第20話 スローター・アンド・ウォッチャー

 

 

 

 

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 低層は大まかに言えばドーナツ型だ。

 外縁――海中から見れば半球状に、中より見れば弧を描いく海中との接点は非情に強固なセキュリティが物理と電脳の両面で引かれている。

 なにせ破壊されれば一巻の終わりだ。海中自体にも幾重に警備網が敷かれているが、内部は海中以上に接近されやすい。

 侵入した破壊工作員スパイ反企業連レジスタンス等の敵対勢力は引く手数多。

 だからこそと、〈エンパイア〉から自動生産される自動機械郡オートマタや企業群所属軍や各社雇いの重武装傭兵サムライ電脳走者ランナーを絡めたシフトで守られていた。

 故に彼ら、低層民は中へ中へと押し込められる――のだが、今度は〈エンパイア〉の中枢機関へと近づくことになる。

 これもまた、やはりというか強固なセキュリティが敷かれていた。

 結局、こうして低層市民が近づける区域は自然とドーナツ上となった。

 そうして出来上がったのは低層市民やホームレス、何処ぞの何とも知れぬ輩が闊歩する低層街である。


 そんな低層街にて――。

 

 『クソッ!! なんだあれ!! なんでとおんねえんだ! こんだけ撃てば戦車でも止まるぞ!!』

 

 焦燥に焼かれが声が彼らを繋ぐ生体組込式端末バイオデッキの無線に響く。

 幾度目かの問だった。誰も答えられない。だからこそ、問は何度も放たれた。

 

 『黙って撃て!! 近づかれたらスクラップだぞ!』

 

 答える怒声にもやはり焦燥。これも何度目かの繰り返し。

 

 ディープブルーの迷彩塗装された強化外骨格エクソスケルトンが五人。

 人体であればものの一秒未満で肉片に変える暴威が一つ、二つ、三つ――と荒ぶ。

 闇を灼くマズルフラッシュ。闇を撃ち抜く鋼の叡智。弾尽きるまで終わらない文明の槍。

 人差し指はトリガーから離れない――離れさせてはならない。

 離れる時は、彼らの指が動かなくなる時。

 

 場所は低層街が一角。普段なら喧騒に満ちているのだが、今あるのは死骸の山。

 低層街の住人など気にしない銃弾の雨霰がこれを作った片割れを担っており、もう片割れと言えば、無論、彼らの銃弾が向けられている先であろう。

 彼らの死因は主に巻き添えだった。

 多国籍企業郡某国企業所属機械化小隊――強化外骨格エクソスケルトン義体者サイボーグで構成されている――の部隊員である彼らですら気にする余裕が無かった。

 最初こそ彼らも避難誘導等を行っていたがそれの到達と同時にスクラップにされた仲間と低層街民を前にして彼らの余裕は消え失せた。

 彼らの引き金に躊躇いはない。

 狂乱に駆られるほど彼らは軟ではない。彼らは生粋の軍人だ。企業群に忠誠を誓う戦場の輩だ。

 そんな彼らが強行せざる得なかった理由とはなにか。

 

 ――それは斬と示す。

 

 銃声があらぬ方へと鳴り響いた。

 吐き出された弾丸達は宿した叡智を無意味に返すように道や街灯、壁に突き刺さり、呻く誰かを黙らせる。

 斬り飛ばされたのは兵士達の腕。着込んだ強化外骨格エクソスケルトンごと空をくるくる回って暗がりに消えていく。

 現実に追いついていない焦燥に焼かれた勇ましい顔が音を置き去りにして、上から押し潰されていた。

 

 これが刹那に五回。

 

 出来上がったのはありふれた鉄屑と肉の混ぜものスプラッタ

 それから、ぐしゅりと温かな死肉を鉄片ごと踏み潰す音。

 

 「ピピ、ガガガガ。ピーーガガガガガ」

 

 ごきりごきりと骨骨しく浮き上がった関節を鳴らしながら兵士たちを、このスラムの住人を立ち塞がる、塞がらない関係なく惨殺し続けるそれは裸足で道をべたりと踏みながら前進する。

 その時、消えかけの街灯が最後の輝きとばかりに大きく点灯した。

 

