●七ペエジ

 旦那様が何か隠している。

 そう感じてから、今までより注意深く観察した。すると今まで気づかなかったことがいくつかわかった。

 本を読んでいる……と思っていたのに、ページをめくりもせずにぼーっとしてることが何度もあった。長時間仕事をするのが辛いのか、庭をぼんやり眺める時、かすかに深呼吸をしたり、逆にぐっと息を止めていた。

 まるで……何かを堪えているようだ。もしかしたら静かに見えた旦那様は、実は心の中では激しい葛藤を抱えていたのかもしれない。


 ますます旦那様の秘密が気になって、旦那様が自室を留守にするわずかの合間に、掃除という口実で、色々部屋の中を物色するようになった。

 そうして何度も探しまわり、ある日書斎の引き出しの奥底に、一枚の写真を見つけた。

 その写真を見て驚く。今より若い旦那様と若い女性が映ったモノクロ写真。少しぼやけて見えたが、美しい女性だ。……御坊ちゃまにそっくりな。

 御坊ちゃまのお母様? とも思ったが、母親と知りあいなら、わざわざ御坊ちゃまが非合法に売られるまで助けないというのもおかしい。


「何をしている……」


 低く苛立たし気な声が聞こえ、はっと顔を上げた。旦那様が目の前にいた。ついつい写真に気をとられ、部屋に戻ってきたのに気づかなかった。

 旦那様が感情を露にした声を出すのを初めて聞いた。

 慌てたように私から写真を取り上げ、引き出しの中にしまいこむ。眉間に皺を寄せ、私を軽く睨んだ。


「この写真のことは忘れなさい。この会話は日誌に書かないように。悠之介に言ってはならない。いいな」

「なぜですか! 何を隠していらっしゃるのですか!」


 普段ならこんな反抗的な態度をとらない。

 でもこの時の私は必死だった。旦那様が隠している何かを知らなければ、取り返しがつかないことになる気がして。御坊ちゃまの為に何か役にたちたくて。

 旦那様はさらに苛立ったように、こめかみをひくひくとさせ、鋭い声を放つ。


「いいから忘れろ!」


 そう叫んだ後、大きく咳をして、旦那様は胸を押さえた。踞るように座り込んだので、慌てて顔を覗き込む。顔色が真っ青だ。

 もしかして……体調を崩していた? そのことを隠していた?


「医者を呼んできます」


 旦那様の眼を見てそう言って立ち上がった。……が、すぐに手首を掴まれて身動きできなくなった。


「……医者は呼ばなくていい」


 苦し気に息を整えながら、必死に私の手首を握り締める。その力強さと悲壮さに、ますます嫌な予感がした。


「……どうせ人間の医者は、私の役にはたたない。大人しくしていれば……」


 私が抵抗しなかったからか、ゆるゆると手首から力が抜けて行った。旦那様の呼吸も整ってくる。そうして旦那様が落ち着くのを待つ間、じっくりと考えた。


 今まで旦那様の様子を観察し感じた数々の違和感。それらを組木細工のように綺麗に組んだら、唐突に閃いた。

 私は踞る旦那様の背後に廻って、うなじに息がかかりそうな程に顔を近づけ、大きな声で叫んだ。


「このけだもの!」


 間近で無礼な言葉を叫んだのに、旦那様は振り返らなかった。私の推測は確信に繋がった。


 よろよろと立ち上がる旦那様を横目に見つつ、机の上の紙にペンを走らせる。


『耳が聞こえないのですか?』


 その紙を突きつけたら、旦那様は小さく項垂れるように頷いた。

 その後ソファにゆったりと腰を下ろし、旦那様は静かに語られた。


「もう……だいぶ前から、少しづつ音が聞こえなくなっていた。今はまったく何も聞こえない」


 それでも読唇術を身につけていたので、しゃべる口を見れば、何を言ってるかわかった。

 しかし眼で見なければ何をいわれているかわからないし、早口でまくしたてられると、眼が追いつかない。最近は眼も弱っているので、余計に見づらくなっていたらしい。


「美佐……お前はゆっくりと、口をはっきり開け閉めしてしゃべるから、読み取りやすかった」


 そう……旦那様は私の口の動きを見ていただけなのだ。そして御坊ちゃまが興奮してしゃべる時、早口すぎて何を言ってるのかわからなかった。

 だから私に日誌を書かせた。御坊ちゃまの言葉が聞こえなくても、日誌を通して何を言ったのか確認するために。


「人間の医者は役にたたないというのは、吸血鬼特有の病なのでしょうか?」


 旦那様は観念したように、御坊ちゃまに言うなと念を押してから口を開いた。


「寿命が近づいているのだ。吸血鬼という種としての。耳も、目も、体力も衰え、ただ静かに死が訪れるのを待っている」

「そんな! 何か、何か手だてはないのですか?」


 旦那様は、とても躊躇いながら、ほう……と溜息をついて言った。


「ある。でも……私はもうしないと決めた」

「何を?」

「人の生き血を吸うことだ。売血の血は鮮度が悪過ぎて足りない。生き血を絶って二十年。もはや限界なのだ」


 ──なぜ、人の血を吸うことを辞めたのか。その時の旦那様は教えてくれなかった。

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