第30話 めらめら顔色紅葉


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 防寒をしなければいけないほど、きょうは寒かった。


 電車を降り、マウンテンパーカーのポケットに手を入れながらホームを歩いていく。すれ違う人達も防寒を意識しているのか、着丈の長めなステンカラーコートやチェスターコート、さらにはダウンを着ている人までいた。


 きょうはこれから、満水さんとライトアップされた紅葉を見に行く予定だった。場所は永清寺(えいせいじ)と云うお寺で、ライトアップの時間まで余裕があるため、その近くにある銀杏並木に立ち寄ることになっている。


 階段を上がってから改札を通り抜け、僕はイヤホンを耳から引き抜いてポケットのなかへ。駅前は週末だからか人通りも激しく、僕は移動しながら顔を動かして、満水さんの姿を探した。


「あ、いたいた」


 満水さんは柱に寄りかかり、小ぶりのワインレッドのハンドバッグを肘のあたりにかけながらスマホをいじっていた。張りのあるウールのダッフルコートの下にしろいシャツの襟が見え、編み目の太い厚手のブラウンのニット。下はブラウンベースのガンクラブチェックのスラックスに見慣れたしろいコンバースで、赤いソックスが裾からちらっと見えている。


 ポケットに手を入れながら小走りでそっちへ向かう。スマホをいじっていて、こちらにまったく気づいていなかったので、それならばと、僕は歩をゆるめ、他人のふりを装いながら、となりにこっそり並んだ。


「っ、っくりしたー。もー」


 肩をびくっと上げてから、満水さんが笑いながらスマホを持っていた手で口元を隠し、もう片方の手で腕をつかんできた。


「ごめんごめん。ぜんぜん気づいてなかったから」と僕はほほえみながら云った。「そのコート、あったかそうだね」

「あったかいよー。ちょっと重たいけど、肌触りよくて。寒いときこればかり着てる」

「それいい。うん、それ好き。かわいい」

「そう? もう、いやってくらい今年たくさん見れるよ」と満水さんが照れたように笑いながら云った。「行こ?」


 満水さんが誘導するように腕を引く。ふたりで並んで駅から離れていくと、すぐそばにアーケードのついた商店街があり、僕らはそのなかを突っ切っていった。左右に多くのお店が並んでいて、道幅はそこそこ広く作られていたけれど、それを感じさせないくらいに人が多い。


「いろんなお店あるねー」

「だね。あ、気になるところあれば寄るよ? ライトアップまでぜんぜん時間あるし」

「うん。恵大もなにかあったら云ってね?」

「わかった。でもたくさんありすぎて見落としそう」


 満水さんと話しながらゆっくりと商店街のなかを歩いていく。むかしながらのパン屋さんや、いくつも作業着が飾られているような洋服屋さん、こじんまりとした本屋さんなどなど、ほんとに様々なお店があって、ふたりしてあっちこっちに視線を移しながら進んでいった。


「きょうけっこう寒いね……もうすこし着てくればよかった」と僕は首を縮めながら云った。

「もうすぐ十二月だもんね」と満水さんが云った。「その下なに着てるの?」

「夏に買ったシャツ。やっぱりニット着てくればよかったなー」

「それだけじゃ無理だよもー」


 満水さんが寄ってきて腕を巻きつけてくる。髪から漂う満水さんの香りとシャンプーの混ざった香りを嗅いで、胸がきゅっと締めつけられ、みぞおちの奥がずんと重くなった。


「あったかいねこれ。触り心地もいいし」と僕はコートを触りながら云った。「高かった?」

「うん。そこそこした。でもどうしてもほしくて、お母さんにすこしだしてもらっちゃった」と満水さんが云った。「寒かったら、わきに腕入れてていいよ?」

「じゃあ、そうさせてもらいます」


 僕は腕を絡め、満水さんのわきの下まで入れると、ウールのあたたかさと、体温がじんわりと伝わってくる。そのおかげか、それともいつも以上に密着しているせいなのか、歩いていると次第に顔が熱くなってきた。


