第3話

「こちらが勇者さまのお部屋になります」


 俺は用意された部屋の中を見渡す。

 キングサイズほどではないが、二人分はある大きなベッド。質素ながらも質の良いタンス。そして小さめではあるが風呂にトイレまで完備されている。タンスを開けてみれば、服に下着まで完備されていた。

 至せり尽くせり過ぎるだろう。前世では見たこともないような高級住宅、今世ではもっと縁遠い文明人としての暮らしだ。


「お、お風呂を用意しましたのでゆっくり浸かっていってください。私はその間にお夕食の準備をします」

「風呂?ここで食事? この世界には水道やガスが通っているのか?」


 テンプレの世界観は中世ヨーロッパ。ガスや電気はもちろん、水道すら整備されないのが当たり前だ。

 トイレなどの汚いものはご都合で隠されていたが、もし世界観通りならばおまるなどですることになるだろう。

 前世では耐えられないが、今世の俺は……やっぱ無理そうだ。


「え…ええ。ここには火や水の魔法が通っていて、魔力を使わなくてもお風呂を沸かしたりお料理で火が使えるんです」


 なるほど。ネット小説で見かける生活魔法というものか。

 しかし生活魔法とはなんと便利なものなのだろうか。攻撃魔法や呪いなんかよりもずっと有意義に思える。……ま、文明のない魔物たちには無用だが。


「……なるほど。この世界は魔界と比べて大分技術が進んでいるな」

「あ……当たり前です! 未開の土地じゃないんですから!」


 俺は言い返すことなく風呂場に向かった。たしかに未開だからな。文化や文明なんて存在しない、生存競争と食い合いの野蛮な世界だからな。


 脱衣場で服を脱ぎ捨て、風呂場に入る。風呂桶には既に暖かな湯に満たされ、壁にはシャワー……は流石にないが木製の桶が転がっている。

 かけ湯いしたあとに体を風呂に沈める。ちょうど良い湯加減だ。暖かな湯はまるで優しく抱擁するように、俺の身体を包み込んでくれる。

 どうやら俺の身体には思ったよりも疲労が蓄積されていたらしく、それも抜けていくようだ。これを前世では五臓六腑に染み渡るというのだろうか。


 はぁ~と、気の抜けた声が漏れた。

 風呂とは何年ぶりだろうか。当たり前だが蜂には入浴の概念がなく、幼虫の頃に蜂蜜の湯に浸かったのが初めての風呂ということになるだろうか。

 あ、そういえば向こうでも温泉に浸かったことがあるな。

 傷と疲労を癒すために利用したが、こんな風に感じたことはなかった。ただダメージを修復したという感覚のみ。まるで機械のようなものだった。


「まさか人間と似た体を与えられて人間らしい感覚を味わえるなんてな……」


 こんな思いはこの体でしか出来ない。ならばこんな貧弱な姿になった意味があるのかもしれないな。

 






「……なかなかいい所だ。飯は美味いし寝床も清潔で温度管理もばっちりだ。正直こんなに良い寝床で罪悪感すら感じるよ」

「き…気に入ってもらえて何よりです!」


 夕食を食いながら俺はこの部屋の感想を言う。

 本当に文句なしだ。こんな充足した部屋は前世の牢獄みたいな部屋では到底味わえないし、雄蜂として巣に住んでいた頃でも無理だ。


 そういえば美味いという感覚も久々だ。

 一応俺たちにも味覚はある。だがそれは味を楽しむためではなく、それが自身の身体に必要かどうかを試すためのセンサーのような役割だ。

 俺たちにとって感覚とはセンサーであり、それ以上でもそれ以下でもない、ただの道具だった。

 だがこの身体は違う。温度を体感し、飯を食い、何かに触れることでその主体である『自分』を感じられる。俺はここに居るのだ。


 思えば、前世でも食事をちゃんと楽しんだことなんてないのではないか?

 毎日親が部屋の前に用意する冷めた飯。俺はそれを腹の中に詰めるかのように入れながらゲームやネットサーフィンをしていた。あの時の俺も食事はただの補給でしかなかった。


 ああ、こんな感覚は虫の身体では出来ない。こんな思いは前世の自分では出来なかった。

 まだこの身体に慣れてないせいか、少し戸惑いや違和感がある。違和感は兎も角、戸惑いなんて今世では生まれた頃以来だろうか。


 けどそれを抜きにしても俺はここに生きていることを実感できているのだ。今はそれだけで十分だ。

 これで強敵が揃ってくれたら文句なしだ。


「それで、勇者というものは強いのか?」


 俺は酌をするエルニャルーニャに質問した。

 勇者。そいつを倒すのが俺の仕事。……本当に俺と戦えるほど強いのか?


「え? え…ええ。一人で国を相手にするほどの力を持つ生きた災厄。この世界では魔王や神獣に匹敵すると言われてます」

「なるほど。そうかそうか……」


 それを聞いて俺は笑わずにはいられなかった。

 この世界にはそんな化物がいるのか。魔界ではもう俺に歯向かうバカは大体殺し尽くしてしまったが、ここではいくらでも戦えるというのか。


 ああ、なんて今日は素晴らしい日だ!? 飯や風呂だけで自分を実感できるというのに、更に楽しませてくれるというのか!?

 なんと刺激の多い日だ。このままでは楽死んでしまうのではないのか!!?


「だ・・・大丈夫でしょうか……?」


 安心しろ、俺はどんな敵が来ても負けない。

 少なくとも群れの役目は果たそう。一度は群れを滅ぼした俺が言っても説得力はないと思うけどな。


「そ、そういえば勇者さまのお名前を聞いてませんでした」

「ん?それもそうだな」


 名前か。名乗るという行為は久々だな。称号や呼び名はその場で変わる時があるからどれを名乗ろうか。前世の名前を名乗るのも違和感があるし……。


「バトラ。俺たちの言葉で覇を吐く者という意味だ」


 これが一番無難だろうな。

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