第8話 姪と家出女子高生。

 月が変わり十二月。寒さも本格化し、また長い長い寒い時間の訪れに身も心もも震わせる思いだ。


 紗月と共に生活を始めて三ヶ月が経った。最初はどこか牽制し合うように重い雰囲気が漂っていたが、最近は互いに言いたいことも言えるくらいには打ち解けてきたと思う。

 最初は小学生の女の子との生活に不安を感じることもあったが、思ったよりも上手くやれている。


 何も問題はない。


 しかし未だに、俺の中でスッキリとした気持ちになることはなかった。


 どうしても、アイツの存在がずっと引っかかっている。


 本当にこれでいいのか? 本当にこのままでいいのか?

 そんな葛藤が俺の胸中を渦巻く。


 考えるまでもなく、最初から答えは出ていた。そう、これでいいんだと。


 しかし、それは本当に紗月のためなのか? ただの俺のエゴではないのか?

 そんな考えが浮かんでは、自分の想いを正当化して打ち消す。こんなことを繰り返していた。


 紗月の居るべき場所は間違いなくここであるべきだ。


 そんな思いは、呪縛の様に紗月を縛り付けているだけなのかもしれない。


 例えそうだとしても――――辿り着く答えはいつも同じ。


 あんな男に――――紗月は絶対渡せない。





 五日間の疲れが溜まった金曜日の夜。解放感の余韻に浸っていた俺は、熱燗を呑みながらテレビを見ていた。


 紗月は先ほど自室に戻って行ったし、優雅な一人の時間を満喫しよう。撮りためていたバラエティやドラマをこの機会に一気見だ。明日は休みだから何時に寝ても支障は出ない。

 熱燗が喉元を通る度に、疲れと寒さで冷えた俺の身体を熱くした。


 時刻は二十二時を過ぎた辺り。こんな時間に、俺の平穏を打ち壊すチャイムが鳴った。


「誰だよ……こんな時間に」


 仕方なく玄関へ向かい、扉を開ける。扉の向こうに立っていたのは一人の女子高生だった。


 確かに俺は女子高生は好きだよ。好きって言うか、二十歳を過ぎた辺りから女子高生の概念が変わったって言うのかな。歳を重ねたことによって、気軽に触れられないというか、近寄り難いといった感じ。


 そんな距離感から存在自体を勝手に神格化して、その魅力を跳ね上げている。だから女子高生と言うのは、少し特別な存在っていうのが俺の中のイメージだった。


 誤解の無いように言っておくが、今回、そのイメージを具象化して本当の女子高生を創り上げてしまったなんてことはない。女子高生への想いが強すぎて、なんやかんやで召喚してしまったなんて事もない。


 現実的な面で言えば、出会い系やSNSで仲良くなった女子高生を家に招いたなんてこともない。


 そもそも、目の前の女子高生は知った顔だった。


「ちーっす! タカ兄!」

「こんな時間に何しに来た……千冬」


 この高校二年生の女子はたちばな千冬ちふゆ。叔父さんの二人娘の妹の方。つまり俺の従姉妹だ。


「てゆーかさあ。外寒くて凍えそうなんだよねー。とりあえず中に入れてくんない?」


 外の気温は真冬に近くなっているし、時間も時間だ。制服姿の女子高生を外に置いたままにしておけない。


「分かった。とりあえず入れよ」


 俺は玄関から一歩下がり、廊下への道を開ける。



「ありがと! おじゃましまーす!」「おじゃまします……」



 んん……!?



 あたかもそれが当たり前のように俺の横を通り過ぎていく二人。


 玄関を開けた時は扉の後ろで見えなかったが、どうやらもう一人女子高生が居たらしい。現役女子高生で顔見知りは千冬だけなので、もちろん俺は初めて見る子だった。


「おい……千冬……その子は誰だ?」


 千冬はリビングのドアの前で立ち止まり、こちらを振り返る。


「え? この子? 麻優美まゆみちゃん」

「その麻優美ちゃんが何故ここに居る?」


「なんでって…………家出少女?」


 千冬はえへっと笑って誤魔化した。



 ああっ――――もう!!! 


 さようなら、俺の平穏! さようなら、俺の休日!

 多分これ、引き返せなくらい巻き込まれてるよね!?

 家出してきた女子高生とかどうすんだよ!!




