第32話 「先制の砲火」

 天地を揺るがす大振動がルメンシスの街を端へ端へと伝わる。


 15cmの大口径炸裂術弾がきちんと作動したためのものだ。その着弾点周りのものが全て吹き上がり燃え散って、コロシアム前の通りの視界は突如としてゼロになる。


「あれ?」


 が、その真っ黒なビロードの切れ目に、堀末は三メートルほどの影が動くのを捉えた。


 茶色く、鋭く、そのデザイン通り素早い機体が、さっきまでそれがいた位置よりも数十メートル後ろに跳び去っていたのだ。


 人質を置くと同時のノールック射撃――正確にはコックピット内の照準用スコープを使った射撃であるから無論この表現は正確ではないが――だったにもかかわらず、つまり不意打ち、否、「不意撃ち」だったにもかかわらず、いとも簡単にかわされてしまったのだ。


「仕留めたと思ったんだけど……腕に怪我してるのによく動くなぁ……痛くないのかなぁ……」


 15cmはまだ「チャージ」が終わらない。そして、スコープを外してトリガーを75mmに切り替えるのは多分間に合わない。


 となれば、一撃もらうのは間違いない――効くかどうかはともかく。


 が。


「あれ?」


 オスカーはドラムマガジン式の37mm魔砲を下ろすと、そのまま盾に使っていた建物の向こうへ消えていった。


「んー? んん? んー……?」


 堀末は首を傾げながら、重い15cm魔砲を念のため持ちながらオスカーを追って路地へと機体を走らせた。といっても、その巨体故関節に負担がかかり過ぎないよう加速に制限がかかっている。


 だから、ゆっくりと、時間をかけて、ではあったが……しかしどういうわけかすぐに追いついてしまった。


 オスカーは路地の真ん中で砲身を向けながら、まるで魂が抜けてしまったように固まって動こうとしない。


 待ち伏せの姿勢で先手を取ったのはオスカーであったのに、先に撃ったのはモイスヒェンだった。


 ゆったりと余裕を持って照準を合わせた頭部の75mm魔砲八門が一斉に火を噴いて、空間を歪め、捻り取り、オスカーへと迫る。


 が、その瞬間にようやく魂が復活したのか、オスカーは何とか跳躍して、またすぐ後ろの路地へ走った。


 一発だけ機体の何かに当たったようだが、胴体への直撃はなく、それを除けば全て地面を耕しただけだった。


「あららら? らららら? ららららら?」


 と、堀末はコックピットの中でもう一度首を傾げる。


 操縦桿からも手を離して、腕を組んで頭を悩ませる。


 予想より遥かにオスカーの加速性能が優れているのもあったが、その加速性能を生かして距離を詰めるでもなく、有利な位置へ回り込むでもなく、ただただ逃げるためだけにそれを使っていること、それが不可解だったのだ。


 誘い出すつもりなら、さっき撃たなかったのは不自然な話である。


 彼の知る礼一少年像によれば、こういう場合、勇猛果敢に、勝機があるかどうかも考えずに戦いに来るはずだった。


 少なくとも、あの病院の形をした箱庭の中ではそうしていた。


 あのときの彼は後先を考えていなかったに違いない。


 事実、あの後あの小太りなコメディアン気取りの男に殴りかかったのはその表れだろうし、コロシアムに出たのだってそうだろう。


 が、今の彼はそうしていない。

 猪突猛進さがない。

 向こう見ずさがない。


 今のところ、別にそれで彼の点数が失われるわけではないが――不思議なことが起きたら気になってしょうがないのが堀末の性格だった。


 だから、操縦を一切放棄してまで、深く考えるのだった。彼の行動を思い出し、今の状況と照らし合わせていく。


 そして彼は、一つの答えにたどり着いた。


 それから勝ちを確信し、ニヤリと口で頬を引き裂くほどに笑みを浮かべた。


 そして、カチリ、と照準用スコープを目の前に下ろし、そのスイッチを切り替える。




 息を切らせながら礼一少年は、もう少し裏の方へ、と機体を走らせる。


 その足が動く度に右腕には鋭い痛みが走り、血が包帯代わりに巻いている布から染み出して、操縦桿まで伝っていくのだった。


 しかし、今、足を止めるわけにはいかない。


 止まるな、走って逃げろ、と頭の中にずっと言われ続けているような気が礼一少年にはしていたのだった。


 止めようと思えばいつでも止めれるのに、ペダルを離せばすぐに止まれるのに、そうさせない何かが礼一少年の中にあって、それが反対に足を一杯に踏み込ませ、操縦桿を前に押しやらせているのだった。


 だのに、何で撃てなかった? 


