魔眼の王と日輪の姫

桃原悠璃

序章 始まりの邂逅

始まりの邂逅

 ……見上げている。

 無残な姿へと形を変えた施設の中央で、曇天の夜空を、星の見えない空を、少年は見上げている。

 鉄の錆びた匂いを纏わせ、魂が天に還るように、煙が体を踊らせ昇っている。

 ポツポツと、暗い空から雨が降り始め、頬を伝い落ちていく。

 雨はやがて、小さなものから強雨へと変化を遂げ、少年の体を強く叩いた。

 降り注ぐ雫は、まるで少年の胸の内を表すかのように、荒々しく嘆きに満ちているように感じた。

 ……血が流れる。

 体に付着したおびただしい量の赤色が、零した涙と共に流された。

 ギュッと、少年は近くにあった姉の亡骸を抱きしめ、腕を天に伸ばす。


「……必ず」


 今にも消えてしまいそうな弱い声音は、確かな覚悟と消えることなき鋼の意思を宿していた。

 ──いつの日か必ず、神を殺す。

 小さな世界を、愛した家族を、自分の全てを奪い嘲笑った憎き神を、いつかこの手で。

 幼い瞳の中に、誰も消すことの出来ない憎悪の炎が燃え上がる。

 少年が抱くには過ぎたる激情は、深く深く心に沈み込んで一体化していく。

 雨空の下、家族だった者達の遺体に囲まれ泣いたこの時から、夜刀緋乃やとうひのは復讐の奴隷と成り下がった。


 *


「……きて……起きて!」


 ゆさゆさと体を揺らされ、耳元で聞こえてきた鈴のような声に意識を引っ張りあげられた。

 重い瞼を開けてみれば、ぼんやりと桃色の髪の女生徒の姿が見える。

 緋乃をのぞき込む体制で肩に手を置き、優しく起こしてくれたのは、同じクラスであり隣の席に座る小桜月音つきね

 よく緋乃の世話を焼く少女だ。


「小桜……。寝てたか」


 目を擦り、背筋を伸ばして一言悪いと小桜に言う。


「ううん。いいよ、気にしないで。もう少し寝かせてあげたかったけど、先生きちゃうから」


 申し訳なさそうに、小桜は可愛らしく教室の壁に備え付けられた時計を指さす。

 時刻は現在朝の8時30分、そろそろショートホームルームの時間だ。

 あのまま寝ていたら担任の教師に怒られていたことだろう。

 小桜の優しさに緋乃は、感謝の言葉を伝えた。


「おうおう、相変わらず仲のいいこって」


 緋乃が鞄の中から一時限目の授業の準備を始めていると、前から男の声が聞こえた。

 視線を上げてみてみれば、前の席には今学校に着いたであろう茶髪の男が、ニヤニヤしながら緋乃と小桜を見ていた。


古城こじょうか」


 耳にピアスを付けた茶髪の男――古城春道はるみちは、鞄を脇に置くと背もたれに腕を掛け後ろ向きに座った。


「おはよう緋乃ちゃん。小桜ちゃんも」


 古城は何故だか、人を必ずちゃん付けで呼ぶ習性がある。

 初めの方は気になっていたが、今では慣れたのか緋乃含めクラスの誰も指摘する事はなくなった。


「あ、そうだ緋乃ちゃん。あの噂、聞いた?」

「なんの噂だ?」

「転校生来るんだってさ。それも女の子」

「転校生? もうすぐで夏休みのこんな時期にか?」

「うん。なんでも凄い美人らしいぜ。いやぁ、変な時期の転校生、そして始まる新たな一夏の恋。ごめんね緋乃ちゃん、俺は男として先を行くよ」


 一人で語り始めた古城が、携帯を取り出し内カメラを使って髪を整え始める。

 彼に向かって緋乃は一言、ゲームのやりすぎだと言い、今の時期に入ってくる転校生に疑問を持った。

 一学期も大詰め、終わり間近なのだ。

 転校するにしても、普通は夏休みが明けたあとの二学期だろう。

