終章 青嵐に花は舞う(二)

 先に動かれたのはあの方でした。いつまでも来てくれぬ母にれたように泣きだしたあの子を抱きあげ、ゆっくりとわたくしのほうへ歩いてこられたのです。あの方が一歩進むごとに、時がさかさに流れてゆくようでした。


「そなたの子か」


 差し出されたあの子の、たしかな重みとあたたかさが、わたくしを夢から引き戻してくれました。ぽたぽたと落ちてくる滴に、すでに泣きやんでいたあの子は不思議そうにわたくしの顔を見あげておりましたよ。


 あとで知ったところによると、巴の新王のご訪問は、王宮でもごく一部の者にしか明かされていなかったとか。乾王陛下がわたくしに伏せておられたように、きっとあの方も何も知らされず青華宮に通されたのでしょう。本当に、陛下はひとを驚かせるのがお好きな方でいらっしゃいましたわ。


「わたくしの子です」


 一言ずつ、かみしめるようにお答えしました。


「わたくしが、かつてこの宮でお仕えしていたお方の子です」


 あの方の澄んだ青い瞳がゆっくりと見開かれました。そこに映っていたわたくしは、ちゃんと笑えていたでしょうか。


青祥せいしょう、と申します」


 あの子の名は、生まれる前から決めておりました。わたくしの大切な方がおつけになった名、呼んでほしいと願った名です。


 あの子は首をめぐらせて、その方を見あげました。艶のある黒い瞳は、父とは異なる色でしたが、顔立ちはよく似ておりましたわ。


「……青祥」


 名を呼ばれたあの子は、きっと間近にあった空が綺麗だと思ったのでしょう。それは嬉しそうに、にこりと笑いました。


 片手で顔をおおってうつむいたその方に、わたくしはそっと寄り添いました。


「……ありがとう」


 かすれた声でつむがれた言葉は、花びらとともに風が運んでくれたでしょう。もうひとりのあの方のもとへ。

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