第十章 選択

第十章 選択

 一応身柄を拘束されることになるロメスは、もう文句も言わず、大人しく警務隊員に連れられて応接室から退出した。残った者たちは、力尽きたような彼の後姿を複雑な思いで見送った。

「あとはエビネ准尉か」

 ロメスの出て行ったドアを見つめていたウィルが、吐息とともに呟く。問題が全て片づいたわけではないが、これからのことは上層部がなんとかすべきことだ。当面〈森の精〉ヴァルトガイストに残された問題は、エビネに関することだけとなる。

 エビネの帰還は夜中になる予定だ。それまで大人たちは一旦自分の任務に戻った。子どもたちは、いつもなら基地中を駆け回り、隊員たちの邪魔――いや、コミュニケーション活動に勤しむところだ。しかし今日はそんな気になれないのか、ホルヴァース曹長の監視のもと、副官室でしおらしく明日の予習などをして過ごした。

 それぞれが気もそぞろに一日を終えると、呼ばれる前からウィルのオフィスに集まり、新米士官の帰還を待った。みな口数も少なく、部屋に充満する重苦しい空気に喘ぐかのように大きな息を吐き出すばかりだ。

 その状態で数時間が過ぎた。時計の針はとうに夜中を回っている。子どもたちが起きていてもよい時間ではなかったが、父親たちは何も言わなかった。

「遅いなぁ」

 眠気に負けないよう頑張っているミルフィーユが、不安そうに呟く。予定の時間になっても、エビネ帰還の知らせはない。ヴァルトラントはただじっと一点を見据えたまま固く口を閉ざしていた。口を開けばたちまち不安の渦に呑み込まれてしまう。

 待っている者たちの不安がいよいよ限界に達しようとした時。

「大佐――」

 司令官室前の受付で待機していたクローチェ軍曹の声が、部屋に響いた。弾かれたように顔上げたウィルに、次席副官はコムの向こうから静かに告げる。

「エビネ准尉が戻られました。いまは広報部で待機されています。大佐にお会いしたいとのことですが、如何しましょう?」

 軍曹のこの伺いに、朝からエビネの帰還を待っていたウィルが否と言うはずもない。即答で出頭を命じる。

 ほどなくして、広報部長のルビン中佐に付き添われたエビネ准尉が、ウィルのオフィスに姿を現した。

「准尉っ!」

 開いたドアの向こうにエビネの姿を見つけるや否や、ミルフィーユが一目散に駆け寄った。

「もう、突然いなくなっちゃうんだもん。心配したんだからねっ!」

 少年はほっぺたを膨らませて文句を言う。

 エビネは引き締めていた口元をほころばせた。少年が自分のことを気にかけてくれていたことが嬉しかった。

「心配かけてごめん。すぐに帰ってくるつもりだったんだけど、植物園があんまり広くて見るとこがたくさんあったから、時間を忘れてつい長居しちゃった」

 重くなりそうな場を軽くしようと、おどけたように舌を出し、大袈裟に手を広げてみせた。

 だがそれが却って、少年の機嫌を損ねてしまったようだ。

 ミルフィーユは「そんなんじゃ納得できない」とばかりに、ジロリと彼を睨みつける。

 ちょっとやそっとでは赦してくれそうにない少年に、エビネは途方に暮れて嘆息する。しばしの間どうやって機嫌を直してもらおうかと策を巡らせていた彼は、不意に先任たちから伝授されていた「対〈グレムリン〉兵器」のことを思い出した。

「あ、そうだ! 〈ヴァルハラ〉で、君たちが好きだって言ってたチョコレート屋さんを見つけたんだ。ミルフィーの好きなオレンジ味と、ヴァルティの好きなミント味のやつを買ってきたから、あとで一緒に食べよ?」

