつけずに下を見下ろしたような、眩暈を伴う感覚を私にもたらした。

 かちかちと耳慣れない音が頭の内側から響く。それは私の歯と歯がぶつかり合う音だった。私は雨の日にプールで泳いだ後の子供のように体を震わせ、胃の腑からこみ上げる空えずきに耐えながら、火口の縁を越えて最後の石段を下りて行った。

 後ろからいくつか、ひたひたと裸足の足音がついてくる。小さなはい回るものが互いに体をぶつけあって起こる、かさかさというざわめきがその周囲に無限に渦巻いている。クヌギに集まる夏の虫を、根こそぎに虫かごに入れたときに立てるような音だ。

 目も耳もないその体でどのように私の接近を察知したものか、日子神は擬足めいたひとかたまりのものを生じさせ、私の方へ向けた。その表面に次第に人の顔らしきものが浮かび上がっていく。

 その目鼻の様が、だんだんと眉を吊り上げ口元に歯牙をむきだした恐ろしいものにこごって行くのに気がついて、私は愕然とした。私が漠然と抱いた恐れが募るほどに、その表情ははっきりと悪意あるものになっていくようなのだ。


(これはまずいんじゃないか……慈海は何と言っていた? 確か……)


――ただ蠢き、人の念に感じて諸々の妖しきを生なす也。渡海上人或ひはその他、海難に遭ひし人の無念を受けては如何なるを生ぜしか――


 そうだ。日子神は周囲にある人間の思念に反応してその性質を変え、時によっては何かを生み出すのだ。恐れてはいけない。恐れたり憎んだりすれば、たぶんその邪念は私に対して応分の形で返ってくることになるのだろう。


 これ以上は近づけない――精神ではなく肉体レベルで本能が悲鳴を上げる。その地点で私はどっかりと腰をその場におろした。上着のポケットにねじこんであった観音経を取り出し、月下にその屏風綴じの書面を広げて読み上げ始めた。


「妙法蓮華経。観世音菩薩普門品。第二十五……」


 読みを知らない漢字も頻繁に出てきたが、音よりも字の意味をたどりながら誦みすすめる。不思議なことには、そうするうちに次第にどこからともなく経文の音とリズムが、いかにもそれらしい有様で頭の中に滴り落ち、しみ込んでくるように思われた。


「……若復有人。受持観世音菩薩名号。得如是。無量無辺。福徳之利……」


 次第に私は、屏風綴じの冊子をめくらずとも、次の詞句をすらすらと口にのぼせるようになっていた。

 ああ、もしや私は今、僧侶慈海その人と同化しつつあるのではないだろうか。ふとそんな思いが頭をかすめる。


 そうと教えられたわけでもなく私の目は半眼に開かれ、特定の一点を見定めることなく周囲の一切をぼんやりと視界に収め、認識していた。その視野の中に、一つ、また一つと現れるものがある。

 それはあの影たち、浜辺をさまよう渡海上人たちの成れの果てだった。やがて一体が私の斜め前につと歩を進め、その場に正座の形で身を落ち着けた。


 そして、また一体。さらに、もう一体。



 「応以帝釈身。得度者。即現帝釈身。而以説法――」


 経が誦み進められるにしたがって、日子神の体は次第に一つところに凝集し、毬のような真球へと変わっていく。


 一人、また一人と上人たちは火口に降りて私の周囲、前後左右に端座した。やがて彼らの手はおずおずと胸の前に組み合わされ、合掌の形を作った。


 経はさらに先へと進み、一般に観音経の名で知られる、『』の部分に差し掛かった。『念彼観音力(かの観音の力を念ずれば)』と繰り返される、韻文の形に整えられた詞句である。


 いまや影たち――かつての渡海上人たちは合掌して火口原狭しと居並び、あたかも大法要において一堂に会した、高徳の僧達であるかのように私の誦経に和し始めていた。

 呪いの故に自らの意思によっては営み得ぬ法要に、たまさか立ち会えた千載一遇の機会であるかのように。何としてもそうせねばすまぬ、とでもいった熱意をもって、彼らは観音経を誦していた。


 やがてその声は朗々と相和し、銀盆を浮かべた月の下、孤島の浜辺へ断崖へとあふれ出す。


  ――念彼観音力。応時得消散。衆生被困厄。無量苦逼身。


    観音妙智力。能救世間苦。具足神通力。広修智方便。


    十方諸国土。無刹不現身。種種諸悪趣。地獄鬼畜生。


    生老病死苦。以漸悉令滅。真観清浄観。広大知恵観……



 誦経の声を浴びながらもサシガメが群れ集って私の体に這い登り、耳元にまでがさがさと音をたてたが、火口原に満ち満ちた誦経の声とそれがもたらす高揚感の前にはいささかの痛痒も感じられなかった。刺されたかどうかすら、もはや認識の外にあった。


