4.得意なのは壊すことだ

「ハロー、死神さん。お客様がいらっしゃったよ?」


 眼鏡男に案内されたのは、さびれたアパートの一室だった。ドアを開けた途端、陰鬱な明かりをとりこんだ狭い部屋が浮かびあがり、くすんだ窓が客人を脅かすようにガタガタと笑った。


 しかし部屋の中央には、よく磨かれたオーク材のローテーブル。それを囲むようにして、無骨だが座り心地のよさそうなソファーがある。何に使うのか、ぴんと背を伸ばしたスツールが所在なく放置されていた。


「あれ、いないね? 隣の部屋かな」


 眼鏡男は高そうな革のブーツでツカツカ床を鳴らして、傾いたドアをいきおいよく開けた。


「ハロー、死神さん!」


 バム!


「えぇあっ!」


 突如、銃声とともにスツールの足が折れ曲がり、マロウは跳びあがった。

 眼鏡男は一歩あとずさって肩をすくめる。


「乱暴な挨拶だなぁ、死神さん」

「いきなり入ってくんな、ボケ。危うく殺すところだったぞ」


 部屋の奥からしわがれ声がする。呆れたような疲れたような声。なんとなく聞き覚えがあるような気がした。


「とにかく死神さん。お客様がいらっしゃったんだ。出迎えてあげてよ」

「こんな昼間っからか。珍しいな」


 奥で物音がする。金属同士がこすれ合うような音だった。

 それから間もなく、足音ひとつせずに、ぬっと巨大な影が現れた。灰一色に塗りつぶされた、怪物じみた巨躯。その頭は室内にもかかわらずウエスタンハットに隠されていたが、マロウはすぐに正体を察した。


「あっ、昨日の!」

「なんだ、お前か。本当に来るとはな」


 灰の偉丈夫は、少年に指を突きつけられても、さして驚く様子なく、すとんとソファーに腰を下ろした。


「まあ座れ。紅茶のひとつも出せねぇがな」

「べつに、そんなの欲しくて来たわけじゃねぇよ」


 では何のために来たのかというと、それも解らなかった。途方に暮れたマロウの縋れる藁は、この男の寄越した〝コッキング〟に関する情報だけだった。それ以上もそれ以下もない――はずだ。


 だからマロウは、釈然としないものを感じながらもソファーへ腰を下ろすしかない。

 柔らかな感触が背中をつつみ。

 途端に全身が弛緩して、ゴロゴロと腹の虫が鳴った。


「あ……」

「紅茶はいらんが飯は欲しいってわけか」


 偉丈夫は嘲るように煙草を吸い始める。

 それを見かねた眼鏡男が、マロウに歩みよって肩を叩いた。


「ボクが何か買ってきてあげるよ。その間に、色々質問するといい。この人、自分からはあまり話さないから」


 眼鏡男はそう言うと、見事なウインクを残してさっさと部屋を出ていった。


 二人きりになる。

 灰一色の男は、煙草から紫煙をくゆらせる。眼鏡男の言ったように話しかけてはこなかった。皮肉は言うくせに、肝要なことについて口をつむぐとは何とも嫌な大人だ。だからこそ、遠慮も躊躇もなく訊ねられた。


「ここは何なんだ?」


 すると偉丈夫は、初めてマロウへ気付いたように視線を合わせた。


「見てのとおり。ボロアパートだ」

「そうじゃねぇよ! ここは何のための場所で、あんたは何者なんだ?」


 わざわざ酒場を通じて連れて来られたのだ。ここがただのアパートであるはずがない。無論、ここに住む偉丈夫も。昨夜抱いた印象通りの、常人とはかけ離れた凄みがある。


 それは現実離れした容姿にしてもそうだし、佇まいにしてもそうだ。焦らすように紫煙を吐き、じっとこちらを見つめる視線の中にも、金属のような重みや硬さを感じた。


「……それを教えるのは簡単だが、あえて訊くぜ。お前はここを何だと思うね?」


 平然と投げられた問いに、なぜか胃袋へ鉛を押しこまれるような心地がした。

 マロウは返答に窮し、部屋のなかや偉丈夫を眺めるが、答えなど何も浮かばなかった。だから少年の答えは、唇を噛んでかぶりを振ることだけだった。


 だがマロウは、そこにこう付け加えた。


「……あんたに〝コッキング〟のことを教えられたとき、オレには頼れるものが何もなかった。あんたのことはムカつく大人だと思ったし、だからあんたに教えられたことは信用ならなかった。でも、行けば何かが変わる気がしたんだ」


 善良な大人が、それらしい言葉を施してくれたなら、それは縋るべき藁たり得ただろうか。それとも藁以上のものになっただろうか。


 わからない。


 昨夜、あるいは今朝、〝コッキング〟へ頼ろうと思えたのは、それしかなかったからということだけが答えではない気がした。胡乱な言葉のなかに、たしかな異の感触をかんじ取ったのではないだろうか。面の皮の善意ではない何かを。


 偉丈夫は煙草の灰をおとすと、薄く笑みを浮かべた。


「残念ながら、俺は粘土をこねくり回すみてぇに、物事を変えることはできねぇ。結果としてそういうことはあるが、俺の得意なのは壊すことだ」


「壊すこと?」


「殺し屋だよ、俺は」


 偉丈夫は平然と言った。


 マロウは一瞬、訝しげに偉丈夫を見つめた。

 しかし男のまとう雰囲気、眼鏡男の言っていた『死神』という呼び名は、〝殺し屋〟の肩書きそのものではなかったか。


 少年の双眸に、底知れぬ畏怖と興奮がみなぎる。

 偉丈夫は唇から煙草を抜くと、それを少年の鼻先に突きつけ不敵に笑った。


「その上で訊く。お前は、誰を殺したい?」


 これがローケンクロゼに潜む影――死神と恐れられる男との出逢いだった。

 それは自由を告げる鐘の音であり。

 同時に、ある別れの引き金でもあった。

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