第3話

「……消えた?」


「……そのようですね」


 二人は互いに目を合わせる。そしてすぐに地図に視線を戻す。目を擦ってもう一度確認。魔王城らしき物はどこにも見当たらない。他の場所に移ったのかと思い隈なく地図を調べる。どこにもそれらしきものは見当たらない。


静寂が二人を包み、ついにウールが口を開いた。


「ベルムよ、考えたくは無いのだが。もしかして魔王城、崩壊した?」


「ここから消えたという事は、そうとしか……」


 ウールが「そうか」と答えると時間が止まったように二人は上の空になった。


だが次第にウールの額から冷や汗が垂れ始め、頬を伝って滴り落ちるとウールは震えだした。


「待て、待て待て待て! という事はなんだ、私達は帰る場所が無くなったという事か?! どうすればいい?! どうすればいいんだ?!」


「おお落ち着いてください!」


「お前こそ人の事言えないだろうが! 頭が取れているではないか!」


「え?! あ、本当ですね」


 ウールは半ばパニックの状態のまま、ベルムのすぐ隣に落ちていた彼の頭を両手で拾う。頭に着いた土や木の葉を払うとすっぽりと取れてしまった彼の首元に付け直してやった。


「ありがとうございます魔王様」


「礼には及ばん。じゃなくて!! どうするんだこの状況!?」


「そう言われましてもすぐにいい案なんて出ませんよ!」


「そうだけども――」


 血気盛んに言葉を発していたウールが突然無言になり、ベルムは不思議そうに首をかしげた。なぜならウールが彼の肩越しに何かを覗き込むように眺めていたからだ。


 どうしたのか訊ねつつ振り返ると、視線の先にニ体の緑色をしたスライムがいた。不恰好な球体をしたゼリー状の体はプルプルと弾力があると思わせる。見ているだけで気が抜けるようなはんにゃりとした目で二人を見ており、悪意とはまるで程遠いポツンとした目をまばたきさせている。


「ベルム、あれはスライムだよな?」


「ええ、正確には『フォレストスライム』ですね。森林地帯に生息しているのが特徴なだけで、今の我々でも倒せるくらい弱い魔物ですよ。それに吾輩達魔族を、ましてや魔王様を襲うはずなんてまずありえないので安心してください」


「そうか。それなら安心だな。だがなベルム、なぜだか知らんがあいつら、こっちに段々迫って来てないか?」


 ベルムは様子を探るように目を細めスライム達を観察し始める。スライム達は通った後の地面や草を水を吸ったようにしっとりとさせながらぬるぬると近づいてきていた。


「あ~……来てますね」


「だろう?」


 二人はその場から動かずに迫りくるスライム達を観察するように眺めている。こうしている間にも距離は縮まり、段々と不穏な空気が漂い始める。



「あまりこんな事考えたくはないが。……襲われる?」



 予想は見事に的中した。


 ウールが言い終えると同時に一匹のスライムの体から突然いくつもの触手が飛び出してきた。薄々こうなることは予測できてはいたが二人は思わず絶叫し、何とか回避しようと横にビュンと飛ぶ。


 ベルムは間一髪回避することができた。だがウールは僅かに飛ぶのが遅く、腰に触手が一瞬のうちに巻かれた。スライムは獲物を自慢するように捕まえたウールを持ち上げた。


「ああくそ! ぬるぬるしてて気持ち悪い!」


 手足をジタバタと動かしながら必死に抵抗しているウールをスライムはじわじわと近くに引き寄せる。数メートルほどにまで迫ると、体に口のような形をした大きな空洞を浮かび上がらせる。ウールはそれを見るとハタリと動かなくなる。そして受け入れがたい事実を目の当たりにしたように顔を横にぶんぶんと振った。


「おい待てふざけるな。たかがスライム如きに食べられるのか?! 嫌だ! 私は魔王だぞ?! なぜ食べられなければならないんだ!!」


 ウールはがむしゃらにもがく。その度にスライムはより強くウールの体を締め付けた。強さはとどまるところを知らないのか増し続け、ウールの体がぎちぎちと反り返る。


「ふ、ざける……な」


 ウールの目から光が消え始める。抵抗する力が消え、意識が遠のいていく。


 つま先がスライムの体に触れた。もうあと数秒もすれば捕食されてしまうだろう。


 絶体絶命の危機。


 だがそれはベルムによって防がれた。彼の大剣が放った豪胆な一振りが触手の腕部分を真っ二つに切り落としたからだ。


 スライムは体をぶるんと揺らしウールを手放す。ウールは地面に尻から勢いよく落ち、乾いた咳をしながらベルムを見上げた。「大丈夫ですか?」とベルムが体の安否を心配し手を差し伸べる。ウールは感謝の言葉を送りながら手を握り返すとゆっくり立ち上がった。