 まあ、なにはともあれ、経緯を聞かなくては話が進まない。

 俺はテーブルを挟んで麻優美ちゃんと向かい合った。


「で…………なんで紗月まで居るんだよ。もう遅いから寝てていいんだぞ」


 廊下が騒がしくなって、自室から出てきた紗月が俺の横にちょこんと座っている。俺と同じように麻優美ちゃんと向かい合う形だ。


「なんでって……貴大が女子高生に変なことしないか見張ってようと思って」

「変な事ってなんだよ……」

「え…………未だに隠し持ってる女子高生モノのエッチな本でやってるようなこととか……?」

「俺が悪かった!! 捨てます! 全部捨てます! だから今その話はしないで!!」


 こっそり読んでたりするのかよ!? だとしたら紗月に悪影響過ぎるわ!!



「あ……あの…………」


 俺たちのそんなやり取りを目の前にして、申し訳なさそうに麻優美ちゃんが口を開く。


 パッと見た印象としては、とても大人しそうな子。少し垂れ下がった目じりが、物静かさを主張いるかのようにも感じる。そして何より纏っている負のオーラが凄い。視覚化出来そうなくらいのどんよりした雰囲気を醸し出していた。


 まあ、こんな大人しそうな子が家出までしてくるんだ。きっと何か重いものを抱えているに違いない。


 下手に刺激をしないように彼女の言葉を待った。


「あの……ここは、無償で永住させてくれる安息の地だと聞いているんですけど、間違いないですか?」


 大間違いだよ! 千冬のやつはそんな事言ってこの子を連れてきたのか!? こちらに関心を示さず、ソファーの上でスマホを弄っている千冬の方を睨む。


「ほぇ? あたしそんな事言ってないよ?」


 一応話は聞いていたのか、俺の無言の問いかけに不思議そうな顔で答える。そうか、言っていないのか。これは少し難儀なやり取りになりそうだ。


「うん、申し訳ないけどそういうのは出来ないかな。何で家出してきたのか、その……当たり障り無い程度でいいから話してもらえないかな?」


 俺は出来るだけ慎重に麻優美ちゃんに歩み寄る。


「そうですか……私、お金はあまり持ってないんですけどいいんですか?」


「いや、お金の話じゃなくてね……」


「あ、スミマセン……身体の方でしたか。こんな私の処女で良ければ、もらってやって下さい」


「いやいやいや、対価の話じゃなくてね。俺が出来ないって言ってるのは無償の方じゃなくて永住の方だからね?」


「そうですよね……私程度の処女を捧げたくらいじゃ、永住させてもらうには全然足りないですよね……」


「だから永住する前提で話さないでもらえるかな!!? 処女はもらわないしお金も要らない!! その代わり明日には家に帰ってもらう!! 帰れないというならその理由を説明して欲しいって言ってるんだけど!?」


 この調子だと埒が明かないので、思わず口調が強くなる。慎重さは既に皆無だ。


「ねえ、貴大。ショジョって何?」

「紗月はまだ知らなくていいの!!! いいからお前は早く寝なさい!!」


 余計に話がこんがらがるし、紗月には刺激が強すぎる。


「はあ……私は追い出されるんですね……こんなことならさっき、道頓堀に身を投げておけばよかった……」


 道頓堀? 東京に道頓堀はないよ? え? 大阪から来たとか言わないよね? 千冬と同じ制服着てるし。てゆうか身を投げようと思うくらい、深刻な状況なのか……


「なあ……千冬……ちょっと事の経緯説明してくれないか?」


 麻優美ちゃんと話していても、微妙に噛み合わない。本人も話す気はなさそうだし、ここはもう一人の当事者に聞いた方が話が早そうだ。


「え? あたしの出番? しょうがないなあ」


 いつの間にかソファーで横になっていた千冬は、そう言いながら身体を起こす。


「今日、私は塾に行っていたんだよ。んで、その帰り道電信柱にブツブツ話しかける麻優美ちゃんを発見したの」


 ほう、なかなか雲行きが怪しい語り出しだな。


「少し様子見てたんだけど「私は死ねる、私は死ねる」って言ってドブ川に飛び込もうとしてたからとりあえず止めた。んで、家には帰らないっていうからとりあえずここに連れてきた。以上です!」


「確かにそのまま放置しとく訳にはいかないだろうけど、なんでわざわざ俺のトコまで来たんだよ……」


「最初ウチに連れて行こうと思ったんだけど、今お父さんとお姉ちゃんが喧嘩中でちょっとピリピリしてるんだよねー。まあ、大した距離じゃないし、タカ兄のトコでいっかなーって。あ! 私はお母さんに友達ん家に泊まるって言ってあるから大丈夫ね!」


