第4話 アブー・アリー邸 2

 倒した黒服の男たちを傭役軍人マムルークたちが次々と捕縛していく。いまだに意識のない者がほとんどだが、意識を取り戻してもすでに遅い。両腕をきつく縛り上げられ、身動きが取れない。


「助かった。感謝する」


 隊長がそう言ってギョクハンの肩を叩いた。それから、ファルザードの頭を撫でた。ファルザードが目を細めて上機嫌で笑う。


 アブー・アリーをこの屋敷に残しているふりをして一室におびき出す作戦は、実は、ファルザードが考案したものだった。


 曰く、こうである。


「宝物とアブー・アリー氏が別々だったら向こうも二手に分かれようとするんじゃない? 屋敷中荒らされ回るのも困るし、こちら側もあっちこっちに警備の人員を割かないといけなくなるし、全部一ヶ所にまとめておいて、アブー・アリー氏を囮にして返り討ちにするほうが楽じゃないかな。むしろ声高こわだかに、アブー・アリーここにあり、って言ったほうがいいよ」


 すべて彼の言うとおりになったのだ。


「テメエらこんなことをして組長が黙ってると思うなよ」


 意識を取り戻した黒服の男が言う。


「俺たち怒風組の結束はテメエらなんかよりずっと固い」

「何を根拠にそのようなことを言うのかね」

「テメエらしょせん飼い馴らされたいぬじゃねぇか! 俺たちは自由だ! 俺たちは自分の意思で組長の下に集まってる」

「我々も自分の意思でアブー・アリー様の下にいるのだとは思わんかね」


 隊長の眼光は鋭い。


「我々にも本気になればアブー・アリー様を殺す技術があることを忘れていないかね。我々が黙って従っているだけのように見えると?」


 黒服の男は一瞬たじろいだ。けれどそれでも叫ぶところは威勢がよく、もはやあっぱれと言いたいくらいである。


「鎖につながれて餌を貰って生きることをよしとするのかよ。草原に帰りたいとか、気に入った仲間とつるみたいとか、そういうことは思わねぇのか」

「思わんな」

 隊長の言葉に迷いやためらいはない。


「大切なのはきっかけではない。結果どうなったか、だ」


 そして、「いいか」と言いながら、黒服の男の胸倉をつかんだ。


「自由とは何のために生きるかを自らの意思で選ぶことだ。任侠アイヤールであり続ける貴様らと傭役軍人マムルークであり続ける我々の間に大きな違いはない。我々は傭役軍人マムルークを続けるという選択をしたのだ」


 男はまだめげなかった。その粘り強さは称賛に値する。


「弱者から金を巻き上げ、弱者に配る気配はない。私腹を肥やして、富を独り占めする」


 顎をしゃくって「見やがれこの金塊の数」と並べられた金塊の山を指す。


「このうちの一個でもありゃ飯が食える人間がいる。貴族のアブー・アリーにとっての一金貨ディナールと貧民窟の人間にとっての一金貨ディナールの重みは違ぇんだ。明日の食い物にも困っている人間がこの世の中にはいるんだよ」


 彼の言うことも事実だ。これだけの金塊を屋敷の中に積める人間がほんの少しだと思う金を出すだけで明日の食事ができる貧民はたくさんいる。


「俺たちの帰りを待ってる人間がいる……! 俺たちはこんなところで挫けるわけにはいかねぇ! 日々を必死に生きてる人々の味方なんだ! この国に救いが必要な人間がいる限り俺たちは負けられねぇんだよ!」

「――アブー・アリー氏は」


 半分隊長の後ろに隠れた状態で、ファルザードが口を開く。


「ここにある財産、ざっくり数えて百万金貨ディナール分を手放すことに決めたそうだよ。この金銀財宝がなくなっても、屋敷も土地もあるし、秋が来たら小麦や米の収入が、年が明けたら俸禄が手に入るからね。あんたたちの言うとおり、アブー・アリー氏は豊かで、少しぐらいお金を明け渡しても生活には困らないんだ」


 黒服の男が「いまさら!」と声を荒げる。


「だからといって今までの罪が消えるわけじゃねぇんだ!」

「その罪ってなに? 正攻法でお金を稼ぐことが罪なの? 違法な手段で、ていうか冷静に考えてさ、殺人や強盗でお金を稼ぐあんたたちは本当に正義なの?」


 ファルザードの問いかけに、彼は答えなかった。


「なんでわざわざ一介の文官から奪おうとするの。自分たちより弱そうだからでしょ。なんだったら武官や宰相ワズィールを――もっと言えば、国で一番のお金持ちである皇帝スルタンを狙えば? しないでしょ? わかってるんでしょ、できないって」

「それは……っ」

「あるいは武器を取って戦わない文官は努力してないとでも思ってるの? どうして彼らが財産を築いたのか想像したことはない?」


 男が押し黙る。


「楽をしてそうに見えるお金持ちがうらやましいならそう言いなよ」


 ファルザードが一歩前に出た。黒服の男はうつむいた。


「どうせ配るなら……、俺たちにくれてもいいじゃねぇか……」

「ただの民間団体が困ってる人全員に平等に配れると思ってる?」


 冷静な声で「思い上がらないで」と言う。


「富を民のみんなに平等に再配分できるのは公的機関である皇帝スルタンだけだよ。自分の身の回りの人間だけ助けて気持ちよくなるのは自己満足だ。なんであんたたちの自慰にお金を払わなきゃいけないんだ」


 うつむいた。小声で続けた。


「それでも……、現状、今の皇帝スルタンはやってないからな……」


 それ以上はもう誰も何も言わなかった。ギョクハンは溜息をついた。




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