第5話 後味わるーい

 五人目の男が剣を抜いて向かってきた。

 刃と刃がかち合う。

 金属音が鳴り響く。

 この男の力も重い。


 だが、自分はもっと強い戦士とも戦ったことがあるはずだ。

 負けない。


 押し返した。

 刃と刃が離れた。

 すぐに体を引いた。

 十分に間合いを取ってから斜めに振り下ろした。


 男は飛びすさった。しかしそこにあるのは炎の縄だ。男の足の裏が焼けたらしい、彼は「あつっ」と叫んでギョクハンのほうへ飛び跳ねた。

 その触れ合う直前、ギョクハンは男の胸に刀を突き刺した。

 男の体を振り払う。投げ捨てる。地面に転がる。


 先ほどファルザードに腕を伸ばしていた男が叫んだ。見ると、ファルザードが男の手に噛みついていた。


 今だ。


 とっさに腰の弓袋から弓を取った。

 背中の矢筒から矢を取った。

 つがえた。

 放つ。

 矢は空気を裂いてまっすぐ突き進み、ファルザードのすぐそばで悶えている男の背中に刺さった。


 すぐさま第二射を放った。

 ひゅ、という音を立てて、二本目の矢も男の背中にたどりついた。

 男が崩れ落ちた。


 最後の一人、代表格の男だけが残った。


 ギョクハンは声を上げながら突進した。


「殺さないで!」


 ファルザードが叫ぶ。それを聞いてギョクハンは立ち止まる。


「そいつまで殺したら女性たちの居場所がわからなくなる!」

「そうだったな!」


 代表格の男は呆然と周囲を見回していた。仲間たちが倒れている。


「もうあんた一人だ。観念したらどうだ」


 肩をすくめて、「強いな少年」と苦笑する。そして腰の剣を抜く。刃が炎の揺らめきを反射して輝いた。


 殺さずに生け捕りにするのは、逆になかなか難しい。


 それでもやるしかない。


 ギョクハンは走って前に出た。男も踏み込んで前に出た。


 あえて右側、男の左腕側を狙って進んだ。

 刀から左手を離した。

 左腕を男の首に引っ掛ける。

 男が「ぐっ」とうめく。

 肘の関節を、思い切り前に――男にとっては後ろに押す。男の首にギョクハンの腕がめり込む。

 巨大な体躯が後ろに飛んだ。

 ファルザードのすぐそば、後方の行き止まりの壁にぶつかった。

 そして地面に倒れた。

 ファルザードが男の右手を踏んだ。男の右手から剣が離れた。

 ギョクハンは男の腹の上に馬乗りになった。勢いよく男の顔面を殴った。炎の中、小さな白いもの――歯が飛んだ。間を置かず二発目を叩き込んだ。すると男は脳震盪のうしんとうを起こしたのか目を回して動かなくなった。


「まだ縄あるか」


 問い掛けると、ファルザードはすぐさま外套マントの下から縄を取り出した。


 ギョクハンはまず男の体を蹴り上げてひっくり返してから、男の両手首を背中で縛り上げた。男は抵抗しなかった。意識がないようだ。しかし死んではいないようで、肩がわずかに上下している。


「――終わりだな」


 男の肩に足をのせた状態で、ギョクハンはそう呟いた。ファルザードが「そうだね」と答えた。


「お前、商館に行って人を呼んでこい。俺はここでこいつを見張ってる」

「わかった」


 頷いてすぐ、走り出そうとした。


 三歩行ったところで、ファルザードは立ち止まり、振り向いた。


「ギョク」

「何だ」

「お疲れ様」


 ギョクハンは苦虫を噛み潰したような顔で黙った。


 本当に疲れてしまった。


 ――カリーム人たちは俺たちから多くのものを奪った。俺たちもカリーム人たちから多くのものを奪ってやる。これで対等だろう?