 そんなノリで連れてこられてもこっちはいい迷惑だ。しかし、問題を目の前にしてしまっている以上、そのまま追い出すことも出来ない。

 俺はチラッと麻優美ちゃんの方を見ると、なにやら俯いてブツブツ言っている。死ぬとか死ねとか壊れろとか物騒な単語が聞き取れる。どうやら相当病んでるようだ。


「ねえ、ヘラってるよ」

 紗月は麻優美ちゃんを指差す。


「指を差すのはやめなさい」


 俺は紗月の手を叩き落とす。しかしヘラってるって……処女は知らないのにそんな言葉は知ってるんだな。最近の小学生のボキャブラリーはよく分からん。


「なんかねー。麻優美ちゃん、親と喧嘩したみたいだよ」


 付け足すように千冬はシレっと言う。まあ、家出してきたというなら大方、事情はそんなところだろうとは思っていたが、そういう事情を知っているならせめて家にあげる段階で説明が欲しかった。


「えーっと、麻優美ちゃん……どうして親と喧嘩したのかな? あ、言いたくないなら無理に言わなくてもいいけど……」


 俺は再び慎重に言葉を運ぶ。それに対して麻優美ちゃんは静かに口を開いた。


「私の夢を全否定されました…………」


 か細く呟くように言った言葉は聞きとりにくい。しかしその思いの丈は強いものに感じた。


「麻優美ちゃんの夢ってなんなのかな?」


「私は『マジかる少女ドレスアッパーカット』になりたいんです」


「中二かよ!!」

「頼むから紗月は黙ってて!!」

「いやあ……なんかこの重い空気の中、突っ込まずにはいられなくて……」


 紗月は可愛らしくてへペロをする。気持ちは分かるけど、だったら先に寝てくれないかな。

 俺は姿勢を正し、再び麻優美ちゃんに向き合った。


「マジかる少女……に本当になりたいわけじゃないだろうから、何かそれに関係するもになりたいって事なのかな?」


「そう! そういうことなんです!! なのにあのクソオヤジときたら「マジかる少女? その歳にもなってまだそんなものにうつつを抜かしてるのか? そんなんだから現実を見失うんだ。いい加減大人になって目標のひとつでも作ってみろ」だって!! 私の事なんにも知らないクセに全部知った気になって何を言っているんだか!!」


 先ほどまでの物静かな感じとは打って変わって捲し立てる麻優美ちゃん。少しずつ話が見えてきたけど、まだ情報が足りない。掘り起こすなら今しかなさそうだ。


「えーっと、つまり麻優美ちゃんは将来の事でお父さんと話をしていたんだよね? それで喧嘩になっちゃったってことでいいかな?」


「そういうことです! 「お前は進路の事、どう考えてるんだ?」って聞かれたのでそのまま答えました。そうしたらさっきのように言われて口論になり「お前は生きてる時間を無駄に浪費するつもりか!?」と言われたので「じゃあ死んできてやる!」と家を飛び出して今に至ります!」


 ふむ、極論の極致だな。正直、個人的に身内がそうなっているからこそ、死ぬなんて軽はずみに口にして欲しくはないんだけど、まだ死と向き合った事のない女子高生にそれを言っても理解しきれない部分なのかもしれない。ならば今、彼女にかける言葉はそれじゃない。


「あのさ、麻優美ちゃん――――」


 そう声を掛けたところでゴン! という音と共に、麻優美ちゃんはテーブルに強く頭を打ち付けた。それからピクリとも動かない。


「え!!? 麻優美ちゃん!? どうしたの!!?」


 軽く肩を揺さぶりながら呼びかけるも反応が無い。まさか本当に死――――


「あー、落ちちゃったか。麻優美ちゃん、昨日も遅くまで起きてたからあんまり寝てないって学校で言ってたんだよね。今ので最後の力、使い果たしちゃったのかも」


 確かに耳を澄ますと静かに寝息を立てている。どうやら本当に寝ているようで安心した。


「しかしここで寝られてもなあ……とりあえず布団出すか」


 俺は立ち上がり、来客用の布団一式が積まれているウォーキングクローゼットへ向かう。使用するのは紗月がうちへ来た時以来だから、それほど年季の入った埃は被っていないだろう。そう思いながら布団を持ち上げると、予想に反し少し埃っぽく感じた。多少は我慢してもらうしかないだろう。


 俺はソファーの横に布団を広げる。


「え? ここに寝かせるの……?」


 紗月がどこか不安げな様子で言う。


「ダメか?」


「貴大のベッドすぐそこだし近過ぎる気がする……私の部屋に避難させてあげた方が良さそう」


「千冬もいるんだしなんもしないって…………まあ、紗月がそう言うならそっちで寝かせてあげるか」


 どれだけ信用されてないんだよ。まあ、紗月は俺の秘蔵コレクションのラインナップを知っているので、信用しろっていう方が難しいか。


 紗月の部屋の床に布団を敷き、そこに麻優美ちゃんを寝かせる。麻優美ちゃんは千冬と紗月の二人で抱えて運んだ。結局俺は女子高生に指一本触れさせてもらえなかった。残念だなんて……少しも思って……ない!