 エビネは屈託のない笑顔で、金髪の〈グレムリン〉を覗き込む。

 お土産でつろうとする准尉に、ミルフィーユは本気で腹を立てた。チョコレート如きで懐柔可能などと思われているとは、甘く見られたものだ。

「そんなんじゃ、ゴマかされないよ!」

 いつもならその手でコロッと手懐けられてしまう少年は、過去の自分は忘れてしまったらしい。顔を真っ赤にして、准尉の和解条件を撥ねつける。

 だがエビネの方が一枚上手だった。ニタリと笑って、これ見よがしに「新兵器」を持ち出す。

「すっご~く美味しいおまんじゅうもあるんだけどなぁ。栗とシナモンを使った餡が、こう、ふんわりと口の中で広がってさぁ。もうほっぺたが落ちちゃうぐらい美味しいの!」

「え……」

 さらに糾弾するべく准尉に詰め寄ろうとしていた少年は、「すごく美味しい」という言葉に動きを止めた。さらに、エビネの解説が彼の食欲を刺激する。

 准尉をやり込めたいという気持ちと「美味しいもの」とを天秤にかけた、「食いしんぼミルフィー」の心がぐらつく。答えを求めて少年の空色の目が忙しなく動き、そのまま五秒ばかり葛藤する。が、結局食い気に負けてしまった。

「しょうがないなぁ、もうっ。それで赦してあげる」

 そう言って、ミルフィーユは気まずそうに口元を歪める。そんな調子のいい少年に、大人たちから笑い声が洩れた。

 エビネも上官たちと同じように破願したが、ふとヴァルトラントの声が聞こえないことに気づき顔をあげた。

 ぐるりと部屋を見回して、もう一匹の〈グレムリン〉を探す。

 ヴァルトラントは、ソファに腰掛けたハフナー中将の傍らに、クリストッフェル少佐と共に立っていた。琥珀色の瞳がまっすぐエビネを捉え、彼の一挙一動を見守っている。その真剣な眼差しは、いまエビネがここにいる理由を推し量ろうとしているようだった。

 エビネは再び口元を引き締めると、自分の決意を視線に込めて、少年の瞳を見つめ返した。

 一瞬、妙に大人びて見える少年の顔に、喜びと期待、そして不安の入り混じった表情が浮かぶ。エビネからの無言のメッセージを、どう受け取っていいのか判断しかねているのだろう。

 事実、ヴァルトラントは困惑していた。エビネは何もかも吹っ切れたといった顔をしている。つまり彼は、〈森の精〉ヴァルトガイストか土星かのどちらかを選び取ったのだ。だから自分の選んだ結論を披露するために基地へ戻ってきた。

 しかしエビネの視線から彼の「決意」は感じられても、その内容まで読み解くことはできなかった。

 いや、ヴァルトラントは知りたくなかったのかもしれない。

 自分は「エビネが〈森の精〉ヴァルトガイストを選ぶ」と信じている。だが、もし彼がもう一方を選んだとしたら――。

 そんな考えが頭をよぎって、ヴァルトラントは急に怖くなった。思わず助けを求めるように、執務机の向こうに立つ父を見遣る。

 ヴァルトラントの動揺を察したウィルは、安心させるように息子に向かって穏やかな笑みを見せた。そしてあらためてエビネに向きなおると、基地司令官として声をかけた。

「エビネ准尉、こちらへ」

「はい」

 エビネは力強く返事すると、この司令官室を訪れた本来の目的を果たすべく、ウィルの前へと進んだ。机を挟んで基地司令官と向き合うと、背筋を伸ばして敬礼する。司令官がそれに応えるのを待って直立不動の姿勢をとると、大きく深呼吸してから静かに口を開いた。

「小官――エビネ・カゲキヨ准尉は、個人的なことから連絡もなく任務を放棄いたしました。これは〈惑星開発機構〉警備局に属する者として、あるまじき行為です。よって、自分はいかなる処分をも受ける覚悟であります」

