第17話 イン・ザ・アンダーレイヤー 4

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 「仕送り、足りてなかったですか?」

 

 次にユキカゲから出たのはそんな言葉だった。

 彼なりに心配だったのだろう。声色は如実にそれを伝えてきたし、表情にも感情が現れていた。

 

 銭湯跡地。暗い天井――超多重構造建造物の底の暗黒が今は亡きここの天井の代わりをしていた。

 壁も無残。散らばる機械塊達、ロッカーの残骸。

 外を見渡せば、血と臓物と肉片も飾り付けとばかりに散らばってるだろう。

 

 戦場跡地。ここはその言葉が酷く似合った。

 

 だからか。ユキカゲの言葉は、酷く空虚にヨシカゲには聞こえた。

 返す言葉に思考を巡らす――と、先んじてユキカゲがまた口を開いた。

 

 「足りないからって富士山の傭兵アルバイトをするなんて……」

 

 悲壮極まる表情であった。

 

 「……足りてたよ」

 

 嘆息。

 

 「俺や母さんが生活するには多いくらいだったよ。どんな仕事をしてるのか気が気でなかった」

 

 「いや、まあ。それはですね……」

 

 今度は苦笑い。

 いつも見ていた笑い方。

 兄弟から見てもなんだか胡散臭い笑い方。

 片方だけ掻き上げて、もう片方だけ長く伸ばした黒の髪型アシンメトリー

 変わっていない――それだけが、ヨシカゲには嬉しかった。

 

 「もういいよ。何やってるかはよくわかった」

 

 とりあえず。

 

 「ありがとう。助かったよ、兄さん」

 

 言っていなかった礼をヨシカゲは口にした。

 いつぶりだろうか。少しの面映さを感じながら言葉を作った。

 

 「弟を護るのは、兄の役目ですから」

 

 にっこりと微笑ってみせた後。

 

 「いやまあ、こうなったのは偶然なんですけどね?」

 

 「……偶然?」

 

 ヨシカゲは笑みを浮かべたまま。

 

 「これを偶然で片付けるのは無理だろ、兄さん」

 

 ――貼り付けたような笑みになった。

 ユキカゲに生じた自然な遷移。最初からそんな笑みをしていたかのように、自然な。

 

 「……お友達、一緒に来てましたよね?」

 

 「なるほど、あいつが狙いか」

 

 合点がいった。

 どんな仕事をしているかどうかは兎も角、どこに勤めているのかは知っていた。

 多国籍企業郡米国企業〈マーキュリー〉。

 仕送りとしての振込はそこから毎回行われていた。

 多国籍企業郡には、基本黒い噂が付き纏う。

 どれだけホワイトでどれだけ慈善事業に力を入れても、だ。

 特に〈マーキュリー〉という企業は真っ黒。

 

 軍事系企業の間では、日頃から非常に激しい競争が行われている。

 

 ――企業間戦争というものがある。

 直接的な戦闘行為というよりも、委託戦争や代理戦争、紛争めいたもの。

 旧世界――多国籍企業郡が存在しない頃、国家間で行われていたことが、企業間という資本に偏った彼らにすり替わったくらいだ。 そこで色々と表沙汰に出来ないことができるのが、彼ら企業群、軍事部門ということになる。

 そういう表沙汰に出来ないことを隠蔽し、力で通す企業郡というのが存在するわけだ。

 つまるところ、〈マーキュリー〉軍事部門もその一つ。

 

 人々は、企業は常に新しい技術を求める。

 新たな兵器開発や薬品、食料――数多に新たな資本を確立させるために。

 人の変わらないサガが、今、異形や狩人に向いたということだろう。

 

 末端であり、企業郡というものの悪徳や悪逆を間近に見てきたヨシカゲにはそれが容易に予測出来た。

 

 だからこそ、鞘走る。

 高い金属音が空間を斬り裂いた。

 

 「強くなりましたね。ヨシカゲ」

 

 「ッ――!」

 

 鍔迫り合い――というのにはそれは変則的だった。

 片や、純白の太刀。

 片や――腕、前面。

 完全に触れ合っていなかった。

 刃と腕の間の空間に何かが生じていて、結果、鍔迫り合いめいた光景を生んでいるのだ。

 

 「兄さん、それは……!!」

 