 大勢の前でくっついているのが恥ずかしく、僕は顔を見られないように下を向いていると、満水さんが顔をのぞきこむようにしながら「あったかい?」と云ってきた。僕は照れながらも「うん。めちゃくちゃ」と返事をする。たぶんいま、ものすごく締まりのない顔をしているんだろうなぁと思って、気合いを入れるように、空いた手で何回か頬をたたいた。


 しばらく歩くと、商店街の終わりが見えてきて、外光の明るさが強くなってくる。


「あ、ねえ。たい焼き食べたい」

「めずらしいね、あまいもの食べたいなんて」

「寒くなってくるとたまに食べたくなって。恵大食べたくない?」

「いやいいよ。食べながら行こうか」


 お店は商店街の出口のそばにあり、近づくにつれて生地のあまい香りが漂ってくる。どうやらテイクアウト専門のようで、小さなベンチがひとつあり、おそらくカップルと思われる男女がたい焼きをシェアしながら食べ合っていた。


 受け取り口の近くに張られていた手書きのメニューを見る。定番のあんこ、クリーム、チョコなどいろいろあり、変わり種だと焼き鳥味があった。どれも良心的な値段で、財布にやさしいところがうれしい。


「決まった?」

「うん。わたしクリームにする」と満水さんが財布を取りだした。

「了解。あ、ここはおごらせて」と僕はリュックから財布をだした。「このあいだ、おにぎり作ってくれたし」

「えーいいよ。ぜんぜん気にしてないから」

「こういうことは、ちゃんとしておきたくて。むしろまだ足りないくらいだから。ね、お願い」

「ん、わかった」と満水さんが財布をカバンのなかにしまった。


 僕は頭にバンダナを巻いた女の人にほしいものを告げる。あんことクリームをひとつずつで二百四十円。先にお会計を済ませると、店員さんが紙の入れ物にそれぞれのたい焼きを入れてくれた。


「こっちがあんこで、そっちがクリームです。熱いので気をつけてください」

「ありがとうございます」と僕はぺこりと頭を下げてたい焼きを受け取った。


 待っていた満水さんにクリームのほうを差しだしたら「ありがと。いただきます」と受け取って、もう片方の手を差しだしてくる。僕は肘を曲げながら歩きだすと、そこへ満水さんが手を添えてきた。


 たい焼きを片手に歩道を歩いていく。夕方にさしかかってきた時間帯のせいか、日差しはまぶしかったものの、そこまであたたかさは感じず、頬に触れる空気はぴりっと冷たい。僕は身を縮めながらたい焼きを一口かじると、なかにぎっちりと詰まったあんこからしろい湯気がほわっと立ち、やさしいあまさが舌からじわーっと身体に染みていった。


「んー。クリームすごい」と満水さんがクリームをすすり上げた。「たい焼き、久しぶりに食べたかも」

「僕も。たまに食べると美味しいね」

「ね。あんこどう?」

「食べる? なんか懐かしい味がするよ」

「うん、ちょっとちょうだい」


 満水さんの顔にたい焼きを近づけると、はむっと出っ張ったところにかじりつき、もぐもぐと口を動かしながら「ほんほらー。んまー」と云ってから唇を指で軽く拭った。その仕草がぐっと胸に響き、ふたたび、鳩尾のあたりが重くなってくる。


「わたしのもいる?」

「いや。だいじょうぶ」

「えーそう? 美味しいのに」


 たい焼きを頬張る姿を見ているだけで、僕はなんだかお腹がいっぱいになってきて、軽く息を吐いたら「どうしたの?」と満水さんがふしぎそうな顔をしながら首を傾げた。


「いやほんと、かわいいなあって……」

「なにもーどうしたの突然」


 満水さんがくるっと顔をそらし、ぱくぱくと大きな口を開けてたい焼きを食べていく。わざとガサツに振る舞っているような気がして、そういう照れ隠しをするところが余計にこっちの心をくすぐるってことを、本人はきっと知らないのだろう。


 たい焼きを食べているあいだ、さっきのこともあってか、満水さんは話しかけてこなかったけれど、しっかりと腕をつかんでいるところがかわいくて、そういうところが好きだな、と僕は思った。


 

