山川沙月の未来

 「じゃあ、このランチセットでお願いします」

 「あら、もっと量があるものじゃなくていいの? なんでも食べたいものおごってあげるんだから」

 「いえいえ、お気持ちだけで充分ですよ」

 洋平は申し訳なさそうに頭を下げるものだから、沙月は心なしか申し訳なく思ってしまった。

 なぜ沙月と洋平が食事をしているのか。それはさきほど、偶然ぐうぜん洋平が歩いているのを沙月が見つけ、声をかけてみたからだった。直接的には関わっていないものの、洋平が行動を起こしたことで、自殺しようと思った気持ちが幾分かやわらいだことに対し、少しばかりの感謝をするつもりで、車の運転越しに声をかけたのだ。一方の洋平というと、ぽかんとしたような顔で返事をしていた。それもそのはずで、沙月と洋平が出会ったのは今日が初めてであったからだ。

 沙月はちょうど昼食を食べる予定で近くのファミレスに行こうとしていた。少しでもお礼がしたかった沙月は、試しに洋平を食事に誘ってみた。すると、都合よく洋平も同じ場所で昼食をとろうとしていたらしく、流れで沙月が洋平に食事をご馳走ちそうする運びとなった。

 「正直、線路の真ん中に立っている人を助けようと思ったときは無我夢中で、周りに誰かがいるなんて気づきませんでした」

 「私もよ。まさか、あなたが急に現れるなんて予想だにしなかった。予想外すぎて、自殺しそびれた」

 「冗談きついですよ」

 洋平は沙月をやんわりとたしなめた。たしかに、自殺なんて考えたことがない人にとって『自殺』という単語は耳が痛いかもしれない。沙月はテーブルの上に置かれている水をひと口飲んだ。

 「それにしても、どうして山川さんは自殺しようとしていたんですか?」

 このときばかりは洋平の顔も真剣な表情となっていた。話せば長くなるだろうが、ちょうどかきいれ時の店内では、注文がやってきていない客ばかりが目立っていたため、料理を待つあいだの暇つぶし程度に長話も悪くないだろう。沙月は姿勢を正してゆっくりと話し始めた。


 「だから、私は弱みを握られた人形みたいな扱いを受けているのよ」

 「それは……つらいですね……」

 だいたいの話が済んでもなお、頼んでいた料理は来ていなかった。

 「ところで、山川さんは、バンドがかなりお好きですよね?」

 「え? まぁ、そりゃそうだけど……」

 「実際にバンドを組んでいる話もそうですけど、さっき車に乗せてもらったときにも、ロックバンドの曲がかかっていましたよね」

 「よく覚えていたわね」

 「僕は多少聴きますから。あのロックスター、いいですよね。かっこいいし、歌詞が素敵なんですよね」

 洋平はなかば陶酔とうすいしているかのように目元をうっとりとさせた。自分以外にここまでのファンとは出会ったことがなく、沙月は妙に親近感を覚えてしまう。

 「あなた、なかなかわかってるじゃない」

 「でも、僕は山川さんのことが少しわからないです」

 「え、どうして?」

 唐突に話が切り替わったため沙月はどぎまぎしてしまう。

 「だって、あのロックスターの大ファンだったら、自分から命を絶とうなんてせずに、相手を打ち負かすために奮闘ふんとうするんじゃないかと思いまして」

 それは……バンドの好みとあまり関係ないのではないか、と沙月は思いもしたが、心のどこかで思っていたことを射抜かれた感覚もあった。

 あのロックスターなら自分と同じ選択はしないはずだろう。沙月はみるみると沸き起こる羞恥しゅうちに似た感情によって鼓動の動きが早くなるのを感じた。

 「とはいっても、反発したところでボイスレコーダーがあるんじゃ、山川さんもむやみな動きができないし、相当難しい」

 どうやら洋平は沙月をなぐさめようとしているらしい。沙月はそのことに敢えて気づかないふりをしてみる。

 「でもさ、きっと何かあるんだよ。打開策が。英雄になれるなんて言ってるんだから」

 沙月は大好きな歌詞の一部を引用して話をつなげた。洋平も引用にピンときたらしく、大きく頷いて肯定した。

 「あのロックスターはもう亡くなってしまったし、どうやって英雄になるのかを尋ねることはできないけれど、ヒントは歌詞の中にあるはずです」

 洋平が口角をあげた。洋平がどんな人生を送っていて、どんな職業にいているのかさえもわからないから、まだまだ謎が多い人物ではあったが、多少なりとも洋平に出会えてよかったかもしれない、沙月はそう思った。

 「まぁ、僕は結局答えを見つけられないまま、あのロックスターみたいにこの世を去ることになるんですけどね」

 あまりに突拍子とっぴょうしもなかったため、沙月は洋平が誰かの歌詞を引用しているのではないかと勘繰かんぐった。しかし、思い当たる曲がなく、沙月は「どういうこと?」と尋ね返していた。

 「どうもこうも、僕は明後日、死ぬんです」

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