 照らされたのは――栄養失調めいた少年。腕の代わりに生えた鋼の翼。三百六十度回転し続ける無明が如き瞳――つまるところ、異形である。

 

 歩くガガ歩くピピ歩くピガガ

 

 確かな一歩を踏み締めて、異形は行く。

 ドーナツの真ん中を目指して。

 

 

 

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 それを見つめる眼があった。

 眼は六つ。

  

 暗色の金属塊が異形より離れた場所、並ぶ建造物の物陰で息を潜めていた。

 いや、張り付いていた・・・・・・・

 それは背負い物ランドセルと左右に四足、合計八足を生やした金属の蝸牛・・である。

 蜘蛛と蝸牛の複合体のような見た目であった。角のように渦巻く殻=背負い物ランドセルの前にある四角の頭部には左右共に正三角形で配置された複合式複眼マルチセンサー

 体長は全部合わせて小型機関二輪原付き程。あまり大きくはなかった。

 見た限りで言えばこの〈エンパイア〉では珍しくない自動機械オートマタの類である。

 

 しかし、これは並のものではなかった。そこらのマフィアや反企業連レジスタンスの扱う市販品やジャンクで補う方法では決して出来ない加工があった。

 

 ――光学迷彩である。

 

 自身を周囲の風景に溶け込ませ、人や類似する観測物の視界から消え失せる最新鋭技術ハイテク

 基本的に光学迷彩加工を施すのはそれこそ専門中の専門。秘匿された技術であり、流通はない。

 いや、光学迷彩自体に市販品も存在しないことはないが、基本ブラックマーケットなどで企業群系列軍からの横領品や表沙汰に出来ないもの。しかもそれが恐ろしいまでの高値がつけられる。

 だが、資金問題をクリア出来たとしてもこういった特殊装備はかなり足がつきやすい。

 基本企業軍からしか流れないし、流れ物以外を使えば直ぐに解ってしまう。

 つまるところ誰も買わないし、引き取らない。

 

 それらをクリアした上で、闇に乗じ、光を拒んだこの八足機械オートマタは恐ろしいまでに隠密に長けていた。

 ならばこれは誰ものか?――決まっている。

 

 『こちら多国籍企業郡大日本帝国系列企業〈富士山〉治安維持連隊九番〈蝸牛〉所属〈観測者=拾七号ウォッチャーセブンティーン〉』

 

 きゅるりと複眼のカメラアイがそれぞれ与えられた命令に合わせて拡縮。異形の姿をしっかりと捉える。

 

 『対象異生命体ターゲットは他部隊、及び周辺住民を排除し未だ直進――やっぱり〈エンパイア〉│中枢機関メインエンジンを目指していると思うよ』

 

 秘匿回線による通信――思わず持論を混ざてしまう。

 言葉の印象としては幼さがあった。年齢で言えば、大体十やそこら。

 だからだろうか。観測手は、対象のあまりに異様な姿形に気圧されていた。

 瞬く間に強化外骨格エクソスケルトン小隊を斬り捨てた手腕はあまりにも鮮やか。

 しかし、外見は見せた技量とかけ離れた様相。正しく悪夢的であった。

 それがとても観測手にはアンバランスだった。人に造られたようで造られていない。理解できなかった。こうやって芽生えた不理解は観測手に根を張り、恐怖を生んでいた。

 

 『報告了解。引き続き観察を継続せよ』

 

 しかし下される言葉は冷たい。

 そして、観測者と同じ声。けれど、こちらは冷たさからか大人びて聞こえる。

 年齢で言えばもう一つ二つ上くらいだろうか。

 

 『……私、もう嫌なんだけど』

 

 臆面もなく告げられたのは不満。口を尖らせる少女の様子が言葉の端々から伝わってきた。

 正直もう見ていたくなかった観測手は駄々をこねるように不満を口にしてしまっていた。

 ――実際のところは内心で止めておく予定だったのだろうが、もう遅い。口に出してしまっている。

 だからもう観測者は徹底抗戦の構えだった。

 

 『〈観測者=拾七号ウォッチャーセブンティーン〉……』

 

 報告相手――監督者から嘆息が溢れるのを彼女は聞いた。溜息を吐きたいのはこちらもだと、不満が内心に溢れる。

 