 刃と何かの境の向こう側でヨシカゲは目を見張る。

 

 「便利ですよ? ええ」

 

 長い前髪の向こう側には、貼り付けたような微笑み。

 

 「強化外骨格 ソ レ と違って、使い勝手いいですし」

 

 「義体サイボーグ……!!」

 

 「大当たり」

 

 圧力が増した。笑みも深まる。

 

 「機関化エンハンスもおすすめされたんですが――」

 

 展開される圧に負けて、峰が眼前に迫ってくる。

 

 「どうにもあの脳無しの鉄屑は気持ちが悪くてですね」

 

 笑みに苦味が混ざる。

 相も変わらずよく表情が変わる兄弟だ、とヨシカゲは食い縛る。

 

 「そう思いません? ヨシカゲ」

 

 「知らねえ、よ。糞兄貴……!!」

 

 思わず正直な言葉が出てしまった。

 言葉に応じて、ユキカゲの表情が切り替わる。

 眉を顰め、悲しげな。

 

 「その口調――ああ、友達の影響ですか? 残念です……」

 

 膝が地につく。

 離れようとすれば餌食になる。だがこのままでも駄目だ。

 焦燥が背中を伝う汗となる。

 

 「余計に、持って帰らないといけなくなりましたねえ……」

 

 瞳が剣呑に光った。

 

 「私も残業がうんざりなんですよ。傭兵アルバイトをしているならすこしは分かるでしょう?」

 

 「――残念ながらうちは、ホワイトなんだよ。兄さん」

 

 勝ち誇ったようにヨシカゲは食いしばった歯を見せながら笑ってみせる。

 

 「残業代もバイトだけどでるし、時給も標準よりかなり上――兄さんみたいな社畜奴隷なんてなろうとすれば放逐されるくらいだ……!!」

 

 ぐっと力が篭もる。左膝が持ち上がり、右の脚裏がしっかりと地につく。

 

 「正直言えば、兄さんの時給より上だよ……!!」

 

 そして、不敵に笑ってみせる。

 

 「なぁ……!?」

 

 ――抑えきれない動揺であった。

 あまりにも衝撃的だったのだ。なんということだ、と。なんて様だ、と。

 こっちは正社員で馬鹿みたいに残業をしているというのに、傭兵アルバイトよりも時給が下……?!

 信じられなかった。

 けれど、事実に衝撃を受けてしまった。

 

 だから、隙が生じてしまったのだろう。

 

 押し返す――いや、流した。

 力で勝てないのは分かっていたから、ヨシカゲは力場の上を撫でるように刃を滑らせた。

 刃面から、棟へと流すようにして。

 するりと右の脇へ。ユキカゲの利き手でない方へと抜ける。

 力を込めままだったから、ユキカゲは軽くつんのめった――けれど、やはり体勢は完全に崩れない。

 衝撃からの回復は早い――というよりも、躰がほぼ勝手に動いているのだろう。

 

 ――義体サイボーグというものは、機関人エンハンサーと似て非なるものだ。

 義体サイボーグユーザーは、感情や人間性を機械に売り渡していない。

 生身ナチュラルよりも頑丈ではあるが、脳髄を維持しているし、具合によれば内蔵も生身のままだ。

 食事も取れるし、性交もできる。つまり排泄も必要だ。

 そんな風に、人の感情無駄と機械の無慈悲さ利点が共存している。

 それは時に役立つし、時に足枷になる。

 

 

 そして、これは恐らく――。

 

 

 ぐるりとユキカゲの視線が向くよりも早く。走った刃を――新たな力場が対応した。


 

 ――正と負が相乗した結果だ。

 

 

 確実に、ユキカゲ自身の意識よりも早かった。

 それは義体サイボーグという利点が生んだもの。

 

 「隠し腕、だとぉ……?!」

 

 ――それを扱うというのはユキカゲのたゆまない努力が生んだものあるのは間違いない。

 目を見張るとはこのことだ。

 ヨシカゲ、今日、何度目かの驚愕である。

 スーツの背を引き裂いて、姿を現したのは五本指の、鈍い銀を宿した機械腕サイバアーム

 それが刃を受け止める何か・・を出力していた。

 

 「流石に早いですね。ちょっと冷や汗出ました」

 