 安全装置――あのレバーがそう呼ばれるべきなのかは分からないが、それはあの枯れ木男の言うとおりにして解除した。


 後は操縦桿のトリガーを引くだけだっただろうし、狙いだって何度もつけていた。


 例え撃たなくたって、いくらでも回り込みようがあっただろうし、あの刀を使えば如何にアレが重装甲だとしても撃破できるだろう。そのための運動性能だ。


 そもそも、あの長い口上のときに撃てばよかったのだ。ヨハナから離れたときになら、それができたはずだ。


 が、そのはずなのにそれはできなかった。


 堀末に促されるまで、その選択肢は消えていたし、待ち伏せしても、撃たれるまで何もできなかった。


 いや、何もしなかった。


 だから、避けるのすらギリギリになってしまった。


 それでも機体は何とか間に合ったのは幸いだが……唯一対抗手段になりそうだったあの大刀は避けきれなかった弾に当たったのか半分から先が失われてもう作動しない。


 そのとき、自分の右手が震えているのに気がついた。


 最初は、痛みで震えているのかと思った。案外深手だったのだと思うことにしたのだ。


 でも、それでは自分を誤魔化せなかった。


 両手がどうしたって止まりそうもないほど震えていた。


 あの男が怖い。


 どうしようもなく。


 だって、一度は何もできずに殺されているのだ。


 そんな相手にどうして勝てる?


 一度命を落とすほどこっぴどく負けた相手に、どうして抵抗しようなんて思う?


 その感情を理解したとき、心臓の下のあたりに冷たい氷を入れられたような感覚がした。


 それは、あの暗くて何も見えないほど深く冷たい世界からの招待状だった。


 あるいはそこに住まう亡者の腕だった。


 その無数の見えない腕が、礼一少年の腕を、足を、首を、胴を、指を、髪を、目を、口を、耳を、爪を、肌を、腸を、肺を、脳を、綺麗に包み込んでしがみついて、とにかく離そうとはしなかった。


 すると、機体の足はそれに引きずられるようにして止まった。


 幸い、他の足音は聞こえない――あの巨人も足を止めている。


 だが、何もできない。

 何もしたくない。

 逃げ出してしまいたい。

 何もかもなかったことにしてしまいたい。

 でも二度は死にたくない。

 ――息苦しい。ここは酷く狭い。


 しかし、一本の白く細い腕に阻まれて脱出はできなかった。


 象牙か大理石でできているような美しさを持つそれの、つまりはその腕の持ち主を、礼一少年はよく知っていた。


「――ヨハナ。ヨハナ・フェーゲライン……!」


 そうだ、彼が死ねば、あるいは逃げ出せば、彼女は殺される。

 無価値に、無慈悲に、無遠慮に殺される。あの男に殺される。


 彼女の笑顔は蹂躙され、彼女の言葉は焼却され、彼女の心は蒸発させられる。


 それは、何回死んでもお断りだ。


 自分を生かしてくれたあの人を殺すのならば、僕がお前をぶち殺してやる。


 その決意が、彼にまとわりつく腕を、殊に白い一本を除き全てへし折り、引きちぎり、投げ捨てる。


 それらを地獄の業火へと投げ入れた熱が彼の凍った体を溶かしていく。


 彼の恐れの涙を燃やし、彼自身の血潮へ変える。

 

 そのとき、空を揺るがす爆音と共に地面が大きく揺れた。


 オスカーはバランスを崩し、地面に正面から叩きつけられ、その視界は一瞬で煙に巻かれたように奪われた。


 ――攻撃だ。


 建物があるのにどうやって、などという疑問は頭の片隅から追放する。敵は一人だけなのだから、つまりアレが何かしらしているのには違いないのだ。

 本能的に、礼一少年は機体を立て直そうとした。だが妙に動きが重い。腕に欠損があるようには見えないし、アクチュエーターが故障(人間で言えば肉離れ)したりフレームが破損(人間で言えば骨折)したようには思えない。


 そもそもオスカー程度の大きさで直撃を食らえば跡形もなく機体は吹き飛ぶのだ。


 それでも何とか立ち上がって振り向くと、礼一少年は戦慄して、その頬には冷や汗がブワッと浮き出た。


 盾にしていた建物が、下層部を残してただの瓦礫と化していたのだ。


 何かが建物の上層部から中層部――一番低いところではオスカーの背丈ほど――をバラバラにして、降り注いだそれがオスカーの機体に当たったために彼は転倒し、その下敷きになったのだ。


 一番手前の建物自体は低かったため降り注いだ瓦礫の量が対して多くはなかったことと、その崩壊をもってしても運良くオスカーの姿が向こうに見えなかったことはないのは幸いだった。


 しかし、礼一少年は反射的に機体を隣の建物に機体を隠した。


 恐らく、あの大筒からの砲撃だ、というのは礼一少年にも分かった。アレほど大きければこれだけ折り重なった建物の列といえども貫き、こうして破片をまき散らすことも出来るだろう。


 しかし問題は……どこから見えていたのだ?


 建物間の隙間から――いや、それはない。


 路地は、礼一少年にはその理由は分からなかったが、直線じゃなくクネリと曲がっていて、それに合わせて建物も並ぶから、建物の隙間は次の列の建物で隠れてしまうのだ。


 ではどうやって?


 礼一少年はライフルを構えながら――そのとき、爆発。


 先程と同じ大地震がオスカーを襲った。


 しかし先程より震源は近い。


 ほとんど足元といったところだった。あと数センチ近ければ直撃しないまでも、機体の足まわりが故障しかねない至近弾だった。


 だが、それ以上に、礼一少年は空を――絶望に埋め尽くされた上を見て、見上げて、口をあんぐりと開け、呆然とする、愕然とする。


 何故なら、その盾にしようとした第二の建物が倒壊し、上から降ってきて、ちっぽけなオスカーを瓦礫で包み込んだのだから。

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