 男のその言葉が頭の中をぐるぐると回った。


 彼らはきっと南方から本人たちの意思に反して連れてこられたのだろう。もとをただせば被害者だった。彼らが性根から悪だったとは思えない。まず、彼らを虐待したカリーム人の主人がいたのだ。


 対等とは、何だろう。


 ギョクハンは何も奪われていないつもりだ。傭役軍人マムルークであることは、ギョクハンにとって、本当に、誇りだ。しかし傭役軍人マムルークも金で雇われた軍人で、主人が使い捨てしようと思えばできる存在だった。


 ファルザードはどうだろう。ファルザードも酒汲みの奴隷だ。彼は何か奪われただろうか。そういえば彼がどこからどういう経緯でワルダにやって来たのか聞いていない。昨夜売春していたことをほのめかしていたが、具体的にどうやって暮らしてきたのだろうか。


 自分はもっと世界を知らなければならない。


 ――傷つけられたからって傷つけていいと思わないでよ!


「……まあ、ファルの言うとおりなんだけどな」


 自分は五人の逃亡奴隷を殺した。いつか何かの報いを受けるのだろうか。


 この男は、商館に引き渡されたあと、シャジャラの行政府に送られるだろう。そして裁きを受けるだろう。カリーム人の法で断罪されるだろう。カリーム人から物を奪い、カリーム人の女性に乱暴をはたらいた罪だ。もしかしたら、死刑になるかもしれない。


 どうするのが正解だったのだろうか。


 ややして、商館の職員たちが三十名ほどという大勢でたくさんの松明を持ってやって来た。

 彼らが到着するまでギョクハンの足元の代表者の男は気を失っていた。周囲に人が集まって完全に取り囲んだ段階で、ギョクハンが蹴り飛ばしてようやく目を開けたが、すでに逃げられる状況ではなかった。ましてや手首を縛り上げられている。

 彼は抵抗しなかった。商館の職員たちに連れられて、どこかへ運ばれていった。


 能天気な足取りでジーライルが近づいてくる。


「おめでとう、ありがとう、お疲れ様! すごいよギョクくん! 誰も仕留められなかった精霊ジンを見事討ち取ったわけだ!」


 ギョクハンはうつむいたまま「いや」と答えた。


「ファルがいたから――ファルがうまくやったから。俺は最後に戦っただけだ」

「なるほど、なるほど。ファルちゃんもいっぱい褒めてあげなきゃだねっ」

「ファルがいなかったら、俺、どうなってたか、わからないな」

「なぁーにまた弱気なことを! ファルちゃんがよくできることとギョクくんがよくできることは反比例するもんじゃないから安心しなさい!」


 ジーライルに三度も肩を叩かれた。ギョクハンは何の反応も返せなかった。




 翌日、シャジャラのカリーム人行政官たちは逃亡奴隷の隠れ家を突き止めた。行方不明だった八人の女性が保護されたという。

 その話を、ギョクハンとファルザードは商館で報奨金の受け取りの手続きをしている間に聞いた。


「その女の人たち、これからどうなるのかな」


 自分の荷物を抱き締めつつ、ファルザードが遠い目をして言った。ギョクハンも遠くを見てしまった。彼女たちももうこれまでどおりの生活に戻れないかもしれない。


「後味わるーい」


 商館にいた商人たちが皆二人を褒めたたえたが、二人とも笑わなかった。


 五万金貨ディナールが支払われた。

 五万枚の硬貨はやはり気軽に持ち運べる量ではなかった。

 ギョクハンとファルザードは、路銀の足しにするための二百金貨ディナールだけふところに納めて、残りは全部シャジャラの銀行に預けることにした。

 受け取りを拒否してもよかったが、金はあって困るものではない。もしかしたらヒザーナまでの道のりで路銀が足りなくなるかもしれないし、いつか遠い未来何かの時にザイナブの役に立つかもしれない。おとなしく商館の薦めるシャジャラの銀行に託した。


「じゃ、ヒザーナに行こうか!」


 ジーライルの笑顔ばかりが明るい。

 ギョクハンとファルザードは、それでも素直に「はーい」と言ってジーライルの後ろを歩き出した。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る