ハンター・イン・ザ・エンパイア

来栖

プロローグ フォーリングダウン



 月はただ、無慈悲に青褪めた輝きを降らすだけだった。


 ――これで何度目の夜だろう。

 

 そんな月下に、擦り切れたような男は想う。


 太平洋沖合。

 人の叡智の元、造り上げられたメガフロート《エンパイア》。

 その上に連なるは、超多重構造高層建造物の郡れ。

 未だ成長を止めず、只々、天を畏れず、天を目指すバベルの塔。

 

 男の姿はその一角、上層部の屋上にあった。

 

 《エンパイア》でもっとも空に近い場所。

 そこには、落下を防ぐような柵は無く、平面な四辺形だった。

 風は吹き荒び、取っ掛かり一つないそこはまともには立っていられないような場所である筈だ。

 しかし、彼は風を物ともしてないようだ。

 不動。蹌踉めく節すらない。

 

 人の輝きが満ちる場所から離れたそこには星が満ちていた。

 白く、時に赤く。遥か光年より届く煌めきは天空の宝石箱のよう。

 

 そして、一際大きく輝くのは月。

 今宵は満月。

 その様は正に真夜中の太陽。

 しかし、それは不気味な蒼に染まっていて、一際存在感を放っていた。

 

 それらは男の姿をこの暗闇の中でもはっきりと見える程に照らしていた。

 

 しかし、けれども彼の姿は影のようで。

 言い表すとすれば、そう、それは。

 

 ――無貌。

 

 黒一色の彼を言い表すのにその言葉が適切だった。

 マットブラックの仮面は光を反射しない故に、遠目に見れば顔無しに思える。

 それより下も、羽織った黒のロングコート、中には仮面と同じマットブラックのボディアーマー。

 夜闇に溶けるような、自らを隠すような様相だった。

 月下であれど、その姿ははっきり捉えれれない。

 

 その仮面をよく注視すれば瞳が二つ見えた。


 視線は、空へ。

 月を視ていた。

 

 『月、綺麗だな』

 

 声。彼の傍。浮かぶ、これもまたマットブラックに塗装された球形の物体。

 ドローンだ。

 それも闇に溶けるようだった。

 浮遊するそれに内蔵されたスピーカーから声がする。

 少女の声。男勝りな口調。

 けれど声音は高く、少女のそれで且つ、美しい声だった。

 

 「ああ」

 

 低い青年の声。

 仮面の奥から声は聞こえた。

 くぐもった声は仮面のせいだろう。


 『……それだけ?』

 

 「それだけだ」

 

 拗ねたような声。ぶっきらぼうな返答。

 

 『何考えてたんだ?』

 

 めげずに訊く。

 会話を途絶えさせないように。

 彼の声を聞きたいから。 


 「……昔のことだ」

 

 沈黙後、返答。

 

 「狩りを始めた頃のことを考えていた」

 

 『懐かしいな』

 

 懐古。ノスタルジー。いつか昔に思いを馳せていた。 


 「ああ」

 

 肯定する。

 

 「随分と長く生きてこられた」

 

 『確かに。いっつも死にかけてたもんな』

 

 思い出し笑いが言葉の端々に乗る。

 今になって、出来ることだろう。


 「そうだったな。思い出せば、確かにそうだ」

 

 小さく、低い笑い声。

 これもまた籠もっていた。

 

 「順調に行ったのは最初の数回くらい。重ねれば重ねる程、」

 

 笑みが消えた。

 

 「死が近づいてきていた」

 

 視線が下る。

 

 『――来たぞ』

 

 ドローンから警告。

 警告の示すモノを彼の感覚は一瞬早く捉えていた。


 雲間を堕ちてくるソレを。

 高速で迫ってくるソレを。

 地より這い上がるソレを。

 虚空から現出するソレを。

 

 無数。

 

 月光の届かぬそこから、それらは彼へと迫ってくる。

 

 『ねえ――』

 

 「今日は、ハンバーガーがいい」

 

 ポツリと呟く。

 

 『……ああ』

 

 「近くに、新しい店来てただろ。あれがいい」

 

 『……ああ』

 

 「とりあえず……メニュー全部。サイドは……まあ全部」

 

 『……ああ』

 

 「じゃあ、また後で」

 

 『…………また後で』

 

 ドローンは急上昇し、そこを後にした。

 ついに一人、彼は囲まれつつあった。

 

 「――行くか」

 

 一歩。空へ彼は向かう。

 虚空。垂直、脚からの落下。

 無窮の闇はすぐそこ。

 それらの打ち鳴らす顎門はすぐそこ。

 耳元で鳴る風切りを聞きながら彼は想う。

 

 早く帰ろう、と。

 

 

 

 

 ++++




 

 『番組の途中ですが、臨時ニュースです』


 『本日午後十時半頃。外縁部、商業特区新規開発エリア全域にて大規模崩落がありました』


 『新規開発エリアは基本無人であり、』

 

 『今のところ、死傷者は発見されていません』

 

 『現在、原因解明に各企業から派遣された調査チームが当たっています』


 『事故及び調査により周辺の交通に影響が出ております』

 

 『交通に関しての詳細情報はお手元の端末等をご確認ください』

 

 『続報があり次第、お伝え致します』

 

 『以上。ニュースでした』

 

 



 ++++





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