 言い終えると、身動ぎもせずに司令官の返答を待つ。しかしウィルは、不思議そうな顔をして訊き返してきた。

「それは、広報部の仕事をすっぽかしたことを言ってるのか?」

「はい」

 ウィルの反応を奇妙に感じながら、エビネは肯く。

 訝しげにしかめていた顔を、基地司令官は少しばかり緩めた。どんな決意を聞かされるのかと身構えていたら、とんだ肩透かしだった。任務放棄でエビネを咎めることなど、考えもしなかったことだ。そもそもこの程度のことでいちいち隊員を処分していたら、〈森の精〉ヴァルトガイストの機能はとうの昔に麻痺していただろう。

 だが中将の手前「〈森の精〉ヴァルトガイストはサボタージュ天国」などと言えるはずもなく、詭弁は承知でウィルは説明した。

「なら、任務放棄にはならない。俺は昨日貴官に言ったはずだ。『何日かかってもいいから考えろ』と。その時点で、貴官には『身の振り方を考える』という任務が与えられたのだ。その任務のために〈ヴァルハラ〉へ行ったというなら、俺は貴官を咎めることはできない」

「え……?」

 今度はエビネが不思議な顔をする番だ。ウィルの言葉が任務の命令だったなど、思いもしなかったのだから無理もない。エビネはきょとんと目を丸くする。

 馬鹿正直なエビネに、ウィルは内心苦笑した。上官が遠まわしに「咎めるつもりはない」と言っている時は、素直にそれを受け入れればいいのだ。しかし経験不足ゆえに、新米士官はそのことに気づかない。

 ウィルはすっかり擦れてしまった自分を嗤いながら、初心うぶな士官をさり気なく誘導してやる。

「准尉は俺の言ったことを、〈ヴァルハラ〉で考えてたんじゃないのか? それとも本当に遊びに行ってただけなのか?」

「いえ、自分は〈ヴァルハラ〉で『自分がどうすべきか』を考えておりましたっ」

 疑わしい目を向けてくる司令官に、エビネは慌てて答えた。

「では問題ない。貴官の行動は処分の対象にはならない」

 そう言って基地司令官は、准尉の返答に一瞬だけ悪戯っぽく目を細める。が、すぐに真顔に戻ると、間を置かずに本題へと移った。

「で、答えは出たのか?」

「……はい」

 ゆっくりとエビネは肯く。

 いよいよ自分の道が決定づけられる「その時」がきた。

 彼はしばし、心を落ち着かせるため目を閉じた。二、三度大きく息をしてから、目を開く。

 その瞬間、エビネの雰囲気が変化する。先程までどこか頼りなさげだった新米仕官の顔が、それなりの責任を背負った一端の士官のものになった。

 エビネはまっすぐウィルの目を見つめ、少し土星訛りのある太陽系共通語で自分の決意を語りはじめた。

「自分は、故郷である土星を捨てることはできません」

「――!」

 ヴァルトラントが息を呑んだ。

 エビネは目の端にクリストッフェル少佐に抱えられるように立つヴァルトラントの姿を捉えていたが、少年の方を向こうとはしなかった。少年の傷ついた顔を見るのは辛い。それに自分はまだ、全てを言い終えてはいない。

 しんと静まりかえった中で、エビネは言葉を重ねた。

「いえ、捨てるというより、『見捨てることができない』と言うべきでしょうか」

 エビネが言葉を言い換えたことに、どういった意味があるのか理解わからず、〈森の精〉ヴァルトガイストの面々は思わず首を傾げた。

「自分は〈ヴァルハラ〉で偶然、土星から移り住んできた方と出会いました。そして彼から『木星に住む人たちは、土星への関心が薄い』という話を聞いて、不安になったんです」

「ほう、なぜかね?」

 多くの部下を育ててきた中将が、興味深そうに訊ねた。

「ご存知かとは思いますが、土星の者たちは祖先の作り上げてきたものを守ることが自分たちの義務であると考え、それを実践してきました。それは別に悪いことではないと思います。しかし我々は、祖先の素晴らしいところだけでなく、悪いところまで残してしまったんです。はっきり言って、いまの土星は一見まとまっているように見えて、実はバラバラです。地球時代の古い体制に縛られているんです。このままでは、いずれ大きな争いになってしまうでしょう。でも、世間の目がもっと土星に向けば、争いを防ぐことができると思います。土星人――特にいま土星を動かしている長老連中は『世間体』というものをかなり気にしますから、注目されているとなれば迂闊なことはできなくなるはずです。そして土星の者たちも『外』を見るようになれば、何を残して何を捨てるべきかを知ることができる――と考えます」