 「どの口が……!」

 

 飄々としたユキカゲに、後に退避ステップしたヨシカゲは苦々しさと驚嘆を入り混ぜて睨む。

 

 「なんだよ、それ!」

 

 間髪入れず、疾走ステップ

 ジグザグの起動を読ませない、捉えさせない。転がるロッカーの残骸や破片を蹴り飛ばして牽制する。

 そうやって、法則性を意図的に欠かせていた。

 

 「意外に人間って、拡張が効くってことです、よ!!」

 

 隠し腕の先。五指を広げた手刀の周りで捻じくれる。

 突撃槍のような、尖端を向けた渦の様な。

 それは形成の刹那、ヨシカゲの蹴り飛ばしたロッカーを斬り飛ばす――お返しとばかりに斬り落とした破片を蹴り飛ばした

 

 「こ、の……!」

 

 目先、真横に大きく飛び退ったヨシカゲの眼前を、強化外骨格エクソスケルトンの表面に引っ掻き傷を刻みつけながら凄まじい速度で後方に遠ざかっていった。

 

 『敵戦力情報更新アップデート戦力値不利アラート撤退推奨エスケープ

 

 さっきからそればかりだ。AIは現状に悲観的な情報しか齎さない。

 

 『黙って、観測してろ……!!』

 

 だから、ユキカゲはそう頭の中で叫んだ。

 

 『了解ラジャー

 

 AIを黙らせて、今度は肉声で叫んだ。

 

 「なんだよそれは! 答えろ、兄さん!!」

 

 「口がナってないですねえ!! ヨシカゲ!」

 

 回避から、加速。

 大気を貫くように、一本の矢が如く彼我の距離を零に。

 ヨシカゲは、まるで瞬間移動したかかのような恐ろしい速度のままに腰溜め構えた太刀を撃ち放った。

 

 ――居合が早いというのは、工程が短い為らしい。

 抜いて下ろすよりも、抜く工程に斬るという動作を含ませる。

 二を一にする工程短縮ショートカットこそが技の真理だという。

 だからこそ、居合術は辻斬り通り魔の手段として一時期全盛したという話もある

 

 そして、射出台抜きの居合――それはこの加速があってこそ実現する簡易居合デッドリィスラッシュである。

 居合とはとても良いがたい奇形であり、本業から見れば失笑ものだろう。

 だが、ヨシカゲにとっての最善だった。

 

 「この距離は、」

 

 けれどヨシカゲは驚愕に目を見開くことになった。

 

 「私の距離でもあるんですよ?」

 

 目にも留まらぬという言葉通りに射出された筈の柄頭に、優しく手が添えられていた。

 

 ――無拍子という技術がある。

 相手の呼吸や瞬き、そういった人体の構造的な隙間や意識の間を突く高等技術。

 五十メートル単位を一秒で詰めるヨシカゲに合わせるのは、正に神業といえるだろう。

 

 「忘れました?」

 

 撃ち損じ。致命的隙。まるで、時が止まったようにヨシカゲは感じた。

 

 「兄弟喧嘩で私に勝ったこと無いって」

 

 眼の前で新たに展開された・・・・・・・・隠し腕サイドアームがユキカゲの左腕に覆い被さり、鈍く銀に輝く斥力篭手ガントレットとなった。

 斥力出力。大気が奇妙な捻じくれを見せる。機関廻廊ジェネレーター駆動ドライヴ

 余波が彼の垂らした前髪を大きく乱れさせてた。

 直後、頭上より無慈悲な一撃。

 ヨシカゲに構える暇は無かった。

 

 「ガッ……」

 

 目を剥いて、ヨシカゲは床に叩きつけられた。

 衝撃に、頭部を覆う装甲が完全粉砕された。

 からんと空虚に太刀が跳ね、転がった。

 叩きつけられた顔面が一瞬、麻痺したような痺れを発したかと思えば灼熱のような痛みが広がった。

 味覚が鉄味に染まる。

 息が詰まる。

 無様極まりない姿を、落とされた羽虫のような様をヨシカゲは兄の眼の前に晒した。

 

 藻掻くことも出来なかった。

 震える手足。視界が明滅。浮かぶホロウィンドウやパラメータは真っ赤レッドアラート

 血で染まっただけではない。破損が致命的になろうとしているのが頭の中で響き渡るアラート悲鳴が示していた。

 