 満天の秋が広がっていた。


 ほのかに橙の混じりだした青空と、からし色に染まった銀杏の葉のコントラストは圧巻の一言で、さわさわと枝が揺れるたびに落葉が舞い、無機質なコンクリートに金箔のような色がついていく。そこそこ人が訪れていて、立ち止まって眺めているおじいさんとおばあさん、スマホで写真を撮っているカップル、友達といっしょに自撮りしている人たちや親子連れが目に入った。


「うわぁ……すごいね」


 ついつい声がでてしまうほど、その景色に見惚れてしまう。これがタダで見れていいのかなと思うほどで、僕は歩きながら、きょろきょろと顔を動かしつづけていた。


「来てよかったねー」

「いやほんとに」と僕は云った。「うわっ、すごっ」


 強めの風が吹き、舞い散る葉のようすはさながら金色の吹雪のようで、その美しさに口が自然と開いてしまった。


「運いいねー」と満水さんが云った。「あ。恵大待って待って止まって。頭に葉っぱ乗ってる。写真撮らせて」


 満水さんがダッフルコートのポケットからスマホを取りだした。スマホをかまえているあいだ、僕はなるべく動かないようにしていると「もういいよー」と満水さんがそばに戻ってくる。


「僕も撮っていい?」

「えーやだー」と満水さんが笑みを浮かべながら口を隠した。

「じゃあ気づかれないように撮るね」

「ねーそれいちばん困るやつ」と満水さんが笑いながら腕を触ってきた。

 僕はスマホをかまえたら「ちょっとやだ、やめてほんとに」と満水さんが腕を揺らしてきた。

「わかったやめるやめる」と僕はスマホを持ちながら笑った。「でも真癒子の写真、僕もほしいんだけど?」

「やだ。撮られるの好きじゃない」

「あれ、でも、何回かいっしょに撮ったよね?」

「それは」と満水さんがぼそぼそとした声で云った。「――と、――だから」

「え、なに?」

 満水さんが腕にしがみついてきた。「いじわるモードやだぁ。ふつうに戻って」

「ぁ、ちょ」


 急にくっつかれて、頬が熱くなっていく。


 満水さんが顔を上げて、頬を赤らめながら前歯で唇をはんだ。この顔を写真におさめられないのが残念だなと思いながら、僕は先へ促すように腕を引く。


「マユ」

「んー?」

「呼んでみたかっただけ」

「なんか変な感じするー」と満水さんが笑いながら云った。「ケーイ」

「おー。以外としっくりくる」


 僕らは何度も顔を見合わせてほほえみ、寄り添いながら銀杏並木を歩いていく。カップルも多いせいか、腕を組みながら歩いていても、まったく注目されなかった。


「aaa.Hello.……Please take a picture?」

「お、オッケー」

「アリガトごザいマす!」


 歩いている途中で、外国人の夫婦らしき人に声をかけられて写真を撮ってあげた。そのあとはお互いに景色を撮ったりして、そこまで長くもない銀杏並木を時間をかけて進んでいく。


「暗くなるの、はやくなったね」

「さっきまで明るかったのにね」と満水さんが云った。「もう冬だねー」

「来月で一年が終わるとか……今年、なんかすごくはやく感じたなー」

「わたしも」


 日暮れがはやくなっているからなのか、いつの間にか通り過ぎていく車のバックライトが目立つようになる。銀杏並木を過ぎ、目的の永清寺へ向けて歩きながら、僕はスマホで時間を確認した。ライトアップは五時からで、いまはもうすぐ六時になるくらい。地図アプリの案内では、あと五分くらいで着く予定だった。


「あ。あれじゃない?」


 地図アプリの案内に従っていくと、夜の街中に一筋の光が立っていた。そこを目指していくと、幹の細い松などが何本も植えられている永清寺へつづく道があり、奥へ進んでいくと、立派な門の前の横に入場券を買うところがある。


「うわ。けっこう並んでる」


 入場券売場には、長蛇とは云えないまでも、かなり長めの列ができていた。僕は満水さんといっしょに列の最後尾に並ぶ。日が落ちて気温がぐっと下がってきたせいかちょっと寒くて、腕を組みながら待機していると、列がちょっとずつ進んでいった。