 紗月ももう眠いと言って部屋の扉を固く閉ざす。いや、この部屋鍵はかけられないんだけど、なんかこう雰囲気的にね。


 俺は言い表せられない疲れを感じ溜息を吐きながらリビングへ戻った。




「お前はどこで寝るんだよ」


 ソファーに寝そべっている千冬に声をかける。


「あたしはここでいいや。何か掛けるものちょーだい」

「もうこれしかないぞ」


 先程押入れから引っ張り出してきたタオルケットを千冬に被せる。


「薄い! まあ、仕方ないか」


 俺は台所へ移動し、冷蔵庫からビールを取り出す。そのままプルタブを開けて、飲みながら移動した。


「ねえ、タカ兄。『マジかる少女ドレスアッパーカット』ってどんな話か知ってる?」


 タオルケットを掛けて横になったまま千冬が話しかけてきた。


「いや、知らん」

「マジかる少女の魔法ってね。周りの人を色んな服装にドレスアップさせる魔法なんだよ」

「怪人をアッパーカットで倒す話かと思った」

「いや、後半は自分を戦闘用の服装にドレスアップして、必殺アッパーカットで倒すけども」

「倒すのか」


「真優美ちゃんは多分ね、ファッションデザイナーになりたいんじゃないかな?」


「ファッションデザイナー? まあ、近い結び付きだとは思うけど、根拠はあるのか?」


「真優美ちゃん、休み時間とかずっとノートに色んな服の絵を描いてるんだよね。そういうのが好きなんだなーって位にしか思ってなかったけど、さっきの話聞いて閃いた!」


 ドレスアップの魔法を使う魔法少女になりたい。服の絵を描く女子高生は自分の夢とそれを結びつけたのか。


「だったら最初からファッションデザイナーになりたいって言えばいいじゃねーの?」


 マジかる少女になりたいって言うのは逆効果だと思わなかったのだろうか。そんな遠回しな事をする意味が分からない。


「そうなんだけどねー。でもあたしはちょっと気持ち分かるかな。だってファッションデザイナーってさ安定感なさそうじゃん。なりたくて努力すれば誰でもなれるようなもんでもなさそうだし。やっぱそういう夢とか目標をストレートに親に言うのって躊躇っちゃうと思うんだよね。だって、否定されるのが怖いから」


 俺が高校生の時は、とにかく大学を出て、単位をしっかり取って、それなりの企業に就職する程度にしか考えてなかったからな。何かなりたいものがある人の気持ちはあまり理解出来ない。

 だから、なりたいものがあるんだったら、誰に何を言われようが遠慮なくそこに向かって突っ走ればいいじゃないか。そう思うのは、俺の考えが甘いのだろうか。


「言ってる意味がよく分からないって顔してるから付け足すけどさ……自分に一番身近な人が応援してくれない夢を追い続けるのって、結構辛いと思わない?」


「……ああ…………そうかもしれないな」


 千冬はいつもちゃらんぽらんのクセして、妙に納得させることを言った。


 だから麻優美ちゃんは親を試したのか。ふざけた事を言っても真剣に自分と向き合ってくれるかどうかを。頭ごなしに否定されるようなら、本当の事を言っても同じ様にされる可能性は高い。


