第五章 馴致 -3-

「エビネ准尉と〈グレムリン〉が、地下玄関に到着しました」

 ずらりと並んだモニタの一つを見ていたウィルは、報告する下士官の声に顔を上げた。しかし実際に返事をしたのは、医療群司令官のジョン・レヴァント大佐である。

「よし、そのまま手筈どおりに進めてくれ」

「はい」

 下士官の通話が切れると、レヴァントはウィルに向き直った。

「はてさて、うまくいくかな? やはり詳しいデータが採れるよう、全身にセンサを着けさせたいな」

 ヴァルトラントの考えた〈馴致〉計画を聞きつけ、その内容を具体化したレヴァントは、「新しい実験をするのが楽しくてたまらない」といった様子だ。

 それもそのはず。〈森の精〉ヴァルトガイスト医療部を指揮する彼は、根っからの軍医であり、航空医学の研究者である。「特殊環境および精神下における生体データの収集」となれば、研究者の血が騒がない理由わけはない。

「たかが『散歩』に、ひん剥かれて全身にセンサなんかくっつけられた日にゃ、いくら鈍い奴でも怪しむでしょう。今回は、手首だけで我慢してください」

 根っからのパイロットであり、生体データの収集などに全く興味のないウィルは、きっぱりとレヴァントの言葉を却下した。とりあえず相手が年長で、しかも自分たち親子の主治医であるということを立て、言葉遣いは丁寧である。しかしその目は厳しく、「いい加減、落ち着け」と訴えていた。

「だが、〈馴致〉に〈緑の館〉を使おうだなんて、考えもしなかったなぁ。やっぱ子供の発想って凄いよな、ウィル?」

 なのにレヴァントは、睨まれても一向にお構いなしのようだ。手際の悪い部下を押し退けて自ら機材の調整をしながら、誰にともなく声高にしゃべっている。

 さり気なく息子を持ち上げられた基地司令官は苦笑した。

「まあ、ここが〈森の精〉ヴァルトガイストだったから、ということもあるんでしょう。敷地内に植物研究所を持っている基地は、そうないですし」

 ウィルはさほど深くも考えずに発言したのだが、医療群司令官はその発言に重要性を見出したらしい。打たれたように顔を上げると、大発見だとばかりに叫んだ。

「それだよ、ウィル! これがうまくいくと、〈森の精〉ヴァルトガイストの存在価値がグンと上がるぞ。これまで〈馴致〉に失敗して切り捨てざるをえなかった兵たちを、〈森の精〉ヴァルトガイストが救えるかも知れんのだからな。そうすれば、司令本部カリストの風当たりも、ちっとは和らぐんじゃないか?」

 レヴァントもまた、〈森の精〉ヴァルトガイスト航空隊の存続を気にかける人間だった。その動機は、経理部長やミス・バーバラとはまた違ったものではあるのだが。

 現在の〈森の精〉ヴァルトガイストは、〈惑星開発機構〉の行末を左右する機密に関わっている。

 それは長期間にわたる極秘任務で、〈惑星開発機構〉の最高機関である統括委員会、〈機構軍〉ではエウロパの統合作戦本部とカリスト司令本部の幕僚数名だけが、その機密の内容を知るに留まる。決して表面的には存在しないその任務こそが、本来の〈森の精〉ヴァルトガイストの任務なのである。

 しかし、〈森の精〉ヴァルトガイストに「表向きの任務」を与えるカリスト司令本部の幹部のほとんどがその機密の存在を知らない以上、いろいろと問題のある兵たちが集められているこの部隊を、「無駄メシ食らい」扱いするのも当然であった。そしてそのような穀潰しを排除したくなるのも、ごく当たり前の心理といえる。

 それゆえ、「〈森の精〉ヴァルトガイストの解散を回避し、つつがなく極秘任務を遂行するためには、そういった連中に対するより多くの切り札を持つべきだ」と、レヴァントは示唆しているのだ。

 とはいうものの、いま現在のウィルにとって一番重要なのは、司令本部への牽制ではなく、「エビネが無事に、しかも早急に〈馴致〉をクリアする」ことであった。

 〈馴致〉を無理に急ぐべきではないのは、ウィルも重々承知だ。だが、そう悠長にしている間はなさそうなのだ。

 件のロメス大佐から毎日送られてくる「返せメッセージ」は、〈森の精〉ヴァルトガイスト基地司令官をいい加減うんざりさせていた。

 ところが、その通信が三日前にぷっつりと途絶えたのである。

 そのことに気づいたウィルの脳裏に、嫌な考えが浮かんだ。

 もしかすると、ロメスは自らエビネを取り返しに来るのではないか?

