第30話 悪魔の実験

 ホテルに戻ってから数時間後、皆が寝静まった頃、イツキだけはどうにも寝付けず、一人薄暗いホテル内をフラフラと歩いていた。

(そうだ、今日のことをアルトにも伝えておこう。まだ起きてるかな……)

 イツキは指輪を掲げ、心の中でアルトに呼びかけた。すると、すぐに通信は繋がった。

『こんばんはイツキ。随分と夜更かしさんなのね』

 アルトは特に眠そうな様子はない。恐らく遅くまで調査をしていたのだろう。

『こんばんは。そう言うアルトこそ遅いね。頑張ってくれるのはありがたいけど、あんまり寝不足だとお肌に悪いよ』

『わ、私は普通の女性が気にしているようなことには関心がないの。肌のお手入れとか、ファッションのこととかは興味の範疇外よ』

 イツキはアルトの普段の格好を思い描く。確かに、服装に拘りがあればあそこまで過激な服装は容認しないだろう。

『も、もうちょっと、その辺は気にした方がいいと思うよ……』

 イツキは、アルトがいつもあの前貼りニプレスの格好なので、欲情した男に襲われないか心配していたのだ。

『ず、随分そこに食いつくわね……い、イツキは、私がファッションとかをもっと気にした方がいいって思うの?』

 念話なので表情は分からないが、イツキは今アルトが少しむくれていることは容易に理解できた。

『うーん、多少は……。服にも色々あるし、アルトに似合う服もあるかもしれないし』

『服なんて、局部が隠れていればなんだっていいと思うのだけどね……』

 過激な服を着る不良娘を心配する父親のような気持ちのイツキが説得を試みるが、どうにもアルトにはイツキの意図が伝わっていないようであった。

『って、そんなことはどうでもいいわよ。何か用事があったんじゃないの?』

『あ、そうだった。実は……』

 イツキはまたかくかくしかじか今日あったことを伝えた。

『……それは実に奇妙ね』

『だよねえ。なんで今回は何も奪わなかったのかなぁ……』

『残念だけど、現場にいたみんながわからなかった以上、それは私にも分からないわ……。この間話した後、犯人について私なりに考察してみたから、とりあえず聞いてもらえるかしら?』

 イツキが『もちろん』と答えると、若干の間を置いてからアルトが口を開いた。

『今回の事件の犯人は、能力面だけを考えれば、ゆうに人間の能力を超えていると思うの』

『そ、そうなの?』

『ええ。基本的に一人の魔術師は一種類の魔術に特化しているわ。まあ、私やアオイ達のように武器を出したりしまったりする魔術は使えるけど、あれは大した労力ではないから一つとしてカウントはしないけどね。とにかくそれを除けば、魔術師は例外なく一種類の魔術のみを得意としているのよ』

 イツキは考える。粘液を出すことと記憶を操作することは果たして一つの魔術なのだろうかと。イツキがそのことについて疑問を口にすると、アルトはこう答えた。

『それらが一つの魔術ではないと断言することは確かにできないわ。でも、常識的に考えれば、粘液を生成することと記憶を操作することは別の魔術であると考えるのが普通ね。二種類の魔術を自由自在に使える時点でそいつは人間のレベルを超えているし、もし二つが一種類の魔術でできるのなら、やっぱりそれも普通の人間のレベルではないわね』

『とすると……?』

 イツキが恐る恐る尋ねる。すると、アルトは一呼吸置いた後こう答えた。

『犯人は人間じゃない可能性がある。私はそう思うわ』

『で、でも、この世界にモンスターは……』

『ええ、確かにこの世界に魔物のような存在はいないわ。でも、それに近い存在が確かに存在していたという記録は残っているの』

『え!?』

 アルトの言葉に驚愕するイツキ。

『かつてこの世界では究極の魔術師を創り出そうという研究が行われ、それに伴い人体実験が頻繁に行われた。その結果、人間の能力を超越した化け物のような存在が誕生したのよ。そういった記録を、私はいくつか読んだことがあるの』