 まあ、俺からしてみたらどっちもどっちだ。娘と向き合えない父親も、遠回しにしか伝えられない娘も。


 女子高生くらいの父娘の関係って結構難しいのかもしれない。でも俺はそんなの知ったこっちゃないし、どちらの気持ちも理解できない。


 色んな感情が自分の中を渦巻いてきたので、ビールを飲み干しその全てを流し込む。


 気付くと千冬もソファーの上で寝息を立てていた。


「俺も寝るか…………」


 布団に入り目を瞑る。明日も一筋縄ではいかなそうだ。




 そして翌日――


 先に起きた俺と紗月と千冬は、先に三人で朝食を摂っていた。


「昨夜は大変ご迷惑をお掛けしました……」


 九時過ぎに起床してきた麻優美ちゃんは申し訳なさそうに言う。一眠りしたお陰か、その表情はどこかスッキリしたように感じた。


「それは気にしなくていいけど、少しは落ち着いた?」


「ええ……まあ……昨日は飛び出してきた勢いと眠気で、完全に闇堕ちしてました……今は、大丈夫です……」


「それなら良かった。それで……これから、どうするつもり?」


 俺の質問に沈黙する麻優美ちゃん。静かに返答を待っていると、もごもご口を動かし始めた。


「帰りたくないです……でも……帰らなきゃダメなのは分かっています……でも……どうしたらいいかわからなくて……」


「ご両親から連絡は?」

「スマホも置いて出てきたのでなんとも……」


 それはマズイな。きっと心配しているだろうから、一刻も早く帰った方がいいだろう。


「俺がお父さんを説得してあげるよ。だから今すぐ帰ろう」


「え!!? タカ兄何言ってるの!!? 部外者が口挟んだら余計に話こじれるじゃん!!」


 黙って様子を見ていた千冬が声を荒げる。


「だからいいんだよ。昨日の今日でお互い冷静に話し合えるならいいけど、なかなかそういうわけにもいかないだろ? だったら適当な人間が間に入って、怒りの捌け口を被ってやればいいんじゃねえかなって」


「下手するとタカ兄……麻優美ちゃんのお父さんに殴られるんじゃない……?」


「それで気が済むならそれでいい」


 俺は力強く言い切った。


 正直、うまくいく算段なんてこれっぽちもない。本当に殴られて余計に状況が悪くなる可能性だって大いにある。でも、だからってこのまま放っておくわけにはいかないだろう? 誰かが動いて少しでも何かが変わるのだったら、それに越したことはない。


「どうして……そこまでしてくれるんですか……?」


 麻優美ちゃんは俯きながら言う。


「いや……まあ……昨日から少し考えてたんだ。麻優美ちゃんさえ良ければ、なにか力になれないかなって」


「ありがとう……ございます」


 そう言った麻優美ちゃんの表情は俯いたままなので良く見えなかったが、少しだけ口元が緩んだようにも見えた。否定や拒絶はないので、俺の提案を受け入れてくれたと思っていいだろう。


「じゃあ朝食食べたらすぐに出発するよ。もちろん千冬は同行してもらうとして、紗月はどうする?」


「私は実愛ちゃんと約束あるから」


「そうか。気を付けて行ってこいよ」


 麻優美ちゃんが朝食を食べた後、紗月を置いた三人で家を出た。



 力になりたい――だなんて、良く言えたものだなと思う。ただ俺は、本当は自分の言いたい事をこの父娘に言ってやりたいだけだった。


 どんなに綺麗事を並べても、結局は自分の事しか考えていない自己中野郎なんだ。そんな自己嫌悪に陥るも、踏み出した足は止まらない。



 乗り込んだタクシーは閑静な住宅街に入り、ある一軒家の前で動きを止める。表札には『かがり』と記されていた。


 麻優美ちゃんは篝さん家のインターホンを押す。何も反応はなく、俺達三人は立ち尽くす。

 しばらくすると玄関の扉が勢いよく開いた。


「麻優美!!」


 そう叫んで現れたのは一人の中年男性だった。麻優美ちゃんの父親だろう。玄関から出てきて階段の上から麻優美ちゃんを冷たく見下ろす。


「昨日はどこへ行っていた?」

「えーっと…………それは……」


 父親の威圧的な態度に口ごもる麻優美ちゃん。


「あ! あたし、橘千冬って言います! 麻優美ちゃんとは同じクラスの友達です! 昨日、夜遅く街中で麻優美ちゃんを見かけたので、近くにあったあたしの従兄弟の家に連れて行きました! そのまま一緒に一晩過ごして家に送り届けたんです」


 麻優美ちゃんのお父さんは千冬と俺を軽く一瞥する。


「そうか……娘がご迷惑をお掛けしました」


 そう言って軽く会釈をする。それは気持ちが全く籠らない形式的なものだった。


「麻優美、そんなところに突っ立ってないで中に入りなさい」


 麻優美ちゃんは口を噛みしめ俯く。まさに一色触発。一度口を開いてしまえば、昨日の様に感情が爆発してしまうのを我慢しているようだった。


「すみません。ちょっといいですか」


 俺は麻優美ちゃんの前に立つ。


「……なにかな?」


 それに対し麻優美ちゃんのお父さんは露骨に顔を歪めて答えた。俺は怯まずに話を続ける。


「少しだけ、昨日の経緯は聞きました。麻優美ちゃんは「マジかる少女になりたい」と言ったそうですが、本当にそれになりたいと思いましたか?」


「麻優美が言うならそうなんだろう。まったく……高校生にもなって何がマジかる少女だか」


「そうですね……そこは正直、麻優美ちゃんはもっと素直に伝えた方が良かったと思います。結局それが原因で話がこじれてしまったんですから……でも、麻優美ちゃんは怖かったみたいなんです。自分の本当の夢をお父さんに否定されるのことが」