 まだ詳しいことは確認できていないが、ウィルの推測が正しければ、これは非常に厄介なことになる。相手が遠く離れた地にいるなら、すっ呆けた返答をしてのらりくらりと躱すこともできる。が、目の前に来られるとそうもいかない。

 もしロメス大佐が本当に〈森の精〉ヴァルトガイストにやって来て、エビネが〈馴致〉をクリアできていないと知れば、嬉々として「土星へ連れて帰る」と言うだろう。そしてエビネが〈開放型〉衛星の環境に適応できず、任務に支障を来たしかねない以上、〈森の精〉ヴァルトガイストはロメスの言葉を強気で退けることはできないのだ。

 そうならないよう、何としてでもエビネにクリアしてもらわなくてはならない。

 漠然とした焦燥に駈られているウィルは、レヴァントに向かってぎこちない愛想笑いを返すと、再び眼前のモニタに目を落とした。モニタには、用意を整えた〈グレムリン〉とエビネ准尉が映っていた。


 エビネは〈グレムリン〉に連れられて、〈森の精〉ヴァルトガイスト基地の一角にある〈植物生態研究センター〉、通称〈緑の館〉へとやって来た。確かにここは、初仕事であった「巡回レポート」の対象外だったため、エビネが訪れるのは初めてだった。

「この研究センターでは、いろんな植物をカリストの環境に合うよう改良したりしてるの」

 物珍しさからキョロキョロと辺りを見回すエビネに、ミルフィーユは得意げに説明した。

「で、おーっきな温室があってね、その一部は〈森の精〉ヴァルトガイストの隊員たちが、自由に見学できるようになってるんだよ」

「へぇ! なんか楽しみだなぁ」

 エビネは思わず顔を輝かせた。まだ〈森の精〉ヴァルトガイストの誰にも話したことはなかったが、家の事情もあって幼い頃より華道を嗜んでいた彼は、草木や花には人一倍関心を持っていた。タイタンではよく植物園に足を運んだものだ。

 どのような花木が見られるのだろうか。またタイタンとは違っているのだろうか。エビネの胸は期待に膨らむ。

 〈グレムリン〉の顔パスで玄関を抜けた一行は、入場許可証になっているという腕輪状のものを手首に着け、第一室のドアをくぐった。

「うわ、すご……」

 眩いばかりの照明と湿気を伴った熱気、むせ返るような草木の匂い、先が見通せないほど蒼々と生い茂った植物――それらに全ての知覚を襲われたエビネは、思わず息を呑んだ。

「ここでは、亜熱帯性の植物を栽培しています」

 圧倒されて茫然としているエビネの耳に、ここの研究員であり今日の案内役を務めるハルトマンの声が届く。

 当然のことながら、隊員たちが自由に出入りできるこの温室に、研究所員による「案内サービス」などない。だが今回は事情が事情だ。医師免許を持っているハルトマンが同行していれば、もしエビネの体調に異変があってもすぐに対処できるだろうという、医療部の配慮である。

「さすがにこういった亜熱帯性植物をカリストの気候に適合させるのは難しいため、いまのところはただの観賞用として温室栽培しているだけですが」

「そうなんですか」

 エビネはハルトマンの説明に、感心したようにうなづく。だがすぐに何かに誘われるように、ふらふらと部屋の奥へと歩き出した。色とりどりの花々に、すっかり心を奪われている。

