第七章 ロメス来襲 -3-

 翌朝の〈森の精〉ヴァルトガイストは、カリスト司令本部・副司令官の出迎え準備にてんてこ舞いだった。

 正式に訪問の通達があったのが、到着予定時刻の六時間前。しかしいち早く訪問を知ったウィルの機転によって、その時にはすでに受け入れ準備が進められていた。

 早々に〈菩提樹の森〉リンデンヴァルト飛行隊に引き取ってもらった整備部では、中将機〈アルベリヒ〉のために格納庫を確保し、万全の整備体制を整える。また基地業務群の各部署においては、宿泊施設や基地設備の点検整備、基地周辺における警備の強化などが、驚異的な早さで計画実行された。

 さすが隊員の大半が天王星において実戦を経験しているとあって、いつもはのんべんだらりとしていても、緊急時には自然と身体が動くようだ。そしてその機敏な動きは、普段腰の重い隊員たちを指揮する隊長たちの目から鱗を落とさせると同時に、「どうしていつも、これくらい働いてくれないんだ」と嘆かせることにもなったのだが。

 とにかくその努力の甲斐あって、〈森の精〉ヴァルトガイストの隊員たちは中将機が〈森の精〉ヴァルトガイスト上空に現れるまでに全ての準備を終え、司令部ビル前の駐機場に整列することができたのだった。

 測ったように等間隔で並ぶ将兵たちを見渡して、ウィルはひとつ肩の荷を下ろした。中将がわざわざ、それもこっそりと訪問を知らせてくれたというのに、態勢も整わないうちに「客」を迎えたとなれば、〈森の精〉ヴァルトガイストだけでなく「客」を招待した中将をも貶めることになる。中将を「真の上官」と仰ぐウィルの意地にかけても、それだけは避けねばならなかった。

 やがて土星からの客人と中将を乗せた中型旅客機は、〈森の精〉ヴァルトガイスト第三飛行隊である〈月組〉にエスコートされて、そのメタルブルーに輝く機体を主滑走路に滑り込ませた。

 着陸を終えた中将機は、司令部前駐機場へ向かって、ゆっくりと地上走行を始める。司令官を筆頭とした〈森の精〉ヴァルトガイスト基地隊員たちは、カリスト司令官機である同型の〈ヴォータン〉とともに〈機構軍・航空隊〉を象徴する〈アルベリヒ〉の動きを、畏敬の念を込めて見守った。いつものごとく課題を通信授業で片づけた〈グレムリン〉たちも、彼らに混じって興奮に頬を染めている。

「ねぇ、ロメス大佐って〈馴致〉したの? 〈外〉でお出迎えしても大丈夫なのかなぁ?」

 ヴァルトラントとともに最前列でちょこなんと立っていたミルフィーユが、隣に立つ父親に囁いた。イザークは真剣な表情で〈アルベリヒ〉のエンジン音に耳を傾けていたが、息子の呼びかけに気づくと難しい顔のままチラリと見遣り、「構ってる暇はない」とばかりに手早く答えた。

「ロメス大佐は、元々エウロパの出身だ。なんでも一〇年ほど前に、理由わけあってタイタンへ転属になったんだとさ。だから〈外〉には慣れてる」

「ふーん。で、理由わけあってのワケって何?」

「え?」

 無邪気に見上げる息子の目に、イザークは戸惑った。

 ロメスの転属には、「大人の付き合いの醜い部分」が絡んでいる。イザークはまだ一〇になるかどうかの息子に、そういった人間関係のドロドロした面を見せたくはなかった。

「あー、まぁ……いろいろだ、いろいろ」

 思わずそっぽを向いて、むにゃむにゃと言葉を濁す。

「それじゃあ、理解わかんないよー」

 少年は口を尖らせて抗議した。彼としては素直に思ったことを口にしただけで他意はない。だが、意味深に隠されると却って気になるものだ。

 しかしイザークは頑固に口を割ろうとはせず、頭ごなしに怒鳴りつける。

理解わかんなくていい!」

「えーっ、なんでーっ!? ズルいっ!」

「ズルくない!」

「ズルい、ズルいっ、ズルいっ、ず~る~い~っ!」

 ミルフィーユは「何としてでも聞き出す!」とムキになり、父の上着の裾を掴んで激しく引っ張る。

「あーもうっ、しつこい!」

 あまりの執拗さに苛立ったイザークは、これ見よがしに拳をかざす。少年が思わず首を引っ込めたその時、ウィルの号令が駐機場に響き渡った。

「気をーつけーっ!」

 整列した隊員たちが一斉に姿勢を正す。イザークも慌てて拳を下ろすと、直立不動の姿勢をとった。寸でのところで命拾いした少年は、自分に向かって素早く片目を瞑ったウィルに感謝し、そっと胸をなでおろした。

