1-3 少女の事情


 昼下がりのラーラス商店街。

 そこそこ人で賑わう街道を、ひどく異様な風体ふうていの男が歩いていた。


 見上げるほど大柄で、案外若い。

 短めの髪は逆立つようなオールバックで、赤みの強い金。つりあがった目もきんいろで、瞳が猫のように細い。

 耳は虎のそれで、褐色の肌にも虎の模様が浮き上がっているのが、むき出しの首筋や腕を見ると分かる。


 一見、獣人族ナーウェアのような外見だが、長い虎模様の尾の先には炎が燃えて火の粉を散らしていた。

 獣の特徴を持つ獣人族ナーウェアといえど、本質的には人族だ。この異相は、彼が六種族とは異なる存在であることを示している。


 彼は焦りをにじませた様子で辺りを見回し、何かを探していたようだったが、やがて一軒の宿の前で足を止めた。

 ため息のように吐き出した息に、一瞬だけ炎が混じる。




 部屋の隅の照明用ロウソクの炎が、不意にジジ……と揺らめいた。

 顔を上げたセロアは立ち上がりルベルの側に行くと、さりげなくその肩にかばうように腕を回す。––––途端。

 ゆら、と空気が陽炎のように揺らめき、室内に突然、巨大な虎が現れた。


 燃えるような緋色の毛並みに、くっきり描かれた縞模様。長い尾の先が燃えて火の粉を散らしている。

 虎はきんいろの目を少女と賢者に向け、喋った。


『心配かけてんじゃねー、この家出娘ッ』


 鼓膜を震わせる音声とは違った、不思議な響きの声。

 セロアの腕の中でルベルがきょとんと呟く。


「……ゼオくん?」

灼虎しゃっこさん、ですか」


 セロアにも思い当たる節があった。

 灼虎しゃっこは炎の中位精霊、気性が荒く人と交わることは滅多にないとされる稀少きしょう種だが、ルウィーニと親しい灼虎がいるという話を以前聞いた覚えがある。


 虎は、ゴォ、と炎の息を吐いて、ゆらりと姿を変幻させた。褐色の肌に縞模様、虎の耳と燃える長い尾、そしてきんいろの猫目の若い男の姿に。

 背の高いセロアともさほど変わらぬ大柄の彼は、睨むような視線を賢者に向ける。


「おまえ、剣は扱えンのか?」

「剣術ですか? あまり得意じゃないですね」


 虎の精霊は不機嫌そうに眉を寄せた。


「じゃ、魔法は?」

「魔法もそんなに使えないんですよ。私の本職は学者なので」

「ッて役立たずじゃねーかテメー、隠居ジジイみてェなこと抜かしやがって」


 うなるように言われてセロアは苦笑する。

 隠居した覚えはないが、役立たずと言われてもまあ、仕方ない。

 だがルベルはそれを聞くとセロアの腕から強引に抜け出し、虎をびしぃっと指差して怒ったように声を上げた。


「ゼオくんっ! 失礼なこと言ったのをセロアさんに謝ってください! あと、カマドは入り口じゃないですーっ!」

「オレにとってァ入口だってーの」

「でりかしーとかぷらいべーととか、ちゃんと勉強してくださいっ!」

「うっせー、おじょう相手に今さらデリカシーも何もねーだろ」


 きゃんきゃんと騒ぐルベルとそれをあしらう灼虎のやりとりに、セロアはつい吹き出してしまった。

 途端、ゼオにものすごい形相で睨まれる。


「オイ隠居、面白がってんじゃねー」


 呼び名は隠居で決定か。

 セロアはすみません、と返して付け加えた。


「二人とも仲良しなんですね」


 ルベルの後見人であり魔術の師でもあるルウィーニは、こと精霊との相性に関して天賦てんぷの才を持っている。

 まるで兄弟のようなやりとりが微笑ましくもあり、安心もしたのだ。

 ルベルはといえば、ゼオの物言いにむっとしたのだろう。細い眉を釣り上げ灼虎に詰め寄っている。


「ゼオくん! セロアさんはルベルの大事なひとなんだから、失礼言っちゃダメですっ」