 一方のスライムは二人に息つく間も与えず再び触手を飛ばした。ベルムはウールを庇うように立つと、背負っているであろう大剣を抜こうとした。


 だが、右腕と大剣はスライム達の傍にポツンと落ちていた。


「あ、あっちに落としたままでした」


「ついさっき同じことしたばかりだろうが大馬鹿者!! そこをどけベルム!」


 ウールは果敢にベルムの前に飛び出した。そして右足を踏み込み両手を前に突き出すと、飛んでくる触手を睨みつけながら魔法を唱えた。


「なるようになれ!! 『ファイア』!!」


 両手を轟轟と燃え盛る真っ赤な炎が覆った。だが触手が既に目の前に迫る。それでもウールは冷静さを失わないよう息を整える。そしてタイミングを見切ると、骨を粉砕するように触手を握った。


 瞬間、水が蒸発するような音と共に視界を遮るほどの白い煙が触手から噴き出した。スライムが目にもとまらぬ速さで触手を引き戻す。


 威嚇するようにスライムは体を震わせた。それを見てウールは攻撃が効いたと確信しギュッと手を握る。そして得意気な笑みを浮かべると両手首を合わせた。


 手の中で炎が渦巻きはじめた。炎はやがて小さな火球が形成し、それは手の中に小さな太陽が生まれているようだ。


「魔王である私を痛めつけたらどうなるか、直々に教えてやろう」


 不敵な笑みを浮かべ火球を放つ。まだ攻撃を受けていないスライムから飛び出した触手が空中ですれ違う。


 一直線に触手は伸び続ける。だがウールの目と鼻の先で止まった。先に火球が体に命中したからだ。スライムは苦痛に悶えながら体へ触手を引っ込める。


「致命傷、とまではいかないか。意外とタフだな。おいベルム! 私が援護をするから大剣と腕を取りに行け、早く!!」


 返事をするとベルムはすぐさま駆け出す。ウールは彼の後に続く形で火球を作りながら走り出す。


 ベルムが腕と大剣を拾うと二つの触手が目の前に迫る。だが間一髪のところでウールの放った火球が一方の触手に命中する。ベルムもすぐさま大剣を構え右足を踏み込むと、もう一方の触手を地面ごと叩きつけるように斬りつけた。不快な音を立てて触手が地面に落ちると、そのすぐ横にベルムの腕が落ち、慌てて腕を付け直した。


「ベルム、そう一々腕が落ちてはめんどくさいだろう。大剣を使うのはしばらくやめたほうがいいんじゃないか?」


「と、言われましてもね。相手が相手ですから素手は嫌ですよ。飲み込まれるかもしれないので」


「……ああ、たしかにそうだな。その気持ちすっごく分かるぞ。ところで、こいつら思った以上に強くないか? スライムって弱いはずだろ?」


「そのはずですけど。そもそも吾輩、スライムなんて気にかけた事が皆無なので彼らの事はよく知らないんですよ。だから意外と種類ごとに強さが違うかもしれませんね」


「……お前、適当にあんなこと言ってたのか」


「だってスライムですよ? 普通弱いと思いませんか?」


「たしかにそうだが今の私達も弱いのだぞ?! こいつらが格上かもしれないだろうが!」


 二人のやかましい論争が続くが、たとえ取り込み中であろうとスライム達には関係ない。触手を鞭のように地面に数度叩きつけると彼らは再び攻撃を開始した。





 スライムとの攻防が数分ほど続き、二人は息が上がりはじめていた。


 動きが鈍くなり始めていたウールはやけくそ気味に触手を岩を砕くように殴りつけた。瞬間、攻撃を受けたスライムが攻撃を止める。もう一匹のスライムもベルムの一撃を食らうと同じように攻撃を止めた。


 そして二匹は震えたままその場から動かなくなった。


「な、なんだ?」


「恐らくですが瀕死ではないでしょうか?」


「ようやくか……」


 ウールは安堵のため息をつくと両手に纏っている炎を消す。ベルムはとどめを刺していいか大剣を構えながら聞くと彼女はうんと頷いた。


 一歩一歩スライム達に近づいていくベルムは、目の前まで来るとやれやれと疲労がたまりきったようなため息をつき大剣を空高く掲げた。


「待てベルム!」


 今まさに振り下ろそうとしていたベルムはバランスを崩し尻餅をついた。ベルムが取れてしまった腕を拾いながら理由を訊ねるとウールは少し間を置いてから答えた。


「襲ってはきたがこいつらは同じ魔族だ。同族を殺すのは気が引ける。ベルム、この辺りに薬草があるか探してこい」


「よろしいのですか? また襲ってくるかもしれませんよ」


「きっと大丈夫だ、敵意が無いと分かれば襲ってはこないだろう。それに昨日の敵は今日の友だ! そうだろう?」


「昨日どころか、ついさっきの出来事なんですけどねえ……」


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