「なるほど」

 自分の属していた世界を客観的に評価した准尉に、中将は感心した。土星の姿は、現在いまの太陽系の勢力争いの縮図とも言える。微妙なバランスを保ち続ける必要がある中、エビネのような認識力を持つ者が〈機構軍〉にいるというのは、頼もしい限りだ。

 中将はもう少しエビネに質問したかったが、基地司令官のウィルを差し置いてでしゃばることを憚り、うなづくだけに留めた。替わりにウィルへと目配せし、話を進めるよう促す。

「それで、准尉は何をするつもりだ?」

 中将の意志を継いで、ウィルがエビネに問うた。

 エビネは心持ち胸を張ると、朗々とした声で答える。

「自分は、自分がどうすれば世間の目を土星に向けることができ、土星に住む者たちの目を外に向けることができるのかを、考えたいと思います。そのために、自分の故郷を外からじっくり眺めてみたい。そして、故郷を離れて暮らしている人たちや、他の星系に住む人たちと話がしてみたいのです」

「それって、つまり――」

 囁くようなヴァルトラントの声がした。エビネは前を向いたまま、少年の言葉を継いだ。

「つまり、自分はこのカリスト――〈森の精〉ヴァルトガイストに残って、見識を広めたいと思います」

「准尉!」

 少年の甲高い歓声が司令官室に響いた。しかしエビネはまだヴァルトラントの方を見ず、伝えるべき最後のひとことを吐き出した。

「もちろんこれは個人的なことなので、任務に支障をきたすようなことをするつもりはありません」

 言い終えて、エビネは大きく息をつく。

 自分の決意を言い切ってほっとしている准尉に対し、基地司令官は満足そうに微笑んで言った。

「非番の日に准尉がどう過ごそうと、貴官の自由だ」

「ありがとうございます」

 土星からきた准尉は、深々と頭を下げた。

「土星の話、俺たちにもしてくれる?」

 くぐもった少年の声が、エビネの耳に届く。下げていた頭を上げ、エビネはようやく少年の方を向いた。笑っているのか泣いているのかよく判らない少年の顔がそこにあった。

「もちろん」

 エビネは嬉しそうに破願する。

 ヴァルトラントが動いた。

 エビネは、顔をくしゃくしゃにして胸に飛び込んでくる少年を受け止めた。

「准尉、准尉!」

「准尉ーっ!」

 ヴァルトラントに続いて、ミルフィーユも歓声をあげてエビネに飛びついてくる。

「わわわっ」

 〈グレムリン〉二匹の激しい抱擁に、エビネはすっかり身動きが取れなくなってしまった。がむしゃらにしがみついてくるだけの子供たちにどう接していいのか解らず、軽いパニックに陥る。

「何とかしてください、大佐ぁっ」

 エビネは情けない声で子供たちの親に助けを求めるが、ウィルとイザークは笑っているだけだ。

〈森の精〉ヴァルトガイストに残るつもりなら、まずは〈グレムリン〉のあしらい方から覚えるんだな」

「そ、そんなぁ」

 救いの手を差し延べるどころか、さらに突き放すような司令官たちの言葉に、新米准尉はべそをかく。

 そんな准尉に、〈グレムリン〉たちがいけしゃあしゃあと言い放った。

「だいじょーぶ。俺たちがビシバシ准尉を鍛えてあげるから」

「覚悟してよね!」

 顔を引き攣らせたエビネは、頭の片隅でもう一人の自分が、

「選択を誤ったかもしれない」

と、呟くのを聞いた。

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