第39話 変わりゆく世界


 俺は公開オナニーを強要する連中に、心の底からメンチを切った。

 それに対し室長たちは臆してる。当然だ。ついこないだやらかしたばかりだからな。


「え、園長先生。どうしましょう……」


「……ああ、彼?別にいいよ?」


 室長たちは、この地獄のような光景を見守る園長に判断を求めた。その園長は俺をスルーするように言い渡した。

 これはあれか、また厄介を起こされても困るし、自由にさせようってことか。当の園長は俺を視界に入れようともしない。

 逆に意識してるのがバレバレだが。


 まぁ、良かったといえば良かった。こんなこと馬鹿馬鹿しくて付き合いきれないから。

 他の入所者には悪いような気もするけど、そもそも室長たちだって抜いてないし。

 なにより俺は、こんなのに意味があるとは思ってない。だから従えない。



………………



 朝の『お清め』から、一日を終えた夜。

 独房から出たばかりでギシギシ痛む体を押しながら、施設を一通り見た。この二週間で、いろいろと変わったことがあった。


 目に見えて変わったことは、朝の『お清め』。気味の悪い儀式が行われるようになった。

 目に見えないとこで変わったのは室長たちの様子。

 これまでの殴る蹴るの暴力に加えて、朝のお清めだ。不満を感じないやつはまずいない。不服に感じてる奴ばかり。魁斗なんて特にそうだ。


 そんな囚人に対抗するのは、看守の力。

 室長たちが入所者を監視する目は強化されていて、決して他の入所者と馴れ合おうとはしない。同じ入所者を殴ってるのも見た。

 そのように室長たちの権限が拡大されていたのだ。


 俺の一件があった後だ。より権力を強化し、取り締まりを強くしよう、そして反抗の芽は摘んでしまおう、という施設側の目論見だろう。

 そして与えられた特権は、特別な食事や自由時間の存在などにも及ぶ。別途に要されたメシを食い、仕事をサボっていた。看守側の生活水準が上がってる。

 室長の負担が増えたから、英気を養うための特別な食事。仕事量に対しての休養を増やす、とでも言いたいのだろうか?『飼いならすためのエサ』の間違いだ。


 そしてこの二週間で一番大きく変わったことは、室長たちに欲望の捌け口が与えられていたこと。

 室長連中は女を……海唯羽を好きにすることができるようになっていた。

 連中は女というエサを与えられた。同じ入所者たちを監視する見返りとして。

 そのように海唯羽は、室長たちに抱かれ続けている。身の安全と引き換えに。室長たちの側につけば、少なくともいじめや暴力からは逃れられるから。


 今日だけ見ても海唯羽は、井出や今場といった室長連中と親しげにしていた。ついさっきもじゃれ合っていた。コンビニの前でいちゃつく高校生カップルみたいに。

 あいつらも元々は引きこもりで女に免疫がないから、浮かれてるの丸出しだった。まぁ、それはかつての俺もだが。


 俺はこうして夕食後まで、施設の状況をずっと眺めていた。

 その間、俺は一度も海唯羽と話せなかった。陰からコソコソ見るだけで、彼女の目から逃げるように行動していた。

 俺は結局なにも出来ないんだろうか?


 そんな時、海唯羽が博巳と一緒に空き部屋にいるのを目撃してしまった。

 事を済ませた博巳が、空き部屋から出てきたのだ。そして部屋には海唯羽が。


「…………!」


 頭にカッと血が上るのがわかったが、どういうわけか、怒りはすぐに引いていった。


「何か文句があるかい?」


 俺に気づいた博巳は、そう言ってドヤ顔をしてる。


「いや、なんでもないよ。邪魔したな」


 そのまま通り過ぎようとした時、博巳は歪んだ笑いを浮かべながら部屋へと引き返した。


「えっ、ちょっ……やだっ!」


 そうして博巳に腕を引っ張られ。出てきたのは、体をタオルケットで隠した海唯羽。その下は全裸だった。細い肩や、白い生足、汗ばんだ肌が艶めかしい、海唯羽の身体だ。


「あっ……」


 海唯羽と目が合う。これは人生トップクラスの気まずい瞬間。


「ほんっと、ありえない!」


 海唯羽は、そう言って博巳の腕を振りほどき、空き部屋へ戻っていた。

 俺と目が合った彼女は、自分から視線をそらした。これが現実か。


「どうだい?これは頑張った僕たちに与えられた報酬だよ?室長だけの!」


「ああ、そうか。お前、彼女のこと好きだったんだろ?良かったじゃん」


 わかってはいた。こうなると虚しいものだ。


「戸津床くん。今、君は悔しいんだろ?わかるよ?でも君は大人げないことをしたからね。ここでの生活を真面目にこなし、努力をしていれば、君もこっち側に、勝ち組になれたかもしれなかったのに!残念だけど君の自己責任だよ?」


 しかしこいつ、ずいぶん煽ってくるな。

 歪んだ自信をつけて、さらにタチ悪くなったか?


「……チッ!」

「おっと、僕は室長だよ?いわばこの施設の中の公務員だよ?公務執行妨害だよ?」


 別に何もするつもりはない。ただ舌打ちしただけ。それでもこの過剰反応っぷり。殴られるとでも思ってるのだろうか?

 しかし、こいつは権限を与えると、とことん図に乗るタイプだ。


「いいよ。俺はもう何もするつもりもないから」


 こんなやつら、相手にしてもどうしようもない。関わるだけ無駄だ。

 それに海唯羽はもう、室長たちに守られている。もういじめられることもない。それがわかっただけで良かった。

 彼女にも室長たちの特権が及んで、暴力や苦労から解放されてることだろう。そのほうが彼女は幸せだ。

 それになんだ、あの博巳が引っ張ってきたときのあの声。俺といた時とはまったく違う、素の声だったじゃないか。

 悲しいことに、彼女は今のほうが安心できてるんだ。俺と一緒にいる時より。

 海唯羽は髪も若干伸ばしてた。他の男たちが喜ぶように。

 ついでにスエットの裾もめくってた。ここでの限られたオシャレもできるようになってる。俺といた時より、ずっと生き生きしてる。


「あ、あの。わ、私も……」


 そう言って室長たちにすがるのは、アラフォーおばさん。

 室長&海唯羽が集まっているところに入ろうと、すり寄っているのを見た。


「あぁ?なんだこのババァ!」


 それを振りほどかれ、足蹴にされる。熱海にある銅像のような光景。


「テメーはいらねーよ!オラっ!」


 今場によるグーパンチを顔面にもらって、鼻が真っ赤に腫れた。なんだ、今度はあのおばさんがいじめらてるのか。


「アハハハハハ!」


 海唯羽はその様子を見て高笑いしている。

 おばさんは室長の権限を奪われたのだろうか?立場が逆転してる。

 でも彼女は、こんなことをしたかったわけではないだろう。ただ守ってほしかっただけなんだ。ここでの生活の中の暴力、いじめから。


 それは裏を返せば、安全が保証されれば誰でも良かったってことだ。

 別に俺じゃなくても良かったんだ。

 俺は言いしれぬ虚しさと脱力感を覚えたが、もはやどうでも良い。もう、何もかもが馬鹿馬鹿しかった。

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