 「……なあ、兄さん」

 

 生命維持――いや、人体補修リペア用の各種薬剤と生体パテが傷口を覆い始めたのを通知で確認し、ヨシカゲは口を開いた。

 

 「なんだい、ヨシカゲ」

 

 穏やかな声色だった。人一人、しかも家族を死に体にしたとは思えないほどに。

 

 「最初の質問、答えてなかったよね」

 

 込み上がる血反吐と注入される薬剤の混ざったクソッタレなカクテルを飲み干して、言葉を作る。

 

 「最初……」

 

 思い出そうとするユキカゲを待たずに、ヨシカゲは続ける。

 

 「初めた理由だけどさ。母さん、重い病気になったんだ。

  兄さんの仕送りとか奨学金だけだとさ、足りなくてさ。だから初めたんだ」

 

 血反吐を吐くような、思いの吐露であった。

 彼にはもう道がそれしかなかった。

 母を助けたい、その一心が彼に他者の殺戮を強いた。

 資本無き者にこの世界は、厳しい。

 旧世界よりも顕著に成った世界法則は、一層弱者に辛くなる一方だった。

 

 「……ああ、そうだったんですね」

 

 唇を噛み、

 

 「早く言ってくれれば……」

 

 口を開いて、

 

 「あの肉袋に止めを刺してヨシカゲを開放したのに」

 

 現れたのは憎悪だった。

 ――嗚呼、やっぱりこの人は変わっていない。

 見ていられなかった。他の家族を憎悪し、自分をあまりにも溺愛する兄の姿を視界に入れるのを躊躇ってしまう。

 それだけは、変わっていてほしかった。

 時間が変えてくれると信じていた。

 

 ――――兄の偏執は、生まれて初めて自分を見た時から始まっていたと、母に聞いている。

 父は自分が生まれるよりも前に他界しているらしい。

 母も天涯孤独とのことで、肉親は母と兄の二人だけだった。

 

 だからだろうか。

 

 兄にヨシカゲへの異常な愛情が芽生えたのは。

 母乳を与える母へ向ける視線は憎悪と赫怒が埋め尽くしていたという。

 常に傍に居続けたと聞いている。

 ずっと、ずっとそれは続いて、共に居る事を強いられた。

 ただ、一緒に居るのが当たり前だと自分も思っていたから苦痛ではなかった。


 けれど、初等学校や中等学校をえて、ついに理解した。

 兄の異常性を。


 それから、兄が家を出る決意をしたのは確か、二十四になって就職した頃。

 勿論、一緒に出ると思っていた兄に、残ると言い渡した時の表情をヨシカゲは忘れられなかった。

 絶望や愛情が入り混じった壮絶な顔が瞳にこびり着いて取れなかった。

 

 ヨシカゲとユキカゲ。二人がこうして言葉を交わしたのは約五年ぶり。

 

 あまりにも血生臭くやり取りになってしまった。

 

 ヨシカゲは後悔していた。

 ずっとずっと。その表情を見たときからどうにか仲を直したいと兄に母を受け入れさせたいと思っていた。


 ――だが、分かってしまった。


 考えたくもない、理解し難い事実に至ってしまった。

 否定は出来なかった。

 どうしようもなく、心の底から理解してしまったから。

 もう、無理だった。

 

 「……そっか」

 

 溢れたのは諦めの一言だった。

 その時、ヨシカゲの視界に完了コンプリートの文字。

 

 「わかったよ」

 

 勢いよく後へとハンドスプリングの要領で跳ねて、構える。

 両の手甲から飛び出す刃。

 示すのは、明確な決裂。

 

 「――もう、俺は兄さんって呼ぶの辞めるよ」

 

 「ヨシ、カゲ……?」

 

 まるで子供のような声色だった。

 その表情に先までの笑みはない。あるのは剥ぎ取られた痕、残ったのは小さな子供。

 

 「そんな、馬鹿な。いや嘘でしょう? ね? そうですよね?」

 

 訊く。問う。縋る。

 ――返答はない。

 

 「……なるほど。やっぱりあの男のせいですね」

 

 子供のような表情は一瞬で消え失せ、現れたのはあまりにも酷薄な殺意。

 ユキカゲを中心に大気が唸る。

 あの斥力膜だ。特に、両腕の斥力手甲ガントレット

 今の所、腕の周りにしか展開していない――いや、出来ないのか?