 ここに向かうタクシーの中で、麻優美ちゃんに昨日聞けなかった本心を聞いた。なんか少し悔しかったが、本当に千冬が言った通りだった。マジかる少女というふざけた夢でも、真摯に向き合って欲しかった。自分の夢をちゃんと聞いてほしかったと麻優美ちゃんは言っていた。


「麻優美ちゃん。君が本当になりたいものはなんなのかな?」


 麻優美ちゃんを隠していた身体を逸らす。ここは俺が言うべき台詞じゃない。


「私は――――ファッションデザイナーになりたい」


 真っ直ぐな瞳で父親を見て言う。強い気持ちがこもった言葉だった。


「ファッションデザイナー? ふん、マジかる少女と大差ないじゃないか」


 麻優美ちゃんの強い想いとは裏腹に、お父さんは冷たくあしらう。



 そう――ここからが本番だ。



 タクシーの中で聞いた話によると、お父さんの職業は公務員。職業柄か、何より安定を望む傾向にあるらしい。だから安定のイメージが沸かないものであれば、ファッションデザイナーだろうがマジかる少女だろうがそこに違いはないのだ。


「ファッションデザイナー。いい夢だと思いますけどね。一体何がいけないって言うんですか?」


「資格を取ればなることは出来るだろう。だが、そのあとはどうなんだ? 安定した企業に就職出来るのか? デザインした商品は必ず売れるのか? 最低でも生活出来るくらいの賃金は稼げるのか? 目指した時点で何も保障されていないじゃないか。そんなものは目標とは言わない、ただのギャンブルだ」


 思ったよりも固執した考えに眩暈がする。申し訳ないけど、俺にはそこを論理的に納得させられるだけの技量は持ち合わせていない。


「だからって娘の夢を否定していい理由にはならないでしょう?」

「親だからこそ子供を正しい道に導いてやるべきだ」

「少しくらい、麻優美ちゃんの話を聞いてあげてもいいと思うんですが」

「時間の無駄だ。考えを改めないと言うならこちらで進学先を決めさせてもらう」

「いくら親と言ってもそれは横暴な気もしますけどね」


 話が停滞して進まない不毛なやり取りが続く。


「そんなに麻優美をファッションデザイナーにならせたいと言うなら、納得のいく説明をしてもらおうか」


 その台詞に俺は大きな溜息を吐く。違うんだ。俺が言いたい事はそういう話じゃない。



「まあ、ぶっちゃけて言わせてもらうと、麻優美ちゃんがファッションデザイナーになりたいって言う夢は個人的にどうでもいいことなんです」



「え!?」


 俺の言葉に麻優美ちゃんと千冬は目を見開き驚く。


「でも、このままじゃあ麻優美ちゃんとお父さんの関係にヒビが入ったままだ。家族の関係を傷付けてまで押し通したい考えなのかっていうのを聞きたいですね」


 麻優美ちゃんのお父さんは、俺の問いに少しだけ沈黙をした。その隙を付いて俺はさらに言葉を続ける。


「安定な職業。悪くないと思いますよ。親としては安心できるでしょうからね。でも麻優美ちゃんには他になりたいものがある。その話をお父さんに聞いてほしいと思ってる。今貴方がそれを拒んだら、麻優美ちゃんは一生お父さんを信用できなくなります。関係が壊れてしまうんです。だったら今すべきことは、お互い心を開いて話し合うことじゃないかなって思うんですよ。今後どうするかの答えはそれから出せばいいじゃないですか」


「黙って聞いていれば随分偉そうな口を利く若造だな……余所の家庭にベラベラと綺麗事を口出ししやがって……そういうのを余計な御世話だと言うんだ!! お前にウチの何が分かる!!?」


「分からないから言ってるんじゃないですか!! 俺には志す『夢』もそれを聞いてくれる『父親』もいない! だから自分が持っていない物の気持ちなんて分からない!!