 まあ自分には関係ないか、と思考を切った所でようやく担任の教師が入ってきた。


「おーす、てめーらちゃんと席ついたかー」


 気だるげな間延びした声で、出席簿を竹刀のように、肩にとんとんと当てている女教師。

 綺麗な大人の女性といった見た目とは裏腹に、嘗ては百を超す不良を束ねていた女番だったというのだから、人生何が転機になるか分からないものだ。

 そんな緋乃の担任――勇音光希いさねみつきは教卓に着くと、ぐるっと視線を動かし生徒が来ているか確認をする。


「なんだ、珍しいな古城。お前が遅刻せずにいるなんて、明日は学校で殺人事件か」

「いやいや、そこは雨でしょ。それに、そんなに遅刻してないよ光希ちゃん先生、精々が数回……」

「ほう、お前の中では24回を数回と言うのか。覚えておこう。あと何度も言う様に私をちゃん付けで呼ぶな、殺すぞー」


 およそ教師とは言えない発言を零すが、この教室にいる皆はその言葉がポーズなだけで、実際に彼女が行動に移すことはないと分かっていた。

 うぐ、と光希の威圧するような笑みに古城は言葉を詰まらせる。

 余計な事を喋ればまた遅刻指導をされかねないのも、古城を黙らせた一因だろう。

 朝の何気ないやり取りに、周りは笑顔をこぼし、緋乃も口元をほころばせ微笑んだ。


「まあどうせ、お前は転校生見たさに早く来ただけだろうが」

「はは、否定はしないぜ光希ちゃん先生」


 はぁ、と呼び方を直す気のない古城にため息を吐き、光希は改めてクラス全体を見渡した。


「あー、もう知っていると思うが、今日から転校生が来る事になった。喜べ男ども、綺麗な女だぞ」


 光希の言葉に男は胸を膨らませ鼻の下を伸ばし、女はそんな男子を笑いながらも新たに入ってくる学友を楽しみに待っている。

 緋乃はチラっと小桜を見ると、隣の女子と楽しそうに転校生の話をしていた。

 どうやら一人疑問を抱いているのは、緋乃だけだ。

 教室の楽しげなムードに水を差す気もない緋乃は一人、机に頬杖を付いた。


「入れ」


 光希の一言に、教室中が一気に静まった。

 静寂漂う教室に、ガラガラと扉が開く音がよくきこえる。

 ────目を見開いた。

 その姿を見た時、緋乃の心は狼狽と驚愕、悲嘆、哀愁、否定、そして僅かな歓喜がごちゃ混ぜになった。

 そんな馬鹿な。ありえない。

 胸を埋め尽くす焦燥が、緋乃の脳裏に嘗ての記憶を横切らせる。


「緋乃くん?」


 異変を感じた小桜が呼び掛けるが、緋乃の耳には届かなかった。

 女生徒は陽の光を閉じ込めたような鮮やかな金髪と、どけまでも突き抜ける青空のような瞳をしていた。

 上質な髪を靡かせた姿、あれは間違いなく……。


「──姉さん……!」


 気付けば、席を立ち上がり呼んでいた。

 周りが驚いた顔で緋乃を見上げるが、そんな事が気にならないほどに、今の緋乃は目の前の人物しか視界に映らない。

 穢れをしらない、羽の如く柔らかい背まで伸びた髪は、だが日本人形のように艶やで鮮やかだった。

 間違いない。あの日、曇天の下で亡くなった姉と瓜二つだ。

 そっくりという言葉では表現できない。

 生きている、生き返ったと言われた方がまだ信じられるほどに、姉と姿が重なった。


「す、すみません!」


 困惑した様子の転校生が、頭を勢いよく下げる。


「私は貴方のお姉さんではありません」


 はっ、と彼女の言葉に我に返る。

 そうだ、姉はもういない。

 あの日、全てを神に奪われたのを、そので見たではないか。