 推察は、ある種の願望に近いものだった。

 そうあってくれれば、助かるという分類だ。

  

 『目録インデックス参照結果リザルト対象武装特定完了コンプリート

  対象武装:対物斥力膜アンチマテリアルフィールド

  概要:限定的重力操作機構。展開限界は両腕及び隠し腕サイドアーム、指先から二の腕と推察』

 

 『……対策は?』


 唐突な声にやや驚きながらヨシカゲが訊けば、

 

 『――強化外骨格エクソスケルトンの破損状況を加味し彼我の戦力差計算。  ――結果。

 斥力壁自体の突破は不可能――。

 推奨行動 :逃走

 非推奨行動:斥力膜展開不可部分への攻撃。

 ――参考情報エミュレート:高確率での敗北。

 御堂ヨシカゲユーザー全力撤退をエスケープ

 

 『―――まあ、そうなるか』

 

 苦味が思わず口端に浮かぶ。

 勝機が薄いことは解っている。解りきっている。

 ――だが、ケンゴアイツの元には通さない。俺の友情が許さない。

 ヨシカゲの戦意は未だ消えず。

 

 しかして、ユキカゲより立ち上るのは猛烈な自己中心的思念エゴイズム

  

 「くく……ああなるほど。許しませんよ」

 

 酷く陰湿な笑み。溢れる声は憎しみに塗れている。

 

 「――クローク=F=エンボルト」

 

 ―――今、なんて言った?

 

 「いや、誰だよ。それ」

 

 思わず言葉が溢れていた。

 急に出てきた赤の他人の名前、困惑しない訳がない。

 

 「誰? ヨシカゲ、君の友達――というには年齢が離れすぎているかもしれませんね。それに彼の現役は企業群形成時代」

 

 「一体何を……!」

 

 訳が分からない。何故こんな会話になったのか。この会話の意味が読めない。

 彼の言おうとしていることが、ヨシカゲには分からない。

 

 「異業者パラケルススの一人、クローク=F=エンボルトは第一次企業群戦争で最も人を殺した男ですよ」

 

 ――第一次企業群戦争。

 第二次大戦後の冷戦や紛争、資源争奪の果てに生まれた多国籍企業群による最も最新の戦争。

 集まり過ぎた資本と高まった技術、表沙汰になった旧界法則オールドロウ、それらによって高まった国家間の軋轢。

 全てが積み重なって、土台になった弱者が潰れ崩れ落ちた結果、巻き起こった世界戦線。

 今や最新の戦争として歴史の講義では大幅に時間を取られている。

 そこで生まれた英雄や技術に兵器は勿論、語られた。

 

 「そんな有名人、知らないわけがないだろ」

 

 講義内容や読んだ参考書等を思い返したヨシカゲ、即座の反論。それにユキカゲは少しばかり口元を緩めると頷いて肯定を見せる。


 「かの戦争で著名になった禁止兵器はだいたい、彼が作ったらしいなんていう話がある人間です。

 事実だとすれば、歴史的に消されてもおかしくはありません」

 ――ええ、怖気が走るほどの邪悪ですね、全く」

 

 含み笑いと共に憎悪で塗装された言葉が路面に打ちつけられた。

 

 「そんな、馬鹿みたいな改竄行為……」

 

 妄想だと一言に断じることは容易だ。

 だが、この現状でこの話を初めたことには間違いなく意味がある。

 ――なら、意味とは?

 

 「ええ、ええ。ヨシカゲの言う通り、それほどの有名人ならいくらなんでも記録が残っていなくてはおかしいですね」

 

 苦々しさと実感が籠もっていた。

 

 「お陰で苦労しました。私も写真一枚見たっきりの記憶を引き摺り出す羽目になりましたから」

 

 「それがアイツとなんの関係がある!!」

 

 思わず怒鳴っていた。

 勿体ぶった語り口調。苛立ち混じりで苦々しさもありながら愉しげなのにヨシカゲは腹が立ったのだ。

 

 「これは……」

 