 俺には両親が居ません。唯一の姉弟だった姉も今年亡くなりました。今は同じように家族を失った奴と一緒に生活をしています。遺されたそいつと家族の絆を結ぼうと必死になっているところです。

 だから思うんですよ――

 家族がいることが当たり前になっているのなら――

 せめて自分達でその絆を壊すことだけはしてほしくないなって――――」



 その場にいた全員が口をつぐみ、静寂が辺りを包む。



 やがて口を開いたのは麻優美ちゃんのお父さんだった。


「これは降参だな…………確かに君の言うとおりだ。私の言う事を聞いてくれたとしても、大切な娘に嫌われてギクシャクしながら過ごすと言うのも後味が悪い。私たちはもっとお互いに話し合うべきだったんだ」


「お父さん…………」


「いや……言われるまでもなく、私の言いなりにするのは最善じゃない事は分かっていた……しかし、親と言うものはどうしても子供の将来を心配してしまう……出来るだけリスクが少ない将来を選んで欲しい。でもそんなものは、親の理想の押し付けでしかないんだろう。

 麻優美――――お前の夢の話、ちゃんと聞かせてくれないか?」


「うん……ありがとう。お父さん」


 頬笑みながら見つめ合う父娘。もうすでに二人を遮る壁はない。きっとこれからは大丈夫だろう。


 そんな様子を横目に、俺と千冬は静かにその場を去った。



「タカ兄。麻優美ちゃんの事、ありがとね!」


 歩いて駅に向かう途中、千冬は嬉しそうに言った。


「別に麻優美ちゃんのためにやった事じゃない……俺はただ、自分の言いたい事だけ言っただけだ…………礼を言われるような事は……なにもしてない」


 そう、俺はただ、俺に無いモノを自らの手で手放そうとするあの父と娘に一言いってやりたいだけだった。そんなもったいない事、するもんじゃねえってな。


「もう! タカ兄ってホントそういうトコあるよねー。なんていうか自虐的っていうの? まあ、タカ兄はそういうつもりかもしれないけどさ、それで救われてる人もいるんだからもっと胸張って良いと思うよ!」


「そうだな……救われるといいな」


 あの父娘はまだスタートラインに立ったばかりだ。これから先のことは俺の立ち入る場所じゃない。それでも、互いが納得のいく答えが出せたのなら、少しは俺の自分勝手も役に立ったと思えるだろうか。


「どうせ紗月ちゃんの事だって「引き取ったのは紗月のためじゃなくて自分のためじゃないか」とか思ってんじゃないの?」


「む。そんなことはない」


 とは言ったものの、少し胸の奥がざわつく。女子高生のクセに痛いトコついてくるな。


「紗月ちゃん、うちで預かってた頃と全然表情違うんだよ。あんときは美月姉が亡くなったばかりだったってのもあると思うけどさ。今はちゃんとタカ兄のこと信頼してる。紗月ちゃん、ちゃんとタカ兄に救われてるよ」


 俺も紗月との関係は頑張って築いてきたはずだし、第三者の目から見てもそう映るならやっぱり嬉しいものだった。


 そんな気の利いた台詞を言った千冬を見ると、どこか暗い表情に変わっている。千冬は俯き加減で呟くように口を開いた。


「あの……さ……ずっと言おうかどうしようか迷ってたんだけど、やっぱり話すね。昨日、お父さんとお姉ちゃんが喧嘩してるって言ったけど、その原因、実は紗月ちゃんのことなんだよ……」


「紗月のこと? どういうことだ?」


「いや……お父さんがこの前、あの人に連絡を取って美月姉と紗月ちゃんのこと、話したみたいなんだよね。それを知ったお姉ちゃんは「余計なことしないで!」って怒り始めるし、お父さんは「余計なことじゃない! 必要な事だ! 子供が口出しすることじゃない!」ってお互いいがみ合っちゃってさ……」


 そうか……叔父さん、ついにアイツと連絡とったのか。なかなか俺がアクションを取らないからしびれを切らしたのかもしれない。


「私はどっちが正しいかとか良く分からないから黙って聞いてたんだけど、タカ兄はどうなのかなって……」


「どっちが正しいとかはねえよ。何も変わらない。ただ、それだけだ」


 そう。アイツは今の紗月の現状を知ったところで何も動かない。つまり今と何も変わらない。


 だってアイツは――――



 姉ちゃんと紗月を捨てた男だ―――――



 千冬の前では強く断言するも、それは俺の願望だと言うことは分かっていた。


 それでも――

 アイツが動く最悪の事態から、目を背けずにはいられなかった――




 そして翌日の日曜日。麻優美ちゃんが昨日の御礼と言って俺の家にやってきた。


「昨日、あれからお父さんとちゃんと話し合いました。そしたらお父さん、私の夢を全面的に応援してくれるって言ったんです。これも貴大さんのお陰です。本当にありがとうございました」