 『八番目の私の可愛い妹。分かってる。私も貴方と同じ様に見てるのよ?』

 

 『……もうやだ』

 

 会話にならない。天を仰ぎたくなりながら監督者は懸命に言葉を作る。

 

 『一番近い貴方が一番苦しいのはわかる。私も貴方なんだから・・・・・・・・・・

 

 『…………』

 

 返答は沈黙。監督者は耳を傾けている雰囲気を感じ取っていた。

 もうちょっと、もうちょっとでどうにかなる――言外の確信をどうにか言葉に出さないように、伝わらないよう監督者は言葉を選んだ。

 

 『だから、ほら。これが終わったら好きなもの食べていいから』

 

 『……なんでも?』

 

 『…………なんでも』

 

 躊躇いがあった。彼女ら――観測者達妹達のなんでもは重い。物量的にも味わい的にもカロリー的にも何もかもが重い。

 まあ、致命傷を受けるのは統合体――ああ、もういいでしょう? 正直、私も興味があるんです。といった具合でやってしまえと破れかぶれに監督者は言い放った。

 

 『じゃあ、やる』

 

 ――監督者が溜息を堪えるのに努力を要したのは言うまででもない。

 

 『それじゃあ、よろしくね』

 

 『ん』

 

 ちなみに、此処まで一秒未満である。

 回線がぷつりと切れる。こうしてまた観測者による対象――異形の追跡劇は暗がりから暗がりへと絵面を地味にして展開されていくのであった。

 

 そう、そうなる筈だった。

 

 『???』

 

 センサーに感ありと観測者の眼がそちらへと向く。

 カンッと金属を蹴る音。異形の通ってきた道をなぞるように足音は近づいてきていた。

 何奴と走るのは観測者に搭載されたセンサー類。最新鋭の間諜兵器スパイグッズはものの見事に捉えて――。

 

 『おろろ? なんでこんなところに――』

 

 見知った顔に目を丸くした。

 

 『やっほー! 君こんなとこでなにやってんのー??』

 

 『ッッ!!??』

 

 急ブレーキ。高速移動の最中に繋げられた思わぬ通信は、ヨシカゲの動作を乱すの十分な効力を持っていた。

 蹌踉めきながら足を止めて、

 

 『な、この声は……!!』

 

 驚愕を開かれた回線に思わず叫ぶ。

 

 『こっちこっち』

 

 ヨシカゲの近くにある路地の影からひょこりと顔出した六つ目頭が前足をくいくいと動かしていた――恐らく手招きだろう。

 

 『君は……〈蝸牛〉の……』

 

 ヨシカゲにとっては比較的身近な存在だった。

 治安維持連隊の面々にとって彼らと彼女らのもたらす情報は生命線に等しい。

 ヨシカゲへ届けられるバイトメニューミッションも〈蝸牛〉の面々が集めたものだ。

 情報こそが生死を分ける。

 いつの時代でも共通する絶対的な不文律は、この時代、この〈エンパイア〉でも当たり前だった。

 

 『いえすいえす。〈観測者=拾七号ウォッチャーセブンティーン〉だよ。気軽にせてぃーちゃんって呼んでね』

 

 『え、あ、ああ』

 

 しかし、こうやって面と向かって話すのはヨシカゲにとっても初めての事だった。

 遠目に見たことはある。なにせ、この八足機械オートマタは〈エンパイア〉中を跳び回っている。肉眼で捉えるのは難しくても強化外骨格エクソスケルトンなら出来る。

 だから、初めて見たわけではないのだが。

 こうして目の前にしてみると……。

 

 『でさー、なにしてんのこんなところで。君、〈蟷螂〉の傭兵バイトくんでしょー? 君ら待機命令出てたと思うけど』

 

 ――思った以上にフランクだった。

 というか聞き逃してはならない類の情報があった。

 

 『待機命令……?』

 

 『え? 知らないの?』疑問符を三つくらい頭に浮かべた後、『ついさっき出てたと思うよ?』

 

 『あー……』

 