「はぁ!? お嬢、意味分かって言ってンのか?」

「分かってます! セロアさんはルベルの運命のひとなんですっ」

「ぅあ? ナニ!?」


 再びの爆弾発言投下である。

 これ以上ややこしくなられても収拾がつかなくなるので、セロアは仕方なく二人の間に割って入った。


「まぁまぁ、私の事はいいですから……二人とも少し落ち着きましょうね」

「うっせーコラ当事者! 子どもにナニ吹き込んでやがる!」

「吹き込まれてないですっ! ゼオくんいちいち怒鳴りすぎっ」

「だから、落ち着きましょう?」


 声を荒げる虎と喧嘩上等の少女。どちらも炎属性だから熱くなりやすい……というわけでもないだろうが。

 苦笑に近い顔で、セロアはまっすぐゼオを見る。


「なんにせよ私に、事情を説明していただける権利はあると思いますよ? ゼオさん」





 結局、有耶無耶うやむやの内に夕飯の時間に雪崩れ込み、ゼオは要らないと言うので二人で階下で食事をとり、それぞれ風呂に行って……、部屋に戻るとすぐにルベルは寝てしまった。

 元気そうに見えていても、相当疲れていたのだろう。

 熟睡して寝息を立てているのを確認し、セロアは部屋の隅で広報誌を広げている灼虎に声を掛けた。


「ゼオさん。下の酒場でもいいですか?」

 彼は目を上げ、立ち上がる。


「あァ」


 応じつつも灼虎の視線は、ベッドで眠るルベルに向いている。

 セロアは黙ってベッドの際まで行くと、自分の長い上着の合わせに手を入れ何かを取り出して、ルベルの横に置いた。

 丸っこくて粉っぽくて真っ白な、はねのあるカタマリ二つ。それぞれには黒い点が二つずつ付いており、それがぱちりと瞬きした。……生きもの、らしい。


「良い夢をみてくださいね、ルベルちゃん」

「なんだソレ」


 ゼオに問われて、セロアは笑むように口もとをゆるめる。


「幸運の妖精、みたいなものですよ。ケサランパサランってご存知ですか?」

「変なモン飼ってンなァ隠居」


 飼っているというよりかれているようなものだが、たいした違いでもない。

 セロアは気にせず、ゼオを促して階下に降りる。食堂に併設している酒場へ行くと、なるべく目立たない奥のテーブルについた。

 何せ二人とも背高なので、無駄に人目を引きやすい。


「ゼオさん。ルゥイさんに、ルベルちゃんを連れ戻す気はないんですね」


 座った途端、短刀直入に切り出されて、ゼオは思わず視線をさまよわせた。

 セロアは穏やかに笑んで言葉を続ける。


「連れ戻すつもりなら、即刻連れ帰るでしょうから。……あなたがまだ帰らないということは、ルゥイさんが彼女の守護者としてあなたを遣わした、という事だと思ったのですが、違ってましたか?」

「ったく、ワケわかんねーンだよマスターが何考えてやがんのか」


 毒づくように呟いて、灼虎は手のひらを上向けテーブルに乗せた。ぱり、と音がして、その手の上に一通の封書が現れる。


「手紙だ。マスターからおまえに、読めば分かるってよ」

「ありがとうございます」


 受け取って開封すると、丁寧に折り畳まれた便箋びんせんが入っていた。

 広げた紙面には相変わらず流麗なルウィーニの筆跡で、こんなことが書かれていた。




『––––親愛なる セロア君。



 はじめに。この手紙を読んだ後の判断の一切を、俺はきみに任せる。

 ルベルを帰すべきと判断するなら、この手紙を持っていった灼虎のゼオにルベルを引き渡してくれて構わない。

 しかし、もしもきみがルベルと共にバイファルを目指すのなら、彼をも共に連れて行って欲しい。彼は『名』を持つ炎の中位精霊であり、きみたちをほとんどの危険から守るだけの力を持ち合わせている。