 テーブルを挟んで向かい合う麻優美ちゃんは丁寧にお辞儀をした。


「貴大……何やったの?」

 俺の隣に座る紗月が不振な視線を向ける。


「いや……別に大したことはしてねえよ」


 本当に大したことはしてないんだけどな。まあ、話がうまくまとまったのなら本当に良かったと思う。


「お父さんに私のデザインした絵を見てもらったんですよ。そしたら「麻優美は天才だな! これなら自分のブランドを持つのだって夢じゃないだろ!」って大はしゃぎで……こっちまでその気になっちゃいましたよ」


「ただの親バカか!!」

「いや……紗月、いつからお前はツッコミ担当になったんだよ……」

「え? だって、そんくらいしか今回の私の出番ってなくない?」

「そういうことを言うんじゃねえ……」


 本当に滅多な事は口走らないでもらいたい。だってしょうがなかったんだよ!


「それで、お父さんと別の将来についても話し合ったんですよ」


「別の?」


「はい。将来の旦那さんとして、貴大さんとの結婚を認めてもらいました。ふつつか者ですがよろしくお願いします」


 少し頬を赤らめながら再びお辞儀をする麻優美ちゃん。


「わー。オメデトー」

 紗月はやる気のない賛辞を送る。


「いやいやいや! ちょっと待って!! 結婚って何!? 麻優美ちゃんまだ高校生だよね!? そのくらいから結婚を認めるって、どんだけ親子の距離縮めてきたんだよ!!?」


「ダメでしょうか……」


「ダメに決まってるでしょ! これから沢山出会いもあるんだから、今のうちから結婚相手を決めるとか早すぎる!!」


 落ち込んだ様子でなにやら鞄を漁り始める麻優美ちゃん。取り出したのは大きめのカッターナイフ。チキチキと嫌な音を立てながら刃を押し出す。


「私は生きる希望を失いました…………だからもう、死ぬしかありません」


 そう言って刃を手首に押し当てる。


「ストーーーーーーーーップ!!!! ちょっと待って!!! ちょっと冷静に話し合おう!!!」


「はっ!! 私としたことが……我を失ってました……冷静に……そうですね。そうですよね。私がダメでも他の女にとられるってこともあるんですよね……

 だったら――

 先に貴大さんを殺しておかなくちゃいけないですね。

 ふふふ……大丈夫です。すぐに私も後を追いますから」


 麻優美ちゃんはカッターナイフの刃をこちらへ向ける。完全にイっちゃってる人の目をしていた。


「これは……ヤンデレってやつかな」

「なんで紗月はそんなに冷静なんだよ!!? 冗談抜きでヤバイってコレ!!」

「ふふふ……逃がしませんよぉ」


 それからなんとか死線を潜り抜け、命からがら麻優美ちゃんを落ち着かせることに成功した。先日の家出の件といい、なにかスイッチが入るとあらぬ方向に暴走してしまうんだとか。


 とりあえず今日の事もあるので、学業優先という名目でしばらく俺の家への出入りを禁止した。ちょくちょく来られたんじゃ、命がいくつあっても足りないぞ。


 なんか……またとんでもない子と関わってしまった気がする……


 俺は数日間、鳴りやまないラブコールのメッセージ通知に頭を悩ませるのだった。







 それから一週間後の日曜日。十二月も半ばを過ぎ、今年も残すことあと僅か。


 正午過ぎにインターホンが鳴った。


 俺は何も考えずに玄関の扉を開ける。


 そこに立っていたのはとても優しい表情をした三十代後半の男性だった。


「やあ貴大君。久しぶりだね」


「三渕……慶介っ! …………さん」


 突然の訪問に、思わず奥歯を強く噛みしめた。


 男性は玄関の靴の並びを確認する。


「うん、紗月は居るね。上がらせてもらうよ」


 返事を待たずに上がり込み、立ちつくす俺の横を通り過ぎる。


 さらに廊下を進み、紗月がいるリビングのドアを開けた。


 三渕みぶち慶介けいすけ。最近伸びの勢いを増すIT企業『ネクスティアS』の副社長。


 俺の姉、橘美月の元旦那であり、そして――――



「やあ、紗月。元気にしていたかい?」


「お……お父さん!!?」




 そして紗月とは――――血の繋がった、実の父親だ――――

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