「第一段階はクリアっと」

「ええ、落ち着いてるみたいですね」

 エビネの後ろ姿を見送ったヴァルトラントは、ハルトマンと顔を見合わせて囁きあった。

 注意すべき点は、エビネをパニックに陥らせないことである。一度いやな目にあった者は警戒心が強くなり、二度と同じ手が使えなくなる。いや同じ手どころか、持ち出す手すべてに警戒し、拒否反応を示すようになりかねない。

 そんなわけで、おしゃべり好きで余計なひとことが多い〈グレムリン〉たちも、いまだけは言動に気をつけようと肝に銘じていた。

 新米准尉の足に任せて、〈グレムリン〉たちは奥へと進んでいく。エビネの気分に任せてはいるが、時々〈グレムリン〉たちは声をかけ、巧みに進ませたい方向へと誘導した。

 ほどなく一室目の反対側に到着した。目の前には背の高い壁が聳え立ち、大きく頑丈そうな扉が行く手を塞いでいる。

「この先二室、三室と進むにつれ、空気は乾燥し、気温が下がっていきます。つまり、カリストに近い環境になっていくというわけです。植物の種類がどのように変化するのかを、その目でぜひ確認してください」

 意外にもエビネが草木に興味を示すことに気づいたハルトマンは、准尉の好奇心をくすぐった。准尉が興味深げにうなづくのを確認して、研究員は扉の開閉ボタンを押した。かすかな機械音とともに、扉は開く。エビネは何かを気にする事もなく、そのドアを通り抜ける。

 その先もまた温室となっていた。前の部屋に比べると若干暗く、ひんやりとしている。栽培されているものも、先ほどの豪華な大輪の花々と比べると、質素で大人しい。

 エビネはその部屋も、感嘆の言葉を発しながら見学した。そして、次々扉をくぐっては先へと進む。その度に植物の相が変わった。草花の背はどんどん低くなり、樹木は広葉樹から針葉樹へと変化する。

 そして、第五室へと辿り着いた。

 部屋を抜けるごとに照明の明度は落とされ、気温は低くなる。そしてこの第五室は、処々にぼんやりと非常灯のようなものが見え隠れするだけで、ほとんど灯かりが点けられていなかった。隣にいる者の表情が、なんとか判る程度である。気温も厚手の上着を羽織らなければならないほど下がっている。「この部屋は〈森の精〉ヴァルトガイストの現在の状態と全く同じになっているのだ」と、研究員は説明した。

「いい匂いがする」

 貸し出されたコートをまとったエビネは、ゆっくりと深呼吸した。

 冷たい空気が、肺の中いっぱいに広がる。肺を充たした空気は思ったほど乾燥しておらず、どこかしっとりとして心地よかった。苔や樹皮の土臭いような匂いに、なぜか懐かしさを感じた。

〈森の精〉ヴァルトガイストの森の匂いだよ」

 二度、三度と深呼吸をしているエビネに、ヴァルトラントがそっと囁くように言った。声をかけられた准尉は、ふと忘れていたことを思い出した。

「あ、そうだ。到着した日、君たちが飛行場の照明を使って歓迎してくれただろ? あのとき俺、『この光の中に立って深呼吸したら、気持ちいいだろうなぁ』って思ったんだ。こんな風に」

 そう言って、エビネは気持ちよさそうに深呼吸を繰り返す。

「そんな〈真夜中〉に〈外〉で深呼吸なんかしたら、肺が凍っ――痛っ!」

 気の緩んだヴァルトラントがついうっかり余計なことを言いかけ、ミルフィーユに足を踏みつけられた。

 しかしヴァルトラントの失言も、木々の間を縫うように歩き出していたエビネの耳には届かなかったらしい。准尉はゆらゆらと上体を揺らして歩いている。まるで寝ぼけた状態で歩いているようだ。

 だが、ほどなくエビネは立ち止まった。大きな樹に寄りかかると、何を思ったのか両腕を広げてその幹をしっかと抱え込む。

「……なんか、おかしくない?」

 そのまま動かなくなった准尉を見て、ミルフィーユは不安になって呟いた。その言葉に、ハルトマンが顔を引き締める。そっと白衣のポケットに手を入れると、いつでも鎮静剤を投与できるよう身構えた。