 と、そこでヨシカゲの視界にファイルの受信可否が表示された。

 ちらりとユキカゲの方を見ると、片眉を上げて片方の掌を向けてくる。

 一瞬の逡巡の後、開封――。

 

 「――――なんだよ、これ」

 

 現れた慄然と並べられたテキストと幾つかの画像ファイルがまとまったPDF。

 目を通し終わると自然に声が出ていた。

 乗っていた感情は――困惑。

 

 「見た通りですね」

 

 肩を竦めて、ユキカゲは笑みを深めて。

 

 「どうします?」

 

 追い打ちとばかりの問いかけがヨシカゲの耳朶を叩いた。

 

 「――どうするも、こうするも」

 

 タンッと地を蹴る音。

 

 「これが本当だという証明は無いだろうッ!!」

 

 叫びがユキカゲに到達したのは、それこそ二人の距離が零になった時だった。

 独楽のように空中で身を翻したヨシカゲの手甲剣が勢いを乗せて炸裂する。

 

 「ああ、確かにヨシカゲの言う通りですね」

 

 やはり反応は早い――差し出された右腕から斥力膜が出力――触れることもなく難なく受け止められる。

 

 「それだけじゃ、君を――」

 

 言葉が途切れたのは、驚愕からだ。

 

 炸裂=閃光=爆風。

 

 超至近距離からの閃光手榴弾スタングレネード円月爆輪チャクラムボム

 吹き荒れる二つ。

 無論、閃光に関しては互いに対策済みだ。

 ユキカゲに関しては、義体サイボーグという構造上そういう弱点は潰しが効く。

 義眼サイバアイの光量調整と熱探知サーモグラフィが閃光の垂れ幕を取り払う。

 

 前方=ヨシカゲの姿を視認――出来ず。

 

 一瞬手前まで右腕の斥力膜との干渉があった。

 なら、何処に――?

 後方反応=音響探知ソナー

 

 取り巻く煙の中へ。スーツの裾を翻しながら左の斥力手甲ガントレットを叩き込む。

 圧に吹き飛ぶ煙の向こう側に手応え――有り。

 しかし、ユキカゲは目を見開くこととなった。

 

 そこにあったのは――強化外骨格エクソスケルトンのみ・・

 

 大きく裂けた強化外骨格エクソスケルトン――前面装甲をパージして、ヨシカゲは距離を一瞬で詰めた。

 ユキカゲの右が唸る――同時に、視界に舞う何か。

 視認した時にはもう遅く、炸裂。

 強烈な電磁波パルス――斥力膜の出力が滞り、視界に激しいノイズと歪み。

 まずいと思った時にはもう遅く、ユキカゲの意識は刈り取られていた。

 

 ――〈大日本帝国企業郡式傭兵刀戦術〉

 

 水月を貫きボディ

  

 ――〈蟷螂が崩しアレンジ

 

 顎を打ち抜いたのだアッパー

 

 ――〈貳拳ニカマ

 

 単純な組合せセオリーコンビネーションであるが。

 しかし、今この瞬間に必殺デッドリィフィニッシュとあいなった。

  

 「……生身が残ってて助かった」

 

 残心のちに息を吐きながら、ヨシカゲは苦く微笑って。

 

 「さようなら、兄さん」

 

 声は静かに響いて、転がったままだった太刀を片手に踵を返した。

 律儀に更衣室を抜け、出入り口から銭湯跡地に背を向け――低層を揺るがすような地鳴りの方へ向くと。

 

 「――確かめよう」

 

 一歩、踏み出した。

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 「――――まだまだ、ですね」

 

 一人だけになったそこで、ふっと目を開け、ユキカゲは微笑んだ。

 

 「壊す気でやらないと、義体サイボーグは死にませんよ」

 

 と、上体を起こそうとして体が鈍いことにユキカゲは気づいた。

 それから足元に転がっていた円柱型の金属を発見し、先程のことを思い出して理由を察した。

 

 「電磁手榴弾パルスグレネードですか」

 

 義体サイボーグとして戦闘用にチューンされたユキカゲでも近距離からの電磁手榴弾パルスグレネードは流石に効果があったらしい。

 あの閃光手榴弾フラッシュグレネード円月輪爆弾チャクラムボムに混ぜておいたのだろう。

 気が付かなかったのはこちらの落ち度であるし、気づいてから回避に移らなかったのも同上だ。

 と、気づけば周囲に幾つも転がっていた。

 幾つ転がしたのやらと思わず苦笑。

 