 世界には同じ顔の人物が3人いると聞く、彼女はそのうちの一人に過ぎないだけだ。

 心を沈めるために、必死に言い聞かせる。

 転校生は申し訳なさそうに、困った顔を浮かべて緋乃を見据えた。


「緋乃ちゃん、大丈夫か?」

「……ああ。悪い心配かけた」

「うん、今の緋乃ちゃん、明らかに普通じゃなかったぜ」

「すまん。……アンタも悪かったな、姉に余りにもそっくりだったもんで驚いた」


 心配をかけた友人と転校生に謝り、変な空気を作り出してしまったことをクラスに詫びる。

 人のいいクラスメイト達は別段とがめることも無く、普段は大人しい緋乃を珍しがるだけで終わった。


「んじゃ、改めて自己紹介しろー」

「あ、はい。えっと改めまして、セリア・イルダーナ・グリーアンと言います。祖母が日本人で、日本語は少し喋れます。日本にはあまり来たことがないので、色々と教えて頂けると嬉しいです。よろしく御願いします」


 セリアは行儀よく頭をぺこりと下げる。

 教室中は今にも話しかけたくて、うずうずしている様子だ。


「席はそうだなー、古城!」

「はい! 俺の隣ですか!?」

「の後ろの夜刀の横だ」

「期待させといて!?」


 古城のリアクションにどっと笑いが巻き起こり、転校生のセリアは顔を綻ばせた。

 ただ一人、緋乃は視線をセリアから離す事ができずに、顔に影を落としていくばかり。

 セリアの顔を見ていると、自身の無力を見せつられているかのように感じられて、嫌になってようやく視線を外した。


「おーい夜刀、放課後にセリアを連れて学校案内してやれよー」

「……分かりました」


 勇音の言いつけに顔を顰めるが、断ることもできずに渋々了承をした。


 *


 チャイムが鳴る。

 今日一日の終りを告げる、放課後の鐘だ。

 生徒達はそれぞれ部活に勤しむ者や、そのまま帰宅する者、委員会で残る者など様々。

 斯くいう緋乃も、今日ばかりは即帰宅せずに学校に残っていた。

 転校生であるセリアに、学校を案内するためだ。


「ここが保健室で、隣が用務員室だ」

「大きな保健室ですね」

「まあな。なんでこんなに無駄に広いのか知らんが、怪我人が大量に運ばれた時は便利だろうな」

「そんなことってあるんですか?」

「あるんじゃないか? 体育祭とか」

「怪我人が大量に出る体育祭なんて、一体何が……」


 あはは、と苦笑いで緋乃の言葉に返すセリア。

 こうして案内していくこと一時間半。

 緋乃の住む織ヶ峰おりがみね市ではダントツに大きな学校を、クタクタに成り果てながらも全て行き終えた。

 時計を見れば、針は五時を回ろうとしている。


「それじゃ、俺はこれで」

「あの……!」


 役目を終え、さっさと家路につこうとした時、呼び止められた。

 緋乃は歩みを止め、振り返る。


「なんだ?」

「今日は案内してくれてありがとうございます! えっと、それでですね……」


 礼を告げると、腕をモジモジさせて言い淀む。

 幾許か待っていると、セリアは意を決したように、よし、と言葉を紡いだ。


「私と一緒に帰りませんか?」


 なんだそんな事か、と少し身構えてしまった体から力を抜いた。


「いいけど、家は何処?」

「織ヶ峰噴水公園の方です」

「そっちか、なら方向は一緒だな。行くぞ」

「はい!」


 セリアは顔に満面の笑みを浮かべ、歩を進める緋乃の横に並んだ。

 姉と同じ顔の少女に、変な居心地の悪さを感じつつも緋乃は何も言わずに、黙って歩き続けた。


 *


(視線を感じるな……)