 中将機が目の前に迫っていた。

 誘導員マーシャラーの指示するポイントで停止した〈アルベリヒ〉に、タラップがかけられる。搭乗口のハッチが開くと、先導の士官に続いて恰幅のいい初老の紳士が姿を見せた。

「ハフナー中将に敬礼!」

 再びウィルの号令がかかる。

 中将は敬礼する隊員たちをゆっくりと見回してから、返礼した。形よく整えられた口ひげがわずかに動き、まだ充分に若々しい目元が細められる。

「直れ!」

 そしてこれを合図に地上に降りた中将は、にこやかに〈森の精〉ヴァルトガイスト基地司令官に歩み寄ると、むんずと手を掴んで激しく振り回した。

「ウィル、元気でやっとるか!」

「は、おかげさまで……」

 握手した手をぶんぶん振り回され、また空いた方の手で肩をバシバシ叩かれているウィルは、居心地悪そうに縮こまった。

 ウィルは、威張り散らすしかできない将軍連中を、軽蔑こそすれ敬うことはなかった。しかしこのハフナー中将にだけは別だ。なぜなら、彼にとって中将は天王星時代からの上官であり、いまでは軍内で微妙な立場に置かれているヴィンツブラウト父子の陰の援護者だからだ。

 紛争中、天王星に駐留していた〈機構軍〉隊員には避妊が義務づけられていたのだが、ヴィンツブラウト夫婦はわざとその禁を犯してヴァルトラントを儲けた。そしてそれが発覚し、二人の処分が取りざたされた際に便宜を図ってくれたのが、当時〈竜の巣窟〉司令官を務めていた、このハフナー中将だった。以来中将は、ヴィンツブラウト父子を自分の家族のように扱ってくれている。

 いや、中将にとって家族も同然なのは、何もウィルだけではない。同じく〈竜の巣窟〉で苦楽を共にした者たちはみな、彼の家族と言えた。そして〈森の精〉ヴァルトガイストに数多く在籍する〈竜の巣窟〉出身者たちも、中将を父親のように慕い、敬っているのである。

「イザークもアダルも、たまには〈ヴァルハラ〉に顔を出さんか。近頃、無性に昔話がしたくなるのだよ。儂も、もう年かなぁ」

 そう言って元〈竜の巣窟〉司令官は、冷や汗をかきながらウィルの脇に控えている二人に笑いかけた。

「またまたぁ、何を仰いますやら」

 ぎこちない笑みを浮かべて、イザークが当り障りのない言葉を返す。だが彼の言葉は中将の耳を素通りした。

「おおっ!」

 〈森の精〉ヴァルトガイスト司令官たちの陰に隠れている小さな姿を見つけた中将が、唐突に声を上げた。現〈機構軍・航空隊〉兼カリスト司令本部・副司令官という威厳などどこへやら、これでもかとばかりに目尻を下げ、裏返った声で少年の名を叫ぶ。

「ヴァルティ~っ!」

じいちゃんっオーパ!」

 イザークを突き飛ばして道を開いてくれた中将に、ヴァルトラントは両手を広げて駆け寄った。そのままの勢いで飛びつく。そんな元気いっぱいの少年を、中将は嬉しそうに抱き上げた。

「こらヴァルトラント、下りなさいっ。それに『じいちゃん』じゃなくて、『ハフナー中将』だろーがっ」

 慌ててウィルが息子をたしなめるが、かつての直属の上司はそれを制した。

「いい、いい。ヴァルティは儂の孫も同然なんだから、『じいちゃん』でいい。なぁ、ヴァルティ~」

「うんっ、じ~ぃちゃんっ!」

 ウィルは、調子を合わせて頬擦りしあう二人を呆然と見ていた。そして、不意に中将の真意に気づいて憤然となる。

 中将にとって客のエスコートは建前で、本音はヴァルトラントに会いたかっただけなのだ。でないと、タイタン司令本部に所属しているとはいえ一介の大佐を、わざわざカリスト司令本部・副司令官閣下自らが〈森の精〉ヴァルトガイストくんだりまで案内するはずがない。

 ふとウィルは、この数時間大騒ぎして準備を整えたことが虚しくなった。脱力して小さな溜息をひとつつくと、もう「じーちゃん」は「孫」に任せることにして、随行してきた者たちへと視線をずらした。

 と同時に、一人の高級士官が進み出る。

「閣下」

 進み出た士官は中将に対して声をかけたが、その目は中将ではなくウィルを見ていた。

 見つめられた方も胡散臭そうに目を細めて、ひょろりとした同年代の優男を見つめ返す。木星人特有の風貌ではあったが、茶色をベースにした部隊章は土星方面軍のものだ。そして佐官用に仕立てられた制服と、襟に光る大佐の階級章。

 こいつか!