 忘れていた。そう忘れていたのだ。ヨシカゲは思い出した。

 あのユキカゲとの闘いの際、鳴り響いた通知音を一瞬で黙らせたのを。絶対に鳴らすなとAIに思考を叩きつけたのを。

 今になって思い出していた。

 やらかした……減給で済めばいいな……と後悔の念を募らせるヨシカゲを前にしても観測者は待たない。

 

 『ていうかよく見ればボロボロだね、君』

 

 『あーそれは……』

 

 またまた痛いところを突かれ、どう説明したものかと思考を巡らせようとした時。六つ目が一斉にヨシカゲから他所へ向いて。

 

 『あっ、無駄話し過ぎちゃったかな』

 

 観測者に響いたアラート。センサー類は異形が離れていくのを知らせ、彼女に追うよう急かせる。

  

 『じゃあ、私お仕事行かなきゃいけないからまた今度ねー。ちゃんと戻って待機しとくんだよー』

 

 と、一方的に言い残して、左右合わせて八脚の先を踏ん張らせて、ぐいっと体を鎮めて跳ね上がる――。

 

 『ちょっと待ってくれ!!』

 

 『ぬぉっと!』

 

 ――ところにヨシカゲは出来うる限りの大声量を思考通信でぶつけて待ったを掛けた。思わず姿勢を崩す観測者。外見のわりにすごく人間臭い。

 

 『えーなにー』

 

 とてもとても不服げな声がヨシカゲの脳内に響き渡る。

 その声に含まれてる意思は分かっている。さっさと命令に従えという自分の声も聞こえた。あのケンゴがああなったというのに自分がどうせ行っても無駄だという諦念も感じた。

 その声に負けないように、意を決した彼は言葉を放つ。

 

 『…………俺も、連れて行ってくれ』

 

 『……さっきの聞いてなかった? 君、待機命令出てるよって』

 

 不服が一変。嫌に静かな言葉がヨシカゲを打ち据える。

 

 『それでも……行かなきゃ行けないから』

 

 実際のところ、ヨシカゲが行って出来ることなど何一つとしてない。

 彼はケンゴのように狩人ではない。何よりこの破損した強化外骨格エクソスケルトンで何ができようか。

 対面すれば先の青の強化外骨格エクソスケルトン達よりもっと保たず、酷い蹂躙をされるだろう。

 ――だが、行かなければならない。行末を見届けなければならない。きっとケンゴあいつも来るだろうから。

 ヨシカゲを向かわせる意思はそこに収束する。

 親友の向かう先を見なければならない。知っておかなければならない。

 

 『俺はもう――』

 

 ぎゅっと握りしめられる手。うつむきがちになる顔。引き絞られた唇。

 

 『――いいよ』

 

 『ッ!!』

 

 答えに期待はしていなかった。だからこそ振り上げる速度は早く。詰めた距離は近かった。

 

 「いいのか……?!」

 

 思わず肉声になるほどだ。

 

 『ち、近い……! 後声……! 出てる……!!』

 

 狼狽える観測者。あわあわと出もしない汗のエフェクトが見えるような見えないような。

 

 『あ、ああ……済まない。感情が昂ぶりすぎて……』

 

 『こ、コホン……』意味の無い、誤魔化しめいた咳払い。『なんだか知らないけど上の方から連れてこいって指示が出たの。だから仕方なくだかんね!』

 

 強調する語尾は念押しを感じた。

 

 『助かる』

 

 再び下げられる頭。さっきよりもずっとずっと低く下げられた頭は今にも地につきそうだ。

 

 『ああもう……ほら! さっさと行くよ!!』

 

 ぷいと踵を返すように向けられた八足機械オートマタの尻にある渦巻きめいた背負い物ランドセル――見れば整備用かもしくは何かの運搬用かに備えられたであろう取っ掛かり。

 どうやら掴まれと言ってるらしい。ヨシカゲは大人しく手を掛け、足を引っ掛ける。

 ――同時に、勢いよく路地から跳び出した。

 八脚を自在に操る八足機械オートマタ特有の高速移動は音をたてず、地を蹴り、壁を蹴り、天を蹴り、この狭苦しい低層街を駆けていく。

 ヨシカゲは邪魔をせぬように身じろぎ一つせず息を殺し、視界に映る修復状況パラメータに目をやった。

 どこまでやれるかは分からない。しかし備えあれば憂いなし――後悔が今の彼にとって最も忌むべきものであった。

 こうして、奇妙な二人一組は異形を追い続ける。

 だからいずれ辿り着くのは同じ場所――。

 