 少々口は悪いが、きみなら上手くやって行けるだろうと期待しているよ。


 さて、前置きはこのくらいにして本題に移ろう。

 ここから先に書く事には、ルベル本人も知らない事実が含まれている。それで、決して口外せずきみの心の中だけに収めておいて欲しい。

 ルベルの父親の名はロッシェ=メルヴェ=レジオーラといい、現国王フェトゥースの腹違いで庶出しょしゅつの兄に当たる。

 以下、事実のみの箇条書きを記しておく。



・ロッシェは前王(フェトゥース国王とロッシェの父である炎帝)に仕えた直属の暗殺者アサシンである。

・十年前のレジオーラ家惨殺事件は前王がロッシェに命じ行なわせたものである。

・ルベルはロッシェとリィラレーン(レジオーラ家の一人娘)の間の子である。

・前王を暗殺したのはロッシェと当時の騎士団長である。

・バイファル島へ残留したのはロッシェ自身の意志によるものである。

・ロッシェは効力を保った旅渡券を所持しており、それゆえにライヴァン王宮は旅渡券を発行することができず、ゲートも使用できない。



 そして、ここからは俺の憶測が混じる。

 ロッシェは逆らえぬ命とはいえレジオーラ家の者たちを手にかけたことを後悔し、本人なりの償いとして前王を殺害し、レジオーラ家を再興させたのだと思う。

 しかし自分自身を許すこともできず、諸々を俺に任せて監獄島へ残留する事を選択したのだろう。


 彼とルベルの母親––––リィラレーン嬢の関係がどれほど深かったのかは知らないが、ロッシェのルベルに対する愛情は相当に深い。

 それだけに彼は、自分の過去の行為が何らかの形で娘に悪影響を及ぼす事を、非常に恐れている。


 俺自身としては、真実を知るべきかどうかは別にしても、ルベルをロッシェに会わせてやりたいと思う。

 たとえロッシェに戻る意志がないのだとしても、ルベルが、父本人の口からそうと告げられなくては納得できないだろうと思うのだ。


 しかし、行き先は危険極まりない地域だ。

 きみがそれに付き合う義務はないし、きみが前述の事実から判断して行くべきでないとするのなら、ゼオにそう伝えて欲しい。

 面倒なことに巻き込んでしまって申し訳ないが、どうか宜しく頼む。


 最後に。

 俺にも話してくれないのだが、ゼオはロッシェの過去を知っているらしい。

 もしも同行を選択し、旅の途上で知られてない真実を知るようなことがあっても、きみはそれを俺に報告する必要はない。

 ただ、それに基づいてきみ自身が最善だと思う選択を、その都度つど選んでいって欲しい。


 導きの風と幸運が、きみの旅の上に留まることを祈りつつ。



ルウィーニ=フェールザン ––––』




 読み終えて顔を上げると、こちらを睨むように見据えるゼオの視線とぶつかった。

 セロアは丁寧に手紙を畳み直し、封筒に仕舞いながら穏やかに言った。


「バイファルに行きましょうか、ゼオさん」

「……っうっぁ、マジかよ」


 うめくような灼虎の呟き。じっと見返して、不意に賢者は問いかけた。


「ルベルちゃんの母親を殺したのは、レジオーラ卿……ルベルちゃんのお父さんだったんですね」


 ––––その瞬間。

 がたッ、と椅子を蹴倒けたおしていきなりゼオが立ち上がり、セロアの胸倉をつかんだ。

 口もとから覗く鋭い牙と、怒りを宿した双眸。全身に敵意をみなぎらせ獣が牙をく形相で、低くうなる。


「……ッめェ、ケシズミになりてーかっ……!」

 セロアは動じた様子もなく、確信めいてにこりと笑んだ。


「手を掛けていないんですね?」

「––––ッ!!」


 やられた、という風な表情で、ゼオがばっと手を離す。

 乱れた襟を正しつつ、セロアはエメラルドの両眼でゼオをまっすぐに見た。


「それが真実であり、父と娘の間で愛情がまだ消えていないのなら。逢うべき理由はそれだけでも十分だと思いますよ」


 ゼオは無言でがりがりと髪をき回していたが、やがてあきらめたように言った。


「さんは、イラねぇ。オレはテメーのことァ気に入らねーが、お嬢が気に入ってンだからしかたねーだろ」


 ゼオ自身の本意はともかく、彼はルウィーニの意向を尊重するつもりなのだろう。

 その日はもう、ゼオがこれ以上セロアに突っかかることはなかった。




『まだ幼い子どもに過ぎない彼女が、真実を知るべきか。私にも、まだ分かりません。ただ、私も、あの絵を描いたという彼に逢ってみたいと思うのです。

 人は、表面を取り繕うことが出来るとしても、描くものにその本質は表れるでしょうから––––』


 ゼオを通して届けられたセロアの手紙を読みながら、ルウィーニは無言で笑む。

 彼はきっと彼なりに何かをつかんだのかもしれない、と思う。


「俺はここで国王を助けて、きみが帰るべきこの国と場所を守ると決めたのさ。だから、帰って来なさい。……ロッシェ」


 聞く者のいないその呟きは、夜陰やいんに紛れ風に散って消えた。






 to next.

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