 チラチラと、横に並ぶセリアからの視線を感じる。

 先程から何度か緋乃を見ては視線を外し、また様子を見るを繰り返している。

 別に害がなければいいか、と最初は無視していたが、十分近くもやられれば流石に気になってしまう。

 どうしたのか聞こうとして、先に口を開いたのはセリアだった。


「先ほどは本当にありがとうございました」

「気にするな、先生に言われたからしただけだ」

「それでもありがとうございます。あのそれで、夜刀さんには姉がいらっしゃるんですか?」

「……なんでそんなことを聞く?」

「朝に私の事をお姉さんと言っていたので、そんなに似ているのかなぁって、すこし気になってしまいまして」


 質問が恥ずかしいのか、頬を染め下を向く。

 彼女の何気ない仕草の一つ一つが懐かしく感じる。

 姉が生きていたら、恐らく彼女のように女の子らしく成長していたことだろう。

 ポケットに突っ込んでいた手に無意識に力がこもった。


「……いた。けど、もういない」

「……! す、すみません私余計な事を……」

「いいよ、別に。もう割り切ったことだ。ただ、グリーアンさんがそっくりで朝は驚いた」

「そうですか……」


 会話が切れる。

 気まずい静寂が二人を包み、カラスの鳴き声が嫌に大きく感じた。

 そしてしばらく歩いた頃、口を開いたのはまたもセリアだった。


「私も、家族がいないんです。ある日、いなくなっちゃいました。だから、おばあちゃんのいる日本に来たんです」


 辛抱強く我慢する子供の顔にも似た、悲しい笑顔。

 そんな彼女に緋乃は、そうか、としか言葉が出なかった。


「私がこんなことを言うのもあれですが、私たちは、その……家族を失っても一人じゃありません。私にはおばあちゃんがいて、夜刀さんにも友達がいっぱいいます。えっとですね、つまり何が言いたいのかというと……!」


 しどろもどろになりながらも、身振り手振りで必死に言葉を紡ぐセリア。

 きっと、緋乃を励まそうとしてくれているのだろう。


「……いいよ、ありがとう」


 チクリッ、と胸が刺され痛みが走る。

 セリアの顔を見ていると、昔を思い出し涙が溢れ出そうになる。だけど、流すことだけはない。

 込み上げる感情を、すんでのところで塞き止める。

 姉さんに会いたい。

 そう言えれば、どれだけ楽だろうか。


「……?」


 優しい匂いが鼻腔びこうをくすぐった。

 どうやらセリアに抱きしめられていると、緋乃は遅ればせながらに理解する。


「どうした、急に」


 突然の事に少し驚いて、セリアの顔を見上げる。


「えっと……あはは、これは、その……私は、何をしているのでしょうか?」

「いや、こっちが聞きたいんだが……」


 自分でも何故、急にそんなことをしたのか分からないのか、セリアは顔をほんのりと赤くして慌てる。


「夜刀さんが、泣きそうに見えたので。嫌だなって思ったら、つい」

「……は。だからって普通、知り合ったばかりの男を抱きしめるか?」

「気が付いたら、そうしてたんです。だから、夜刀さんだけは、特別なのかもしれません」

「なんだよ、それ」


 はにかむセリアに緋乃は、ますます意味が分からないと、呆れたため息を吐く。

 行動の理由は皆目かいもく理解できなかったが、ただ暖かい。

 久々に感じた、自分とは違う誰かの温もり。

 人の体温とはこんなものだったか、と緋乃は酷く懐かしい感情を思い出した。


「それで、いつまで抱きついてるつもりだ?」

「え、あ、すいません!」


 流石に、道端でずっとこのままでいる訳にもいかない。

 何よりも、いい年して誰かにずっと抱き着いているなど、緋乃には恥ずかしくて仕方がなかった。

 それはセリアも同じなのか、彼女の顔もまだ少し赤らんでいた。


「泣きそうだからって、異性相手にこういう事はするもんじゃないぞ。……まさか、普段から……」

「し、してませんし、しません! その、だから、これは夜刀さんだけで」

「ありがとな」


 短く伝えると、ポカンと一瞬だけセリアが動きを止める。

 そして、次の瞬間には嬉しそうに、


「はい!」


 美しい笑顔を咲かせた。


「緋乃でいい。その顔で苗字呼びだと、違和感を覚える」

「そうですか。では、私もセリアと」

「分かった」


 暁の夕暮れ、緋乃とセリアは影を並ばせ歩いて行く。

 ほんの少しだけ、緋乃はかつての自分に戻れたように感じた。


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