第二章 緑風の客人(五)

「その園丁がなにか粗相でも」


 殿下のお言葉に、夏陽公子は「なに、園丁」と大仰に両手を広げられました。


「なんたる無骨者よ。花の愛で方も知らんと見える」

「ご無礼をはたらいたわけではないようで安堵いたしました。では、どうぞ中へ。ご用件をうかがいましょう」


 そっけなく殿下は返され、館へ案内なさろうとしましたが、夏陽公子はその場をお動きになりませんでした。


「いや、話をしに来たわけではないのだ。じつはな、おぬしを誘いに来た」


 殿下は形のよい眉をひそめられました。


「誘うとは、どこへ」

「馬に乗りに」


 はたでお話を聞いていたわたくしは、そのお言葉にぽかんとしてしまいました。


 いまでこそ、馬に乗ることはおかしなことでも何でもございませんが、わたくしが若い頃は、馬はもっぱら車を引くものとされておりましてね、ひとが馬にじかにまたがるなど蛮族の風習と蔑まれておりました。ですから、よりによって王族の一員である夏陽公子の口から、馬に乗るなどというお言葉が出てきたことに、わたくしはすっかり面食らってしまったのです。おそらく、それは殿下も同じであったことでしょう。


「……馬、ですか」

「おうよ。おぬしの国の民は騎馬が巧みだそうではないか。おれも最近はじめたんだが、いや、あれはおもしろいな」


 夏陽公子は悦に入ったようにうなずいておられましたが、対する殿下のお顔はいちだんと険しさを増したようでした。


「だから、今日はぜひおぬしの腕を見せてもらおうと思ってな、こうして誘いに来たわけだ。なに、馬も道具もすべてこちらで用意するゆえ、おぬしは身ひとつで来てくれれば……」

「乗れませぬ」


 ぴしゃりと、殿下は夏陽公子のお言葉をさえぎりました。


「乗れない?」

「はい。わたしは馬に乗ったことなどありませぬ。巴を離れたのはほんの子どもの頃でしたし、なにより、いまの巴では馬に乗る者などほとんどおりません」


 なんと、と目を丸くされた夏陽公子に、殿下は淡々と説明なさいました。たしかに巴は西方の騎馬民族が建てた国なれど、二代目の王が他国に侮られぬよう東の礼法を国のもといと定めて以来、騎馬の風習はすっかりすたれてしまったのだと。


「なるほど、よくわかった」

「おわかりいただけましたか」


 話は済んだとばかりに、殿下がわたくしに目配せをされつつきびすを返されかけたときでした。夏陽公子が殿下の腕をつかまれたのです。


「ならば、おれが教えてやろう」

「……は?」


 殿下が抵抗される間も、もちろんわたくしがお止めする暇もありませんでした。夏陽公子は殿下の腕をとったまま、いずこかへ連れ去ってしまわれたのです。そう、あれはまるで、つむじ風のようでございましたわ。

 

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