 〈グレムリン〉たちが近寄ろうと動きかけた時、エビネはゆっくりと振り返った。目が暗がりに慣れたため、ぼんやりとではあったが彼の表情が判る。エビネの顔はいたって穏やかで、瞳には理性的な光があった。

 エビネは静かに話しはじめた。

「小さい頃、父さんによく植物園に連れて行ってもらったんだよね。ここを見学してるうちに、なんかその時のことを思い出しちゃった」

「……」

 少年たちと研究員は、無言で先を促した。准尉は、何か心の奥に押し込んでいたものを手探りで取り出そうとしている。

「俺の父さんは、〈機構軍〉艦隊の巡視艇の艇長だったんだ。君たちのお父さんたちみたいにすごい手柄をたくさん立てたわけじゃないけど、大好きだったし、誇りに思ってた。でも〈天王星独立紛争〉の時、〈地球へ還る者〉の奇襲を受けて死んでしまったんだ。それも一撃で完全に吹っ飛んでいた方が、まだよかったかもしれないと思える最期で……」

 エビネは母や父の部下などから聞いた話を思い出すために、ゆっくりと視線を中空に彷徨わせた。

「それは、〈アリエル解放戦〉の直前だった。〈地球へ還る者〉が頻繁に出没するということで哨戒に出ていた父さんの艇は、突然敵の攻撃を受けた。しかし大した武器も持っていなかった敵は、艇に穴を開けただけで逃げていったんだ。でもその穴は、一瞬で艇を破壊するには小さすぎたし、自動修復機能で瞬間的に塞ぐには、少しばかり大きすぎた。中途半端に塞がれた穴は、数十秒というわずかな時間だけ、急激な気圧の低下を防いだ。まあ、空気の抜ける圧力に耐え切れずに、結局真っ二つになってしまったんだけどね」

 エビネの口から、震えるような吐息が洩れた。続けて気持ちを落ち着かせるように深呼吸すると、〈グレムリン〉たちの方を見て、力なく笑った。

「まるで、見てきたみたいに話してる、って思ってるでしょ。実はね、通信記録が残ってたんだ。〈惑星間通信パケット〉中継用の浮標ブイが、艇からのかすかな救難信号を捉えてた。通信士はよほど慌ててたんだろうね。救難信号とともに、乗組員たちの声や船内の音まで送信していたんだ」

 突然、エビネは喉を詰まらせたように話すのをやめ、そのまま黙り込んでしまった。

 ヴァルトラントは、准尉がもう一度口を開くのを待った。ところが、エビネは一向に続きを語ろうとはしない。しかし少年は、彼が話したがっているのだと感じた。ずっと独りで抱えていた何かを、准尉は誰かに話したがっている。しかし、そのことを口にするのが怖くて、ためらっているのだ。

「その通信記録を、准尉は聞いたの?」

 小さな声で、そっと、細心の注意を払って、ヴァルトラントは問いかけた。隣でミルフィーユが息を呑んだ。

 ぼんやりと見えるエビネの身体がわずかに動いた。そして逡巡ののち、喉の奥から搾り出すように、彼は答えた。

「聞いた。とても怖かった。必死で修復を試みようとしている者の怒鳴り声や、意味不明の叫び、家族を呼び求める悲痛な声。そしてそれらに被さる、甲高い空気の洩れていく音と、何かを引き裂くような無気味な音。それが当時八つだった俺には、すごく怖かった。しばらく独りで眠れないぐらいだったよ。俺、想像力が逞しいから、本当は考えたくないのに、ついその様子を想像してしまったりしてね」

 いったん口を開くと、あとは言葉が勝手に溢れ出た。ずっと心に秘めていた記憶が、声となって吐き出される。だが吐き出すにつれ、エビネは気持ちが軽くなっていくのを感じた。最後にひょいと軽口が飛び出したのには、自分でも内心驚いたほどだ。