 そして、ついに――


「仏説是普門品時。衆中八万四千衆生。皆発無等等。阿耨多羅三藐三菩提心――!」


 観世音菩薩普門品の全文を私が誦み終えた、その時だった。


 日子神の体が何かの形を取り始めた。上空に高々と伸び上がり、ぼんやりとした人の姿が形作られる。内から発する淡い光をそのままに、輪郭の一部はいまだ重力に従って垂れ下がる相を示すその姿は、白衣に身を包む慈母観音であるかのようにも見えた。


 上人たちの間から、歓喜のどよめきが上がる。


 ――ああ。


 ――南無。南無観世音大菩薩。


 

 全高十五メートルばかりの巨大な観音と化した日子神は、六角岩の蓮華座を降り、衣の裾を引きずりながら歩き始めた。私のすぐ横を通って火口の縁へ向かい、足を持ち上げず膝から下で岩壁に浸み込んで通り抜けるような、奇妙不可思議な足運びで斜面へにじり出る。


 そして、南へ向かってゆっくりと、しずしずと斜面をくだり、南端の浜辺へ、海へと向かっていった。

 上人たちがその後に続く。観音経の偈を繰り返し口ずさみながらよろよろと歩むその姿は、次第に日子神の発するものと同質の光を帯び、その姿形も赤く爛れ膨れた忌まわしい様相から、墨染めの衣に身を包み頭髪をそり上げた、清らかなものに変容しつつあった。


 そして。月明かりに照らされた浜辺に彼らが寄り集まり、その姿ももはや判然とせぬほどに遠くなったころ。


 島そのものの中から、ぼんやりと光る巨大な和船が、ちょうど蝉が殻を抜けるように現れた。その舳先と艫、舷側には鳥居があった。

 白衣観音の姿を表した日子神は、自らその舷側に腰かけて膝下に腕を伸べ、上人たちをその手に包んでは船にいざない上げていく。

 全ての渡海上人たちを収容し終わると、渡海船はそのままゆっくりと、南の水平線に向かって遠ざかって行った。


 呆けたようにその一部始終を見守り終えた私の肩に、不意に温かな手が乗せられた。そして、老成した男のものらしい、深みのある声がかすかに聞こえた。


 ――永らえど ここには 在らず補陀落は 死出にも漕がん 船ぞ欲しけれ

 

 仰天して振り返ると、夕刻に見たあの雲水姿、慈海の姿が一瞬目に入り、そのまま脳裏に残った。その指が最後に指し示したかたに目を凝らせば、斜面の途中、草むらを押しのけて鎮座する岩の上にベージュ色のチノパン姿が横たわっていた――立花だ。


 私は親友に駆け寄った。


「おお……」


 我知らず嗚咽がもれる。立花の顔は今も無残に掻き崩れ破れてはいたものの、赤黒い腫脹は消え失せて、ただ乾いた血が真新しいかさぶたを作っているのみだった。

 彼は赤い影になることを免れ、上人たちとともに海上へ去る事もなく、私のところへ戻ってきたのだ。


「よかった。よかったなあ、立花……」

 

 泣きじゃくりながら繰り返す私の腕の中で、立花がうっすらと目を開く。辺りがすうっと暗くなったことに気が付いて空を見上げると、そこにはか細い下弦の月が、今しも火口の縁から顔をのぞかせるところだった。



        * * * * * * *

 


 正気を取り戻したものの、立花の足取りはおぼつかないままだった。私は彼を支えながら祠に戻り、運べる限りの手荷物――わけても立花が採取した、胴乱にいっぱいの植物標本を携えて船着き場に急いだ。

 私自身もひどく消耗してはいたが、ぐずぐずしてもいられなかった。島から渡海船の幻が抜け出し、私たちの頭上に輝く月が本来あるべき姿に戻った辺りから、日子島は不気味に鳴動をはじめていたのだ。


 迎えの船が姿を現すころには山頂から煙が立ち上り、赤い溶岩が斜面へ流れ出すのが見えた。

 九死に一生を得て脱出した我々が見守る中、島はおよそ二百年ぶりの大噴火を起こし、その総面積の九割が新たに流れ出した溶岩に飲み込まれていた。

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