「だいじょうぶ? 寒くない?」

「うん。平気」と僕は我慢しながら云った。「きょう、何時までとかある?」

「んーん。特にない。でも、あんまり遅すぎると怒られるかも」

「だよね、ごめん。こんなに並んでると思ってなくて」

「いいよいいよ。ゆっくりしてたわたしも悪いから。時間は気にしないで」と満水さんが列の前を見た。「でも、そこそこ動いてるから、そんなに待たないと思うよ?」


 話しながら待っていると、それほど待たずに順番がまわってきて、入場券を二枚買い、胸を高鳴らせながら永清寺のなかへ。


 夜が、燃えていた。


 入った瞬間、照明に照らされた紅葉に目にとまる。キャンプファイヤーのように燦然と天高く立つ巨大な炎を見ていると『赤』にこれだけの色があるのかと驚くくらい、見事なグラデーションができていた。ひらひらと舞い散る葉は火の粉のようで、散り積もった地面は火が燃え広がっているかの如く、一面が真っ赤に染まっている。


 通路には進む人と戻ってくる人の流れがあり、僕らは手をつないだまま、無言で流れに沿って進んでいく。


 言葉にならないくらい、美しかった。


 鼻で深く息をすると、深い緑の香りがすーっと心を落ち着かせ、口から思わずため息がこぼれた。


「きれいだね」

「ほんとに」と満水さんが云った。「来てよかった」

「来年も、どこかの紅葉、見に行こう」

「うん」


 満水さんが紅葉から顔をそらしてこちらを向いてくる。照明の残滓に照らされた顔は、頬がほんのりと紅葉と同じ色に染まっていた。喜ばせるために云ったわけじゃなく、当たり前のことを云ったつもりだったので、予想外の反応に、僕はちょっと照れくさくなってしまう。


 奥へ進んでいくと、道が分かれ、通路を進む人の数も分散されて余裕ができてくる。さっきまでは流れの妨げになるので、写真を撮っている人は歩きながらだったりしたけれど、いまは立ち止まってじっくりと撮影をしている人が増えていた。


「写真、いっしょに撮りたいです」

「なんで急に敬語ですか」

「なんとなく。えーっと。あっちで撮ろう」


 僕は満水さんの手を引き、紅葉を見ている人たちの邪魔にならないように端っこへ誘導する。内側のカメラを起動させると、画面には僕と満水さん、背景に紅葉の木が一本入っていた。


 手を動かしながら、おさまりのいいところを探す。周囲の目もあるのであまりこだわらず、手短にシャッターボタンを押そうとしたそのとき、満水さんが肩に手をおき、耳元で「好き」とささやいてきた。


「ちょ、待って……それ反則」と僕は手を下ろした。

「いつかの仕返し」と満水さんがにやにやしながら云った。「ほらーはやく撮ろー」


 僕は手を上げなおしたけれど、画面に映る自分の顔があまりにだらしない表情をしていて、恥ずかしくてシャッターを切る気になれない。


「やめた」


 僕は手を下ろし、満水さんをじっと見つめてから、覆いかぶさるように両手でぎゅっと抱きしめた。ふんわりとした髪に頬を埋めながら「僕も、好きだ」と耳のそばでささやく。


 心臓が、張り裂けそうなほど高鳴っている。様々な感情が渦巻くなかで、不安もちょっとだけ入り混じっていたけれど、後悔はしていなかった。


 高ぶった感情を常に抑えていられるほど、僕は大人じゃない。 


 日々、積もり積もっていく思い出が増えるたび、どんどん好きになっていく。


 大勢の人がいる前で、思わず抱きしめてしまうくらいに。


「うん。ありがと」


 満水さんが耳元でささやきながら腕をまわしてくる。触れ合っている部分から熱が伝わってきて、寒さなんてまったく感じなくなるくらい、防寒の必要なんてないと思えるくらい、身体が熱くなっていた。


 めらめらと、恋の炎が、胸の内で燃え上がる。


 その熱を閉じこめるように、僕はふたたび腕に力をこめる。満水さんの身体の重さ、息を吸うたびに頭が痺れるような甘美なかおりを感じながら、写真や絵画には残らないその一瞬を、五感を通じて、記憶に刻みこんだ。

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