「それからかな。気密扉が開く時の、空気が洩れる音が嫌いになったのは。いや、子供の頃はただ単にその音が『嫌い』なんだと思ってた。それが、そう単純なものじゃないと気づいたのは、士官学校へ入ってからだった。初めての〈屋外〉活動実習の時、気閘エアロックから空気が排出される音に、いままでにない恐怖を感じたんだ。その時は急いで無線のチャンネルを切り変えることができたので、取り乱すこともなく、誰にも気づかれずに済んだんだけど。でもそれ以降、妙に『外へ出る』ということを意識するようになってしまって……。その時、きちんとカウンセリングなりを受ければよかったんだろうけど、誰かに知られるのが嫌で、ずっと隠してたんだ。まあ授業の方は、気閘を通過する時にオペレータの声だけが聞こえるようチャンネルをいじって、なんとかパスしたんだけど。まさか今頃になって、そのツケが回ってくるとは思わなかったな」

 エビネはおどけた調子で言い、さも可笑しそうに笑い声を洩らした。ひとしきり笑ったあと、疲れたように大きく息を整える。

 ヴァルトラントはもう何も訊かずに、じっとエビネを見ていた。風に揺れる木葉の音だけが聞こえる。

「あの――」

「なんかさ、こうやって話したら、すっきりしたよ」

 重苦しい空気に耐えられなくなったミルフィーユが口を開きかけた時、エビネが沈黙を破った。

「きっと、次の〈馴致〉はクリアできそうな気がするなぁ。あーあ、こんなにすっきりするなら、もっと早く誰かに話せばよかった」

 そう言ってエビネは笑顔を見せた。それは明るく、どこか吹っ切れたようにさっぱりしている。そしてそれが決して見せかけでないということは、誰の目にも明らかだった。

「もうクリアできてるよ、准尉」

 妙に大人びた微笑を浮かべて、ヴァルトラントは告げた。

「え?」

「准尉は、たったいま〈馴致〉をクリアしたんだよ」

 わけが解からずにきょとんとしているエビネに、少年はゆっくりと繰り返した。

「まだ気づかない? 風が木と木のあいだを、遠くまで吹き抜けていくのを。この森は、〈外〉にあるんだよ。准尉は〈外〉に出て、規定の時間を過ごしたんだ。深呼吸までしてね。だから充分クリアできてるってワケ」

「で、でも、ここは『第五室』って――」

 エビネは、信じられないとばかりに辺りを見回す。

「そうだよ。ここは〈森の精〉ヴァルトガイストっていう部屋なんだよ、准尉。研究所という部屋から、〈森の精〉ヴァルトガイストの森という部屋へ、ちょっと移動しただけ。だから、ね? 全然平気でしょ?」

〈森の精〉ヴァルトガイストという部屋……」

 少年の言葉を咀嚼していたエビネは、ふと、最後まで腹の底に残っていた錘が、ストンとどこかへ落ちていくのを感じた。

「あ……!」

 その声はとても小さかったが、はっきりと〈グレムリン〉には聞こえた。少年たちは、エビネがいま越えられなかった壁を乗り越えたのだと判った。

「もう大丈夫だねっ!」

 ミルフィーユの嬉しそうな声が、森に響いた。


 その後、昼休みを大幅に過ぎたため大慌てでオフィスへと戻るエビネを見送った少年たちは、いままでのやりとりを別室で看視していた司令官たちのもとへと赴いた。

「すごいぞ! こんなうまくいくなんて!」

「きゃーっ!?」

 モニタルームへ入るなりレヴァント大佐に抱きつかれ、二人は思わず悲鳴を上げた。

 レヴァントは、今回の成功がよほど嬉しかったのだろう。彼の手から逃れようと必死でもがく〈グレムリン〉たちを、大きく振り回してはしゃいでいる。おかげで子供たちは、すっかり目を回してしまった。