『人体実験って……でも、そんなの何百年も前の話なんじゃないの?』

『確かに、公然と行われていたのはそれぐらい前だわ。今の王家が国を治めたのが約500年前で、それ以降は人体実験は認められていないしね。でも、その後も秘密裏に研究は続けられていたの。そしてそれは、現代のある組織で行われていた……』

 アルトはそれ以上言うのが辛いのか、一度言葉を切った。一方イツキは緊張のあまり思わず息を飲んだ。

『まさか、アトレア同盟が究極の魔術師を創り出す為の人体実験をしてたって言うの?』

 イツキの問いに対し、アルトは大きく深呼吸をし、そしてしばらくして重々しく口を開いた。

『私は一部の人間しか入れない同盟の秘密書庫の最深部で、同盟が人体実験をしていたという記録を見つけたの。その中には、人間と生物を合成し、究極の魔術師を創り出そうとしていたものもあったわ。実験に失敗し、人の形を失った者は容赦なく殺され、例え成功してもその人は更なる研究の対象となり、その後まともに人間としての生活を送れた人はいなかったらしいわ……』

 あまりに残酷な事実を告げるアルトの声は震えていた。膿を出し切る為の調査とはいえ、これほどまでの過酷な現実を目の当たりにしたアルトには相当ダメージが大きかったに違いない。

『そんなの、酷すぎる……』

 イツキ自身も、アトレア同盟が人体実験まがいのことを行っていたということは聞いていたが、まさかそこまで非道な研究が行われているとは思っておらず、アルトの話から、彼女は鈍器で殴られたような衝撃を受けていた。

『……だから、もしかしたら、この事件の犯人はそれによって生み出された可能性があると私は思ったの。もし犯人がアトレア同盟のせいで生まれたのなら、私が止めなくちゃいけないって、そう思ったの……』

『アルト……』

 それはあまりに悲痛な決意だった。実験はアルトのあずかり知らぬところで起きていた。それでもアルトは自分が犯人を止めると言う。それこそがアトレア同盟に所属し、違反者を捕らえてきた人間の贖罪なのだと言う。

『私も引き続き実験の記録を漁ってみるから、もう少し待っていて……』

『ま、待って!』

 イツキはいてもたってもいられず、アルトの言葉を遮ってしまった。イツキは悩んでいた。確かにアルトの背中を押しはしたが、彼女の行く先にここまでの闇が潜んでいるとは思っていなかったのだ。

 「もうそんな辛いことはやめて、俺達のところに来ていいんだよ」と、イツキは言うべきだと思った。でなければ、このままではアルトの心が潰れてしまう。だから、イツキは再び口を開こうとした。しかし……

『大丈夫よ、イツキ』

『え……?』

 イツキはアルトの思いの外明るい声により、その言葉を躊躇ってしまった。アルトは逆に、イツキを励ますような口調で言葉を続けた。

『確かに大変だけど、私は一人じゃないから。私にはイツキがいるから。イツキが私のことを見守ってくれているって知ってるから、だから大丈夫なんだよ』

『アルト……』

 イツキには、アルトが本当に大丈夫なのかは分からなかった。それは空元気なのかもしれないし、とんでもなく無理をしているのかもしれない。でも、彼女が前に進もうとしていることには違いはない。そんな彼女の意思を挫くことは許されないのではないかと、イツキは思ったのだ。

 念話ではアルトの表情をうかがうことはできない。だが、今のアルトはきっと暗い表情はしていないことは間違いない。だからイツキは、今はアルトの言葉を信じることにした。彼女を信じ、目的を共に達成しようと、そう思ったのだった。

『……分かった。でも無理だったらすぐ言ってね。俺はアルトの意思を尊重するから』

『ありがとう。イツキも気を付けて。敵は手強いから、注意だけは怠らないこと』

『うん、分かった……。それじゃおやすみ、アルト』

『ええ。おやすみなさい、イツキ』

 二人の会話が終わる。念話が終わっても、しばらくの間イツキはアルトのことを考えていた。アルトの努力に報いたい。彼女はただひたすらにそう想ったのだった。

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