 「これはまた対策しないといけませんねえ……」

 

 小さく呟く。喜色が見えた。弟の成長を喜んでいるのか。また、それ以外――いや、前者だろう。

 

 『楽しそうね』

 

 生体組込式端末バイオデッキに着信――同僚の、ブラッドフォードの声。

 

 『ええ、久しぶりの兄弟喧嘩は良かったですよ』

 

 軽く埃を払いながらユキカゲは立ち上がった。

 

 『――そう、良かったわね』

 

 やれやれといった調子の声色に、思わずユキカゲは苦笑してしまう。

 

 『それで……どうするの?』

 

 『決まってますよ』

 

 革靴を鳴らして、瓦礫の山と化した銭湯跡地を通り抜けて、誰かの右手を蹴り飛ばしたユキカゲの答えは早かった。

 

 『狩人を捕獲します』

 

 『初志貫徹ね』

 

 『当たり前です』

 

 強く頷いて、ユキカゲは肯定する。

 

 『狩人以上に、あんな危険人物とヨシカゲを一緒にしておけません』

 

 『……言えば良かったじゃない』

 

 沈黙のあと、ブラッドフォードはそう言う。

 ユキカゲは苦味と諦めを混ぜた笑みを浮かべて、歩き出す。

 通りには誰も居ない。皆が皆、戦闘に巻き込まれないように家の中にでも閉じこもってるのだろう。

 

 『自分が信用ならないってことは、分かってるんです』

 

 酷く、声と足音が反響する。

 低層の天井は低く、建物と建物の距離は狭い。

 中層でも建築物間の距離は低層と変わりないが、中層の建造物は基本背が高い。

 穴蔵めいたここはやはり、音が響いた。

 

 『こうして離れて、冷静になってから思えば当たり前の話ですよ』

 

 その顔に浮かんでいたのは、先まで狂気を振りまいていた男とは思えない程に冷めきった――正気の顔があった。

 狂気など欠片も見えない。

 あるのは、後悔と懺悔。痛恨の念。

 酷く正常な思考の塊。

 

 『あんなにも自分勝手に接しておいて、あんな風に別れておいて、何を今さらという話です』

 

 自嘲気味な言葉。

 

 『負けて、やっとわかりました』

 

 最初で最後になるかもしれない敗北を手にして、漸く、彼は弟の一片を理解した。

 今になって、やっと。

 

 『――そう』

 

 ブラッドフォードは相槌を打って、

 

 『でも、それは許可できない』

 

 ――回線を切る暇は与えられなかった・

 

 『最上位命令オーダーオブマジェスティ――狩人狩りは中止』

 

 ユキカゲは指一本動かせなかった。

 一歩踏み出したまま、固定されていた。

 

 『貴方……! レイ=ブラッドフォード、何を……!!』

 

 動いたのは思考と眼。双眸が此処に居ない彼女を、玲=ブラッドフォードを睨む――視線が人を殺すならきっと確実に殺戮が巻き起こっただろう。

 

 『言ったでしょ?』

 

 溜息――脳に響く。歯軋りが出来たならユキカゲのそれは鼓膜を轢き潰す音を奏でた筈だ。

 

 『最上位命令オーダーオブマジェスティ。分かるでしょ? 止めたのは体だけよ? 君、脳味噌まで止まっちゃった?』

 

 『知りませんねえ……!』

 

 表情筋が動けば、口元は素晴らしい程に凄絶な笑みを称えただろう。

 滾る殺意は、陽炎が如く彼の背後に立ち上がる。

 ――機関廻廊ジェネレーター超過駆動オーバードライヴ

 意志力が彼を駆動させているのだ。

 緊急停止エマージェンシー――機構として備え付けられた絶対を覆さんと興起イグニッション

  

 『……仕方ない』

 

 嘆息。しょうがないとばかりに――最終手段をレイはとった。

 それはもう、即効性に満ち満ちていた。

 一瞬で、ユキカゲの意識は深い眠りへ彼は誘われていった。

 

 『本当にもう、全く』

 

 三度目、深く溜息をして――ブチリと通信は切断された。

 

 

 

 

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