「いやぁ、『〈森の精〉ヴァルトガイストという部屋』なんて子供じみた理屈で納得させることができたのは、いささか意外だったが」

「悪かったねっ。子供じみてて――ってか、俺らはリアルに子供なんだってば」

 小馬鹿にされたヴァルトラントが、悪態をつく。が、「これからのプラン」を練るのに忙しい大佐の耳には素通りのようだった。

「よし、この方法が有効であることを証明するために、もっとデータを集めねばっ。まずは実験体の調達だっ」

「実験体って……せめて『被験者』と言ってください、大佐ぁーっ」

 拳を振り上げながら意気揚々と部屋を出て行く大佐のあとを、彼の部下たちが慌てて追いかけていく。

 基地司令官と〈グレムリン〉たちは、その様子を呆気に取られて見ていたが、誰からともなくお互いの顔を見合わせると、堰を切ったように笑い転げた。

先生ドクトルが、あそこまでマッドサイエンティストだったなんて、思わなかったよ」

「いや、普段は普通なんだけどさ。時々壊れちゃうんだ、あの先生」

 痙攣している腹筋を押さえてミルフィーユが言うと、目に涙を溜めたヴァルトラントが応え、また腹を抱える。

 そこへいち早く笑いの発作を鎮めたウィルが、労いの言葉をかけた。

「うまくやったな。ヴァルトラントが『ここは〈外〉だ』と言い出した時は、どうなるかと思ったが」

 当初の予定では、エビネの精神状態を考えて「第五室」が「実際には屋外である」ということは伏せておくつもりだった。何度か体験させたのち、様子を見て告げるという段取りだったのだ。

 父のからかうような視線に、息子は照れ隠しに膨れてみせた。

「准尉はもう平気だって思ったんだよ」

「それから『肺が凍っちゃう』発言も、ビックリしたんだからねっ」

 言いわけする親友に、ミルフィーユがウィルに便乗して抗議する。

「あ、あれはついツッコミたくなって……その……」

 この件に関しては、ヴァルトラントは言い逃れられなかった。腰に手を当て怖い顔の相棒と目を合わせられず、そっぽを向いてしどろもどろ呟く。

「エビネが素直にヴァルトラントの言葉を受け入れたのは、それだけおまえたちに対して心を開いてたからだろうな。でなけりゃ、『あんな話』はしなかっただろう」

 子供たちの傍まで歩み寄ったウィルは、彼らを優しく覗きこんで頭を撫でた。彼の言葉に、〈グレムリン〉たちは嬉しそうにはにかむ。が、すぐにヴァルトラントは神妙な顔つきになって独りごちた。

「それは、俺らが子供だから、かな?」

 〈森の精〉ヴァルトガイストの隊員の中には、エビネのように他人に言えない「心の傷」を持っている者が大勢いる。そういった自分自身だけの秘密を、彼らはなぜか〈グレムリン〉には明かすのだ。

 ヴァルトラントは、それは「きっと自分たちが子供だから」なのだと思っている。なぜ子供だったら打ち明け話をしてしまうのかは解からないが、とにかく子供だからなのだ。

 しかしウィルは否定した。

「いや、准尉はお前たちを、友達みたいに思いはじめてるのかも知れない」

「ホント!?」

「多分な」

 ヴァルトラントだけでなく、ミルフィーユも顔を輝かせた。二人は歓声を上げて抱き合う。

 そんな子供たちに目を細めていたウィルだが、ふいに意地悪を言いたくなった。わざと難しい顔を作って二人に言い渡す。

「でも、それは准尉にとってあまりよくないことと思われるので、あとで『〈グレムリン〉には近づくな』と注意しておくことにする」

「ええーっ、なんでだよっ。いくら司令官だからって、隊員の気持ちまで抑えつける権利なんてないぞーっ」

「そーだっ、『えっけんこうい』だっ」

 あかんべえをして意地悪く笑っている司令官に、〈グレムリン〉たちが不平の声を上げる。

 と、そこへ、ウィルのオフィスにいるクローチェ軍曹から連絡が入った。

「ミルフィーはそこにいますか? いたら〈地精〉ツヴェルクのノール大尉のところへ行くよう、伝えていただけますか?」

「見つけたんだ!」

 ウィルが伝えるまでもなく、傍で聞いていたミルフィーユはそう叫ぶと、脱兎のごとく部屋を飛び出していった。

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