 〈森の精〉ヴァルトガイスト司令官は、彼こそが「土星からの客」だと直感した。それを裏づけるように、ハフナー中将がその士官に応える。

「おお、ロメス大佐、すまんすまん」

 名残惜しそうに中将はヴァルトラントから離れると、ロメスとウィルを引き合わせた。

「ロメス大佐、こちらが〈森の精〉ヴァルトガイスト基地司令官のヴィンツブラウト大佐だ。そしてウィル、こちらがタイタン司令本部所属のロメス大佐」

「よろしく、ヴィンツブラウト大佐」

 そう言って手を差し出すロメスの抑揚に乏しい口調と仮面のように冷たい表情は、「友好的」という言葉からは到底かけ離れていた。

 ウィルは、自分とロメスとを隔てている見えない壁を、ひしと感じた。内心いい気分ではなかったが、表面的には屈託のない笑顔を見せて、ロメスの手を握り返す。

「ようこそ〈森の精〉ヴァルトガイストへ。大佐の訪問を心より歓迎します。大佐にとっては久しぶりの木星でしょうから、どうか好きなだけ滞在なさってください」

「せっかくだが、そうゆっくりもしていられない。エビネ准尉を連れて、早々にタイタンへ戻らねばならないのでね」

 ウィルの目から笑みが消えた。単刀直入に斬り込んできた相手に、鋭い視線を投げつける。それをロメスも真っ向から受け止めた。

 二人の視線がぶつかった瞬間、激しい火花が散った――!

 そんな幻覚を、その場に居合わせた者は見たような気がした。みんな息をするのも忘れて、二人の様子に注目する。

 しかし二人が睨み合っていたのは、ほんの数秒の間だった。ここで睨みあっていても埒が明かないと気づき、客を迎える側のウィルが先に退いた。何事もなかったように笑みを取り戻すと、司令部ビルへの道を示して促す。

「まあ、その件は腰を落ち着けてから、ということで」

了承わかった」

 ロメスも素直にうなづいた。少年たちに導かれて先を行く中将の後ろを、ウィルと並んで歩きはじめる。左右に並ぶ隊員たちの注目を浴びながら、客人と〈森の精〉ヴァルトガイスト幹部の一行は黙々と司令部ビルへ向かった。

「ところで」

 そのまま重苦しい沈黙が続くと思われたが、ほどなくしてロメスが口を開いた。

「すぐにでもエビネ准尉と話がしたいのだが、そのように手配していただけるか?」

「あ……と、すぐにですか?」

 珍しくウィルは口ごもった。

 エビネにはまだロメスの来訪は伝えていない。エビネ自身はこの人事を正しいものだと信じている。その上〈馴致〉や昨日の〈体験飛行〉の件で精神的に不安定になっている。そこへいきなり「土星から迎えが来た」となどと言われれば、驚きと混乱のあまりそのまま病院へ逆戻りしかねない。

 それにロメスの出方もまだ判らないうちは、エビネ抜きで話し合いを進めたかった。エビネが何も知らないのをいいことに、「ないこと」はもちろん、「あること」を大袈裟に解釈、しかもロメスの都合のいいように曲解した話を吹き込む可能性もあるのだ。

「あー、申し訳ないが、彼は今日Cシフトで出勤が夜中と聞いております。いまから呼び出すにしても、どこかへ出かけていれば捉まえるのは困難ですし、また長旅でお疲れのところを、夜中まで待っていただくというのもアレですから、会われるのは明日にされた方がよいかと思いますが」

 なんとか時間稼ぎをしようと、ウィルは奮闘する。相手に合わせて慣れない敬語を使っているので、舌を噛みそうだった。

 しかし一拍おいて放たれたロメスの言葉は、彼の努力を打ち砕いた。

「別に、彼を捜す必要はなさそうだが?」

「え?」

 意味が理解わからず、ウィルは二、三度目を瞬かせた。薄笑いを浮かべた土星からの訪問者が、整列する隊員たちに目を向ける。ウィルはつられるように、その視線の先をゆっくりと追った。

 居並ぶ隊員たちの末端に、予想もしなかった客に茫然とするエビネの姿があった。

 ウィルは思わず顔を覆った。

「あちゃ」

 ロメスとの話し合いは、形勢不利な状態で始まることになりそうだ。

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