 

 

 

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 上機嫌な歌が聞こえた。

 響くテノール。暗闇とそれに反するかの如く煌めき連なる超多重構造高層建造物の合間を縫って、消えていく。

 

 「Happy Birthday to you Happy Birthday to you」

 

 誰もが知っているあまりにポピュラーなバースデイソング。この時代でも記録アーカイブされ、人々の間に流れ続けている。

 某所雑居ビル屋上。観客は一人。

 レイ=ブラッドフォードは陰鬱かつ複雑気な顔で、屋上の縁に腰掛け歌うクローク=F=エンボルトの後方に立っていた。

 視界端には異形が下層街をゆっくりと歩む映像――無論、リアルタイム。反対側にはチャットのタイムライン。彼女の所属している〈ハンターズ〉、〈情報部〉。そして、〈マーキュリー〉各部署間のやり取りが高速で流れていた。

 一般部署に動きはない。当たり前だ。自宅待機指令オーダーオブマジェスティが出ている。動けば良くて減給。悪くて解雇。

 他部署――特に情報部や警備部、多国籍企業郡所属〈マーキュリー〉軍部、〈ハンターズ〉の辺りは忙しげだ。

 現状確認に務めるのは彼女の生存戦略ライフワーク、日課だった。

 だからこんな時も、またここに連れ戻されたこの心臓に悪い状況でも彼女は自身を忘れていなかった。

 

 ――未だに、此処が現実かどうかが分かっていない。

 先の仕事――ユキカゲの回収も終わって久しく連れ戻された。方法はさっきと変わらず。

 この空間が精巧な仮想空間か、もしくは電脳か。もしくは、最も非現実的な空間転移テレポートか。

 分からない。彼女に理解する術は無かった。

 

 「Happy Birthday Dear――おっと、大事なことを忘れていた。ははは、私としたことが」

 

 上機嫌にリピートするエンボルトははっと思い出したように歌を中断した。

 何を忘れていたのか。続く歌詞からレイは察している。

 だからか、新たなウィンドウが開く。目録検索起動パラレルアクション


 「名前を付け忘れてたよ」

 

 床面につけていた左の指先を額につけて考えるような素振りを見せる。

  

 「そうだねえ……」首を後ろに傾ける風にレイへと振り向くと「君はどんな名前がいいと思う?」

 

 「……あの異形のことでよろしいでしょうか?」

 

 「ああ、勿論さ」レイが調べた咬切ケンゴがしそうにない穏やかな笑顔でエンボルトは頷いて「私の秘書としての初仕事だ。良いのを頼むよ」

 

 厄介な話だと表情に出さないよう慎重に思って眼鏡のブリッチを添えた片手で撫でるように動かす。

 網膜投影プロジェクタされた先の検索ウィンドウでは忙しなく候補の取捨ピックアップが繰り返されてる。

 ウィンドウタスクの一つ。異形の映像へ意識の一片をやる。

 ――死が多すぎる。彼女の感想だ。

 振るう刃翼の前には何者も無意味だった。鋼が、肉体が、意思が、魂が悉く塵となって下層街に降り積もる。

 これに名をつけると目の前の新たな主は言う。

 名をつけるというのは、意味づけるということ。役割や存在の価値を定義すること。ただ単に記号化して、伝えやすくすること。

 なんにせよ主は名を望んでいる。どういう意図かは分からない。このクローク=F=エンボルトという男には分からないところが多すぎる。

 

 何よりも最初に彼女、レイ=ブラッドフォードがこの男、異業者パラケルスス=クローク=F=エンボルトについて調べ上げた結果を開示するとしよう。

 

 まず咬切ケンゴについて。彼の過去については何も出てこなかった。

 簡潔にするとこれに尽きた。過去というかなんというか。彼の直近の軌跡を辿ることは断片的であるが可能だった。

 中層の一般民クラスのスクールに通う学生。サボりがち。素行不良。前時代的に言えば不良というやつだろう。

 各所の監視カメラや防犯システム等に彼の暴行沙汰などの断片を見て取れた。

 大体のプロファイルはその辺りで仕上がっている。

 思想や言動、行動理念――下絵は済んでいた。

 だが足りない。彼女は思う。これだけではこの咬切ケンゴという青年を描くのには足りない。

 直近の軌跡とは彼が人である頃の後追いでしかないのだ。それから先、狩人としての彼。そしてそれよりもずっと前の人であって、残されていないミッシングリンクが必要だ。

 

 そう、そこにきっとこの男、異業者パラケルスス=クローク=F=エンボルトと咬切ケンゴの関係性はある。

 

 順序よく行くとしよう。

 ならば無論、異業者パラケルスス=クローク=F=エンボルトの話になる。

 といっても彼についても語ることは少ない。

 この男は第一次企業群戦争における殺戮教唆者マーダーインクであり、技術革新者テックレヴォリュータ

 あらゆる殺戮を教唆し、幇助する。科学を建前に彼は全てを推し進めた。

 ――というのが一般的、ある界隈的には一般的な表沙汰にはならない闇に葬られた彼の経歴。

 顔すら残さず、ただ名前と役割のみが闇に刻まれていた。

 それ以上はない。それ以下もない。

 だが、レイ=ブラッドフォードはこの男について知っている。

 ミッシングリンクの一欠片。この男と咬切ケンゴ、二つの存在の酷似を。どうしようもなく瓜二つの男達を。

 きっと、その繋がった先に答えはあるのだ。

 

 しかし、手掛かりが少ない。謎解きをするのにもこの二人は情報が足りない。

 

 彼と彼の顔が同じだという事実に辿り着けたのも一重に奇跡と言えた。

 同僚=御堂ユキカゲがただ一度、見て、知っていた。

 一度、彼と会っていた。同じ顔を、同じ風貌を、同じ背丈をその目に映していた。

 一度、名を聞いていた。その名を、今と変わらぬ声で。

 彼の幼き日のことらしい。彼が慕った父と共に、その仕事繋がりで出会っただけ。

 ただ、それだけ。

 

 だからこの男の仕事リクエストに答えるのは難しい。

 何を考えているのかが全く分からない。だから希望に添えない。

 

 「――――無知を承知でお伺いたい。あれはどういう役割で?」

 

 合理的だ。解らなければ問う。教え願う。当たり前の行動だろう。聞かぬは一生の恥とも言う。

 

 「そういえば伝えてなかったね。なるほど確かに」愉しげに層下へ視線を下ろし「役を知らぬものの名を付けるというのは、そうだね、とても傲慢なことだ。役を押し付け、枠に押し込むが如き所業――とても酷いことだ」

 

 ほとんど独り言だった。演技がかった言葉は聞かせる気がないような雰囲気。

 恐らく癖か何かだろう。言葉は一応、レイへと向けられていた。

 次の言葉がその証明となる。

 

 「――アレは開けるモノだよ」端々を喜色も染め上げて「あの異形は鍵なのさ」

 

 「……鍵、ですか」

 

 困惑の強い返答。言葉の意味がレイには理解できない。

 

 「そうとも」強い肯定「今、この〈エンパイア〉を真に開放する為の鍵。それこそ彼さ」

 

 「開放、ですか」

 

 「ああ」笑み「そうとも」

 

 「……分かりました」カカッと片手を踊らせて「これでいかがでしょうか」

 

 指し示す。ホロウィンドウが彼の、エンボルトの視界に映り込む。彼の視線が文字を認識すれば、唇は弧を描いて。

 

 「いいじゃないか。悪くない――ああ、悪くない。君らしく実用性に富んだ名前だ」

 

 「ありがとうございます」

 

 軽く会釈。

 

 「……だがやはり少し遊び心が足りないと、私は思うね」

 

 男は笑みとともに差し出されたホロウィンドウを軽く操作、文字が踊り――完成。

 

 「Happy Birthday Dear――」

 

 囁くように、嘯くように、叫ぶように。

 

 「――――先触れたる者Master Key

 

 人差し指が空に描いた。

 

 

 

 

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